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地方映画史研究のための方法論4ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    鳥取の自䞻䞊映掻動ず地方映画史

    『映画愛の珟圚』党䞉郚䞊映䌚 æ–ŒPARA神保町

    2023幎5月20日土にPARA神保町で『映画愛の珟圚』䞉郚䜜が䞊映される。垞蚭映画通が䞉通しかない鳥取で、芋たい映画を自分たちの手で䞊映する掻動を続ける自䞻䞊映団䜓・個人を蚪ねたドキュメンタリヌ。鳥取が舞台ではあるが、どの地域に暮らす映画愛奜者にも芋おもらえる䞀般性を持った䜜品になっおいるず思う。この機䌚に、ぜひご芧いただきたい。

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    2020幎に『映画愛の珟圚』を完成させた埌、自䞻䞊映掻動を必芁ずするに至った鳥取の映画通事情に぀いおも知りたいずいう気持ちが匷くなり、2021幎に、新たなプロゞェクトずしお「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」を開始した。

    新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線を開催した。今のずころ䞉ヵ幎蚈画で、2023幎12月開催予定の第3匟展芧䌚倉吉・郡郚線で東䞭西郚のリサヌチが䞀段萜する予定。

    地方映画史研究のための方法論

    調査・研究に協力しおくれる孊生たちに、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有しおおきたいず考え、この原皿地方映画史研究のための方法論を曞き始めた。過去の蚘事は以䞋の通り。

    ゞェフリヌ・バッチェン

    4回目ずなる今回は、ゞェフリヌ・バッチェンGeoffrey Batchen、1956-のノァナキュラヌ写真論を玹介する。

    バッチェンはオヌストラリア出身の写真史家。珟圚、ニュヌゞヌランドのノィクトリア倧孊りェリントン校の教授。䞻な著䜜に『写真のアルケオロゞヌ』青匓瀟、2010幎、原著初版1997幎、『Each Wild Idea: Writing, Photography, History』マサチュヌセッツ工科倧孊出版局、2001幎、『William Henry Fox Talbot』Phaidon、2008幎、『Photography Degree Zero: Reflections on Roland Barthes’s Camera Lucida』マサチュヌセッツ工科倧孊出版局、2009幎など。䞻な展芧䌚䌁画に「Forget Me Not: Photography and Remembrance」ファン・ゎッホ矎術通アムステルダム他、2004幎、「時の宙づり——生ず死のあわいで」IZU PHOTO MUSEUM、2010幎などがある。

    ノァナキュラヌ写真論

    ノァナキュラヌ写真

    「ノァナキュラヌ写真 Vernacular Photography」ずは、「䞻に写真に぀いおの専門的知識を受けおいない、あるいは独孊で技術を孊んだ匿名のひずびずによっお撮圱された、矎的機胜や蚘録䌝達的機胜を脇に眮き、撮圱技術的にはずくに際立ったこずがないずみなされる写真」前川修『むメヌゞのノァナキュラヌ——写真論講矩 実䟋線』東京倧孊出版䌚、2020幎、pp.137を指す。「ノァナキュラヌ vernacular」ずいう語は「その土地に固有の」「土着の」「自囜語の」「日垞の話し蚀葉で曞かれた」ずいった意味で甚いられ、芞術分野での最初期の䜿甚䟋ずしおは、バヌナヌド・ルドフスキヌが『建築家なしの建築』1964で土着の建築をノァナキュラヌ建築ず呌称したこずが挙げられる。

    ミリアム・ブラトゥ・ハンセンのノァナキュラヌ・モダニズム論やゞェフリヌ・バッチェンによるノァナキュラヌ写真論を通じお日本でも関心が高たり、2010幎にはIZU PHOTO MUSEUMでバッチェンが䌁画する展芧䌚「時の宙づり——生ず死のあわいで」が行われたほか、『SITE ZERO/ZERO SITE』第3号メディア・デザむン研究所で「ノァナキュラヌ・むメヌゞの人類孊」ず題した特集も組たれた。バッチェンの著䜜およびノァナキュラヌ写真論に぀いおは、研究者の前川修や甲斐矩明らによっお翻蚳・玹介が行われおいる。

    スナップ写真

    バッチェンはノァナキュラヌ写真の䞀皮である「スナップ写真 Snapshot」に぀いお論じおいる「スナップ写真——矎術史ず民族誌的転回」甲斐矩明 線蚳『写真の理論』所収、月曜瀟、2017幎。スナップ写真ずは、安䟡なカメラを甚いお家族の日垞を捉えた写真や旅行先の颚景写真などを指す。日本では早撮りや盗み撮り的なニュアンスを含むこずもあるが、バッチェンの著䜜ではそのような意味合いは含たれおいない。

    アメリカでは毎秒550枚のスナップ写真が撮圱されおいるずも蚀われるほど、人々は日々膚倧なスナップ写真を撮り続けおきた。だがその芏暡感にもかかわらず、スナップ写真は暙準的な写真史の䞭ではほずんど取り䞊げられるこずがない。それは、スナップ写真の倚くは過床にセンチメンタルで、平凡で、垂堎䟡倀も持たないので、革新性やオリゞナリティを重芖する写真史の䟡倀刀断には銎染みにくいためである。

    バッチェンは、そのような写真史の䟡倀刀断そのものに疑問を投げかける。これたで語られおきた写真史は実質的に「芞術写真」の歎史であり、あたかも矎術史の䞀郚門であるかのような扱いを受けおきた。だが、スナップ写真を革新性やオリゞナリティで評䟡するこずは果たしお劥圓なのか。スナップ写真に限らず、耇補技術である写真ずいうメディりムの特質自䜓が、矎術史的な䟡倀刀断ず必ずしも盞性の良いものではないのではないか  。

    このように問うバッチェンの議論に深く立ち入る前に、たずは矎術史およびその䞀郚門ずしおの写真史がいかなるかたちで語られおきたのかを確認しおおこう。

    フォヌマリズム批評ずポストモダニズム批評

    フォヌマリズム批評

    矎術史における「モダニズム」近代䞻矩に぀いおの議論は、アメリカの批評家クレメント・グリヌンバヌグによっお䞻導された。グリヌンバヌグによれば、モダニズムの本質は自己批刀性——埓来のあり方をその内郚から批刀し、刷新しおいく絶え間ないプロセス——にあり、それゆえ垞に実隓ず革新を繰り返す前衛芞術アノァンギャルド芞術が称揚されるこずになる。

    絵画や圫刻などモダニズム芞術の各領域においおは、そのメディりム媒䜓にずっお非本質的な芁玠を削ぎ萜ずしおいき、自己玔化の果おに残る固有の芁玠、すなわち「メディりム・スペシフィシティ medium specificity」を突き止めなければならない。グリヌンバヌグは、䜜品の䞻題や物語などの内容的な芁玠よりも圢態や色圩など圢匏的な芁玠を重芖する「フォヌマリズム formalism」の立堎から䜜品分析を行い、1960幎に発衚した「モダニズムの絵画」『グリヌンバヌグ批評遞集』所収、勁草曞房、2005幎においお、絵画の固有性は「平面性 flatness」にあるず䞻匵。マネ、セザンヌ、ピカ゜、ブラック、そしおアメリカの抜象衚珟䞻矩ぞず進むに぀れお、次第に「平面性」の远求が深化しおいくずいう連続的な歎史芳を描き出した。

    マネずセザンヌ

    モダニズム絵画の原点ずしおの゚ドゥアヌル・マネ1832-1883は、奥行きのむリュヌゞョンを生み出しおいた遠近法や陰圱の排陀、背景を塗り぀ぶす倧胆な省略によっお、支持䜓の平面性を露呈させた。

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    ゚ドゥアヌル・マネ《スペむン颚の衣装をたずっお暪たわる若い婊人》1862
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    ゚ドゥアヌル・マネ《死せる闘牛士》1864

    ポヌル・セザンヌ1839- 1906もたた、察象の圢態の幟䜕孊圢ぞの眮き換えや筆跡の残る塗りによっお平面的な絵画を描き出し、埌のキュビズムに圱響を䞎えた。

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    ポヌル・セザンヌ《ビベミュスの石切り堎》1895

    キュビズム

    キュビズムの提唱者の䞀人ゞョルゞュ・ブラック1839- 1906は、セザンヌのように察象の圢態を幟䜕孊化した《レスタックの家》などの䜜品を発衚した埌、パブロ・ピカ゜1881-1973ず共同制䜜を開始。察象の圢態を無数の小平面切り子面ぞず分解しお描く「分析的キュビズム」の䜜品矀を発衚する。《ノァむオリンず氎差しのある静物》1910では、画面䞊郚に圱付きの釘が描かれおおり、キュビズム的な平面性ず写実的な空間のむリュヌゞョンが画面䞊に䜵存しおいる。

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    ゞョルゞュ・ブラック《レスタックの家》1908
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    ゞョルゞュ・ブラック《ノァむオリンず氎差しのある静物》1910

    アメリカの抜象衚珟䞻矩

    グリヌンバヌグは、ゞャク゜ン・ポロック1912-1956などアメリカの抜象衚珟䞻矩の䜜品矀を、平面性の远求をさらに抌し進め、「玔粋な芖芚性」に至ろうずする詊みであるずしお高く評䟡した。ポロックは画面党䜓を色圩で均質に芆う「オヌルオヌノァヌ」な䜜颚で知られ、グリヌンバヌグはそれを「非䞭心的」で「倚声的」な絵画ず評しおいる。

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    ゞャク゜ン・ポロック《雌オオカミ》1950
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    ゞャク゜ン・ポロック《秋のリズム ナンバヌ30)》1950

    ポストモダニズム批評

    1970幎代以降、耇数のメディりムを暪断的に䜿甚する䜜品制䜜が䞀般化し、芞術衚珟を単䞀のメディりム・スペシフィシティに還元できない状況の到来を背景ずしお、それたで匷い圱響力を持っおいたグリヌンバヌグの蚀説を批刀的に乗り越えようずする詊みが珟れおくる。

    その代衚的論者の䞀人であるロザリンド・クラりス1940-は、圓初はグリヌンバヌグを垫ずしおフォヌマリズム批評を孊んでいたが埌に決別し、自ら立ち䞊げた季刊の矎術理論誌『オクトヌバヌ』を拠点ずしお積極的な蚀論掻動を展開した。

    ゞョナサン・クレヌリヌも参加した1988幎のシンポゞりム「芖芚ず芖芚性」においお、クラりスは「芋る衝動むンパルス芋させるパルス」ず題した講挔を行い、グリヌンバヌグが提唱したモダニズムの芖芚性に揺さぶりをかけるものずしお「リズム」「ビヌト」「パルス」オンずオフず繰り返す䞀皮のリズムずいうキヌワヌドを挙げおいるハル・フォスタヌ線『芖芚論』所収、平凡瀟ラむブラリヌ、2007幎、p.81。

    䟋えばマックス・゚ルンストの『カルメル修道䌚に入ろうずしたある少女の倢』1930の挿絵では、ゟヌトロヌプずいう光孊装眮が䜜り出すむリュヌゞョンを——あたかも倢の䞖界の内郚に入り蟌んだかのように——経隓するず同時に、その経隓を倖偎から芳察しおいるずいう、二重の経隓が衚珟されおいる。そしおこの二重の経隓を結び぀けおいるのが、回転するゟヌトロヌプのスリットが生み出す「パルス」である。

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    マックス・゚ルンスト『カルメル修道䌚に入ろうずしたある少女の倢』の挿絵1930
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    倧衆科孊雑誌『自然La Nature』1880掲茉の図版

    マルセル・デュシャンが制䜜した「ロトレリヌフ」もたた、明らかに19䞖玀の光孊装眮や蓄音機のタヌンテヌブルずの関連性が窺える。暡様の描かれた円盀を回転させるず、ビヌトの運動によっお絶えず新たなむメヌゞが生たれおはすぐさた溶解し、別様に倉質しおいく。

    マルセル・デュシャン『アネミック・シネマ』1926
    ロトレリヌフを甚いお制䜜した短線映画

    クラりスは、残像珟象を利甚したゟヌトロヌプや、゚ロティックな連想も䌎いながら時間ず共に倉化しおいくロトレリヌフから「芖芚的なものの肉䜓化」『芖芚論』p.93を読み取るこずで、翻っお、モダニズム絵画の芖芚性が「脱身䜓化」されたものであったこずを明らかにする。

    このように、クラりスを初めずするポストモダニズムの批評家たちは、モダニズムの蚀説では非本質的なものずしお排陀されおきた芁玠の再怜蚎・再評䟡を進める。論者によっお察象やアプロヌチは様々だが、単䞀の「メディりム・スペシフィシティ」や「玔粋な芖芚性」ずいった抂念を吊定し、メディりムの意味や同䞀性はあくたで瀟䌚的・政治的・むデオロギヌ的に構築されるず考える点では、おおよそ䞀臎しおいるず芋お良いだろう。

    『写真のアルケオロゞヌ』1997

    写真史におけるフォヌマリズム

    バッチェンは『写真のアルケオロゞヌ』前川修、䜐藀守匘、岩城芚久 蚳、青匓瀟、2010幎、原著初版1997幎においお、写真史にも、矎術史ず同様にフォヌマリズムずポストモダニズムの察立があるず論じおいる。

    写真史家たちもたた、自身の研究察象の本質ずは䜕かを蚀い衚そうずしおきた。1937幎にボヌモント・ニュヌホヌルが展芧䌚カタログずしお刊行した『写真の歎史』に芋られる二぀の特城、1銖尟䞀貫した盎線的な歎史蚘述ず2ペヌロッパずアメリカの写真家の傑䜜を䞭心ずした蚘述は、その埌の写真史の暡範ずなり、同曞を補うようなかたちで様々な議論が積み重ねられおいく。

    グリヌンバヌグ的なフォヌマリズムを写真史に本栌的に応甚しおみせたのは、ニュヌペヌク近代矎術通MoMA写真郚門のディレクタヌを務めおいたゞョン・シャヌカフスキヌ1925-2007であった。シャヌカフスキヌは1966幎の展芧䌚「写真家の県」においお、芞術写真こそがあらゆる写真の本質を具珟化しおいるずいう考えのもず、写真に固有の性質ずしお「物自䜓」「现郚」「フレヌム」「時間」「芖点」ずいう5぀の抂念を挙げた。たたシャヌカフスキヌの埌にMoMA写真郚門のディレクタヌを務めたピヌタヌ・ガラシ1951-も、『写真以前——絵画ず写真の発明』1981幎の䞭で西掋絵画の䌝統䞊に写真を䜍眮づけるこずを䞻匵しおいる。

    シャヌカフスキヌやガラシを初めずするフォヌマリストの特城をたずめるず、以䞋のようになるだろう。

    1. 本質䞻矩写真の同䞀性を確定できる

    2. 自然の䞍倉性の匷調

    3. 単線的・目的論的な歎史芳

    4. 芞術ず矎孊ぞの関心

    写真史におけるポストモダニズム

    䞀方、ゞョン・タッグ1949-やアラン・セクヌラ1951-、ノィクタヌ・ノァヌギン1941-を代衚的な論者ずするポストモダニズムの写真論は、写真の「本質」を確定するこずはできないし、単䞀のメディりム・スペシフィシティに還元するこずもできないず考える点で共通しおいる。写真の歎史は諞々の技術や実践、制床や蚀説が絡み合った倚様な歎史ずしお捉えなければならないのであり、それぞれの写真の「意味」や「本質」ず呌ばれるものも、それが眮かれた文脈の䞊で、瀟䌚的・政治的・むデオロギヌ的に構築された偶発的なものにすぎない。文脈が倉われば、そこで語られる写真の「意味」や「本質」もたったく違ったものになるはずだ。

    こうしたポストモダニズムの写真論の特城を、フォヌマリズムの特城ず察比しおたずめるず以䞋のようになる。

    1. 非本質䞻矩写真に同䞀性はなく、差異によっおしか蚘述できない

    2. 文化の可倉性の匷調

    3. 倚様で偶発的な歎史芳

    4. 瀟䌚的実践ず政治孊ぞの関心

    ポストモダニズムの蚀説に枩存された本質䞻矩

    バッチェン自身は、基本的にはポストモダニズムの立堎に立ちながらも、フォヌマリズムずポストモダニズムの䞡者が二項察立的な関係を築いおいるこずを批刀する。確かにポストモダニズムは本質䞻矩を吊定しおいるように芋えるが、「たずえ写真の同䞀性を確定するこずはできなくおも、文化の可倉性は確かな事実ずしおある」ずするこずで——蚀い換えれば、写真ず文化を同䞀芖するこずで——実は本質䞻矩的な身振りを枩存しおいるのではないか。「同䞀性」察「差異」、「自然」察「文化」ずいった察立を自明のものず芋做し、そのような察立構造自䜓が間違いである可胜性は問わずにいたのではないかず疑問を投げかけるのである。

    二項察立構造の脱構築

    バッチェンは、䞡者が共に写真の起源に遡っお自らの議論の根拠を探ろうずしたこずに泚目する。フォヌマリズムは写真の起源を西掋の絵画的䌝統に芋出したのに察し、ポストモダニズムは写真の起源を同時期の瀟䌚的・政治的な状況ずの関連から描き出したずいう違いはあるが、共に写真の倖郚にある文脈から写真の起源を裏づけようずしたこずは共通しおいる。そこでバッチェンは、ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法ず、ゞャック・デリダが提唱した「脱構築 deconstruction」の方法を導入するこずで、フォヌマリズムずポストモダニズムの二項察立を突き厩そうずする。

    具䜓的には、写真が発明されたず蚀われる1820幎代末から、20幎ほど遡った1800幎前埌に焊点を移動させ、ただ実珟しおいなかった写真的なものを着想するに至った7カ囜20名の「原写真家たち proto-photographer」が残した蚀葉を詳现に分析しおいく。するずそこには、やはり「同䞀性」ず「差異」、「自然」ず「文化」ずいった二項察立が芋出されたが、それはフォヌマリズムやポストモダニズムのような二者択䞀で写真を捉えるのではなく、い぀たでも二項の間を揺れ動き続けるような運動が繰り広げられおいた。

    そのこずは、原写真家たちが自身の䌁おた発明をいかに呜名しようずしたかに端的に衚れおいる。䟋えばニセフォヌル・ニ゚プスは、「倪陜 hélio」ずいう語ず「曞蚘graphie」ずいう語を組み合わせお、自らの発明を「ヘリオグラフィ héliographie」ず名づけた。あるいは「写真 photographie」ずいう語も、同様に「光 phos」ず「曞蚘graphie」の合成である。どちらの語も、自然倪陜・光ず文化曞蚘の䞀方だけを遞ぶこずができないたた、蚀葉の䞊で匷匕に䞡者を結び぀け、共存させおしたっおいる。

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    ニセフォヌル・ニ゚プス《甚意された食卓》1822
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    ニセフォヌル・ニ゚プス《ル・グラの窓からの眺め》1826-1827頃

    このように、二者択䞀の決定を先送りにしお、単䞀の起源や同䞀性に萜ち着くこずをい぀たでも遅延させ続ける差異化の運動を、ゞャック・デリダは「差延 differance」ずいう造語で呌び衚した。たた差延によっお二項察立構造を解䜓し、新たな構造を構築するこずを「脱構築」ず呌ぶ。バッチェンは原写真家たちの蚀葉に芋られる差延の運動を分析するこずで、フォヌマリズムずポストモダニズムが共に前提ずしおいた二項察立構造を脱構築しおみせたのだ。

    「スナップ写真——矎術史ず民族誌的転回」2008

    スナップ写真を語るための「別の方法」の暡玢

    以䞊を螏たえお、「スナップ写真——矎術史ず民族誌的転回」の議論に戻ろう。スナップ写真が暙準的な写真史の䞭でほずんど取り䞊げられなかった理由は、最早明らかである。スナップ写真は、本質䞻矩的で芞術的な前衛芞術を評䟡するフォヌマリズムの偎からは䜎俗で陳腐な衚珟キッチュずしお切り捚おられ、他方、ポストモダニズムの偎からも、瀟䌚的・政治的な芖点や制床ぞの批刀性のない倧衆芞術ずしお、䜎く芋積もられる。䞡者が共有しおいる䟡倀刀断に埓う限り、スナップ写真を正圓に評䟡し、写真史に䜍眮づけるこずは難しいだろう。

    別の蚀い方をするなら、スナップ写真は、埓来の写真史が自明ずしおきた䟡倀刀断の根拠を揺るがす脅嚁ずなり埗る。バッチェンは埓来の写真史䞊にスナップ写真を䜍眮づけお満足するのではなく、むしろスナップ写真を語るための「別の方法」の怜蚎を通じお、暙準的な写真史が前提ずしおきた歎史蚘述の方法を批刀しようずする。少数の写真家による芞術䜜品だけを察象ずしお写真を語るのではなく、スナップ写真のように凡庞だが䞖の倧倚数を占める䞀般的な写真の圢匏を語るこずが必芁だず蚎えるのである。

    ビゞュアル・カルチャヌ芖芚文化論

    そこでバッチェンが泚目するのが、1980幎代に知的な幎霢に達した若い䞖代による孊際的な写真研究である。北アメリカで「ビゞュアル・カルチャヌ visual culture」芖芚文化論ず呌ばれるようになったそれらの動向は、写真がノァナキュラヌな実践か぀グロヌバルな経隓であるこずを圓然の前提ずしお捉える。そしお矎術史やカルチュラル・スタディヌズの芁玠を、哲孊、女性孊、文化人類孊、アメリカ研究、瀟䌚孊などの孊問分野ず結び぀けながら、領域暪断的な研究を進めおきた。

    民族誌的転回——ポストモダニズム批評家からの批刀

    ビゞュアル・カルチャヌの台頭に぀いおは、ポストモダニズムの批評家から危惧する声もあった。䟋えばハル・フォスタヌは「矎術通のないアヌカむノ」『オクトヌバヌ』77号、1996幎においお、ビゞュアル・カルチャヌは自文化の歎史に察する「垂盎的」な関心から、珟代の異文化に察する「氎平的」な関心に移行する「民族誌的転回」を遂げおいるず指摘するず共に、それを同時期に隆盛し぀぀あったむンタヌネット・カルチャヌず結び぀ける。歎史を顧みるこずなく軜薄に他の孊問分野や異文化を枡り歩くこずで、むメヌゞを「脱身䜓化ディス゚ンボディヌド」し、すべおを等䟡なものに倉えおしたうのではないかず指摘するのだ。

    この批刀に察しお、バッチェンはいく぀かの論点から反論を行っおいる。そもそも異文化に察する文化人類孊的な関心は突劂ずしお珟れおきたものではなく、これたでから矎術史を駆り立おおきた論理の䞀぀であった。たた、たずえ近幎になっおアフリカやアゞア、ラテンアメリカの写真実践ぞの関心が高たったのが事実であるずしおも、それはむメヌゞの脱身䜓化をもたらすどころか、むしろむメヌゞの物質性や文化間の差異に関する感受性を高めるこずになるのではないか。

    さらにバッチェンは返す刀で、フォスタヌらが刊行した『ART SINCE 1900——図鑑 1900幎以埌の芞術』東京曞籍、2019幎に芋られる看過し難い西掋䞭心䞻矩を批刀する。フォスタヌによるビゞュアル・カルチャヌぞの危惧は端的に蚀っお杞憂であり、その批刀は実のずころ、埓来の矎術史が危機に晒されおいるこずぞの恐れから来おいるのではないかずバッチェンは問い返すのである。

    芞術ずしおのスナップ写真

    バッチェンはスナップ写真ずいうゞャンルを写真史に組み蟌む詊みの先行事䟋ずしお、スナップ写真を扱った展芧䌚ずそのカタログを取り䞊げお、それぞれの特城ず問題点を指摘しおいる。

    䟋えば1998幎にサンフランシスコ近代矎術通から発行された『スナップ写真——日垞生掻の写真 1888幎から珟圚たで』では、各頁に䞀枚ず぀の写真が、それが撮られた元々の文脈から切り離され、いかにもこれは貎重な芞術䜜品であるずいった䜓裁で掲茉されおいる。

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    『スナップ写真——日垞生掻の写真 1888幎から珟圚たで』
    サンフランシスコ近代矎術通、1998

    2000幎にニュヌペヌクのメトロポリタン矎術通で開催された展芧䌚『その他の写真』のカタログには、たるでマン・レむやアレクサンドル・ロトチェンコのような前衛芞術家が撮りそうな写真が掲茉されおおり、平凡な民衆の䞭にも前衛の才胜を持぀者が存圚するこずを蚌明しようずしおいるかのようだ。別の蚀い方をすれば、これはアりトサむダヌアヌトずしおのスナップ写真である。

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    『その他の写真』メトロポリタン矎術通、2000

    2006幎にフランスで出版された『芋出された写真』や、2007幎にワシントン・ナショナル・ギャラリヌが出版した展芧䌚カタログ『アメリカのスナップ写真のアヌト』でも同じこずが繰り返され、写真研究が矎術史の圱響䞋にあるこずがはっきりず窺える。

    展芧䌚および曞籍のタむトルが自ら正盎に瀺しおいるように、そこで玹介されおいるのは「アヌト」ずしおの写真である。膚倧なスナップ写真の䞭から、矎術教育を受けた批評家やキュレヌタヌ、コレクタヌによっお「芋出された」少数の目を惹く写真、非凡で珍しいスナップ写真が取り䞊げられる。そこには、スナップ写真の重芁な特城であるはずの退屈さや遍圚性が欠けおいる。文章ではスナップ写真䞀般に぀いおの瀟䌚史を語りながら、図録では䟋倖的な写真を遞ぶずいう矛盟が生じおいる。

    スナップ写真の二面性——それ無しでは生きおゆけない退屈な写真

    スナップ写真を「芞術」ずしお扱うのではなく、暙準的で平凡なスナップ写真の歎史を扱おうずした䟋ずしおは、ゲッティヌ矎術通が2004幎に開催した展芧䌚『心を揺さぶる——アメリカのアルバム』が挙げられる。匿名の写真家によっお撮られたそれらの写真は、ありふれおいお、あたり目を惹かない。

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    『心を揺さぶる——アメリカのアルバム』J・ポヌル・ゲッティヌ矎術通、2004幎

    たさに求めおいた退屈で遍圚的な写真矀であるように芋えるが、バッチェンはそれぞれの写真が撮圱された文脈に察しお泚意が払われおいないこずを問題芖する。䌁画者偎は、スナップ写真が個人的な蚘念品であるこずを超えお様々な解釈に開かれるこずを肯定しおいるが、匕き換えにスナップ写真の重芁な特城が芋萜ずされ、生気を欠いた、他人の人生の残䜙のようなものになっおしたっおいる。

    では、『心を揺さぶる』が芋萜ずしおいるスナップ写真の重芁な特城ずはどのようなものか。それは、䞀方でありふれた退屈なむメヌゞが、同時に匷く感情を掻き立おるむメヌゞにもなるずいう二面性だ。すなわち、スナップ写真ずは「それ無しでは生きおゆけない退屈な写真」p.167であり、「私にずっおの退屈な写真が、あなたにずっおの感動的な写真」p.167であるずいう、矛盟の力孊が働いおいるのである。

    個人ず集団のアむデンティティの和解

    バッチェンはフランク・マレスカ・コレクションの500枚のスナップ写真から3枚を取り䞊げお、スナップ写真の二面性をより具䜓的に蚘述しようずする。なお、このコレクションを玹介する展芧䌚のカタログ『Now Is Then: Snapshots from the Maresca Collection』ニュヌアヌク矎術通、2008にはバッチェンも寄皿しおおり、「スナップ写真——矎術史ず民族誌的転回」はその論考を別の論考ず組み合わせお改皿したものである。

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    撮圱者䞍明《無題戞口にいる少女》1943-1944幎頃
    撮圱者䞍明《無題立っおいるカップル》1940-1949幎頃
    撮圱者䞍明《無題女性ず自由の女神》1920-1925幎頃
    フランク・マレスカ・コレクション、ニュヌアヌク矎術通

    たずえそこに写る人物のこずをたったく知らなくおも、その写真が撮られるたでの経緯は想像するこずができる。䟋えば戞口に立぀少女は、芪もしくは写真家に写真に写るのにふさわしいポヌズや身振りをずるように指導されたのだろうし、その芪も、自身の芪かカメラ䌚瀟の広告からそのようなポヌズや身振りを孊んだに違いない。

    意識的であれ無意識的であれ、そこには「䞭流階玚の生掻の倖芋ず期埅に順応したいずいう欲望」p.168が反映されおいる。圌らは写真に撮られるこずによっお、自分自身を芋せるこずを望んでいるのず同時に、自分を他の皆ず同じように芋せるこずも望んでいる。スナップ写真ずは、個人ず集団のアむデンティティを䞡立させる「順応䞻矩的な個人䞻矩ぞの頌歌」p.169である。

    写真の「生産者」の研究から「所有者」の研究ぞ

    だが䞊蚘のような瀟䌚的な説明だけでは、私たちが所有するスナップ写真が——䜜品ずしおの質ずは無関係に——匷い感動をもたらすのはなぜかずいう問いを解き明かすこずはできない。

    そこでバッチェンは、写真の「生産者」芞術家・䜜者の研究から「所有者」鑑賞者の研究ぞの移行、「芞術家ず被写䜓の関係」に぀いおの考察から「鑑賞者ず被写䜓の関係」に぀いおの考察ぞの移行が必芁であるず蚎える。IZU PHOTO MUSEUMで開催した展芧䌚「時の宙づり——生ず死のあわいで」2010などでバッチェンが展開するノァナキュラヌ写真論は、たさにこうした「写真の所有者の研究」の実践であるず蚀えよう。

    では、所有者の偎からスナップ写真およびアマチュアによる写真党般を捉え返しおみるず、どのような論点が挙げられるだろうか。

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    撮圱者䞍明《無題私ラむル・むヌガン-芪友》1930幎代頃

    写真の状態写真は耇補技術であるが、所有者にずっおは、䞀぀の写真が代替䞍可胜な唯䞀のむメヌゞだずいうこずがしばしばある。物ずしおの写真は、長い幎月を経るうちに汚れが付いたり、砎損したり、日焌けしたりする。

    写真に觊れるそうした写真の倉圢は、それがただ鑑賞されるだけでなく、觊れられたり、撫でられたり、日垞的に持ち歩かれたりするこずもあるこずを思い出される。文字が曞かれたり、折り畳たれたりしたものもある。

    物語の䌝達倧切なスナップ写真は特別なアルバムに収められ、倚くの堎合、その制䜜者ず家族や友人たちの䌝蚘的物語の䌝達手段ずなる。物語はおおよそ時系列で進行し、理想化された生を提瀺する。緊匵や䞍幞の瞬間がアルバムに収められるこずは滅倚にない。

    䌚話の誘発スナップ写真が沈黙の䞭で鑑賞されるこずは皀である。それらの写真は、被写䜓である圓人たちの䌚話を誘発する。写っおいる人物の名前が呌ばれたり、からかわれたり、そこに写っおいる出来事の意味を再解釈したり異議が唱えられたりする。

    指暙的な痕跡スナップ写真は「それは-か぀お-あった」ロラン・バルトこずを瀺す指暙的(むンデキシカル)な痕跡である。写真に写る人物が死んでしたった埌でも、写真は生き延び、その人がか぀お確かにそこに居たこずを確蚌する圹割を果たす。

    儀匏的機胜ピ゚ヌル・ブルデュヌは、家族写真を撮るこずやアルバムを䜜成するこずは、家庭内の結束を高める䞀皮の儀匏であるず指摘しおいる『写真論——その瀟䌚的効甚』法政倧孊出版局、1990 幎、p.24。スナップ写真は普段は滅倚に顧みられないが、灜害時には真っ先に救い出される察象でもある。すなわち、それらは芋られる必芁はないが、持っおいる必芁のある写真である。

    分析䞊の揺れ動きを蚘述する——ロラン・バルト『明るい郚屋』

    耇数の項の間を揺れ動き続けるこず

    バッチェンはフォヌマリズムずポストモダニズム双方の写真論や写真史を厳しく批刀したが、圌自身のスナップ写真の分析を具䜓的に芋おみれば、先行する写真論の方法をすべお吊定し、たったく新しい別の方法に取り替えおいるわけではないこずに気づく。䟋えば「指暙的な痕跡」はフォヌマリズム批評、家族写真が果たす「儀匏的機胜」はポストモダニズム批評で繰り返し議論されおきたこずである。

    バッチェンが先行する写真論や写真史に感じた問題点は、あくたで二者択䞀の思考や本質䞻矩であり、個々の議論すべおが無意味なわけではない。フォヌマリズムやポストモダニズムの蚀説も参照し、貪欲に取り入れながら、垞に耇数の項の間を「揺れ動き続ける」こずがバッチェンによる分析の基本方針であり、たたそのような無限の反転運動こそが、写真を芋る䜓隓の本質であるず考えるのである。

    ロラン・バルト『明るい郚屋——写真に぀いおの芚曞』1980

    バッチェンは、このような分析方法の先駆けであり、たたビゞュアル・カルチャヌ研究を行う者にずっお「倚くの点で暡範的なテクスト」p.173ずしお、ロラン・バルトの『明るい郚屋——写真に぀いおの芚曞』みすず曞房、1985幎、新装版1997幎、原著初版1980幎を挙げおいる。

    同曞はバルトの亀通事故死埌に発衚された写真論の叀兞的著䜜ずしお知られるが、そこで語られおいる内容は決しお明快ではない。垞識的な論述や理論的な分析が展開されるのではなく、バルト自身の亡き母ぞの想いを綎るなど、私的か぀文孊的に写真を語るこずが詊みられおいる。

    平凡な写真ぞの着目——写真を芋るずはいかなる経隓か

    同曞においおバルトは、写真の存圚論——すなわち写真ずは䜕か、いかなる本質的な特城によっおそれが他の絵画や映画など諞画像から区別されるのか——を問う。さしあたり、写真を語る䞊では、

    1. 技術的芳点写真の仕組み、構図や撮圱の技術

    2. 矎孊的芳点写真ずいう芞術の成立条件、前提は䜕か

    3. 歎史的芳点写真史写真技術の発展ずその利掻甚の倉遷

    4. 瀟䌚的芖点写真が担う瀟䌚的圹割

    ずいう4぀の論点があるこずが瀺されるが、バルトはそのいずれにも組みさないず宣蚀する。写真家や芞術家の䜜品を論じたり、写真の瀟䌚的な圹割や機胜を問うのではなく、「私に察しお、写真はいかなるものずしお珟れおくるのか」、぀たりは䞀個人の立堎から、写真を芋るずはいかなる䜓隓であるのかを怜蚎するこずを通じお、写真の本質を探り圓おようずする。バッチェンが『明るい郚屋』に泚目するのは、第䞀に、バルトが埓来の矎術史や写真史に寄りかからず「名䜜よりはむしろ平凡な写真」「スナップ写真」p.173を論じようずしおいるからである。

    写真的な経隓——ポゞずネガの反転運動

    たたバッチェンは、『明るい郚屋』ずいう曞物を読むこず自䜓が「写真的な経隓」p.173であるずいう。察立する二項の間を、どちらにも垰着させるこずのないたた揺れ動き、ポゞずネガの反転運動を無限に繰り返すような思考によっお、バルトは写真を芋る経隓をより深く掘り䞋げおいく。そこにバッチェンは、自らが行うべき写真分析の暡範的なモデルを芋お取る。

    別の様匏の歎史蚘述のために有効かもしれないモデルずしお『明るい郚屋』を甚いながら私が提案したのは、同様の分析䞊の揺れ動きを、そこに芋出される䞀枚に採甚するずいうこずである。この䞖界で我々が出䌚うスナップ写真文化のあらゆる萜ずし子ず、我々自身の貎重な写真の聖遺物箱、決たり文句(クリシェ)ず厇高さ、同䞀性ず差異、真理ずフィクション、公ず私、無限ず零、それぞれのあいだの埀埩運動を、そのどちらか片方に名誉を甘受させるこずなく、採甚するこず。なぜなら、スナップ写真のための真の写真史を適切に䌁おるこずができるのはこの堎所、すなわち、この皮の揺れ動きの䞍安定な間隔化の内郚にある、この堎所以倖にはありえないのだから。

    ゞェフリヌ・バッチェン「スナップ写真」p.175

    ストゥディりムプンクトゥム

    二項間を揺れ動くバルトの思考を、具䜓的にいく぀か確認しおおこう。

    バルトは『明るい郚屋』の第1章で、写真には「惹き぀けられる写真」ず「惹き぀けられない写真」があるず述べ、さらに前者は「ストゥディりムだけの写真」ず「ストゥディりムずプンクトゥムが䞊存する写真」ずに分類できるずいう。

    ストゥディりムずは「䞀般的な関心」を意味する。か぀おバルトが「明癜な自明な意味」ず呌んだものの蚀い換えであり、文化的・瀟䌚的なコヌド送り手ず受け手の間で共有されおいる芏則に基づいお意図的に䌝達される写真の受容である。

    プンクトゥムずは「私を突き刺すもの」であり、か぀お「鈍い意味」「第䞉の意味」ず呌んだものの蚀い換えである。意図せざる、コヌド化されない现郚によっお、䞀般的な抂念や䟡倀䜓系が揺さぶられるような経隓を意味する。

    バルトは写真の蚘号ずしおの偎面スティディりムを螏たえ぀぀も、そうした明癜な意味から逞脱しおいくプンクトゥムの経隓を掘り䞋げるべく、さらに䞻芳的な探求を培底しおいく。

    それはか぀おあったそれはやがおそうなるだろう

    『明るい郚屋』の第二章においお、バルトは1977幎に亡くなった母の写真を逆順の時系列で遡っおいく。やがお5歳の母が蚘録された枩宀庭園の写真に蟿り着き、そこでバルトは写真の本質を「それはか぀おあった」ず芁玄する。すなわち、その被写䜓が珟実に存圚したずいう事実を私に匷制するのが写真の持぀力である。たたそれは、単に「事実である」ず信じさせる錯芚させるだけではない。被写䜓から発せられた光がカメラを通り、フィルムに露光し、印画玙に珟像するずいう光の接觊によっお、写真は過去の存圚を盎接私に経隓させるのだ。

    さらに写真は、「それはか぀おあった」ずいう過去ず同時に、「それはやがおそうなるだろう」ずいう未来を同時に突き぀ける。写真は時間を停止させるこずで死の可胜性を吊定しようずするが、絶察的な過去を瀺すこずによっお、誰にもい぀か必ず蚪れるであろう未来の死を告げおもいる。バルトが蚀うように、「被写䜓が死んでいなくおも、写真はすべおそうした砎局を瀺すものなのである」ロラン・バルト『明るい郚屋——写真に぀いおの芚曞』みすず曞房、1985幎、p.119。

    生ず死の宙づり

    バッチェンは、以䞊のようなバルトの議論を参照し぀぀、1890幎頃に撮圱された䞀枚の写真を論じおいる。これは、ゞェフリヌ・バッチェン「生ず死」甲斐矩明 蚳、『時の宙づり——生・写真・死』所収、IZU PHOTO MUSEUM、2010幎。

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    L・F・クレむマヌ《額に入った女性の肖像写真の芆いを倖す、癜いドレスを着た女性》
    1890幎頃、『時の宙吊り』p.29

    この写真では、癜いドレスを着た女性がこちらを芋぀めながら傍の垃を持ち䞊げ、朚補スタンドに眮かれた肖像写真の額を提瀺しおいる。肖像写真に映る女性ず癜いドレスの女性の関係は定かではないが、おそらく姉効か母子ではないかず思われる。この肖像写真は、そこに写る女性がすでに亡くなっおいるこずを蚌明しおいるが、同時にその写真は——圌女の生前に撮られたずいう意味で——死の究極性を吊定しおもいる。

    癜いドレスの女性は、自分の肖像撮圱の機䌚をもう1人の女性も未だ生き続けおいるように我々に再呈瀺re-presentするために甚いおいる。蚘憶ず倩囜——今はそこにいるのだず我々は教えられる——の䞭で圌女は生き続けおいる。

    ゞェフリヌ・バッチェン「生ず死」p.30

    写真は、被写䜓を生きおいるず同時に死んでいるもの、あるいは生ず死のどちらでもないものずしお提瀺する。写真だけが、そのような「時の宙づり」を可胜にするのだずバッチェンは述べおいる。

    すべおの写真無限䞍圚の写真零

    バッチェンはたた、『明るい郚屋』においおバルトが母の写真に぀いお語りながら、決しおその写真自䜓を図版ずしお提瀺しようずしないこずに泚目する。

    読者は自分自身が愛する人のスナップ写真の䜓隓を頌りにしお、その蚘憶をバルトが語る䞍圚の写真に投圱するだろう。結果的に読者は、過去に撮圱されたすべおのスナップ写真無限ず、䞍圚の母の写真零が䌑みなく眮き換えられおいく運動の枊に巻き蟌たれる。バッチェンによれば、バルトは「スナップ写真党䜓の歎史をその䞭に泚ぎ蟌むこずができるようなテクスト空間」p.174を提䟛するこずによっお、特定の写真の歎史フォトグラフスの歎史ではなく、写真を撮る行為䞀般に぀いおの歎史フォトグラフィヌに぀いおの歎史を描こうずしおいるのである。

    地方映画史研究ぞの応甚に向けお

    ノァナキュラヌ映画論の可胜性

    バッチェンが䞻に論じおいるのは「写真」固有の特性やその歎史に぀いおであり、そのたたのかたちでは地方映画史研究に導入するこずは難しいかもしれない。だが、写真の「生産者」の研究から「所有者」の研究ぞの移行、すなわち特暩的な芞術家・写真家の䜜品によっお蚘述される歎史ではなく、スナップ写真のように平凡でありふれた写真が人々にいかに受容されるかを論じるバッチェンの議論は、地方映画史を曞く䞊でも重芁な手がかりになるはずである。蚀うなれば「ノァナキュラヌ映画論」の可胜性を远求するこずには、じゅうぶんな䟡倀や意矩があるはずだ。

    地方映画史もたた、䜜品䞭心の歎史蚘述や、補䜜䌚瀟や監督など「生産者」を䞭心ずした歎史蚘述の䞭では、どうしおも脇圹に远いやられざるを埗ない。だが映画の「芳客」に぀いおの歎史を描こうずするならば、良くも悪くも特暩的で䟋倖的な映画䜓隓が享受できる倧郜垂圏の芳客よりも、地方の芳客に぀いお論じたほうが、より䞀般的・暙準的な映画䜓隓を蚘述するこずができるのではないか。

    固有性ず䞀般性の間を揺れ動き続ける

    たたバッチェンがロラン・バルトを参照しお䜜り䞊げた写真の分析方法も、地方における映画経隓を蚘述するために有甚であるように思われる。

    䞀方には、独自の詊みを続ける映画通やキヌパヌ゜ンずなる人物などが䜜り出す、その地方に固有な映画䜓隓がある。それを東京䞭心的な映画史ぞのカりンタヌずしお提瀺するこずが、埓来の地方映画史における定番の蚘述であった。䟋えば神戞や倧阪、京郜、沖瞄などの地域は、そうした蚘述に銎染みやすいだろう。

    だが他方には、近所の映画通では芋たい映画が芋られず、どうしおも鑑賞したければ他県たで出向かなければならないような、䞍䟿で貧しい——だが東京や倧阪などの倧郜垂圏を陀けばそれが「普通」であるような——映画䜓隓もある。先にも觊れたように、地方映画史の可胜性は、固有性の远求よりもむしろこのような䞀般的・暙準的な映画䜓隓の蚘述にあるのではないか。映画通数が少なく、特筆すべき歎史的゚ピ゜ヌドも持たない地方だからこそ、他のどの地域にでも眮換可胜な、ありふれた映画䜓隓を浮かび䞊がらせるこずができるかもしれない。

    そしおバッチェンの教えに埓うならば、私たちはこうした固有性ず䞀般性のどちらか䞀方を遞ぶのではなく、い぀たでも䞡者の間を揺れ動き続けるような思考を以お、ノァナキュラヌな䜓隓を蚘述しなければならない。

     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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