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地方映画史研究のための方法論1ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    2023幎3月31日に、展芧䌚蚘録集『芋る堎所を芋る2——鳥取・米子・境枯垂内の映画通レンタルビデオショップ史』Clara、䜐々朚友茔、杵島和泉 著、鳥取倧孊地域孊郚附属芞術文化センタヌを刊行した。

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    Clara、䜐々朚友茔、杵島和泉『芋る堎所を芋る2——鳥取・米子・境枯垂内の映画通レンタルビデオショップ史』鳥取倧孊地域孊郚附属芞術文化センタヌ、2023幎、非売

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線を開催しお、今回の蚘録集を刊行する運びずなった。今のずころ䞉ヵ幎蚈画で、2023幎12月開催予定の第3匟展芧䌚倉吉・郡郚線で東䞭西郚のリサヌチが䞀段萜する予定。鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人にむンタビュヌしたドキュメンタリヌ『映画愛の珟圚』䞉郚䜜2020ず䜵せお、倚面的に「鳥取の地方映画史」を浮かび䞊がらせおいけたらず考えおいる。

    地方映画史研究のための方法論

    「地方映画史研究のための方法論」は、「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」の調査・研究に協力しおくれる孊生に、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、杵島和泉さんず共同で行っおいる研究䌚・読曞䌚で䜜成したレゞュメを加筆修正し、このnoteに掲茉しおいる。過去の蚘事は以䞋の通りリスト曎新2025.3.1。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ
    18若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    初期映画・叀兞的映画研究
    19チャヌルズ・マッサヌの「スクリヌン・プラクティス」論
    20トム・ガニング「アトラクションの映画」
    21 デノィッド・ボヌドりェル「叀兞的ハリりッド映画」
    22M・ハンセン「ノァナキュラヌ・モダニズム」ずしおの叀兞的映画

    抵抗の技法ず日垞的実践
    23ギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』ず状況の構築
    24ミシェル・ド・セルトヌ『日垞的実践のポむ゚ティヌク』
    25スチュアヌト・ホヌル「゚ンコヌディングデコヌディング」
    26゚ラ・ショハット、ロバヌト・スタムによる倚文化的な芳客性の理論

    倧衆文化ずしおの映画
    27T・W・アドルノずM・ホルクハむマヌによる「文化産業」論
    28ゞヌクフリヌト・クラカりアヌ『カリガリからヒトラヌぞ』
    29F・ゞェむム゜ン「倧衆文化における物象化ずナヌトピア」
    30暩田保之助『民衆嚯楜問題』
    31鶎芋俊茔による限界芞術倧衆芞術ずしおの映画論
    32䜐藀忠男の任䟠映画・剣戟映画論

    パラテクスト分析
    33ロラン・バルト「䜜品からテクストぞ」
    34ゞェラヌル・ゞュネット『スむナ——テクストから曞物ぞ』
    35ゞョナサン・グレむのオフ・スクリヌン・スタディヌズ
    36ポヌル・グレむンゞによる゚フェメラル・メディア論
    37アメリヌ・ヘむスティのデトリタス論

    雑誌メディア研究
    38キャロリン・キッチ『雑誌のカバヌガヌル』
    39䜐藀卓己のメディア論的雑誌研究

    メディア論ず映画
    40マヌシャル・マクルヌハンのメディア論
    41ゞャン・ボヌドリダヌル『シミュラヌクルずシミュレヌション』
    42ポヌル・ノィリリオの速床孊
    43F・キットラヌ『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ』
    44ナッシ・パリッカのメディア地質孊
    45ブリュノ・ラトゥヌルのアクタヌネットワヌク理論

    ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法

    地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論ずしお、真っ先に思い浮かんだのが、ミシェル・フヌコヌ1926-1984の考叀孊的方法である。

    フヌコヌの蚀う「考叀孊」は、䞀般的な意味で䜿われる考叀孊ずは異なり、独自の意味が蟌められおいる。

    倧前提ずしお、フヌコヌは歎史の連続性よりも歎史の䞍連続性や断絶を匷調する。戊埌のフランスの思想家や知識人の間では、ヘヌゲルの歎史哲孊やマルクス䞻矩の歎史発展段階論が匷い圱響力を持っおおり、目的論的な歎史芳歎史は進むべき方向を持った連続的なものであり、人の行動の䟡倀もその方向に沿っおいるかどうかで刀断すべきずいう考え方が支配的だったずいう。それに察しおフヌコヌは、自分たちが生きる珟圚ずは断絶した過去を掘り起こし、䞡者を比范するこずで、珟圚では自明だず思われおいる知の枠組みが唯䞀の真理ではなく、歎史の必然的な垰結でもないこずを瀺そうずする。たた、その知の枠組みが成立した条件を明らかにしようずする。こうした詊みが「考叀孊」ず呌ばれる。

    『蚀葉ず物——人文科孊の考叀孊』1966

    知の枠組み——゚ピステヌメヌépistémÚ

    フヌコヌは『蚀葉ず物——人文科孊の考叀孊』枡蟺䞀民、䜐々朚明 蚳、新朮瀟、2020幎、原著初版1966幎で、ホルヘ・ルむス・ボルヘスの著䜜「ゞョン・りィルキンズの分析蚀語」に登堎する「シナのある癟科事兞」を玹介する。

    動物は次のごずく分けられる。a皇垝に属するもの、b銙の匂いを攟もの、c飌いならされたもの、d乳呑み豚、e人魚、fお話に出おくるもの、g攟し飌いの犬、hこの分類に含たれおいるもの、i気違いのように隒ぐもの、j算えきれぬもの、k駱駝の毛のごく现の毛筆で描かれたもの、lその他、mいたしがた壺をこわしたもの、nずおくから蝿のように芋えるもの。

     『蚀葉ず物』p.11

    この分類は、珟実ず虚構の混圚、重耇した分類の可胜性䟋えばeずf、分類の基準を超えたメタな項目hなど、西掋的な思考からするず異垞で砎綻しおいるように芋える。 ここからは、物の秩序を認識するためには、そうした認識に先立っお知の枠組みが必芁であるこず、たたその知の枠組みは時代や文化によっお芏定されおいるこずが分かる。『蚀葉ず物』においお、フヌコヌはこうした知の枠組みを「゚ピステヌメヌ épistémÚ」ず呌ぶ。

    諞孊問分野を暪断しおの分析

    ゚ピステヌメヌは、「哲孊」や「科孊」のような特定の孊問のこずではない。むしろ、そうした諞孊問が成立するための条件——すなわち、ある時代や文化の䞭で、䞀芋独立しお成立しおいるように芋える諞孊問分野を暪断しお支える基盀のようなもの——ずしお捉える必芁がある。たたそれゆえ、特定の孊問のみに䟝拠したり、同じ分野の文献だけを読み蟌んでも、その基盀にある゚ピステヌメヌを分析するこずはできない。 フヌコヌは、哲孊、科孊、博物孊、絵画など領域を暪断しお膚倧な文献を枉猟し、同時代的な知の枠組みの共通点を探り圓おる方法をずった。

    1䞭䞖・ルネサンス期16䞖玀末たでの゚ピステヌメヌ

    䞭䞖・ルネサンス期の゚ピステヌメヌは「類䌌」盞䌌を基盀ずする。

    圓時の人々にずっお、あらゆるものは神によっおあらかじめ䞎えられた城蚘号であり、䞖界は解読されるべき䞀冊の曞物であった。この時代に重芁な䜍眮を占めおいた解釈孊ず蚘号孊は、互いに類䌌したものを芋぀け出すこずを通じお、神によっお䞎えられた䞖界の秘密を解き明かそうずする孊問だった。

    䟋えば、博物孊者りリッセ・アルドロノァンディ1522-1605の『蛇ず韍の話』では、「蛇類䞀般」に぀いお、皮類や名称、生息地、食物、捕獲方、毒害の症状ず治療法、蛇に関係する神話や神々、栌蚀や王章などが雑然ず蚘述されおいる。ここでは、芋られたもの実際にヘビを芳察しお曞かれたものず曞かれたもの神話や䌝説に曞かれたものが類䌌によっお結び぀けられ、区別なく䜵存しおいる。「蚀葉」は䞖界の鏡のような圹割を担っおおり、「物」ず同等の地䜍を占めおいた。

    ゚ピステヌメヌの転換ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホヌテ』1605

    䞭䞖から叀兞䞻矩時代の゚ピステヌメヌの転換を象城する物語ずしお、セルバンテスの小説『ドン・キホヌテ』が挙げられる。ドン・キホヌテは䞭䞖の階士道物語に憧れるあたり、「類䌌」の法則に埓っお自らを階士であるず信じ蟌み、矊の矀れを察立する二぀の軍勢ず劄想しお、その合戊に加勢しようずする。だが同時代に生きる人々にずっおは、ドン・キホヌテの行動は思慮分別を倱った狂人の振る舞いでしかなかった。

    2叀兞䞻矩時代17䞖玀䞭盀の゚ピステヌメヌ

    叀兞䞻矩時代の゚ピステヌメヌは「衚象」を基盀ずする。

    衚象représentationずは、あるものを別のものに代理させお瀺されたむメヌゞ党般のこず。人間が䞖界を認識する際に抱く心理的なむメヌゞを指すこずもあれば、絵画や圫刻、蚀語や暙識などの蚘号も含めた具䜓的なむメヌゞを指しお甚いられるこずもある。

    『ドン・キホヌテ』の䟋のように、芋られたもの芳察しお曞かれたものず曞かれたもの神話や䌝説に曞かれたものが区別され、前者が特暩的な地䜍を占めるず共に、䞡者を混同させるような「類䌌」の思考は、誀謬や錯誀を招くずしお厳しく批刀されるようになる。

    この時代に重芁な䜍眮を占める孊問は、博物孊ず䞀般文法ず富の分析である。博物孊は目に芋えるものの特城を忠実に芳察・蚘述し、それらを分類しお䜓系化するこずを目指す。䞀般文法は、人間がいかにしお䞖界を認識するか知芚した事物をどのように分節し、名を䞎え、秩序づけるかを問う。富の分析は、人間が物に向ける欲望が貚幣ずしお衚象されるこずで、異なる物同士が共通の尺床で䟡倀づけられ、亀換可胜になるず考える。

    䞉぀の孊問の共通するのは、「蚀葉」ず「物」が明確に区別されおいるこずである。䞭䞖の゚ピステヌメヌにおいおは、「蚀葉」は神によっおあらかじめ「物」の偎に䞎えられたものだったが、この時代には、「蚀葉」は人間が「物」に付䞎するものずしお捉え返される。すなわち、ある蚘号蚀葉ず、その蚘号が意味しようずするもの物が、いかにしお぀ながり埗るかが問われおいる。そしお䞊蚘䞉぀の孊問は、異なるもの同士を「類䌌」によっお結び぀けるのではなく、「比范」による同䞀性ず差異性の分析に基づいお共通の平面䞊に䜍眮づけるこずで、物の秩序を圢成しようずする。フヌコヌはこの平面を「衚タブロヌの空間」ず呌ぶ。

    ゚ピステヌメヌの転換ディ゚ゎ・ベラスケス《䟍女たち》1656

    叀兞䞻矩時代から近代の゚ピステヌメヌの転換を象城する絵画ずしお、ベラスケスの《䟍女たち》が玹介されおいる。 

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    Las Meninas, by Diego Velázquez

     郚屋の奥の鏡には、今たさに肖像画が描かれようずしおいる囜王ず王劃の姿が映し出されおいる。だがその二人が立぀堎所は同時に、《䟍女たち》の䜜者ベラスケス自身が居るべき堎所であり、たた、この絵画を芋る鑑賞者が居るべき堎所であるはずだ。ずころが、ベラスケスらしき画家の姿は巊偎のキャンバスの隣に、鑑賞者らしき者の姿は奥の扉の向こう偎に、すでに描き蟌たれおいる。このように、すべおを画面内衚の空間に衚象しようずするこずによっお、本来その倖郚にあるはずの「人間」が排陀あるいは䞍可芖化されおいる。

    3近代19䞖玀以降の゚ピステヌメヌ

    近代の゚ピステヌメヌは「人間」を基盀ずする。

    すなわち、「衚の空間」䞊に衚象され、分析されたり分類されたりする客䜓であるず同時に、「の空間」の倖郚に立っおそうした認識する䞻䜓でもあるずいう䞡矩的な立堎ずしおの「人間」が扱われるようになる。

    叀兞䞻矩時代の博物孊は生物孊に、䞀般文法は蚀語孊に、富の分析は経枈孊に転換した。生物孊は「生呜」ずいう抂念を獲埗したこずで、生物の倖芳的な特城ではなく、身䜓の内郚で働く諞噚官の機胜に泚目し、そこから属や皮の系統を問題にするようになる。蚀語孊もたた、蚀語がいかに事物を分節・分類しおいるかずいう「名詞」を重芖した分析よりも「動詞」を重芖し、語尟の屈折掻甚など蚀語の内郚構造の分析を詊みる。経枈孊は、物の䟡倀は他の物ずの亀換によっおではなく、生身の人間による劎働によっお生じるのだず考える。

    䞉぀の孊問はいずれも、目に芋える特城衚象ではなく、芋えない特城の分析に向かう。たた、生たれお死ぬ有限な生呜や劎働による䟡倀の生成ずいった「時間」あるいは「歎史」の抂念を導入しおいる点も共通しおいる。

     「人間」の終焉

    このように、有限な身䜓を持ち、その条件の範囲内でのみ䞖界を認識できる䞻䜓ずしおの「人間」が発芋もしくは発明されたのは近代以降のこずである。 埓っお、そのような「人間」芳に基づいお人類史を描き出そうずする目的論的で連続的な歎史芳や、それを支える「䞻䜓」ずいう抂念は、決しお普遍的なものではない。

    さらにフヌコヌは、1960幎代に勃興した構造䞻矩的な孊問、具䜓的にはラカンの粟神分析孊やレノィ=ストロヌスの文化人類孊、゜シュヌルの蚀語孊などは、「人間の終焉」、すなわち近代の゚ピステヌメヌの厩壊を告知しおいるず蚀う。曰く、「人間は波打ちぎわの砂の衚情のように消滅するであろう」p.455ず。

    『知の考叀孊』1969

    方法論の厳密化ず新たな抂念

    フヌコヌは『狂気の歎史』や『蚀葉ず物』等で展開した考叀孊的方法の厳密化を図り、1969幎に『知の考叀孊』慎改康之 蚳、河出文庫、2012幎) を刊行。誀解されるこずの倚かった「゚ピステヌメヌ」の䜿甚を控え、代わっお「蚀説」や「蚀衚」など新たな抂念を提瀺した。これらの語の䜿甚を通じお、フヌコヌは研究の察象を蚀語衚珟に限定する。

    蚀衚゚ノンセ énoncé

    実際に「蚀われたもの」や「曞かれたもの」を指す。たずたりのある文章のみならず、分類図や系統暹、数匏なども含む。

    蚀説ディスクヌル discours

    ある時代や瀟䌚、文化においお、䜕かしらの芏則性のもずに生産された蚀衚の集合あるいは総䜓。「医孊の蚀説」「生物孊の蚀説」など「○○の蚀説」ずいうかたちで甚いられるこずが倚い。蚀説の芏則性は、実際に蚀われたこず蚀衚ず、蚀おうず思えば蚀えたはずなのに蚀われなかったこずの差異によっお分析される。

    収蔵䜓アルシヌノ archive

    ある時代や瀟䌚、文化においお、すべおの「蚀われるこず」や「曞かれるこず」が埓う法則であり、蚀衚の出珟を統埡・制床化するシステムを指す。

    蚀説分析

     フヌコヌの「蚀説分析」は、瀟䌚孊など諞孊問分野に応甚され、日本でも倚くの研究者に圱響を䞎えおきた。では、その方法論的な独自性はどこにあるのか

    ①蚀説分析は、ある時代においお特定の蚀説が支配的な力を持぀のはなぜかずいう問いに察しお、その蚀説の起源や因果関係を探ろうずするのではなく、その蚀説が存圚するこずができた時代的・瀟䌚的・文化的な条件を分析しようずする。その意味で、フヌコヌの考叀孊は「アルシヌノ孊」ずも蚀い換えられる。

    ②蚀説分析は、あらかじめ存圚する察象に぀いおの蚀説があるず考えるのではなく、むしろ蚀説が存圚するこずによっおその察象が生成されるのだずいう構築䞻矩的な立堎に立぀。だからこそ、「人間」や「䞻䜓」ずいった抂念が普遍的なものではなく、歎史的に構築されたものであるこずを暎き出すこずが可胜になる。

    ③蚀説分析は、分析の察象を特定の孊問分野に限定しない。䟋えば『狂気の歎史』1961では、フヌコヌは「狂気」ず呌ばれるものの意味が時代毎に異なるこずを瀺すために、粟神医孊の蚀説だけではなく、法埋、矎術、文孊など様々な分野の文献を枉猟しお「狂気」に関する蚘述を枉猟し、䞭䞖たで遡っお分析を行った。ある孊問の蚀説を圢成する諞芏則は、その内郚で思考する限りは決しお知るこずができない。

    地方映画史研究ぞの応甚に向けお

    フヌコヌの圱響䞋にある研究者たち

    ミシェル・フヌコヌの考叀孊、あるいは蚀説分析ずいう方法は、哲孊や珟代思想の研究者のみならず、様々な孊問分野に倚倧な圱響を䞎えおきた。

    䟋えば芞術の分野では、矎術史家のスノェトラヌナ・アルパヌスが『描写の芞術——17䞖玀のオランダ絵画』ありな曞房、1993幎、原著初版1983幎が知られおいる。アルパヌスは17䞖玀のオランダ矎術に぀いお、「物語」を語るために遠近法を甚いるむタリア・ルネサンスの芖芚文化ずは別の文脈に眮き盎す必芁性を蚎え、北方の芖芚文化は「物語」よりも目に芋える衚面をひたすら描写するこずに力を泚ぐ「描写術」によっお特城づけられるず䞻匵した。

    あるいは次回玹介予定の矎術史家ゞョナサン・クレヌリヌは『芳察者の系譜——芖芚空間の倉容ずモダニティ』以文瀟、2005幎、原著初版1990幎においお、埓来の芖芚文化史が前提ずしおきた「カメラ・オブスクラが写真のカメラに進化した」ずいう連続的な歎史芳を批刀し、䞡者の間に切断の線を入れるこずを詊みた。同曞は日本の初期映画研究などでもしばしば取り䞊げられる重芁な文献である。

     考叀孊的方法や蚀説分析を導入するこずの困難

    ただし、フヌコヌの方法をそのたた匕き継いで実践するこずは容易ではない。①「歎史の連続性」や「䞻䜓」ずいう抂念を前提ずしおはならず、因果関係や意味を解釈するこずも犁欲しなければならないずいう方法論的な厳栌さや、②分析察象を特定の孊門分野に絞らないずいう性質䞊、䜕をどこたで分析するべきか明確な指針が存圚し埗ないずいう範囲蚭定の問題など、フヌコヌの方法を忠実に実行するこずには倧きな困難が䌎う。

    特に蚀説分析に関しお、その方法を瀟䌚孊に導入する可胜性ず限界を厳しく芋極めようずする詊みずしお、䟋えば䜐藀俊暹・友枝敏雄 線『蚀説分析の可胜性——瀟䌚孊的方法の迷宮から』東信堂、2006幎を挙げるこずができる。同曞で友枝は、「蚀説が存圚するこずによっお察象が生成される」ずいう立堎に立぀蚀説分析の方法に厳栌に埓えば、「あらかじめ察象が存圚する」ずする埓来型の瀟䌚孊ずは盞容れないものになっおしたうが、逆に蚀説分析をゆるやかに解釈しお逞脱的な䜿甚も認めるなら、瀟䌚孊がこれたでから行っおきた史料研究ず䜕ら倉わり映えのしないものになっおしたうこずを指摘しおいるpp.249-251。

    考叀孊的に発想する

    映画研究および地方映画史研究に぀いおも、フヌコヌの方法をそのたた厳密に導入するずいうよりは、たずはフヌコヌ的な発想や問いの立お方で、「考叀孊」的に自分自身の研究察象を捉え返しおみるこずから始めるのが良いかもしれない。

    䟋えば「映画」ずいう蚀葉。今も昔も同じ「映画」ずいう蚀葉が䜿われおいるが、そこで指し瀺そうずしおいる察象は、本圓に同䞀であるず蚀えるだろうか。目的論的な歎史芳では捉えられない、切断線を匕くこずができないか。あるいは北方ず南方の芖芚文化を比范したアルパヌスのように、「映画」の意味や受容のされ方、それを取り巻く文化の地域差を分析するこずもできるかもしれない。

    研究察象の遞択に぀いおもヒントが埗られる。映画専門誌や映画研究の文献に圓たるだけでは、その分野が前提ずする映画の芋方や䟡倀芳の倖郚に出るこずができない。倚様な分野の文献から「映画」に関する蚘述を探るこずで、新たな発芋が埗られる可胜性は倧いにあるだろう。倧郜垂圏ず比べお文献に乏しい地方映画史研究ではなおさら、分野を限定しない暪断的な調査ず分析が歊噚になるはずだ。

    アヌロン・ゞェロヌ「『ゞゎマ』ず映画の“発芋”——日本映画蚀説史序説」1997

    フヌコヌの考叀孊的な発想から映画史の研究が行われた䟋ずしおは、アヌロン・ゞェロヌ「『ゞゎマ』ず映画の“発芋”」『映像孊』58巻、1997幎が挙げられる。ゞェロヌもたた、映画史を語る際の単線的で目的論的な歎史芳を批刀する。それは珟圚の映画のあり方を必然的なものず芋做すこずで、そこに内包されおいるむデオロギヌや、他でもあり埗た歎史の可胜性や発展の方向性を芋えづらくしおしたうからだ。そこでゞェロヌは、フヌコヌず同様に、あらかじめ察象映画が存圚するのではなく、蚀説が存圚するこずによっお察象映画が生成されるずいう立堎をずるこずで、いかにしお映画をめぐる蚀説が圢成されおきたかを探る。

    たず映画に関する蚀説は、具䜓的な歎史的、瀟䌚的、政治的な状況の䞭で、い぀、いかにしお圢成され、可胜になったのか。そしおそれにあたっお、他の可胜な蚀説や蚀衚ずいかに察立し、それを排陀させたかを远究する。ず同時に、その蚀説の圢成ずずもに、映画自䜓はどのように生成され、その圢態は歎史的な状況の䞭にいかに機胜したかずいう問題も䞭心ずなる。

    アヌロン・ゞェロヌ「『ゞゎマ』ず映画の“発芋”——日本映画蚀説史序説」pp.36-37

    ただし同論文では、フヌコヌの考叀孊の厳密に導入したり、歎史を語る他の方法論をすべお吊定するこずもしないず述べられおいる。「フヌコヌを詳现に真䌌るずいうよりも、圌の研究に觊発され、いたたで日本映画史研究に問題芖されおいない、映画ずいうむデオロギヌフヌコヌがほずんど䜿甚しない甚語は蚀説においおいかように圢成されたか」p.37を問うこずが目的ずなる。

     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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