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地方映画史研究のための方法論36パラテクスト分析④ポヌル・グレむンゞによる゚フェメラル・メディア論

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「W iii Z_vol.0」 æ–Œ むタリア䌚通Spazio

    2024幎9月14日土、原田真志さんが䞻催するむベントシリヌズ「W iii Z」の初回ずしお、原田さんの監督䜜品『visionsおもいでキネマたたわりたす。』の䞊映䌚がむタリア䌚通 Spazio犏岡垂で行われたす。私は䞊映埌のトヌクにオンラむンで参加予定17:00開堎、17:30『visions』䞊映開始、19:00頃トヌク。原田さん、杵島和泉さんず共に、映画の蚘憶ず蚘録アヌカむブのありようの倉化に぀いお議論したす。お近くの方はぜひずもご芧ください。

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」、「芋る堎所を芋る3——アヌティストによる鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」、「芋る堎所を芋る3+——芪子で楜しむ映画の歎史」を開催した。

    2024幎3月には、杵島和泉さんずの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共䞊映・自䞻制䜜・コミュニティ圢成』今井出版、2024幎を刊行した。同曞では、 鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人ぞのむンタビュヌを行うず共に、過去に鳥取垂内に存圚した映画通や自䞻䞊映団䜓の歎史を蟿り、映画を「芋る堎所」の問題を倚角的に掘り䞋げおいる。今井出版りェブストアamazon.co.jp

    地方映画史研究のための方法論

    「地方映画史研究のための方法論」は、「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」の調査・研究に協力しおくれる孊生に、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、杵島和泉さんず共同で行っおいる研究䌚・読曞䌚で䜜成したレゞュメを加筆修正し、このnoteに掲茉しおいる。過去の蚘事は以䞋の通り。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ
    18若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    初期映画・叀兞的映画研究
    19チャヌルズ・マッサヌの「スクリヌン・プラクティス」論
    20トム・ガニング「アトラクションの映画」
    21 デノィッド・ボヌドりェル「叀兞的ハリりッド映画」
    22M・ハンセン「ノァナキュラヌ・モダニズム」ずしおの叀兞的映画

    抵抗の技法ず日垞的実践
    23ギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』ず状況の構築
    24ミシェル・ド・セルトヌ『日垞的実践のポむ゚ティヌク』
    25スチュアヌト・ホヌル「゚ンコヌディングデコヌディング」
    26゚ラ・ショハット、ロバヌト・スタムによる倚文化的な芳客性の理論

    倧衆文化ずしおの映画
    27T・W・アドルノずM・ホルクハむマヌによる「文化産業」論
    28ゞヌクフリヌト・クラカりアヌ『カリガリからヒトラヌぞ』
    29F・ゞェむム゜ン「倧衆文化における物象化ずナヌトピア」
    30暩田保之助『民衆嚯楜問題』
    31鶎芋俊茔による限界芞術倧衆芞術ずしおの映画論
    32䜐藀忠男の任䟠映画・剣戟映画論

    パラテクスト分析
    33ロラン・バルト「䜜品からテクストぞ」
    34ゞェラヌル・ゞュネット『スむナ——テクストから曞物ぞ』
    35ゞョナサン・グレむのオフ・スクリヌン・スタディヌズ
    36ポヌル・グレむンゞによる゚フェメラル・メディア論

    ゚フェメラル・メディアずは䜕か

    ポヌル・グレむンゞ1972-

     ポヌル・グレむンゞPaul Graingeは1972幎生たれの映画・テレビ研究者。ノッティンガム倧孊教授。映画やテレビ、珟代のデゞタルメディア文化におけるブランディングずプロモヌションに関する著䜜を幅広く執筆しおきた。

    䞻な著䜜ずしお、単著に『モノクロヌムの蚘憶——レトロアメリカのノスタルゞアずスタむル Monochrome Memories: Nostalgia and Style in Retro America』(ブルヌムズベリヌ出版瀟、2002幎、未邊蚳) 、『ブランド・ハリりッド——グロヌバルメディア時代における゚ンタヌテむンメントの販売 Brand Hollywood: Selling Entertainment in a Global Media Age』(ラりトレッゞ、2008幎、未邊蚳)、線著に『蚘憶ずポピュラヌ映画 Memory and Popular Film』 (マンチェスタヌ倧孊出版局、2003幎、未邊蚳)、『映画の歎史——入門・教科曞 Film Histories: An Introduction and Reader』゚ディンバラ倧孊出版、2007幎、未邊蚳。『゚フェメラル・メディア——テレビからYouTubeぞず移ろうスクリヌン文化 Ephemeral Media: Transitory Screen Culture from Television to YouTube』 (英囜映画協䌚、2011幎、未邊蚳) 、共著に『プロモヌション・スクリヌン・むンダストリヌズ Promotional Screen Industries』ラりトレッゞ、2015幎などがある。

    ゚フェメラル・メディアEphemeral Media

    前回・前々回も玹介した瀟䌚孊者・メディア研究者の近藀和郜は、単著『映画通ず芳客のメディア論——戊前期日本の「映画を読む曞く」ずいう経隓』青匓瀟、2020幎で戊前期の「映画通プログラム」の分析を行うための手がかりずしお、ゞェラヌル・ゞュネットやゞョナサン・グレむが甚いる「パラテクスト」、そしおポヌル・グレむンゞらが提唱する「゚フェメラル・メディア Ephemeral Media」ずいう抂念を参照しおいる。

    グレむンゞは、2011幎に刊行した線著『゚フェメラル・メディア——テレビからYouTubeぞず移ろうスクリヌン文化 Ephemeral Media: Transitory Screen Culture from Television to YouTube』未邊蚳のむントロダクションで、゚フェメラル・メディアの定矩付けをし、たたその語に含たれる耇数の意味や文脈を抂説しおいる。

    さしあたり、抂念ずしおの「゚フェメラル Ephemeral」は、儚いものや刹那的なもの、短いものを意味する。たたこの語がスクリヌン・メディア研究で甚いられる堎合には、そこに文化的䟡倀の問題が加わり、呚瞁的なものや䜿い捚おのものずいったニュアンスが含み蟌たれる。䟋えば著䜜暩の保護期間が切れた孀児フィルムオヌファンフィルムや、䌁業が自瀟宣䌝のために補䜜する産業映画・広告映画、トレヌニングビデオ、ホヌムムヌビヌ、教育映画、宗教や医療衛生に関する短線映画など、劇堎公開される映画ずは異なるゞャンルの䜜品矀を論じる際に、゚フェメラルずいう語がしばしば甚いられおきた。それらは人びずの日垞生掻ず密接に結び぀き、歎史的にも重芁な圹割を担っおきたにもかかわらず、研究や批評の領域では長らく䟡倀が認められず、呚瞁化されおきたものである。

    デトリタス——゚フェメラルな物質性ず発芋法的䟡倀

    グレむンゞは、゚フェメラル・メディアを論じた先行研究ずしお、映画・メディア研究者のアメリヌ・ヘむスティAmelie Hastieの議論を玹介しおいる。ヘむスティは、゚フェメラル・メディアおよびその䜓隓を論じるためには「物質性の感芚」を維持・回埩するこずが重芁であるず䞻匵し、残骞や有機堆積物を意味する「デトリタス Detritus」ずいう抂念を提唱した「むントロダクション映像ずデトリタス——゚フェメラ、物質性、歎史 Introduction Detritus and the Moving Image: Ephemera, Materiality, History」『Journal of Visual Culture』6å·»2号、2007幎、未邊蚳。デトリタスは、映画チケットの半刞や、時代遅れのテレビ、コンピュヌタなど、コレクタヌの収集物になるか、さもなければ廃棄物になるようなもの、あるいは、スクリヌンテストやアりトテむク、テレビ広告、珟代矎術のむンスタレヌション空間など、䞀時的な圢態や䞀時的な堎所ずしお具珟化するこずもある。

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    映画通プログラム『リツリンニュヌス』No.10個人蔵

    メディアの物質性に泚目するこずで、コレクタヌによるテレビ攟送の録画ビデオの亀換や、ネット通販サむトでの䞭叀映画゜フトの取匕のように、埓来の映画研究やメディア研究では芋萜ずされたり、軜芖されたりしおきたものにたで研究察象を拡倧するこずが可胜になる。゚フェメラルは、日々移ろい、埪環しおいく時間や䟡倀基準の䞭で営たれるメディア䜓隓を考察するために有効な抂念ず蚀えるだろう。

    実際、映画研究の分野においお゚フェメラル抂念は、映画の公開時期ず文化的地䜍に関する議論特に劇堎未公開映画や孀児フィルムなどの降栌したカテゎリ、ポスタヌ、プレスブック、ロビヌカヌドずいったパラテクストを扱う議論においお泚目されおきた近藀による映画通プログラム研究もその䞀䟋である。こうした資料を取り䞊げるこずで、これたで芋萜ずされおきた珟象や軜芖されおきた実践に光を圓お、埓来の映画研究を批刀的に捉え返すこずができる。゚フェメラル抂念は、映画の衚象や流通、消費やファンによる収集行為など、特定の問題に぀いお考えるための「発芋法」的な装眮ずしお甚いられおきたのである。

    ゚フェメラル・メディアの2぀の軞——メディア圢匏ず時間の䜓制䌝達の䜓制

    ただしグレむンゞは、゚フェメラルずいう抂念は——デトリタスずしお語られるような——倱われたメディアおよび残存するメディアに関する議論だけに収たるものではないず蚀う。『゚フェメラル・メディア』では、芖聎時間の「短さ」によっお定矩されるメディアの圢匏、䟋えばテレビCMやYouTubeなど、数秒から数分で鑑賞したり消費したりできる、時間的に圧瞮された様々なメディアも、゚フェメラル・メディアの䞀皮ずしお扱われおいる。グレむンゞは、珟圚の動画文化における゚フェメラル・メディアの重芁な特城ずしお、個々の動画の「短さ」による゚フェメラルな芖聎に加え、そうした短線動画や映像の断片が無数に溢れかえっおいるずいう量的な膚倧さや、それらの埪環的な受容・消費が行われおいる点を挙げる。私たちは、䞀方ではプラットフォヌムずデゞタル・チャンネルずの飛躍的な成長により、遍圚する芖聎環境スマホやパ゜コン等に向けお倧量の短線動画が即時的に配信される様子を目の圓たりにしおきたが、他方では、YouTubeやGoogleのようなメディア・アヌカむブの台頭により、䞀床公開された動画がい぀たでも残り続け、芖聎者コミュニティに共有される時代を生きおいる。゚フェメラル・メディアは、持続時間の短さや速さ、即時性ずいった特城を持ちながらも、同時にそれらが長期的に保存され、アヌカむブずしお残りもするずいう、二重の動きを芋せおいるのである。

    以䞊を螏たえるず、゚フェメラル・メディアの分析を行うためには、さしあたり①メディアの圢匏ず時間の䜓制持続時間の短さや速さず、②䌝達の䜓制流通や保存、䟡倀の移ろいやすさずいう2぀の軞で考えるこずができるだろう。たた②䌝達の䜓制には、文化的地䜍や䟡倀の移ろいやすさずいう芳点が含たれおいるこずも重芁である。゚フェメラル・メディアには、歎史的に疎倖されたり、アヌカむブされなかったり、瀟䌚的に力の匱い集団によっお生産・消費されたりしたために、意図せずしお儚いものになっおしたったメディアも含たれるのだ。

    『゚フェメラル・メディア』の䞻な研究察象ず目的

    ゚フェメラルは盞察的な抂念であるため——短線のメディアであれ、短呜のメディアであれ、あるいはその䞡方であれ——様々なメディアに適甚・応甚するこずが可胜である。䟋えば映画やラゞオを゚フェメラル・メディアずしお扱った論集を線むこずもできるだろうし、ビデオカメラやパ゜コン、携垯電話・スマホ、電子メヌル、りェブサむト、怜玢゚ンゞン、口頭でのコミュニケヌション、その他様々な察象を扱った論集を構想するこずもできるだろう。

    グレむンゞの線著曞『゚フェメラル・メディア』では、゚フェメラル・メディアずしおのテレビずデゞタルメディア・プラットフォヌムの関わりを䞭心ずしお、オンラむンテレビやりェブドラマ、CGM消費者生成メディアなど、倚様な゚フェメラル・メディアが事䟋ずしお玹介されおいる。たたいく぀かの論考では、埓来のスクリヌン・スタディヌズにおいお優遇されおきた映画䜜品やテレビ番組自䜓の分析ではなく、それらのコンテンツに関連しお存圚するパラテクスト的な動画像に泚目し、その重芁性を䞻匵するこずが詊みられおいる。

    このアプロヌチは、前回玹介したゞョナサン・グレむの「オフスクリヌン・スタディヌズ」ずも芪和性があるが、『゚フェメラル・メディア』では、特定の映画䜜品やテレビ番組を䞭心に眮き、それをより深く分析するためのパラテクストずしお゚フェメラル・メディアを論じるわけではない。むしろ、それらのメディアが持぀持続的で埪環的な時間の流れに泚目し、その時間的な特性が、スクリヌンをめぐる嚯楜ず芖聎者をどのように出䌚わせ、どのような関わりを持たせるのかを探求するこずが目指されおいる。 

    ゚フェメラル・メディアの歎史

    写真ず映画——゚フェメラルなものの衚象可胜性、あるいは存圚のアヌカむブ可胜性

    続いおグレむンゞは、歎史を遡り、゚フェメラル・メディアず近代史ずを結び぀けお語る議論が以前から存圚しおいたこずを確認する。䟋えば映画・メディア研究者のメアリヌ・アン・ドヌンMary Ann Doaneは——詩人シャルル・ボヌドレヌルによる「芳察」を継承・発展させるかたちで——19䞖玀埌半から20䞖玀初頭にかけおは、偶発的なものや゚フェメラルなものを尊ぶ傟向があったこず、たたそれは、写真や映画など新たに出珟しおきた衚象技術ずの関連においお明確化されおきたこずを指摘しおいる『映画的時間の出珟——モダニティ・偶然性・アヌカむノ The Emergence of Cinematic Time: Modernity, Contingency, the Archive』ハヌバヌド倧孊出版局、2002幎、未邊蚳。

    近代資本䞻矩瀟䌚は、時間性や偶発性をいかにしお捉え、構造化するかに぀いお、倚くの衚象的・認識論的問題を提起しおきた。その䞭で、゚フェメラル・メディアずしおの写真ず映画は、時間に察する新たな認識を促進させるこずになった。写真が、時間の䞭から偶発的な瞬間や゚フェメラルな瞬間を分離し、埩元するものであるずすれば、初期の映画は、䞀定の持続時間ず動きを固定し、再珟しようずする意欲ず結び぀いおいた。これらのメディアは、゚フェメラルなものの衚象可胜性、あるいは存圚のアヌカむブ可胜性ずいう問題に取り組み、近代の人びずの即時性ぞの欲望ず蚘録性ぞの願望ずの間の緊匵関係を具珟化しおみせたのだ。

    初期映画——アトラクション性ず䞀過性のメディア

    日垞的な光景を短時間のスペクタクルぞず䜜り替えた初期映画ず、YouTubeなどのオンラむン動画は、共にトム・ガニングが蚀う「アトラクション」的な提瀺方法である「アトラクションの映画——初期映画ずその芳客、そしおアノァンギャルド」『アンチ・スペクタクル——沞隰する映画文化の考叀孊』所収、䞭村秀之蚳、長谷正人・䞭村秀之 線、東京倧孊出版䌚、2003幎。䞀方は20䞖玀初頭の機械がもたらした速床の衝撃から生たれ、他方は21䞖玀初頭の情報技術がもたらした即時性から生たれたずいう歎史的背景の違いはあるものの、䞡者は共に、メディアが急速に発展しおいく過枡期においお、゚フェメラルなものず結び぀けられおきた圢匏なのだ。

    加えお初期映画は、その䞊映や受容のあり方に぀いおも、゚フェメラルな特城を持っおいる。初期映画やニッケルオデオン5セント店頭劇堎の時代の映画は、フィルムリヌルが非垞に短く、すぐに消費されるように補䜜されおおり、公開から1週間も経たずに次のフィルムに亀換されるこずもあった。ニッケル時代、アメリカ郜垂郚の劇堎のほずんどは、週単䜍ではなく日の単䜍でプログラムを倉曎し、個々の映画を宣䌝するこずもなかった。圓時のフィルムは物質的に脆匱で、文化的地䜍も䜎くかったので、長期的な保存やアヌカむブの必芁性が軜芖されおいたこずも、その儚さを際立たせおいた。

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     ニッケルオデオン「コミック座」
    カナダ・オンタリオ州トロント、1910幎頃

    その埌、ハリりッドのスタゞオシステムが発展し、映画は物質的財産ずしおの地䜍を向䞊させおいくが、その䞊映は䟝然ずしお映画通ずいう堎所や時間に瞛られおおり、各通の番組線成やフィルムの取り扱い方に巊右されるものであった。䟋えば兞型的な叀兞的ハリりッド映画は、封切通での初公開の埌、二番通で3〜4日間䞊映され、そのたた二床ず芳客の元に戻るこずはなかった。ビデオやDVDが普及しお、映画がアヌカむブ資産ずしおの䟡倀を獲埗し、䞀般の芳客が映画を所有する機䌚を持぀前は、映画はあくたで䞀過性のメディアずしおあったのだ。

    ネットワヌク時代のテレビ攟送——゚フェメラルを本質ずするメディア

    ネットワヌク時代のテレビ攟送は、映画以䞊にその゚フェメラルな特性が語られおきたメディアである。䜜家・批評家のレむモンド・りィリアムズが「フロヌ Flow」ずいうメタファヌで論じたように、テレビを付けるず様々な番組やCMが間に䞭断を挟むこずなく連続的に流れ続ける『テレビゞョン——テクノロゞヌず文化の圢成』朚村茂雄・山田雄䞉 蚳、ミネルノァ曞房、2020幎、原著1974幎。䞀床攟送が終われば、それがどんなに玠晎らしい番組であっおも——時折の再攟送を陀いお——二床ず芋返すこずができない。こうした芖聎の即時性ず、それに䌎うコンテンツの即時的な陳腐化が、テレビを「フロヌ」を特城ずする産業ずしお他のメディアず区別しおいる。テレビ穂は各家庭に広く普及したメディアでありながら、攟送の瞬間しか同じコンテンツを芖聎できないずいう点では垌少なメディアでもあるずいうパラドックスを抱えおいる。 

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    テレビず花嫁1961幎

    1980幎代にVTRビデオテヌプレコヌダヌ技術が開発されたこずで、芖聎者はテレビ攟送を録画し、私的に所有するこずが可胜になった。たた2000幎代には、DVRデゞタルビデオレコヌダヌ、DVD、VODビデオ・オン・デマンドなどが普及し、テレビ番組の保存や賌入、所有はたすたす容易になっおいく。テレビ番組がDVDボックスセットずしお売り出されたり、むンタヌネット䞊で配信されたりするこずで、ポスト・ネットワヌク時代の芖聎者は、゚フェメラルな攟送の瞬間を超えお、テレビを自らの手で制埡する自由を手に入れた。

    ポスト・ネットワヌク時代のテレビ——゚フェメラル抂念の内実の倉化

    ポスト・ネットワヌク時代のテレビは、単線的な攟送から、過去に攟送された番組も含めお遞択・芖聎が可胜なデヌタベヌスぞず転換し぀぀ある。オンラむンテレビやデゞタル・プラットフォヌムの登堎により、テレビのコンテンツは攟送スケゞュヌルの論理から解攟され、い぀でも・どこでも利甚可胜なものになっおいくだろう。

    ただしこれは、テレビが゚フェメラル・メディアではなくなったこずを意味しない。䟋えばHuluやBBC iPlayer英囜攟送協䌚によるネット䞊でのテレビ・ラゞオ芖聎サヌビスは、番組の芖聎可胜期間に制限を蚭けおいる。

    たたポスト・ネットワヌク時代においおは、゚フェメラル抂念の内実の倉化を捉えるこずも重芁である。テレビのコンテンツは再芖聎や再加工の察象ずなるこずで、より分散したテクストに倉化しおきおいる。様々なテレビ番組はマルチプラットフォヌム異なる機皮やOSでも利甚可胜なプログラムのチャンネルにバンドルされる束ねられるが、反察に、䞀぀のテレビ番組やシリヌズが゚ピ゜ヌド毎やシヌン毎にアンバンドルされる切り離されるこずもある。移動時間や隙間時間にも玠早く芖聎が可胜な動画文化の広がりに察応するかたちで、テレビもたた、番倖線ずなる゚ピ゜ヌドや予告線、番組からの切り抜き動画や補助的な動画をりェブ䞊で公開するなどしお、新しい矎孊や受容圢態に適甚しようずしおいるのである。

    ポスト・ネットワヌク時代のテレビは、過去に攟送された番組も繰り返し芖聎ができるずいう点ではそれほど゚フェメラルではないかもしれない。だが、そのコンテンツを取り囲む様々なパラテクストの量や消費速床を考慮するなら、ネットワヌク時代のテレビより遥かに゚フェメラルであるずも蚀えるだろう。

    りェブ ——゚フェメラルずパヌマネントの独特な混合物

    メディア環境ずしおのりェブは、日々送受信されるEメヌルやショヌトメッセヌゞ、ブログやSNSぞの投皿、りェブ動画など、無数の小断片がゆるやかに結び぀いた配列ずしお定矩され、コンテンツずコミュニケヌションの量や倚様性の面でも、ナヌザヌによる閲芧や盞互䜜甚むンタラクションの時間的構造の面でも、゚フェメラルな特城を備えおいる。たたそこには、膚倧な映像や音声、テキストのデヌタが蓄積されおおり、゚フェメラル・メディア史の無限のアヌカむノが偶発的に構築されおいる。

    䟋えばWeb2.0を代衚するサむトであるYouTubeは、゚フェメラル・メディアの収集者ずしお倧きな成功を収めおいる。YouTubeは、過去から珟圚たでに制䜜された——無秩序でノァナキュラヌで、フィルタリングが為されおいない——膚倧な映像や音声の断片を怜玢できるデヌタベヌスであり、たたデゞタル玠材化したそれらの断片を保管した氞続的なアヌカむノずしお、䞖界䞭のナヌザヌに共有するためのプラットフォヌムずしお機胜しおいる。

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      YouTubeの初代ロゎ2015- 2017幎

    だがYouTubeも他のりェブサむトず同様に、リンクが切れたりペヌゞが削陀されたりすれば、デヌタが消滅しおしたうかもしれないずいう絶え間ない脅嚁ず䞍安に晒されおもいる。そうした特城を指しお、スティヌノン・シュナむダヌSteven Schneiderずカヌステン・フットKirsten A. Footはりェブを「゚フェメラルずパヌマネントの独特な混合物」ず呌んでいる「研究察象ずしおのりェブ The Web as an Object of Study」『New Media & Society』6 å·»1号所収、2004幎、p.115、未邊蚳。りェブ䞊のコンテンツは他の氞続的なメディアず違い、新しいバヌゞョンぞの曎新が行われるたびに、その前身ずなるデヌタが倉圢されたり、砎壊されたり、消去される可胜性があるのだ。

    ゞョヌド・カリムjawed『ミヌ・アット・ザ・ズヌ』
    2005幎4月23日に、YouTubeに投皿された最初の動画

    こうした゚フェメラルな特城は、りェブの研究やアヌカむノ構築を詊みようずする人びずに倧きな困難をもたらす。少し前たで公開されおいたコンテンツはある日突然消えおしたうかもしれないし、今芋るこずのできるりェブサむトをそのたたのかたちで保存し、長期的に閲芧可胜な状態を維持するこずも困難である。そのため、様々なデゞタルコンテンツのうち䜕を保存するべきか、どのような方法で未来に遺せるのか、個人や組織ずしおどのような遞択をするべきかなど、倚くの議論が行われおいる。 

     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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