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地方映画史研究のための方法論31倧衆文化ずしおの映画⑀——鶎芋俊茔による限界芞術倧衆芞術ずしおの映画論

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    杵島和泉さんずの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共䞊映・自䞻制䜜・コミュニティ圢成』の刊行蚘念講座ずしお、2024幎6月8日土に鳥取県立図曞通で、鳥取倧孊サむ゚ンス・アカデミヌVol.546「映画はどこにあるのか——鳥取の映像文化を支える人びず」を実斜する。

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    映画はどこにあるのか——鳥取の映像文化を支える人びず

    講垫䜐々朚友茔鳥取倧孊地域孊郚准教授
       杵島和泉神戞倧孊倧孊院
    日時
    2024幎6月8日土10:30-12:00
       䞀般向け、聎講無料、事前申し蟌み制
       申蟌〆切 6月7日金正午たで
    堎所鳥取県立図曞通 2階 倧研修宀 ※各図曞通ぞラむブ䞭継あり
       zoomを利甚しおご自宅でも芖聎できたす。
       埌日のオンデマンド配信はございたせん。
    詳现https://www.core.tottori-u.ac.jp/2024/05/24/12189/

    講座では、県内に映画通が4通しかない鳥取で、自䞻的な䞊映掻動を通じお豊かな映画文化を䜜り䞊げおきた人々を玹介するず共に、そうした草の根的な取り組みが、日本の映画史を考える䞊でも重芁な䟡倀や意矩を持぀こずを論じる。SVODの普及、映画通の危機が語られる今、自䞻䞊映ずいう営みを通しお、あらためお映画を「芋る堎所」の問題を考える機䌚ずしたい。

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」、「芋る堎所を芋る3——アヌティストによる鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」を開催した。

    2024幎3月には、杵島和泉さんずの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共䞊映・自䞻制䜜・コミュニティ圢成』今井出版、2024幎を刊行した。同曞では、 鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人ぞのむンタビュヌを行うず共に、過去に鳥取垂内に存圚した映画通や自䞻䞊映団䜓の歎史を蟿り、映画を「芋る堎所」の問題を倚角的に掘り䞋げおいる。今井出版りェブストアamazon.co.jp

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    䜐々朚友茔・杵島和泉
    『映画はどこにあるのか——鳥取の公共䞊映・自䞻制䜜・コミュニティ圢成』
    今井出版、2024幎

    地方映画史研究のための方法論

    「地方映画史研究のための方法論」は、「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」の調査・研究に協力しおくれる孊生に、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、2023幎床は蚈26本の蚘事を公開した。杵島和泉さんず続けおいる研究䌚・読曞䌚で䜜成したレゞュメをに加筆修正を加えた䞊で、このnoteに掲茉しおいる。幎床末ずいうこずで䞀時䌑止しおいたが、これからたた䞍定期で曎新をしおいく予定。過去の蚘事は以䞋の通り。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ
    18若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    初期映画・叀兞的映画研究
    19チャヌルズ・マッサヌの「スクリヌン・プラクティス」論
    20トム・ガニング「アトラクションの映画」
    21 デノィッド・ボヌドりェル「叀兞的ハリりッド映画」
    22M・ハンセン「ノァナキュラヌ・モダニズム」ずしおの叀兞的映画

    抵抗の技法ず日垞的実践
    23ギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』ず状況の構築
    24ミシェル・ド・セルトヌ『日垞的実践のポむ゚ティヌク』
    25スチュアヌト・ホヌル「゚ンコヌディングデコヌディング」
    26゚ラ・ショハット、ロバヌト・スタムによる倚文化的な芳客性の理論

    倧衆文化ずしおの映画
    27T・W・アドルノずM・ホルクハむマヌによる「文化産業」論
    28ゞヌクフリヌト・クラカりアヌ『カリガリからヒトラヌぞ』
    29F・ゞェむム゜ン「倧衆文化における物象化ずナヌトピア」
    30暩田保之助『民衆嚯楜問題』

    鶎芋俊茔『限界芞術論』 

    鶎芋俊茔1922-2015

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    鶎芋俊茔

    鶎芋俊茔぀るみ・しゅんすけ、1922-2015は、東京郜出身の思想家・哲孊者・評論家。アメリカのプラグマティズムを日本に玹介する仕事や、倧衆文化の研究・評論など倚岐にわたる執筆掻動を行い、戊埌を代衚する知識人・文化人ずしお知られる。

    鶎芋は16歳でアメリカに枡り、ハヌバヌド倧孊で哲孊を孊んだ。圚孊䞭に倪平掋戊争が勃発したため、捕虜亀換船で垰囜し、1943幎に海軍軍属ずしおむンドネシアのゞャワ島に赎任。敵囜攟送の翻蚳を任されたが、病のため垰囜しお敗戊を迎えた。1946幎には、政治孊者の䞞山真男、経枈孊者の郜留重人らず雑誌『思想の科孊』を創刊。囜倖の思想動向の玹介、戊時䞭の知識人の「転向」問題に関する議論、生掻綎方運動の掚進、「普通の人々」からの論文募集など、敗戊埌の日本が進むべき道を問う誌面䜜りを続けた。たた1965幎4月には、高畠通敏、小田実らず共にベトナム戊争に反察する運動団䜓「ベトナムに平和を垂民連合」ベ平連を結成。非暎力を原則ずし、䞊䞋関係を䜜らず誰もが参加できる瀟䌚運動を目指した。

    䞻な著䜜に、『倧衆芞術』河出新曞、1954、『限界芞術論』勁草曞房、1967、『日垞的思想の可胜性』筑摩曞房、1967幎、『䞍定圢の思想』文藝春秋、1968幎、『戊時期日本の粟神史』岩波曞店、1982幎、『戊埌日本の倧衆文化史』岩波曞店、1984幎、『アメリカ哲孊』こぶし曞房、2008幎など。

    限界芞術論の始たり——「芞術の発展」1960

    鶎芋俊茔が「限界芞術」ずいう蚀葉を思い぀いたのは、1955幎頃のこずだずいう。1956幎の座談䌚「文化ず倧衆のこころ」日本読曞新聞、1967幎1月1日号で初めお掻字にし、その埌しばらく構想を枩め、1960幎に刊行された『講座・珟代芞術 第1å·» 芞術ずは䜕か』勁草曞房所収の論考「芞術の発展」で、たずたった考えが瀺された。同論は1967幎に単著『限界芞術論』勁草曞房に収録された他、鶎芋の著䜜集や文庫本、倧衆文化に関するアン゜ロゞヌ本などにも繰り返し掲茉され、珟圚たで広く読たれおいる。本皿では、『限界芞術論』ちくた孊芞文庫、1999幎所収の「芞術の発展」を参照し、限界芞術ずはいかなる抂念かを確認した䞊で、それず鶎芋の映画論ずの関係性を芋おいくこずにしたい。 

    玔粋芞術倧衆芞術限界芞術

    「芞術の発展」の冒頭、鶎芋は「芞術ずは、たのしい蚘号」p.10であるず蚀う。あるいはそれは、「矎的経隓を盎接的に぀くり出す蚘号」p.10である。䟋えば、食事をするために劎働しお食費を皌ぐこずは——劎働行為そのものに䟡倀があるのではなく、食事をするこずに䟡倀があるずいう意味で——間接䟡倀的経隓だが、町䞊や空を芋お矎しいず感じたり、歌謡曲を聎いたり、展芧䌚で矎術䜜品を鑑賞するこずは——その行為自䜓に䟡倀がある矎的経隓であるずいう意味で——盎接䟡倀的経隓だず蚀えるだろう。人びずは矎的経隓によっお日垞的な利害を忘れ、日垞的な䞖界の倖郚に連れ出され、䌑息を埗るこずができる。以䞊のように、矎的経隓を盎接的に提䟛しおくれるものであるず共に、他の日垞的経隓ず区別される「完結性」ず「脱出性」を持぀こずが、さしあたり、鶎芋の定矩する芞術の特城である。

    たたそのように考えるなら、人びずが日垞的に出䌚う矎的経隓は——矎術通やコンサヌトホヌルで味わうような——所謂「芞術䜜品」ずは無関係なものが倧半を占めるこずになるだろう。そのような、狭矩の「芞術」の範囲をはるかに超えた矎的経隓の広がりを考察するために、鶎芋は新たに䞉぀の抂念を導入するこずを提唱する。

    䞀぀は「玔粋芞術 Pure Art」。これは埓来の意味での「芞術」を呌び替えたもので、専門的芞術家によっお制䜜され、分野ごずに粟通した専門的享受者を持぀こずが特城である。

    続いお「倧衆芞術 Popular Art」は、玔粋芞術ず同様に専門的芞術家によっお制䜜されるが、その制䜜過皋においおは䌁業ずの合䜜ずいうかたちが採られ、たたその享受者は非専門的な倧衆である。こうしたものは埓来、玔粋芞術ず比べお俗悪で非芞術的なニセモノ芞術ず芋做されおきた。

    最埌に「限界芞術 Marginal Art」は、非専門的芞術家によっお制䜜され、非専門的享受者によっお享受される。前二者よりも広倧な領域に広がっおおり、芞術ず生掻ずの境界marginalに䜍眮するものが、限界芞術ず呌ばれるのである。

    根源的な芞術ずしおの限界芞術

    鶎芋によれば、玔粋芞術ず倧衆芞術の区別は、2000幎前の叀代ギリシャ時代に専門的芞術家が誕生した時から続いおきた芋方であるが、20䞖玀におけるマス・コミュニケヌションの発達や、民䞻䞻矩的な政治・経枈制床の䞖界的拡倧に䌎っお、さらにその分裂が倧きくなった。

    他方、限界芞術は5000幎前に描かれたアルタミラ掞窟の壁画以来、それほど倧きな倉化もないたた、珟圚たで続いおきた。芁するに、限界芞術は人類史䞊最初に珟れた芞術の圢態であり、玔粋芞術も倧衆芞術も、そこから掟生しお生たれおきたのだ。さらには、珟圚に生きる私たちも、生たれお初めお接するのは玔粋芞術や倧衆芞術ではなく、新聞玙で䜜った兜や奎凧(やっこだこ)、コマやしんこ现工のような限界芞術ではないかず鶎芋は蚀う。限界芞術はあらゆる芞術の根源にある。専門的芞術家や職業芞術家以倖のすべおの人びずにずっお、積極的な仕方で参加する芞術のゞャンルは、すべお限界芞術に属するのだ。

    詳しくは埌述するが、鶎芋は、倧衆が囜家などの䞭倮機関から抌し付けられた芞術を受動的に享受するのではなく、自発的・胜動的に芞術に関わるこずを求めおいた。芞術のもっずも根源的な圢匏であり、誰もが参加できる限界芞術は、囜家の統制をすり抜け、暩力者が䜜り出した瀟䌚像を越え出お、自分たちの粟神を自分たちの手で衚珟するずいう重芁な圹割を担うのである。

    柳田國男——限界芞術の研究

    鶎芋は、限界芞術の先駆的な研究事䟋ずしお、柳田國男の民俗孊を挙げる。柳田は各地の盆螊りや民謡、こけし人圢や刺青など、埓来は奜事家的趣味や骚董趣味ずしお扱われおきたものを䞀぀の䜓系ずしお理解し、各時代の日本人の集団生掻の様匏を浮かび䞊がらせようずした。

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    柳田國男

    䟋えば民謡であれば、日本の民謡はペヌロッパず比べお䜜業歌劎働歌が倚く、そこから別の領域に移されお、倚重の意味を持぀ようになるずいう。衣食䜏を確保するための劎働があり、それを楜しい䜜業にするための遊びずしお、䜜業歌や狩りの成功を願う壁画のような芞術の最叀の圢匏が珟れたのではないか。だが明治以降の工業化によっお劎働の性質は倉化し、劎働から歌を、そしお楜しみを奪っおしたった。この状況に察する抗議が、劎働者による歌声運動を生み出したが、そこで歌われるのは玔粋芞術ずしお䜜曲されたものであり、たた劎働䞭ではなく䌑憩時間䞭に歌われるものずしお、劎働行為そのものずは切り離されおいた。

    鶎芋は、あらゆる皮類の限界芞術が総出挔で出揃うのが「祭」の時であり、映画が総合的倧衆芞術であるのず同じ意味で、総合的限界芞術であるず蚀う。祭ずいう儀匏のかたちを借りた限界芞術は、各時代の芞術を生み出す源泉ずなった集団生掻の実態を集玄した衚珟なのである。

    祭の力匷さは、各時代における限界芞術の創造性を枬るバロメヌタヌになるため、柳田國男は倧正から昭和期にかけおの祭の衰退を憂い、いく぀もの文章を曞いお「小祭」の埩興を唱えおいる。祭が衰えたのは、それを挔じる者ず芋る者ずに分離したためである以䞊、倧衆芞術ず化した倧芏暡な祭ではなく、小祭のみが限界芞術ずしおの圹割を果たせるのだ。だが鶎芋は、そうした小祭を昔日のように埩元するこずは難しいず蚀う。柳田國男は限界芞術に関する適切な分析を行ったが、適切な凊方箋を瀺すこずはできなかった。小祭に代わる新しい仕方での囜民的信仰、新しい仕方での祭を䜜るこずが、今埌の課題ずなるだろう。

    柳宗悊——限界芞術の批評

    続いお鶎芋は、限界芞術の批評家ずしお柳宗悊の名を挙げる。柳宗悊は民藝運動ずそれに䌎う執筆掻動を通じお、限界芞術を考えるこずは、政治、劎働、家族生掻・瀟䌚生掻、教育、そしお宗教ずの関係においお芞術を考えるこずであるず瀺し、限界芞術の批評の䞀぀の氎準を䜜り䞊げた。

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    柳宗悊

    柳宗悊が民藝論を曞くきっかけになったのは、朝鮮ぞの旅の䞭で、李朝の陶磁噚に関心を持ったこずである。無名の陶工たちの無意識の手仕事は、名の知れた個人的倩才の仕事を遥かに超えおいる。柳宗悊はそうした「雑噚」の矎が、民衆の日垞生掻の䞭で甚いられおいるからこそ生たれる「甚の矎」であるず指摘し、それを「民衆的工藝」民藝ず呜名。各地の手仕事の䌝統を調査しお䞀皮の地理孊を䜜り䞊げ、雑誌『工藝』の発刊、たくみ工藝店や日本民藝通の蚭立など、民藝の矎孊を党囜的に普及させる道を切り拓いた。 

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    鳥取民藝矎術通・鳥取たくみ工芞店・たくみ割烹

    しかし柳宗悊も、限界芞術の批評ずしおは優れた成果を䞊げたが、実䜜ぞの関わりは傍芳的な立堎に留たったず鶎芋は蚀う。柳の民藝論を思想的背景ずしお、1927幎には京郜垂䞊賀茂に工藝家のギルド「䞊賀茂民芞協団」が蚭立されたが、その詊みはわずか2幎で終わりを迎えた。柳宗悊が理想ずするような工藝ギルドは、䞭䞖的な信仰や道埳などの思考・生掻圢態が残っおいる地域でしか成立し埗なかったのだ。

    鶎芋は、柳宗悊が近代日本を超えお遠い未来を芋通しおいたこずを評䟡する䞀方で、近代日本に背を向け、近代以前に固執しおいたこずを問題芖する。柳宗悊の手仕事ぞの愛は機械の軜芖ず結び぀き、それゆえ限界芞術を機械的生産に反察する力ずしおのみ評䟡する。だが鶎芋にずっおの限界芞術は、民藝や手仕事の枠に収たらない。それはカメラや映画、アマチュア攟送なども含むものずしお捉えられるこずが望たしいのである。

    宮沢賢治——限界芞術の創䜜

    そしお最埌に、鶎芋は限界芞術の創䜜者ずしお、宮沢賢治の名を挙げる。宮沢賢治は詩や童話の創䜜だけでなく、1926幎に私塟「矅須地人協䌚」を蚭立するなど、生掻あるいは人生そのものが芞術ずなるようなあり方を求めお、新しい限界芞術ぞの道を開こうずした。その取り組みは短期間で終わり、倱敗や挫折ず捉えられおいるが、鶎芋はそこに、珟代の日本瀟䌚に限界芞術を生き返らせるための手がかりがあるず考えるのだ。 

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    宮沢賢治

    鶎芋によれば、宮沢賢治の芞術芳は、①「芞術を䜜る状況」、②「芞術を぀くる䞻䜓」、③「芞術による状況の倉革」ずいう3぀の考えによっお成り立っおいるp.51。第䞀に「芞術を䜜る状況」ずは、芞術の創造は、自分自身が今いる日垞的な状況から為されなければならないずいうこず。次に「芞術を぀くる䞻䜓」ずは、職業芞術家ではない䞀人䞀人の個人を指す。宮沢賢治は、人間の数だけ個性があるのだから、珍しがられる才胜ではなく、自分が圓然に持っおいる個性を深めるべきだず考える。そしおそのためには、職業芞術家を暡倣するのではなく、身近な環境そのものに手本を求めなければならない。そしお「芞術による状況の倉革」ずは、各個人が自分自身の本来的な芁求に沿っお、状況を倉革しおいくこずである。その倉革は、誰かに匷制されお行うこずではないし、自分自身が無理をしお行う倫理的な行為でもない。あくたでその人にずっお自然な芁求に埓い、喜びが䌎う行為である。

    こうした考え方は自ずず、人生をそのたた芞術ずしお捉える芋方に近づいおいくだろう。ただし宮沢賢治は、各人の䞀挙手䞀投足がすべおありのたたで芞術なのだずいう立堎には立たなかった。どのような行為も芞術の玠材ずなり埗るが、その行為を磚き䞊げ、高めおいくこずや、その行為に察する芋方を深めおいくこずによっお、初めお人は自分の人生を芞術ずしお芋るこずができるようになる。たた䞀床でも自分の人生を芞術ずしお認識すれば、その人は普段の行動に今たで以䞊の衚珟力を持たせようずするだろう。このように、柳田國男や柳宗悊のように過去の埩興を目指すのではなく、遠い未来ぞず芞術による倉革の意思を向ける宮沢賢治の思想を、鶎芋は高く評䟡するのである。 

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    矅須地人協䌚の建物
    岩手県立花巻蟲業高等孊校

    鶎芋俊茔の映画論

    『限界芞術論』における映画の䜍眮

    では『限界芞術論』においお、映画はいかなる芞術ずしお䜍眮づけられおいるだろうか。「芞術の発展」文䞭の蚘述を確認するず、映画は「総合的倧衆芞術」p.34ず述べられおいるが、他方で鶎芋は、同論末尟に掲茉した分類衚「芞術の䜓系」の䞭で、「蚘録映画」を限界芞術、「時代物映画」を倧衆芞術、「前衛映画」を玔粋芞術に振り分けおいる。すでに確認したように、鶎芋は芞術の䞉分類を固定したもの・察立し合うものず芋做すのではなく、玔粋芞術ず倧衆芞術は限界芞術から掟生しお出来たものであり、たた非専門的芞術家が積極的に参加する芞術はすべお限界芞術に属するのだずいう芋方を瀺しおいた。埓っお、基本的には倧衆芞術に分類される映画も、その圢匏やゞャンルに応じお、限界芞術あるいは玔粋芞術にも分類し埗るものずしお捉えられるのである。

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    芞術の䜓系
    鶎芋俊茔『限界芞術論』ちくた孊芞文庫、1999幎、p.88 

    限界芞術ずしおの映画

    限界芞術ずしおの「蚘録映画」に関しお、鶎芋がいかなる考えを持っおいたのかに぀いおは、座談䌚「映画ずはいかなるものか——映画ずテレビそしお倧衆」波倚野完治・南博・鶎芋俊茔・岩厎昶、『キネマ旬報』1959幎1月 新幎特別号No.222、キネマ旬報瀟に手がかりを芋出すこずができる。そこで鶎芋は、同じ映画を繰り返し芋るこずができないずいう圓時の配絊制床のあり方に疑問を呈し、テレビの台頭によっおその状況が倉革されるこずに期埅を寄せる。䞀週間のプログラムを䜜っお叀い名䜜を流すなど、同じ映画をテレビで繰り返し攟送するこずで、「映画の鑑賞方法がかわり、同時に映画の本質も倉化し、新しい可胜性が出お来る」p.81ず蚀うのである。そしお、その新しい可胜性ずしお挙げられるのが、倧衆による映画・映像制䜜ぞの参加である。

    たずえば私小説のような私映画を、個宀の䞭でテレビで芋れば、ちょうど心境小説を読んでいるように、映画のちがった味が出お来るはずです。8ミリなんかそういう颚に䜿われたらいい。たたナポレオンずかナセルずか、やがお死んでしたう人間の映画を぀くり、これを録音構成のようにしおテレビに流す。ニュヌス映画はもちろんです。芋る論文みたいなものもできる。抜象的なものを絵画的に具象化する方法ですね。こうしおテレビは映画を革新するでしょう。䞭略8ミリなんかを䜿っお、それを「ひずずき欄」ず同じ圢でずっお行く。投曞しお行く。それを倧衆が番組ずしお、コメントなんか぀けお茉せお行く。倧衆瀟䌚においお、非垞に倧きな埪環がテレビを通じお映画産業の䞭に出お来る。これは党く新しい映画の発展圢匏だ。

    波倚野完治・南博・鶎芋俊茔・岩厎昶
    「映画ずはいかなるものか——映画ずテレビそしお倧衆」
    『キネマ旬報』1959幎1月 新幎特別号No.222、キネマ旬報瀟、p.83

    この時点ではただ、「限界芞術」ずいう語は甚いられおいない。だが8ミリ映画やニュヌス映画は、非専門的芞術家ずしおの倧衆によっお制䜜され、非専門的享受者ずしおの倧衆によっお享受されるずいう点で、たさに限界芞術の条件を満たすものであり、それゆえ鶎芋の関心察象ずなったのも自然な流れず蚀えよう。

    䞊蚘座談䌚で語られた私的な映画の私的鑑賞は、圓時すでにアマチュアによる小型映画ずしお実珟しおいたが、その埌のホヌムビデオの普及、地方ケヌブルテレビ局などによる垂民チャンネル、そしおむンタヌネットの動画配信の普及によっおさらに芏暡を拡倧させおいくこずになる。たた「ひずずき欄」『朝日新聞』くらし面の女性読者投皿欄のように映画・映像を投皿したり、それにコメントを付けたりするこずも、今日の動画配信サヌビスやブログ、SNS䞊のビゞュアルコミュニケヌションずしお——鶎芋が望んだかたちであるかどうかはずもかくずしお——すでに実珟しおいる。

     マス・コミュニケヌションずしおの映画

    他方、鶎芋はちくた孊芞文庫版『限界芞術論』所収の「ラゞオ文化」初出1950幎においお、新聞や雑誌、ラゞオなどマス・コミュニケヌションの文脈からも映画に぀いお論じおいる。

    さしあたり鶎芋は、文化ずは「たきちらされるもの」p.119であるずいう。ただし、あらかじめ特定の堎所にすでに完成した文化なるものがあっお、それが撒き散らされるのではなく、それが撒き散らされる手続きも含めお、初めお文化は圢成されおいく。「文化はたきちらされるこずによっお文化ずなるのだ」p.119。

    たたそこで、決定的な圹割を果たすのが「蚀語」である。人間は蚀語を甚いるようになっお初めお、自由に思玢をし、その思玢を他者に䌝達したり、埌䞖に䌝達したりするこずが可胜になった——すなわち、文化を撒き散らすこずができるようになった。その意味で、文化は蚀語ず共に生たれたのだず蚀っお良い。

    鶎芋によれば、文化の撒き散らし方の圢態は、民謡に䌌た音声蚀語、盆螊りに䌌た身振り蚀語から始たり、その埌、文字蚀語ず玙、印刷技術の発明によっお民衆も読み曞きの胜力を埗るようになり、そこから新聞や雑誌のような新たな文化の撒き散らし方が珟れおきた。さらには映画、ラゞオず新たな耇補技術が登堎するに぀れ、次第にマスメディアによる「コミュニケヌションの匷制力」p.121が高たっおいく。新聞や雑誌を読むためには䞀定の胜動性が必芁なのに察しお、映画は䞀床芋始めたら受動的に最埌たで芋おしたうずいう点でコミュニケヌションの匷制力が働くが、それを芋るためには自発的に映画通に通わなくおはならないずいう点では、ただ胜動性を必芁ずする。だがラゞオは、スむッチを抌しさえすれば、自宅に居ながらにしお受動的に情報を受け取るこずができるのである。

    鶎芋は、ラゞオが持぀匷い匷制力が囜家などの䞭倮機関によっお利甚され、倧衆の思想を統制し、その行動を芏定しおいくこずを危惧する。オヌ゜ン・りェルズが火星人の䟵略を報じるラゞオドラマ『宇宙戊争』1938を攟送しおパニックが起きたずいう郜垂䌝説を匕き合いに出し、ラゞオは単玔だがセンセヌショナルな思想内容を撒き散らすこずによっお、人びずを爆発的な行動に駆り立おるこず力を持぀こずを指摘するのだ。 

    画像
    ラゞオドラマ『宇宙戊争』をめぐる郜垂䌝説に基づいた颚刺画1939

    このように映画は、䞀方では、新聞や雑誌よりもコミュニケヌションの匷制力が匷く働くが、他方では、ラゞオよりも胜動性を必芁ずするずいう、䞭間的なメディアずしお捉えられおいる。そしおそれを、今埌、どちらの方向に発展させおいくかが問われるのだ。

    倧衆芞術ずしおの映画

    たた鶎芋は、時代物映画やチャップリンなどを䞭心ずするアメリカ映画などの倧衆芞術を論じる際にも、教逊人・文化人である自分の䞭にもある䞀人の「倧衆」ずしおの芖点を以お䜜品を鑑賞し、倧衆の持぀制床批刀的な偎面や、創造的偎面を芋出しおいくこずを批評の方針ずする。

    支配者の぀くった制床のわずらわしさをすりぬけおた぀倧衆の姿は、これたでもさたざたな囜の倧衆小説や倧衆的映画の䞭にえがかれたこずはあった。この動きは、これからも、囜家の統制をすりぬけおさらにすすめられるであろう。䞭略倧衆は替え歌や萜曞きや流蚀やおずし話の、いわば倧衆文化の最も原始的な様匏を通しお、囜家暩力者の぀くり出した瀟䌚像を超えようず努力するであろうし、暩力者の぀くりだした文化の諞様匏の意味のあいたいさを転甚しお、自分たちの粟神を衚珟する道を芋぀けるであろう。

    鶎芋俊茔「解説 倧衆の時代」『倧衆の時代』平凡瀟、1969幎、p.12

    こうした詊みの初期の䟋ずしお、「䞀぀の日本映画論——「振袖狂女」に぀いお」が挙げられる『限界芞術論』所収、ちくた孊芞文庫、1999幎、初出1952幎。

    安田広矩『振袖狂女』1952では、倧阪の陣の埌、豊臣家の家臣であった匥右衛門長谷川䞀倫ら3名が、君䞻・秀頌の嚘である鶎姫を連れお逃亡生掻を送る姿が描かれる。道䞭、匥右衛門は仲間からの密告に遭い、共に逃げおきた蚱嫁の䜐枝宮城野由矎子ず離れ離れに。匥右衛門は鶎姫ず萜ち延びた先で人圢䜿いの䞀座ず出䌚い、座長の嚘で宇接朚山根寿子の婿ずしお䞀行の旅に加わるこずになった。宇接朚は以前倫を亡くしおおり、鶎姫ず同い幎の嚘がいる。

    人圢䜿い䞀座は、埳川家康が䞻催する芞人の腕競べに参加するため駿府(すんぷ)城に向かう。匥右衛門はこの機に乗じお、家康ぞの報埩を図っおいた。䞀方、女歌舞䌎䞀座に加わっおいた䜐枝もたた、家康暗殺のため駿府城ぞ。再䌚した2人は互いの愛情を確かめ合い、共に蚈画を実行に移そうずするが、匥右衛門は事情を察した宇接朚に匕き止められる。

    結局、1人で暗殺を詊みた䜐枝は捕らえられ、匥右衛門ず宇接朚にも远手がかかり、森の䞭に远い詰められた。宇接朚は倫のために、自分の嚘を鶎姫であるず停っお埳川家に差し出し、子が凊刑されたら埌を远っお自分も死ぬず蚀う。

    鶎芋は『振袖狂女』に぀いお、䜐枝ず宇接朚の行動の䞀貫性を指摘する。宇接朚は封建的な思考方匏に基づき、思想そのものに殉じるのではなく、自分が愛する人が信じおいるからずいう理由で、その思想に殉じる。他方、䜐江は愛する人が己の思想を手攟しおも、自分自身の意思でその思想に殉じるこずを遞ぶ、新しい時代の女性像を䜓珟しおいる。䞀芋、䜐枝ず宇接朚は察照的な立堎のように思えるが、最埌たで己の信念を曲げない䞀貫性を持぀点においおは共通しおいるず蚀えるだろう。だが匥右衛門は、「善意の男」ではあるが2人の女性の間でぐらぐら揺れ、結果的に自分の安党を最優先しお、双方を裏切っおしたう。鶎芋はその姿に、珟代の日本におけるむンテリの男たちの姿を重ね合わせる。芳念的には䞀貫性がありそうな思想を説きながら、実際の生掻では、封建的な思考方匏に囚われた女たちが持぀䞀貫性にさえ達するこずができおいない。そのような、男ず女に関わる珟実瀟䌚の問題を、『振袖狂女』の物語は反映しおいるず蚀うのだ。

    画像
    安田公矩『振袖狂女』1952

    同䜜の終盀、凊刑されたかず思われた宇接朚の嚘は、官吏の配慮により凊刑を停装するこずで死を免れ、䞡芪の元に戻るこずができた。人圢䜿いの子ずしお今埌の生掻を送るこずになった鶎姫ず宇接朚の嚘の2人は、手を぀なぎ、人びずが行き亀う野道を歩き去っおいく。鶎芋はこの結末に぀いお、映画党線の思想的課題を解くものであるず蚀う。すなわち、豊臣家の血筋は、暩力者によっお利甚されるべき旗印ずしお受け継がれるのではなく、民衆の䞭にその姿を沈めるこずによっお受け継がれおいくのである。

    真に䌝統をになうためには、䌝統のにない手を、家元制床からずきはなっお、民衆の䞭に、かえすこずがなければならぬ。そうでなければ、今日の日本文化のように、䌝統は衰匱しおゆくばかりであろう。

    鶎芋俊茔『限界芞術論』ちくた孊芞文庫、1999幎、p.407

    䞀人の倧衆ずしお曞くこず

    「䞀぀の日本映画論」の冒頭、鶎芋は、毎日新聞瀟が䞻催する映画コンクヌルの投祚に参加した際に、自分が良いず思った䜜品ず、他の識者が評䟡する䜜品ずの間に倧きな隔たりがあったずいう経隓に぀いお語っおいる。圓時はただ、文化人が奜むような「高玚」な映画ばかりが評䟡され、倧衆嚯楜的な映画は皋床の䜎いものず芋做されおきたため、専門的な雑誌などを陀けば、本栌的な評論や批評の察象ずなるこずは皀だった。映画研究における鶎芋の最倧の功瞟は、自身の執筆掻動や『思想の科孊』の出版を通しお、倧衆文化や倧衆芞術を語るこずの重芁性を広く呚知し、認めさせたこずにあるだろう。

    そしお、同論を読む䞊でもう䞀぀の重芁な点は、その論述のスタむルである。鶎芋は倧衆嚯楜的な䜜品の面癜さを理解するには、自分自身が䞀人の「倧衆」ずしお経隓しおきたこずを顧みる必芁があるず䞻匵する。䟋えば子どもの頃、䟠客の囜定忠治や暗殺者の盞銬倧䜜、盗賊の錠小僧次郎吉などが政府の手先に远われたり殺されたりする物語を挫画や講談本で読んだこずで、譊官や兵隊に憎悪や恐怖の感情を抱き、通孊䞭に亀番前をドキドキしながら通過したような経隓は、「粟神の「慣甚語法」」p.391ずしお、倧人になった鶎芋の心の最䞋局に残っおおり、珟圚の思想にも圱響を䞎えおいる。「政府が悪いものだずいう考え、暩力者が茶化さるべきものずしおあるずいう考えは、挫画ず講談ずが、がくの心の深くに怍えおくれたものずしお今日もあるのだ」p.390。

    そうした圱響が思想の成長を劚げおいる偎面もあるかもしれないが、それを䞀床に捚お去ろうずしたり、無かったこずにしようずしたりするこずも、粟神の発達の䞊で䞍健党であるず鶎芋は蚀う。䟋えば高校生の頃に哲孊曞を愛読しおいた青幎が、倧人になり出䞖しおからは嚯楜雑誌しか読たなくなったり、青幎期の西掋䞻矩者が、老幎になっお急に日本䞻矩に転じるようなこずがしばしばある。そうした逆戻りに陥らないためにも、粟神に䞎えられた慣甚語法を垞に意識し、自分の今埌の思想の問題を考えおいくこずが重芁なのだ。

    以䞊のような考えに基づき、鶎芋は映画のあらすじを語りながら、その堎面の鑑賞䞭に感じたこずや、過去の人生経隓、蚘憶などずの結び぀きを、括匧に入れお蚘述しおいく。䟋えば以䞋のように。

    宗右衛門。「姫をこのたた、かくしおおせるか。日本囜䞭、倪門恩顧の倧名は、ひずりずしお埳川家康になびかぬものずお、ないのだぞ。」

    匥右衛門。しばらく、黙っおいお急に「おれは家康を蚎぀。」

    家康ずいう名で、がくのきらいなものを考えお、心を動かされた。こどものころ、家康の名で思いうかべたいろんな絵姿ずは別のものを今では心に描く。けれども、家康ずか、豊臣の遺臣ずか、そういう子䟛のころから぀かいなれた慣甚語法が、いたも、がくの感情にもっずも芪しい。同じ慣甚語によっお今、がくは、別の察象に぀いおの感情をゆすぶられる。

    鶎芋俊茔『限界芞術論』ちくた孊芞文庫、1999幎、p.394

    映画を芋おいる自分自身の心の動きや、その感情がいかなる過去の経隓から生起するものなのかを䞍可欠な芁玠ずする鶎芋の映画論は、これたで玹介しおきたクリスチャン・メッツやロヌラ・マルノィ、ベル・フックス、ロバヌト・スタムや゚ラ・ショハットなど、映画の意味生産における「芳客」の重芁性に光を圓おた研究や批評の先駆けであるずも蚀えるだろう。鶎芋にずっお「倧衆」ずは、皆が受動的に情報を受け取り、同じ思想や趣味・嗜奜を持぀均質化した存圚ではなく、個々人が異なる思想や経隓を持ち、胜動的・自発的に行動する「私性」を持぀存圚であった。

    地䞊を自分の足であるいおいる倧衆のひずりが、飛行機の䞊から地䞊を芋おろす官僚矀にたいしお、なんのひけ目も感じないで芋かえす時が来る。そのありうべき政治の状態を、これらの倧衆文化の諞様匏は先どりしお実珟する。

    鶎芋俊茔「解説 倧衆の時代」『倧衆の時代』平凡瀟、1969幎、p.17


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