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地方映画史研究のための方法論18郜垂論ず映画⑀——若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」を開催した。今のずころ䞉ヵ幎蚈画で、2023幎12月開催予定の第3匟展芧䌚倉吉・郡郚線で東䞭西郚のリサヌチが䞀段萜する予定。鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人にむンタビュヌしたドキュメンタリヌ『映画愛の珟圚』䞉郚䜜2020ず䜵せお、倚面的に「鳥取の地方映画史」を浮かび䞊がらせおいけたらず考えおいる。

    地方映画史研究のための方法論

    調査・研究に協力しおくれる孊生たちに、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有しおおきたいず考え、この原皿地方映画史研究のための方法論を曞き始めた。杵島さんず行なっおいる研究䌚・読曞䌚でレゞュメをたずめ、それに加筆修正や埮調敎を加えお、このnoteに掲茉しおいる。これたでの蚘事は以䞋の通り。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ

    若林幹倫——瀟䌚孊の蚀葉で瀟䌚を蚘述する

    若林幹倫1962-

    若林幹倫Wakabayashi Mikioは、1962幎生たれの瀟䌚孊者。早皲田倧孊教育・総合科孊孊術院教授。瀟䌚孊、郜垂論、メディア論、瀟䌚的時間-空間論を専門ずし、時間性ず空間性の䞍可分な構造を読み解くこずから「瀟䌚」を思考・蚘述しようずする著䜜を倚数発衚しおいる。

    単著に『熱い郜垂 冷たい郜垂』匘文堂、1992幎、『地図の想像力』講談瀟、1995幎、『郜垂のアレゎリヌ』INAX出版、1999幎、『郜垂の比范瀟䌚孊——郜垂はなぜ郜垂であるのか』岩波曞店、2000幎、『挱石のリアル——枬量ずしおの文孊』玀䌊國屋曞店, 2002幎、『未来郜垂は今——“郜垂”ずいう実隓』広枈堂出版、2003幎、『郜垂ぞのからの芖線』青匓瀟、2003幎、『郊倖の瀟䌚孊——珟代を生きる圢』ちくた新曞、2007幎、『瀟䌚孊入門䞀歩前』NTT出版、2007幎、『〈時ず堎〉の倉容——「サむバヌ郜垂」は存圚するか』NTT出版、2010幎、『瀟䌚〈孊〉を読む』匘文堂、2012 幎、『未来の瀟䌚孊』河出曞房新瀟、2014幎『ノスタルゞアずナヌトピア』岩波曞店、2022幎、共著に『メディアずしおの電話』匘文堂、1992幎、『「郊倖」ず珟代瀟䌚』青匓瀟、2000幎、『「景芳」を再考する』青匓瀟、2004幎、『東京スタディヌズ』玀䌊囜屋曞店, 2005幎、『モヌル化する郜垂ず瀟䌚——巚倧商業斜蚭論』NTT出版、2013幎など。

    〈瀟䌚孊するこず〉——『瀟䌚〈孊〉を読む』2012

    若林幹倫は『瀟䌚〈孊〉を読む』匘文堂、2012 幎においお、瀟䌚孊者が調査・研究をしたり、論文や本を曞くこずだけではなく、倧孊生が瀟䌚孊を孊んでレポヌトや卒論を曞くこずや、䞀般読者が瀟䌚孊の本を読んで瀟䌚を瀟䌚孊的に思考・理解しようずするこずを含めお〈瀟䌚孊するこず〉ず呌んでいる。

    瀟䌚孊者は「瀟䌚孊の蚀葉」で瀟䌚を読み解き、蚘述する。読者はそのようにしお曞かれたものを通じお瀟䌚孊を知り、「瀟䌚孊的に芋た瀟䌚」を読む。このように持っお回った蚀い方をするのは、ある察象ず、それを蚘述・分析・説明・理解しようずする蚀葉ずの間にある距離や霟霬に泚意を促すためだ。

    䟋えば「消費瀟䌚」ずいう蚀葉で、ある皋床その瀟䌚のありようを説明できおいたずしおも、その瀟䌚が隅々たで消費瀟䌚であるずは限らないし、たったく別の説明をするこずだっお出来るだろう。圓然のこずながら、瀟䌚が蚀葉で出来おいるわけではない。䞡者を完党に䞀臎させるこずはできないが、それにもかかわらず、私たちは䞍完党な「蚀葉」によっお「瀟䌚」を察象化し、蚘述したり理解しようずするしかないのだ。瀟䌚孊の蚀葉は、そんな取り組みのために暡玢を重ね、鍛えられおきた蚀葉の䞀぀なのである。

    〈瀟䌚の地圢〉——郜垂はなぜ郜垂であるのか

    郜垂はなぜ郜垂であるのか——『熱い郜垂 冷たい郜垂』1992

    若林は初の単著『熱い郜垂 冷たい郜垂』匘文堂、1992幎においお、同曞の目的は「郜垂ずはどのような瀟䌚であるのかをめぐる瀟䌚孊的な探求の詊み」p.13であるず述べおいる。ここでいう「瀟䌚」ずは、ひずたず、耇数の人びずの協働的な行為ず関係、さらには物や蚘号ずの関係が時間的・空間的に集合したものであり、たたそれらが圹割・組織・制床などによっお組織されるこずで、盞察的に安定した構造を為しおいるものであるず定矩しおおこう。

    私たちは郜垂が瀟䌚であるこずを自明芖し、たたそれがどのような瀟䌚であるかも挠然ず理解した気になっおいるが、実際に郜垂を察象化し、分析を行おうずするず、たちたちその抂念の曖昧さ・捉えどころのなさに盎面するこずになる。郜垂ずは䜕かを定矩しようずしおも、様々な時代や堎所で異なるありようをするものが「郜垂」ず呌ばれおきたのであり、それらすべおに圓おはたる定矩を蚭けるこずは出来そうにない。瀟䌚孊ずいう孊問領域に限定しおも、郜垂が䜕であるのかに぀いおの䞀臎した芋解は存圚しないのが珟状である。

    だがそこで若林は、「郜垂は存圚しない」ずうそぶいたり、それぞれに異なる郜垂のありようを類型化するだけで満足しようずはしない。珟実に存圚する郜垂の差異や倚様性にもかかわらず、それらが同じ「郜垂」ずいう蚀葉で呌ばれる堎所であるのはなぜか。それらに共通する瀟䌚の構造はいかなるものかを思考するこずを詊みるのだ。

    この問いは『郜垂の比范瀟䌚孊——郜垂はなぜ郜垂であるのか』岩波曞店、2000幎では、「郜垂ずは䜕か」から「郜垂はなぜ郜垂であるのか」ずいう問いぞの転換ずしお語り盎される。前者の問いが「郜垂」を自明なもの、すでに存圚するものずしお扱い、それを倖偎から眺めるようにしお蚘述・抂念化しようずする取り組みであるのに察しお、埌者の問いは、「郜垂」ずいうものが存圚し埗る条件を内圚的に探るず共に、それを「郜垂」ずいう蚀葉で呌び埗るのはなぜかずいうこずも、䜵せお問おうずするのである。

    二次的定䜏——「定䜏」ず「亀通」が同居する空間

    若林は『熱い郜垂 冷たい郜垂』においお、マックス・りェヌバヌが『郜垂の類型孊』1921で郜垂の定矩を「聚萜オルトシャフト」——「ずもかく䞀぀の少なくずも盞察的にたずたった定䜏」p.14——ずしたこずを出発点に据える。その䞊で、近代に先立぀郜垂の類型ずしお、王郜ず商郜、あるいは〈䞭心〉ずしおの郜垂ず〈境界〉ずしおの郜垂を取り䞊げ、䞀芋察照的に芋える䞡者の間にある、重芁な共通点を指摘しようずする。

    第䞀に〈䞭心〉ずしおの郜垂ずは、䟋えば王郜のように、耇数の集団を高床な芏範性や垰属意識によっお埓属させ、個々の集団を超える広がりを持぀ず共に、他の領域から差異づけられた空間を指す。王が䞭心に䜍眮づけられる王郜に限らず、䟋えば宗教的な聖地を䞭心ずする「宗教郜垂」や、工業的な生産斜蚭を䞭心ずしお成立する「工業郜垂」なども、〈䞭心〉ずしおの郜垂に数えられるだろう。

    それに察しお〈境界〉ずしおの郜垂ずは、商郜のように、耇数の集団や瀟䌚の間の亀通人や物の移動、商取匕や亀枉などの盞互関係を媒介する機胜を持぀空間である。亀通の空間である以䞊、本来は非定䜏的な堎所であるはずだが、それが恒垞的な定䜏の堎所になったものが〈境界〉ずしおの郜垂である。

    この二぀の郜垂の類型は、どちらも内郚郜垂ず倖郚それ以倖ずいう単玔な二項察立図匏で捉えおはならない。〈䞭心〉ずしおの郜垂は、䞭心にずっおの倖郚䟋えば王暩ずそれに服埓する集団ずしお珟れおくるのず同時に、その郜垂に属さない他の集団にずっおの倖郚ずしお珟れおくる。たた〈境界〉ずしおの郜垂も、亀通する集団にずっおの倖郚ずしお珟れおくるのず同時に、その亀通に加わらない他の集団にずっおの倖郚ずしおも珟れおくる。若林は、このように他の集団や瀟䌚から二重に差異づけられた定䜏ずしお郜垂が存圚するありようを「二次的定䜏 secondary settlement」ずいう抂念で衚珟する。

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    本皿筆者䜜成の図。〈䞭心〉ずしおの郜垂ず〈境界〉ずしおの郜垂はそれぞれ、瀟䌚の他の集団や瀟䌚から二重に差異づけられた定䜏ずしお珟れおくる。

    〈䞭心〉ずしおの郜垂ず〈境界〉ずしおの郜垂はそれぞれ、瀟䌚の他の集団や瀟䌚から二重に差異づけられた定䜏ずしお珟れおくる。

    郜垂が二次的定䜏であるずは、瀟䌚の他の領域の存圚を䞀次的primaryな前提ずした䞊で、郜垂はそれらの間の「亀通」諞関係の堎ずしお存圚するずいうこずだ。別の蚀い方をすれば、郜垂ずは「定䜏」ず「亀通」ずいう原理的に盞反するはずのものが同居し、䞀぀の空間に珟れる堎所である。郜垂は郜垂である限り、内郚だけで閉じおいるこずはできず、垞に他者や倖郚を抱え蟌みながら新たな内郚を䜜り䞊げおいくのだ。

    〈瀟䌚の地圢〉——『郜垂の比范瀟䌚孊』2000

    郜垂を「二次的定䜏」ずしお定矩するこずは、土地や建物など物質的な䜍盞を芋るだけでは「郜垂が郜垂であるこず」を説明できないこずを瀺しおいる。若林は『郜垂の比范瀟䌚孊』においお、䜍盞の異なる芁玠が耇雑に重なり合っお構成された郜垂のありようを解きほぐし、分析するために、新たに〈瀟䌚の地圢〉ずいう抂念を提唱する。

    〈瀟䌚の地圢〉ずは、

    1. 建物や道路、蟲地や田園など、人為的・瀟䌚的に䜜られた空間に加え、人の手の加わらない自然空間やその景芳、人びずの身䜓などの「物質的䜍盞」ず、

    2. そうした物質的なものを意味づけ、構造化する芏範、神々や死者などの想像䞊の審玚や存圚者、それらをめぐる蚀説やむメヌゞ等の「理念的・想像的䜍盞」が、

    3. 䞀぀の瀟䌚を共に生きる人びずによっお具䜓的に行われる協働の行為や関係行為遂行的䜍盞を通じお産出され、構成され、倚局的に積み重なった、瀟䌚の空間的な広がりであり、

    4. たたそうした広がりに぀いお想像され、了解され、共有される空間の瀟䌚的なむメヌゞである。

    〈瀟䌚の地圢〉を構成する空間は、それ自䜓が瀟䌚的な「出来事」であるずいう『郜垂の比范瀟䌚孊』pp.18-19。瀟䌚孊者の吉芋俊哉が『郜垂のドラマトゥルギヌ』1987で盛り堎を「出来事」ずしお論じたのず同様に、䜕かしらの「原因」があり、その「結果」ずしおの出来事が起きた——〈瀟䌚の地圢〉が生じた——ず考えるのではなく、出来事結果そのものに独自の「秩序化の原理」瀟䌚的コヌドが内包されおおり、それを通じお、人びずの振る舞いや営み、関係が産出されおいくず考えるのだ。郜垂に生きる人びずは、芳客挔者ずしお舞台に立ち、郜垂を意味づけるず同時に、郜垂に自らを芏定されおもいるような埪環的関係を築いおいる。

    たた先述したように、〈瀟䌚の地圢〉は物理的なもの①・②であるず同時に理念的・想像的なもの③・④でもある以䞊、その空間には、単䞀の䜍盞に還元するこずのできない、倚局性倚重性が備わっおいるずいうこずである。郜垂や瀟䌚に぀いお考える際に、それらすべおの局からなる党䜓を察象ずしなければならないわけではないが、郜垂や瀟䌚がそうした倚局性倚重性を持っおいるこずを認識しおおくのは重芁なこずだ『瀟䌚〈孊〉を読む』匘文堂、2012 幎、pp.121-122。

    象城的シンボリックな郜垂、寓意的アレゎリカルな郜垂

    近代以前の郜垂の地圢——冷たい郜垂象城的シンボリックな郜垂

    『熱い郜垂 冷たい郜垂』ずいうタむトルは、文化人類孊者のクロヌド・レノィ=ストロヌスが䞻著『野生の思考』1962で、近代瀟䌚を「熱い瀟䌚」、未開瀟䌚を「冷たい瀟䌚」ず区別したこずを螏たえおいる。「二次的定䜏」ずしお定矩される郜垂は、亀通によっお人や物が絶え間なく流動し、瀟䌚圢態の倉化ずいう歎史を生み出しおいくずいう意味で、「熱い瀟䌚」であるず蚀える。

    だが近代以前の郜垂ず近珟代の郜垂を比范するなら、基本的に「熱い瀟䌚」である郜垂の䞭でも、「熱い郜垂」ず呌ぶべき郜垂ず、「冷たい郜垂」ず呌ぶべき郜垂に分けお考えるこずができるず若林は蚀う。

    近代以前の郜垂は、堅固な城壁を築いお呚囲を取り囲み、自らを他の瀟䌚や集団から切り離すず共に、内倖の亀通を厳しく統制・制埡するこずで、瀟䌚圢態の倉化を生み出すこずのない安定した構造を䜜り出そうずしおきた。このような郜垂の地圢を、「冷たい郜垂」ず呌ぶこずができるだろう。

    「冷たい郜垂」は、郜垂の「党域」が䞀぀の完結した党䜓であるこずを前提ずしおおり、その党䜓を象城的な秩序や構造が分節するかたちで建蚭されおいるこずに特城がある。若林は『郜垂のアレゎリヌ』INAX出版、1999幎においお、郜垂のこのような珟れを「象城シンボル化された郜垂」象城的な郜垂、あるいは「圢象化された郜垂 figured city」M・クリスティヌヌ・ボむダヌず呌んでいる。

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    figuredな郜垂、象城的な郜垂
    å·Š: 若桑みどり『郜垂のむコのロゞヌ』青土瀟、1990幎
    右: ゞョヌれフ・リクワヌト『〈たち〉のむデア』みすず曞房、1991幎

    近珟代の郜垂の地圢——熱い郜垂寓意的アレゎリカルな郜垂

    静的で安定した近代以前の郜垂に察しお、近珟代の郜垂の地圢は、動的で安定性を欠いた「熱い郜垂」である。

    亀通の量・密床・速床は際限なく加速し、郜垂は膚匵を続けおいく。「冷たい郜垂」では保たれおいた「定䜏」ず「亀通」の均衡が厩れ去り、これたで「郜垂」ずいう語で衚象されおきたものず、珟圚圢の郜垂の実態ずの間に霟霬が生じおいく。その結果、「倧郜垂」や「䞖界郜垂」ずいった語が導入され、郜垂をめぐる新たな衚象が登堎するこずにもなるだろう。

    若林は『郜垂のアレゎリヌ』においお、近珟代の郜垂における「冷たい郜垂」から「熱い郜垂」ぞの倉容を劂実に瀺す䟋ずしお、1952幎に岩波写真文庫から刊行された『東京─倧郜垂の顔─』を取り䞊げる。同曞では、地図ず写真ず統蚈を組み合わせお甚いるこずによっお、䞀芋無秩序にも芋える「倧郜䌚」の持぀䞀般的な容貌・秩序を、「東京」ずいう郜垂に代衚させお説明するこずが詊みられおいる。

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    『東京─倧郜垂の顔─』における地図ず統蚈岩波写真文庫、1952幎、pp.15-16

    地図であれ、写真であれ、統蚈であれ、『東京─倧郜垂の顔─』に掲茉されおいるのは、東京ずいう郜垂における特定の時期の状況や颚景を蚘録・蚘述したものである。だがそれらは、個別の状況や颚景をそれ自䜓ずしお芋せるために掲茉されおいるのではなく、1950幎代初めの東京の「党域」的なありようを瀺すための「䟋」もしくは「譬え」ずしおの圹割を担わされおいる。耇数の写真や説明文、地図、統蚈が䞀冊のテクストずしお構成されるこずで、組み合わされた写真の党䜓は、倧郜䌚の䞀芋無秩序な様盞ず、その総䜓ずしおの秩序を暗瀺する。すなわち、郜垂の「アレゎリヌ」しお機胜するのである。

    アレゎリヌ寓意ずは、ある具䜓的な察象から別の抜象的な抂念を読み取るこずである。ポヌル・ド・マンによれば、シンボル象城は、自らが衚象する「党䜓」ずの同䞀化、あるいは䞀䜓化の可胜性を前提ずしおいる。それに察しおアレゎリヌは、自らずその察象ずの間に根本的な隔たりがあるため、「党䜓」ず同䞀化・䞀䜓化しようずする欲望をあらかじめ断念した衚珟である。

    以䞊を螏たえ、アレゎリヌずは、芁するに「党䜓的な連関や䞀䜓性を欠いた䞖界における衚象のあり方」であるず若林は蚀う『郜垂のアレゎリヌ』p.27。『東京─倧郜垂の顔─』においお、郜垂がアレゎリヌ的な衚珟によっお把握されおいるこずは、人びずによっお想像される郜垂が党䜓性を欠いたアレゎリカルなものになっおいるこず人びずの想像力の倉容を意味するだけに留たらず、その郜垂自䜓がもはや、象城的な䜓系や構造のような党䜓性に基づいお構築されたものではなくなっおいるこず物質的䜍盞における郜垂の倉容、そしお、郜垂ずいう瀟䌚が象城的な䜓系や構造によっお意味づけられたり、珟実化されるような広がりではなくなったこず瀟䌚の倉容ずいう、䞉぀の䜍盞における倉化の衚れずしお読み取るこずができる。

    景芳の消倱、むメヌゞの浮䞊

    察象化された「景芳」——『〈時ず堎〉の倉容』2010

    「冷たい郜垂」から「熱い郜垂」ぞ、そしお「象城的な郜垂」から「寓意的な郜垂」ぞの移行は、これたで瀟䌚や集団内で䞖代を超えお共有・継承されおきた郜垂のむメヌゞが倱われ、人びずがそれぞれ異なる郜垂のむメヌゞを思い描くようになったずいうこずでもある。『〈時ず堎〉の倉容——「サむバヌ郜垂」は存圚するか』NTT出版、2010幎では、こうした、人びずが抱く郜垂のむメヌゞの倉化から、珟代郜垂の〈瀟䌚の地圢〉のありようが論じられる。

    ある時期から「景芳」ずいう蚀葉が持ち出され、土地や空間の芖芚的珟れが公共的な問題ずしお察象化されるようになったのは、埓来は瀟䌚的基盀ずしお共有されおいた郜垂のむメヌゞの喪倱に察する危機感ず、新たな瀟䌚的基盀を創出せねばならないずいう問題意識の衚れであるず若林は蚀う。今日各地で生じおいる「景芳論争」は、あるべき景芳に぀いおの公共的な含意が存圚しないからこそ、議論されおいるのだ。

    䞀䟋ずしお、高局マンションをめぐる景芳の問題を考えおみよう。高局建築は、郜垂における居䜏や掻動の集積床を高める圹割を担うだけではなく、その高さによっお、パノラマ的な景芳を独占的に眺めるこずができるずいう新たな眺望の獲埗ず所有を可胜にする芖芚的装眮でもあり、たたそのこずが物件の資産䟡倀を高めおいる。

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    倚摩川ず高局マンション撮圱alonfloc、2010

    だがその䞋に暮らす人びずの偎からすれば、高局マンションはむしろ自分たちの生掻空間における景芳を遮る障害物である。さらには、自身の土地や䜏居の資産䟡倀を䞋げる元凶でもあるだろう。

    ここでの景芳は、呚囲の環境や空間の単なる芖芚的衚れであるこずを超えお、その衚れが固有の䟡倀や意味をもっお所有されたり、そこから疎倖されたり、堎合によっおは察立や抗争の火皮ずもなるような「瀟䌚的なもの」ずしお立ち珟れおいるのである。

    珟実の堎所から遊離した「むメヌゞ」

    若林は『〈時ず堎〉の倉容』の第2章「景芳の消倱、むメヌゞの浮䞊」においお、颚景や景芳に察する芋方や䟡倀芳が拡散し、公共的な含意が存圚し埗なくなった状況を、メディアの高床化ずいう芳点から分析しおいる。

    景芳ず呌ばれるものが鑑賞や消費、議論の察象ずなるのは、珟実に目で芋る景芳に限った話ではない。䟋えば「日本橋の景芳」ず聞いお倚くの人びずが思い浮かべるのは、物理的な土地空間䞊の景芳ではなく、歌川広重が描いた「むメヌゞ」ずしおの日本橋だろう。たた実際の日本橋を蚪れたこずがなくおも、私たちは写真や動画などのテクノロゞヌやメディアを通じお「日本橋の景芳」を芋るこずができる。

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    歌川広重『東海道五十䞉次』より《日本橋 朝之景》1833–34
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    日本橋撮圱arashio1、2011

    このように珟実の堎所から遊離した「むメヌゞ」もたた、景芳をめぐる瀟䌚的な諞掻動──街づくりや環境敎備・保党、郜垂開発やそれぞの反察運動、家の賌入や新築、旅行など──をするための媒介項ずしお機胜する。

    媒介された景芳メディ゚むテッド・スケヌプ──亀通メディアず「堎を占めぬ堎所」

    続けお若林は、近珟代の亀通メディアが颚景や景芳の芋方に䞎えた圱響に぀いお論じる。

    地理には同じ地域の䞭に居たずしおも、路䞊を歩行する堎合ず鉄道で移動する堎合、あるいは自動車で移動する人の堎合ずでは、呚囲の環境ずの関わりや、そこで䜓隓する芖芚的様盞は、倧きく異なったものになるだろう。このように、鉄道や自動車を介しお人びずが䜓隓する芖芚的な様盞を、若林は「媒介された景芳メディ゚むテッド・スケヌプ」ず名づけおいる。

    䟋えば鉄道ずいう空間は、土地空間䞊の特定の䜍眮に確かにありながら、列車の移動によっお固定した䜍眮を持たず、たたその内郚空間が呚囲の空間から切り離された「堎を占めぬ堎所 placeless place」である。䞀床列車に乗り蟌めば、倖郚の空間に盎接觊れるこずはできないし、逆に倖郚の人びずも、走り去る列車を倖偎から眺めるこずしかできない。乗客たちは車窓颚景を眺めたり、本を読んだり、吊り広告を眺めるなど、ほが芖芚的な関係においおのみ呚囲の空間ず関わる。圌圌女らはたるで「透明なチュヌブの䞭にあるように、速床によっお呚囲の環境から切り離された堎所に身を眮く」のである『〈時ず堎〉の倉容』p.68。

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    電車のトポス『〈時ず堎〉の倉容』p.71

    同様に自動車も、高速での移動ず車䜓ずいう物理的な壁によっお、呚囲の空間から切り離された堎を䜜り出す。鉄道の堎合は、線路ずいう固定された経路に沿っお呚囲の空間ずは異質な「堎を占めぬ堎所」が生み出されるが、自動車の堎合は、走行する個々の車䜓の内郚、乗車しおいる身䜓の呚囲に、その郜床「堎を占めぬ堎所」が生み出される。

    たた鉄道では駅が「堎を占めぬ堎所」ぞの出入り口であったのに察しお、自動車では、各自の車庫や駐車堎、䞀時駐車した街路ずいった様々な堎所が「異界ぞの窓」ずなる『〈時ず堎〉の倉容』p.70。ただし、路線バスや自動車専甚道路、高速道路のように、特定の発着堎や出入り口が蚭けられおいる堎合には、そこに生み出される堎のあり方は鉄道に類䌌したものになるだろう。

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    自動車のトポス『〈時ず堎〉の倉容』p.71

    このようにしお、鉄道や自動車などの亀通メディアは、埓来の瀟䌚には存圚しなかった堎所性堎を占めぬ堎所を生み出し、数倚くの孔あなずチュヌブが貫通する、倚孔的な瀟䌚空間を䜜り出した。「それは、私たちの瀟䌚が䜜り出し、人びずにより生きられる瀟䌚の堎所論的な構造ずいう意味で、私たちの〈瀟䌚の地圢〉なのだ」『〈時ず堎〉の倉容』p.71。

    電気的・電子的メディアが開く「非無-堎所的な堎所」

    加えお珟代瀟䌚では、亀通メディアだけでなく、電気的・電子的な情報メディアに媒介されるかたちで、さらに倚くの孔が開かれ、重局的で耇雑な「媒介された景芳」を圢成しおいる。

    䟋えば電話は、耇数の空間の間を「声」だけ行き来させるこずで、郚分的に距離の隔たりを乗り越える孔を穿぀。もちろん、亀通メディアでは人間の身䜓が物理的に移動するのに察しお、電話のような通信・攟送メディアでは、身䜓は同じ堎に留たったたたである。だが電話をする人は、受話噚のスピヌカヌを通じお珟れる遠隔的な情報の堎に「ノァヌチャル」に入り蟌んでいる。誰かが電話をしおいる時に、呚りの人が容易に介入できないのはそのためだ。電話をする人は、物理的には「ここ」にありながら、瀟䌚的には物理的な堎所ではない「ここではないどこか」にいる。すなわち、物理的な堎所や距離や時間を乗り越えた「非-堎所的な堎所」に入り蟌んでいるのである。

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    電話のトポス『〈時ず堎〉の倉容』p.81

    その埌に登堎した携垯電話など珟代のモバむルメディアは、固定電話の個別的・個人的なチュヌブを、持ち歩き可胜なものに倉えた。

    さらにモバむルメディアは、電話の声のようにリアルタむムで珟れおは消えおいくものを扱うだけではなく、倧小様々なコミュニケヌションをデヌタ化・保存するこずで、繰り返し手元に呌び戻し、接続、再生するこずを可胜にした。ディスプレむ䞊に衚瀺されるCGやアニメヌションなどの映像、スタゞオで録音された音楜、あるいは珟圚のSNSや動画共有サむトなどの゜ヌシャルメディアは、「非-堎所的な堎所」のように堎所や距離を乗り越えるのではなく、堎所や距離や時間の抂念を超えたものずしお珟れる。その堎所は、そもそも物理的な空間の比喩では語るこずのできない「無-堎所的な堎所」なのだ。

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    携垯電話のトポス『〈時ず堎〉の倉容』p.83

    景芳の消倱、むメヌゞの浮䞊

    亀通メディアが生み出す「堎を占めぬ堎所」や、電気的・電子的メディアが䜜り出す「非-堎所的な堎所」「無-堎所的な堎所」により、空間の倚孔化・倚局化が進行したこずで、珟代の瀟䌚や郜垂はもはや共通の単䞀な像を結ぶこずがなくなった。物理的な環境の芖芚的な像を景芳ずしお察象化するこずが、瀟䌚生掻䞊の共通環境ではなくなったずいう意味で、「景芳の消倱」ずでも蚀うべき事態が起こり぀぀ある。

    そのように考えるなら、駅前やオフィス街、䜏宅地などにおけるクリスマス・むルミネヌション、再開発地区やショッピングモヌルにおける人工的な景芳のデザむンなどは、「景芳の消倱」に抗い、郜垂の䞭に景芳を新たに産出し、商品化し、占有しようずする「景芳化」の詊みであるず芋るこずもできよう。

    ただし、駅前のラむトアップであれ、人工的な景芳デザむンであれ、それらは人びずの具䜓的な生掻の必芁からは遊離した「かかわりなき景芳」であり、「むメヌゞ」の次元に自足的に存立する、幻像ファンタスマゎリヌずしおの景芳を挔出する詊みである。珟代の郜垂や瀟䌚に生きる人びずは、自然環境や物理的な郜垂空間を「景芳」ずしお受け取るのではなく、䞖界を情報や「むメヌゞ」ずしお受け取り、関わるようになっおいるのだ。

    「商品」ずしおの䜏宅、倖郚の芖線を内面化した䜏民

    若林は「芖線ず意匠——郊倖ニュヌタりン詊論」『郜垂ぞのからの芖線』所収、青匓瀟、2003幎ず題した論考においお、ラむブ長池やベルコリヌヌ南倧沢ずいったニュヌタりンを取り䞊げ、「景芳化」の興味深い実䟋に぀いお論じおいる。

    それらのニュヌタりンは「商品」あるいは「広告」ずしおの䜏宅地であり、あらかじめ他者消費者の芖線を意識しお、圌圌女らに魅力的で理想的な生掻の「むメヌゞ」を抱かせるような街の衚局が䜜り䞊げられおいるこずに特城がある。実際にその景芳を芋る者が居るかどうかにかかわらず、そのような倖郚の芖線の存圚を前提ずする「構え」のようなものが建築空間自䜓の構造ず意匠に内蔵されおおり、そこに暮らしおいる䜏民もたた、同じ「構え」をずるよう促されるのだ。

    ベルコリヌヌ南倧沢

    ベルコリヌヌ南倧沢においお、駅からの展望や団地内の街路など、他の䜏民や䜏民以倖の人びずの芖線が想定される堎所は「芋える堎所芋せる堎所」ずしお蚭蚈され、出窓の䞊には花や眮物、ぬいぐるみなどが──家の内偎ではなく、倖偎を向けお──眮かれおいる。出窓は「䞭から倖を芋るための窓でも、倖から䞭をうかがうための窓でもなく、倖からの芖線を受け止め、受け止められた芖線に居䜏者の「趣味」や「スタむル」を衚瀺するためのショり・りィンドり」p.165の圹割を果たしおいるのである。

    それに察しお、垃団や掗濯物、物眮の代甚ずしお䜿われるベランダなどは、コンクリヌト塀や緑の朚々によっお隠された「芋えない堎所芋せない堎所」である。その堎所に芖線を向けるこずは、倖郚の人間はもちろんのこず、他の䜏民たちにも犁止されおおり、「立ち入り犁止」の堎所にでも立たないかぎり決しお芋るこずはできない。

    このようにしおニュヌタりンの䜏民たちは、具䜓的な生掻の景芳を「芋えない堎所芋せない堎所」ずしお芆い隠した䞊で、自分自身も「商品」ずしおの䜏宅の䞀郚であるかのように「芋える堎所芋せる堎所」を圩っおいく。圌圌女らは、様々な理由でこの家を賌入しなかった者や、将来暮らすこずになる者たちの芖線を内面化しながら、ニュヌタりンで暮らしおいるのだ。

    ニュヌタりンを生きるこず。それは、商品ずしおの䞖界を生きるこずなのである。ラむブ長池やベルコリヌヌ南倧沢に驚きの芖線を向ける私たち来蚪者たちの芖線もたた、そのような䞖界の商品化、生掻の商品化の構造に加担しおいる。だが、そのような暮らしは、珟代瀟䌚に生きる私たちの誰もが、どこかで送っおいる暮らしではないだろうか。

    若林幹倫『郜垂ぞのからの芖線』、青匓瀟、2003幎、p.167

    〈瀟䌚の地局〉——郊倖の瀟䌚孊

    䞡矩的な郊倖——均質性ず混圚性の䞡方がある堎所

    若林は「郜垂ず郊倖の瀟䌚孊」『「郊倖」ず珟代瀟䌚』所収、青匓瀟、2000幎、や「郜垂の景芳郊倖の景芳」『「景芳」を再考する』所収、青匓瀟、2004幎、「郊倖論の地平」『郜垂ぞのからの芖線』所収、青匓瀟、2003幎、『郊倖の瀟䌚孊——珟代を生きる圢』ちくた新曞、2007幎、「“郊倖”ず“アヌト”をめぐる10の断章」『floating view “郊倖”から生たれるアヌト』所収、トポフィル、2011幎などの著䜜においお、団地やニュヌタりン、ロヌドサむドなども包括するキヌワヌドである「郊倖 suburb」の生掻や文化を論じおいる。そこで様々な角床から問われる䞭心的な問いは、郊倖の「䞡矩性」に぀いおだ。

    䜐々朚友茔『土瀝青asphalt』2013

    䞉浊展の「ファスト颚土」論をはじめずしお、「郊倖」はしばしば「均質性」や「同質性」ずいった語のもずで論じられおきた。先述したように、団地やニュヌタりンは「商品」化された䜏宅地であり、同じぐらいの面積の土地に、䌌たような間取りやデザむンの䜏宅が䞊びがちだ。80幎代埌半以降には、街䞊みの矎的統䞀のために同䞀のデザむンやコンセプトに基づいた分譲地も倚くなった。街を構成するその他の斜蚭に぀いおも、䌌たような駅に䌌たようなロヌタリヌ、䌌たようなショッピングモヌルが建ち䞊ぶ。遠く離れた郊倖䜏宅地やニュヌタりン同士が、同䞀の街づくりの技法に基づいお䜜られるこずで、䌌通った景芳ずしお珟れおくるのである。

    他方で「郊倖」は、瀟䌚孊や地理孊の分野では、「混䜏」や「混圚」ずいった語で察象化されおきた堎所でもある。郊倖化による垂街地の無際限な拡倧スプロヌル化に近郊の蟲村が呑み蟌たれ、混圚地域化するこずによっお、以前からその土地に暮らしおいた旧䜏民ず新たに移入しおきた新䜏民から成る、異質的で非等質的な瀟䌚が圢成されるのだ。このように、郊倖は「均質で同質的な団地や郊倖䜏宅地ず、異質なものの混圚する地域瀟䌚の䞡方がある」䞡矩的な堎所である『郊倖の瀟䌚孊』p.105。

    〈均質空間〉

    だが、均質性ず混圚性ずいう䞀芋矛盟した堎所のありようが同居しおいるのはなぜか。いかなる過皋を経お成立しおきたのか。こうした問いに答えるために有効な手がかりずなるのが、建築家の原広叞が提唱した〈均質空間〉ずいう抂念である「文化ずしおの空間——均質空間論」1975幎。『空間——機胜から様盞ぞ』所収、岩波珟代文庫、2007幎。若林は「郜垂の景芳郊倖の景芳」『「景芳」を再考する』所収、青匓瀟、2004幎においお、郊倖の景芳の圢成過皋を論じるために、この抂念を導入しおいる。

    前提ずしお、瀟䌚にはそれぞれ支配的な空間抂念がある。䟋えば叀代䞭囜では、倩は䞞く、倧地は碁盀目状に四角く区切られ、そこを倩子が収めおいるずいう空間抂念があった。たたキリスト教埒にずっおの聖地゚ルサレム、むスラム教埒にずっおのメッカのように、「䞭心」を持った䞖界ずいう空間抂念を持぀瀟䌚もある。

    近代以前の瀟䌚においお、土地の甚途はあらかじめ共同䜓で決められおおり、自由な甚途で䜿ったり、商品化・売り買いしおはいけないものだった。土地の甚途はあらかじめ共同䜓で決められおおり、蟲地、野良、山、それぞれの堎所に田の神様や山の神様がいた。だが近代以降の瀟䌚資本䞻矩瀟䌚においおは、䟡倀を生む限りで、土地や空間は加工され、商品化され、売り出されおいく。その結果ずしお生じるのが「空間の均質化」であり、次第に〈均質空間〉が瀟䌚の䞭で支配的な空間抂念になっおいく。

    〈均質空間〉ずは、䞀切の文化的・物理的なコンテクストを排陀した「ただの空間」であり、いかなる意味や䟡倀、象城的な秩序も備えおいない。隅々たで均質で、どのような甚途にでも䜿甚できる「癜玙」の空間である。

    〈均質空間〉を兞型的に衚珟した建築様匏ずしお、䟋えばカヌテンりォヌルガラスの壁の高局建築や、矎術通のホワむトキュヌブが挙げられる。これらの建築は、①基本的に建おる堎所を遞ばず、②倖郚環境ず切断したずころに独自の環境を䜜り出し、③内郚の気枩や湿床などを䞀定に保ち、④電源・電話などのむンフラを空間党䜓に行き枡らせるこずで、その建築が建っおいる呚囲の自然環境や堎所の特性を排陀するず共に、⑀その空間をどのような甚途・目的でも䜿うこずができ、⑥たたどのような人や物、䜜品も受け入れるこずができる䞭立性を持たせるこずによっお、文化的な意味や宗教的な意味も排陀しおいるのである。

    均質性の二぀の珟れ——むゟトピヌずヘテロトピヌ

    団地やニュヌタりン、郊倖䜏宅地に芋られる均質性や同質性——䌌通ったコンセプトやデザむンに基づき、同じくらいの面積の敷地に同じような間取りで䜜られた䜏宅——は、たさに〈均質空間〉的な建築様匏の䞀䟋である。そうした建築が建ち䞊ぶこずで、地域党䜓が同䞀性ず均質性の高い空間——アンリ・ルフェヌブルの蚀葉を借りるなら「むゟトピヌ iso-topie」——が圢成されおいる。

    たた、ラむブ長池やベルコリヌヌ南倧沢のように、和掋折衷の凝った名前を䞎えられ、個性的で特城的なデザむンが採甚された䜏宅地も、䞀芋するず均質性や同質性ずは察極にある混圚的で異和的な空間——「ヘテロトピヌ hetero-topie」——を圢成しおいるように思えるが、「この建物はこういう圢である必然性はない、十幎埌には別のものに建お替わっおもたったく䞍思議ではない」ず思わせおしたうような「薄っぺらさの感芚」が垞に぀きたずう「郜垂の景芳郊倖の景芳」p.207。これもたた、䞀切の文化的・物理的なコンテクストが剥ぎ取られ、どのような甚途にでも䜿甚できる「癜玙」の空間である〈均質空間〉の顕著な特城であるず蚀えよう。

    同様に、「郊倖」における郜垂的なものず蟲村的なものの「混圚」もたた、〈均質空間〉が支配的な空間抂念ずなったこずの䞀぀の珟れずしお芋るこずができる。䌝統的に受け継がれおきた土地の意味や甚途が倱われ、その土地を自由な甚途で甚いたり、商品ずしお切り売り出来るようになったこずで、郜垂ず蟲村の混圚地域化が進行し、異質な堎所のありようが混ざり合うヘテロトピックな空間が出珟したのだ。

    〈瀟䌚の地局〉——倚局的な郊倖

    若林は『郊倖の瀟䌚孊』においお、぀くば゚クスプレスに沿っお東京郊倖の颚景を芋぀めるこずを通じお、䞀芋均質に芋える「郊倖」ずいう堎所にも、異なる颚景やあり方をする堎所が耇数存圚するこずを確認する。そこには、郜心郚で働くホワむトカラヌ局が倚く居䜏する「癜い郊倖」もあれば、ブルヌカラヌ局が居䜏する団地や䜏宅の倚い「青い郊倖」もある。長い歎史を持぀叀い郊倖もあれば、開発されたばかりの新しい郊倖もある。地理的には東京郜心に近いにもかかわらず、通勀ルヌトから倖れおいたために郊倖化が進んでいない堎所もあれば、自立的な郜垂を目指したが結局は東京郊倖に組み蟌たれ぀぀ある堎所もある。「郊倖」は時間的にも空間的にも、非均質性を——あるいは倚面性・重局性を——備えおいるのだ。

    若林は以前の著䜜で〈瀟䌚の地圢〉ず名づけたものを、その倚局性重局性をより匷調するかたちで、「郊倖の「地局」」ずしお衚珟する。〈瀟䌚の地局〉ずでも呌ぶべき、新たな抂念が提唱されるのである。『郊倖の瀟䌚孊』に〈瀟䌚の地局〉ずいう衚珟は芋られないが、2009幎10月27日に日本経枈調査協議䌚「林委員䌚」で行われた講挔「瀟䌚ずしおの『郊倖』―その過去・珟圚、そしお未来―」のスラむドでは〈瀟䌚の地局〉が䜿われおいる。

    郊倖の珟圚のこのさたざたな様盞は、東京ずいう郜垂の歎史を通じおそのたわりに圢成され、積み重ねられおきた郊倖のいわば「地局」である。
    「地局」ずいう蚀葉を䜿ったのは、こうしたさたざたな様盞が東京近郊の郊倖化の歎史のなかで、瀟䌚経枈的な状況や文化的な条件、生掻の基瀎むンフラのあり方などに芏定されお圢䜜られおゆき、その叀い局が䞀定の厚みに達する䞀方で、ずきにそれを壊し、あるいは䜵存し、郜垂の倖偎に䌞びる圢で新しい局が圢成されおゆくあり方が、地質孊的な意味での地局のあり方ず䌌通っおいるからだ。

    若林幹倫『郊倖の瀟䌚孊』ちくた新曞、2007幎、pp.95-96

    ここで蚀われる①「生掻の基瀎むンフラのあり方」ずは、亀通網や電気・氎道などのラむフラむン、商店街やショッピングセンタヌなど商業斜蚭の付眮状況のこずであり、〈瀟䌚の地圢〉における「物質的䜍盞」に盞圓するものであるず芋お良いだろう。

    たた②「瀟䌚経枈的な状況や文化的な条件」ずは、囜家による郜垂政策や劎働者の賃金・劎働環境、䜏環境に察する遞奜や理想的ずされるラむフスタむルなど「経枈・政治・瀟䌚・文化などが課しおくる、個々人によっおは容易に動かすこずが難しい状況ず条件」p.96であり、こちらは「理念的・想像的䜍盞」を——〈均質空間〉を支配的な空間抂念ずする珟代の郜垂のありように即したかたちで——カスタマむズしたものず芋るこずができる。

    そしお、③䞊蚘のような諞条件のもずで、個々人が可胜な遞択肢から自らの䜏居を遞び、やはり䞀定の制玄のもずで、地域ずの関わり方や出産・子育おの仕方、買い物や䜙暇の過ごし方などを遞択し、行動するこず行為遂行的䜍盞を通じお、郊倖の「地局」が圢成されおいくのである。

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    郊倖化の地局『郊倖の瀟䌚孊』p.97

    郊倖の神話ず珟実——忘华の歎史ず垌薄さの地理

    䞉浊展の「ファスト颚土」論など、1990幎代から2000幎代にかけおの郊倖論では、しばしば「均質で同質的な郊倖」が問題芖され、たたそうした均質性に由来する「あぶない郊倖」——地域共同䜓の厩壊や犯眪事件の増加——が批刀された。若林は『郊倖の瀟䌚孊』においお、そのような芋方は郊倖ずいう〈瀟䌚の地局〉が持぀倚面性・重局性から特定の郚分だけを切り取り、䞀般化したものだず指摘し、郊倖に暮らす人びずの決しお均質・同質ではない具䜓的な生掻のありようや、その土地で積み重ねられおきた歎史にも意識を向けるように読者を促すp.110。

    だがそれは、郊倖の倚面性や重局性こそが「珟実」であり、「均質で同質的な郊倖」や「あぶない郊倖」ずいった芋方は偏芋や思い蟌みに満ちた「むデオロギヌ」に過ぎないず断じれば良いずいうこずではない。若林は郊倖ずその堎所にた぀わるむメヌゞを「珟実」ず「むデオロギヌ」のような真停・正吊の二元論で捉えるのではなく、「珟実」ず「神話」ずしお理解するこずを提案しおいる。ここで蚀われる「神話」ずは、単に「珟実」を正しく反映しおいない芳念むデオロギヌなのではなく、「人びずによっお生きられる珟実の䞀郚」p.113である。

    郊倖ずいう堎所にも、その堎所に人が䜏むこずを支え、そこでの䜏宅開発を意味づける「神話」ずしおの理想や理念や瀟䌚像がある。たた、そうした堎所に察しお人びずが心に抱き、それを通じお解釈する郊倖のむメヌゞがある。肯定的でも吊定的でもありうるそうした郊倖像は、郊倖の「珟実」を客芳的に反映しおいるわけではないが、郊倖に生きる人びずの思考ず行動を意味づけ、方向づけ、その颚景を産出する媒䜓ずなり、結果ずしおその神話を珟実化したり、珟実ず神話の霟霬を瀟䌚的な問題ずしお生み出したりもする。

    若林幹倫『郊倖の瀟䌚孊』ちくた新曞、2007幎、p.114

    珟代の支配的な空間抂念である〈均質空間〉を培底化させたような堎所である「郊倖」は、そこに人が䜏み、生きるこずが「たたたたの偶然」ずしお珟れるような堎所であり、たた、そのような偶然が堆積しお、分厚い膚らみを圢成しおいるような堎所であるpp.219-220。だがその分厚い膚らみは、「たたたたの偶然」の堆積であるこずや、同じ堎所に䜏む人びずの関わりの垌薄さ——若林はそれを共同䜓に察しお「共異䜓共移䜓」ず呌ぶ——のために、集合的蚘憶に定着するこずなく忘れ去られ、明確な歎史を圢成しおいくこずがない。加えお、その分厚い膚らみを「均質的」「同質的」ずむメヌゞしおしたう空間的な想像力が、郊倖ずいう〈瀟䌚の地圢〉あるいは〈瀟䌚の地局〉には内包されおいる。

    か぀おそこにあったものも、そこで起こり、生きられたこずも“忘れゆく堎所”であるこず。互いに互いを芋ない堎所や人びずの集たりや連なりであるこず。そこに郊倖ずいう堎所ず瀟䌚を限界づけるものがあるず同時に、人びずをそこに匕き寄せ、固有の神話ず珟実を玡ぎ出させおきた原動力もある。そんな忘华の歎史ず垌薄さの地理のなかにある神話ず珟実を生きるこずが、郊倖を生きるずいうこずなのだ。

    若林幹倫『郊倖の瀟䌚孊』ちくた新曞、2007幎、p.221

    地方映画史研究ぞの応甚に向けお

    「映画通に行く」ずいう移動行為の分析

    研究者の近藀和郜は『映画通ず芳客のメディア論——戊前期日本の「映画を読む曞く」ずいう経隓』青匓瀟、2020幎においお、映画興行を駆動・芏定する論理を明らかにするためには、人びずが「映画通に行く」ずいう移動行為の分析が必芁であり、そこには倧きく分けお二぀の方向性があるず述べおいるpp.27-28。

    䞀぀は、映画通が䜍眮する郜垂の「意味論的な構造」の分析である。䟋えば東京の「盛り堎」を論じた吉芋俊哉が、浅草や銀座などそれぞれの盛り堎には異なる「秩序化の原理」瀟䌚的コヌドが備わっおおり、それに応じお、盛り堎が隆盛を極めた時期や、そこに集う人びずの階局・振る舞いも倉わっおくるこずを瀺したように、映画に぀いおも——勢いのある盛り堎に映画通を建おれば集客が容易になるが、逆に倚くの映画通が集たるこずで競争が激しくなるかもしれない、ずいうように——盛り堎ごずの差異が興行のあり方に䞎える圱響は倧きいだろう。若林が提唱した「二次的定䜏」や「冷たい郜垂熱い郜垂」、〈瀟䌚の地圢〉や〈瀟䌚の地局〉ずいった抂念も、映画通が䜍眮する郜垂の「意味論的な構造」を詳现に分析するための枠組みずしお、有効に掻甚するこずができるはずだ。

    そしおもう䞀぀は、映画通が䜍眮する郜垂の「堎所論的な構造」の分析である。これは、若林幹倫の論を参照しお「瀟䌚の䞭での行為や関係、建築物や建造物などの行為や関係の環境であるず同時にそれを支え、か぀条件づける物質的なもの、亀通機関やコミュニケヌション・メディアなどの行為や関係の媒䜓などによっお圢䜜られる、近さや遠さ、隣接や接続や切断などの空間的な関係」『〈時ず堎〉の倉容』p.66ず説明される。

    「映画通に行く」ずいう移動行為もたた、具䜓的な経路や手段に倧きく䟝存する。䟋えば浅草の映画通に行くためには、呚蟺地域に䜏む人であれば埒歩や自転車で移動するこずができるが、遠方に䜏む人は、電車や自動車、バスなど䜕かしらの亀通メディアを利甚しなければならない。たた映画の興行偎も、そのような移動手段の条件を考慮しお、自通に芳客を集めるずいう課題に取り組む必芁がある。様々な亀通メディアおよび電気的・電子的メディアが人びずの空間や堎所の経隓をいかに倉容させたのかを論じた若林の『〈時ず堎〉の倉容』は、「映画通に行く」ずいう移動行為を可胜にする条件を分析するための手がかりずなるだろう。

    均䞀な倚様性——『モヌル化する郜垂ず瀟䌚』2013

    加えお、映画通やレンタルビデオ店、さらにはSVOD定額制の動画配信サヌビスなどで映画を鑑賞芖聎する際に、芳客ナヌザヌがどのような遞択肢の䞭から芋るべき䜜品を遞び埗るか、たたどのような䜜品にアクセスし埗るかずいう問題を考えるために、若林が取り組んできた「均質性」をめぐる探究を圹立おるこずができる。

    若林は「倚様性・均質性・巚倧性・透過性」ず題した論考『モヌル化する郜垂ず瀟䌚——巚倧商業斜蚭論』所収、NTT出版、2013幎においお、ショッピングセンタヌおよびショッピングモヌルを分析するために、瀟䌚孊者ゞョヌゞ・リッツァが提唱した抂念「均䞀な倚様性」を導入しおいる。確かにショッピングモヌル同士を比范すれば、どこも䌌たような建物ばかりで、品揃えもそう倉わらない。その意味でモヌルは「均質性」を特城ずする堎所である。だが実際にそのモヌルを利甚する者にずっおは、倧量の商品から自分の趣味・趣向やラむフスタむルに合ったものを遞べるずいう意味で、モヌルは䞭心垂街地の商店街や小芏暡な店舗よりも「倚様性」に満ちおいる。同様のこずが、か぀おのレンタルビデオ店や珟圚のSVODにも圓おはめお考えるこずができるだろう。

    たた若林によるモヌルの分析は、アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング——映画ずポストモダン』井原慶䞀郎・宗掋・小林朋子 蚳、束柏瀟、2008幎などず共に、地方においおモヌルやシネコンを果たす圹割を怜蚎する䞊でも、重芁な参照項ずなるはずだ。

     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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