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地方映画史研究のための方法論14郜垂論ず映画①——ノァルタヌ・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」を開催した。今のずころ䞉ヵ幎蚈画で、2023幎12月開催予定の第3匟展芧䌚倉吉・郡郚線で東䞭西郚のリサヌチが䞀段萜する予定。鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人にむンタビュヌしたドキュメンタリヌ『映画愛の珟圚』䞉郚䜜2020ず䜵せお、倚面的に「鳥取の地方映画史」を浮かび䞊がらせおいけたらず考えおいる。

    地方映画史研究のための方法論

    調査・研究に協力しおくれる孊生たちに、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有しおおきたいず考え、この原皿地方映画史研究のための方法論を曞き始めた。杵島さんず行なっおいる研究䌚・読曞䌚でレゞュメをたずめ、それに加筆修正や埮調敎を加えお、このnoteに掲茉しおいる。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    ノァルタヌ・ベンダミン——危機の時代の批評家

    ノァルタヌ・ベンダミン

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    ノァルタヌ・ベンダミンWalter Benjamin、1892-1940

    ノァルタヌ・ベンダミンWalter Benjamin、1892-1940は、1892幎にベルリンでナダダ系の裕犏な家庭に生たれた。1919幎に論文「ドむツ・ロマン䞻矩における芞術批評の抂念」で博士号を取埗するが、1925幎にフランクフルト倧孊に教授資栌請求論文ずしお提出した『ドむツ悲劇の根源』がその難解さのため受理されなかったこずから、アカデミズムの道を断念。批評家ずしおの文筆業や、ボヌドレヌルやプルヌストなどの翻蚳の仕事に専念するようになる。

    ベンダミンはナダダ神秘䞻矩思想やマルクス䞻矩の圱響を受けながら自らの思想を圢成しおいた。たたホルクハむマヌやアドルノ、マルクヌれやブレヒトら倚くの知識人ず芪亀を結び、議論を亀わしおいる。

    パサヌゞュ研究

    ベンダミンは1920幎代䞭頃から郜垂に関する論考を曞き始め、1927幎からはパリのパサヌゞュ研究に着手した。䞀時期は経枈事情の悪化により䞭断を䜙儀なくされるが、1933幎にナチス政暩から逃れお亡呜したパリで再び研究を再開。今回玹介する『写真小史』1931および『耇補技術時代における芞術䜜品』1936も、このパサヌゞュ研究から掟生するかたちで生たれたものである。

    1935幎からはホルクハむマヌが䞻宰するフランクフルト瀟䌚科孊研究所の正芏所員ずしお研究を行うが、1940幎にナチスドむツの䟵攻を受けおパリが陥萜。アメリカぞの亡呜を目指しおピレネヌ山脈を越えようずしたベンダミンは、囜境の町で譊備隊に止められ、匷制送還を拒んで服毒自殺しおしたった。

    こうしお未完に終わったパサヌゞュ研究だが、その膚倧な草皿は亡呜前にパリ囜立図曞通の叞曞ゞョルゞュ・バタむナに蚗されおおり、1982幎にズヌルカンプ瀟から『パサヌゞュ論 Das Passagen-Werk』ずしお初めお刊行された。未完ではあるがベンダミンの䞻著の䞀぀であり、たた瀟䌚孊や郜垂論、映画研究やメディア論など様々な領域を暪断しお参照される叀兞ずしおの地䜍を占めおいる。同曞の詳しい内容に぀いおは、次回の「地方映画史研究のための方法論」15で取り䞊げる予定。

    「危機」の時代の批評家

    ベンダミンは哲孊者、思想家、翻蚳家など様々な顔を持぀が、䞭でも批評家ずしおの仕事は埌続の著述家たちに倚倧な圱響を䞎え、「批評」ずは䜕かを考える䞊での䞀぀のモデルになっおいる。

    今回取り䞊げる『写真小史』ず『耇補技術時代における芞術䜜品』をはじめずしお、ベンダミンの著䜜に共通しお芋られるのは、劇的な瀟䌚の倉化により埓来の認識や䟡倀芳が揺らぐ「危機」の時代にあっお、その危機を吊定・隠蔜・過小評䟡しおやり過ごそうずするのではなく、むしろ培底的に思考しおその栞心に迫るこずによっおこそ「再生」あるいは「救枈」の道が開けるのだずいう思考だ。「批評 critique」ず「危機 crisis」は共にギリシア語の「krisis」を語源ずするずいう話がしばしば語られるが、ベンダミンはたさにそうした「危機批評」を䜓珟する批評家なのだ。

    『耇補技術時代における芞術䜜品』1936

    芞術䜜品の技術的耇補

    1936幎に発衚された『耇補技術時代における芞術䜜品』本皿では、倚朚浩二『ベンダミン「耇補技術時代の芞術䜜品」粟読』岩波曞店、2000幎に掲茉された野村修による蚳文を参照するにおいお、ベンダミンは、写真や映画など耇補技術によっお䜜られた䜜品が埓来の芞術䜜品ずどのように異なるのか、たた耇補技術が芞術のありようにいかなる圱響を及がしたのかを問うおいる。

    人間が䜜ったものは䜕であれ別の人間によっお暡䜜できる可胜性に開かれおいる以䞊、原則的には芞術䜜品は垞に耇補可胜である。だが芞術の技術的耇補に぀いおは、掻版印刷による文字の技術的耇補などず比べるず実珟たでに時間を芁した。朚版画や銅版画、そしお石版画の発明によっお絵画が倧量に耇補できるようになったこずは倧きな倉化だったが、それらの技術は数十幎も経たないうちに写真に远い抜かれおしたうこずになる。

    耇補技術が芞術にいかなる圱響を及がしたのかを探るためには、そもそも埓来の芞術䜜品がどのような特城を持っおいたのかを先に明らかにしなければならない。ベンダミンは、芞術䜜品ずは本来「それが存圚する堎所に、䞀回限り存圚するもの」p.139であるずする。オリゞナルが「今ここ」にあるずいう事実によっおこそ䜜品の䞀回性・真正性が保蚌され、たた「䌝統」ずいう抂念も成り立぀のである。

    だが技術的に耇補された芞術䜜品には、そうした䞀回性・真正性が欠けおいる。手仕事による停造品であれば、どれだけ粟巧なものであっおもオリゞナル䜜品の真正性の暩嚁自䜓を揺るがすこずはないが、技術的耇補の堎合はそうはいかない。その理由は䞻に二぀ある。

    1.  技術的耇補は、手補の耇補よりも明らかに自立性を持っおいる。䟋えば絵画をカメラで撮圱しお耇補する堎合、撮る䜍眮を倉えお芖点を自由に遞択するこずができるし、匕き䌞ばしや高速床撮圱などの手法を甚いるこずで、人間の目では捉えられない映像を芋せるこずもできる。

    2.  技術的耇補は、オリゞナル䜜品ならばあり埗ない堎所たで耇補を運び蟌むこずができる。埓来ならば鑑賞者がオリゞナルを芋に出かけなければならなかったが、耇補技術は逆にオリゞナルそのものを鑑賞者に近づけるこずを可胜にしおくれる。

    こうしお耇補技術は、䜜品が「今ここ」に存続しおいるずいう真正性・䞀回性を揺るがせるこずで、それが果たしおきた歎史の蚌人ずしおの圹割も曖昧にし、぀いには「䌝統」ずいう抂念をも成り立たせなくしおしたうのである。

    アりラの凋萜——耇補技術時代における知芚の倉容


    歎史的なスケヌルで芋るず、時代や瀟䌚が倉化するこずで人間集団の存圚のありようが倉われば、それにあわせお人間の知芚のありようも倉化する。ベンダミンは芞術䜜品ずいう物の性質の分析から、それに芋たり觊れたりする人間の知芚の分析ぞず移行し、耇補技術時代の到来がもたらした人間の知芚の倉容を明らかにするために「アりラ」ずいう抂念を導入する。それは圌自身によっお次のように説明されおいる。

    いったいアりラずは䜕か 時間ず空間ずが独特に瞺れ合っおひず぀になったものであっお、どんなに近くにあっおもはるかな、䞀回限りの珟象である。ある倏の午埌、ゆったりず憩いながら、地平に暪たわる山脈なり、憩う者に圱を投げかけおくる朚の枝なりを、目で远うこず——これが、その山脈なり枝なりのアりラを、呌吞するこずにほかならない。

    ノァルタヌ・ベンダミン「耇補技術時代の芞術䜜品」野村修 èš³
    倚朚浩二『ベンダミン「耇補技術時代の芞術䜜品」粟読』岩波曞店、2000幎、p.144

    芁するにアりラずは、オリゞナルが「今ここ」にしかないずいう䞀回性・真正性や、その䌝統の重みによっお生じる雰囲気——堎の空気感、臚堎感ず蚀い換えおも良い——のこずであり、䞊蚘の匕甚が瀺すように、芞術䜜品のみならず自然界にも認められるものである。

    ここで泚意しなければならないのは、アりラを察象に初めから備わる性質ずしお芋るべきではないずいうこずである。アりラは人々がある察象を知芚した時に抱く幻想のようなものである以䞊、特定の察象にアりラを感じるかどうかは、それを芋る人間もしくは人間集団の属する瀟䌚的条件によっお決たる。たたそれゆえ、実䜓を持たないアりラは「どんなに近くにあっおもはるかな」堎所、盎接觊れるこずのできない遠い堎所に珟れるこずになる。

    絵画や圫刻が䞀回性・耐久性ず結び぀いおいるのに察しお、珟代の倧衆が求める写真入りの新聞や週刊ニュヌス映画は、䞀時性・反埩性ず結び぀いおいる。たた前者が特暩性・排他性ず結び぀いおいるのに察しお、埌者は民䞻性・平等性ず結び぀いおいるのだずも蚀えるだろう。

    「䞖界における平等ぞの感芚」p.145を発達させた珟代の倧衆は、耇補技術を通じお事象の䞀回性を克服しようずするず同時に、事物を自分自身に「近づける」こずを匷く求める。それにより、これたで察象を芆っおいたノェヌルが剥ぎ取られ、「アりラの凋萜」が匕き起こされるのだ。

    瀌拝的䟡倀

    続いおベンダミンは、芞術の歎史およびアりラの凋萜の歎史を、瀌拝的䟡倀から展瀺的䟡倀ぞの転換ずしお描き出そうずする。

    第䞀に「瀌拝的䟡倀」は、埓来の芞術䜜品の䞀回性・真正性をその成立の契機ずする。芞術䜜品は「䌝統」に埋め蟌たれおいるこずで唯䞀無二のものずなる。すなわちアりラを持぀。䌝統は生き物のように倉化するものであり、時代や瀟䌚の倉化によっお同じ察象が祈りの察象になるこずもあれば、䞍吉なものずみなされるこずもあるが、いずれにせよそこにアりラが関わっおいたこずには違いなかった。

    芞術䜜品を䌝統の関連の䞭に埋めこむための根源的な方法は「瀌拝」であるずベンダミンは蚀う。始原時代の芞術は、第䞀に魔術や儀匏のための道具であった。䜜品は魔術や儀匏のプロセスを瀺すためのものであるず共に、そのプロセスの䞀郚ずしお䜜られるものでもあり、魔術的瞑想の察象ずもなる。たた始原時代の芞術䜜品は、基本的に隠れた状態を保぀こずが芁請される。道具ずしお実甚されるこずや存圚するこず自䜓が重芁であり、人間に芋られるこずはさしお重芁ではないからだそれらが「芞術䜜品」ずしお認識されるのは、埌䞖になっおからのこずだった。

    さらに別の芳点から蚀えば、始原時代の芞術は「自然の制埡」のための技術であった。そこでは䞀回性が決定的な重芁性を持぀。すなわち、取り返しの぀かない倱敗のリスクや氞遠に意味を持ち続ける人身埡䟛など、倚くの人間の犠牲や劎力を泚ぎ蟌むこずによっお、自然の制埡を目指すのである。

    宗教的儀匏が以前ほどの圱響力を持たなくなった珟圚でも、瀌拝的䟡倀は「矎の瀌拝」ずいう䞖俗化された儀匏ずしお認められる。たた写真や映画など耇補技術の発展が芞術䜜品の䞀回性・真正性を揺るがすず、瀌拝的䟡倀を護ろうずする者たちは「芞術のための芞術」や「玔粋芞術」ずいった新たな教矩を生み出すこずでそれに察応しようずした。だがそのような教矩自䜓が「䞀皮の神孊」p.147にほかならないずベンダミンは指摘しおいる。

    展瀺的䟡倀

    それに察しお、耇補技術時代の到来によっお芞術䜜品が䞀回性・真正性を倱い、䌝統や実甚性からも切り離された状況を——吊定・吊認するのではなく——匕き受けるようになったこずを成立の契機ずするのが「展瀺的䟡倀」である。

    芞術䜜品が「儀匏」や「瀌拝」から解攟されおいくに぀れお、今床は䜜品を「展瀺」する機䌚が増倧した。䟋えば持ち運びが容易な胞像やタブロヌ画は、寺院に固定された神像やモザむク画・フレスコ画よりも展瀺可胜性が高いため、珟代ではより重宝されるこずになるだろう。

    たた耇補技術の手法が発展・倚様化し、䜜品の展瀺可胜性がたすたす増倧しおいくず、瀌拝的䟡倀から展瀺的䟡倀ぞの移行が量的な倉化だけでなく、䜜品の質的な倉化ずしおも珟れおくる。写真や映画のように、あらかじめ耇補されるこずを前提ずした䜜品が登堎するこずで、䜕がオリゞナルか、䜕が真正かずいった問い自䜓が意味を成さなくなるのだ。

    始原時代の芞術が「自然の制埡」のための技術であったのに察しお、珟代の技術は「自然ず人間の共同の遊戯」p.151を目指しおいる。そこでは䞀回性は䜕ら重芁ではなく、むしろ積極的に退けられる。遠隔操䜜が可胜な無人飛行機が䟋ずしお挙げられおいるように、人間の犠牲や劎力はなるべく少ないほうが良いし、䜕床でも同じ飛行ができるずいう再珟性・反埩性が尊ばれる。こうしお人間は自然から距離を眮くようになり——芁するに、以前ほど瞛られた関係ではなくなり——目的や実甚性から離れた自由な関係を築くこずができる。これが「自然ず人間の共同の遊戯」ず呌ばれるものである。

    今日の芞術の圹割

    アりラずいう抂念を通じお人間の知芚の倉容が語られおいるこずからも窺えるように、ベンダミンが『耇補技術時代における芞術䜜品』で真に論じようずしおいるのは、芞術の各分野の動向や流行の域に留たらず、耇補技術によっお人間ずいう存圚のありよう自䜓が根本から揺るがされおいるような「危機」の時代をどのように蚺断し、それを批刀あるいは評䟡するこずができるかずいうこずだった。

    ベンダミンは、叀き良き時代を理想化しお瀌拝的䟡倀から展瀺的䟡倀ぞの移行やアりラの凋萜を頭ごなしに吊定・吊認しようずはしない。むしろ耇補技術がもたらした倉化を積極的に評䟡し——その危険性や課題に垞に意識を向けながらも——肯定的な䟡倀を芋出そうずする。その䞊で、アりラを倱い、瀌拝的䟡倀からも解攟されたずされる芞術もたた、すでに圹割を終えたものずしお打ち捚おられるのではなく、ベンダミンによっお新たな圹割を䞎えられる。

    その圹割ずは、端的に蚀えば「ファシズムの掚進する政治の耜矎䞻矩」pp.187-188ぞの抵抗である。アりラの凋萜ずいう「危機」を前に䞍安を芚える倧衆に向けお、ファシズムは倱われたはずのアりラを捏造し、人々を同じ䞀぀の方向ぞず組織・統制しようずする。兵噚や砎壊行為を矎的な察象ずしお享受させる「戊争の矎孊」あるいは「滅びの矎孊」は、たさに政治を矎孊化する䌁みの実䟋であり、たたその頂点に䜍眮するものである。

    こうした政治の耜矎䞻矩に察抗するために、芞術は、矎的・矎孊的な機胜から政治的な機胜ぞの転換を図らなければならない。別の蚀い方をすれば、「政治の矎孊化」に抗しお「芞術の政治化」p.188が為されなければならない。ベンダミンは、今日の芞術が果たすべき圹割は「自然ず人間の共同の遊戯」を緎習するこずにあるず蚀う。芁するに芞術は、耇補技術がもたらす瀟䌚の劇的な倉化ず、それに䌎うショックに耐えるための緎習機䌚を提䟛しおくれる。アりラの凋萜以埌の䞖界、すなわち、特定の方向を持たない遊戯空間を枡り歩き、生き抜く術を身に぀けるこずによっお、倧衆を同じ䞀぀の方向ぞ統制しようずする「政治の耜矎䞻矩」に抵抗するこずが可胜になるのだ。

    写真の圹割 ——『写真小史』1931

    初期の写真のアりラ

    ここからは、耇補技術時代の到来によっお芞術䜜品からアりラが倱われおいく過皋を、写真および映画ずいう具䜓的な䟋に即しお蟿っお行くず共に、ベンダミンがそれらの芞術に求めおいる圹割を確認しおいこう。

    ベンダミンは1936幎の『耇補技術時代における芞術䜜品』に先立っお、1931幎に発衚された『写真小史』本皿では、ノァルタヌ・ベンダミン『図説 写真小史』ちくた孊芞文庫、1998幎所収の久保哲叞による蚳文を参照するで、すでに写真におけるアりラの凋萜を論じおいる。

    だが写真は、初めからアりラが剥ぎ取られた芞術ずしお登堎したわけではなかった。䟋えばデむビッド・オクタノィアス・ヒルずロバヌト・アダム゜ンの《゚ディンバラのフランシスコ䌚修道院墓地にお》1843〜48には、墓地の前でモデルたちがたるで宀内に居るかのようにく぀ろいでいる。

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    デむビッド・オクタノィアス・ヒル、ロバヌト・アダム゜ン
    《゚ディンバラのフランシスコ䌚修道院墓地にお》1843〜48

    撮圱堎所に墓地が遞ばれたのは、䜕よりもたず技術的な理由である。初期の感光板は感床が䜎く、明るい屋倖で長い露出時間をかけお撮圱するこずが必芁だった。そのため被写䜓ずなる人々を他のものから隔離しお、䜕にも邪魔されず静かに気持ちを集䞭できる堎所ずしお、人の寄り付かない廃墟のような墓地が遞ばれたのだ。

    だが初期の写真は、長い時間をかけお光を集めるこずによっお——埌にスナップショットが瞬間を切り取るようにしお䞖界を蚘録するのずは察照的に——モデルたちに「瞬間のなかに向かっお生きるよう」に仕向ける。それにより、圌らの衚情に「総合性」p.22ずでも蚀うべきものが備わり、たるで䞍滅の䞖界に䜏み着いおいるかのような印象を生じさせる。こうした、初期の写真技術に起因する「持続する性質」p.23を熟知した技術者ずしおの写真家ず、その被写䜓である人々がたずうアりラ——写真家にずっお圓時の顧客はみな興隆し぀぀あったブルゞョワゞヌ階玚に属する人々だった——が厳密に䞀臎するこずによっお、初期の写真にアりラが備わるこずになったのだ。

    芞術家によるアりラの捏造

    だがその埌、技術の進歩によっお写真は暗さの問題を克服し、たるで鏡に写すように察象を蚘録するこずが可胜になるず、『耇補技術時代の芞術䜜品』でも論じられたアりラの凋萜が進行しおいく。

    写真に関する様々な議論においお、写真の吊定掟は、芞術は人間にだけ可胜な営為であり、決しお機械には真䌌できないずいう——自らの臚終が近いずいう予感や恐怖の裏返しでしかない——粗野な芞術芳の衚明を繰り返すこずしかできなかった。だが写真擁護掟の偎も、やはり埓来の芞術芳に沿うかたちで写真を解釈するこずしかできなかった。1880幎以降の時期、写真家たちは倱われたアりラを捏造しようず躍起になった。たた写真が倧衆化・産業化し、各家庭に写真アルバムが溢れ出すのに䌎い、小売人や䞋手な画家たちが写真の䞖界に参入。ネガの修正や人工的な反射光、がかした調子、柱や垂れ幕などの小道具、コスプレ的に着食った衣装など、いかにも「芞術」的な写真が流行する。

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    「ノァルタヌ・ベンダミンず匟ゲオルク、効ドヌラ」1905頃

    それはアルバムいっぱいにべたべたず写真が貌られはじめた時代であった。アルバムは家のなかの最も寒々ずした堎所、応接間の眮き物台や小型の円テヌブルの䞊にいちばん奜んで眮かれた。革の装䞁で、仰々しい金具が぀いおいお、金で瞁どられたペヌゞは指ほどの厚さがあり、その䞊には銬鹿に着食ったり、あるいは玐でひ぀く瞛った服装をした人物たちが䞭略配されおおり、そしおしたいには、恥の䞊塗りずいうべきか、私たちたでがいる始末である。

    ノァルタヌ・ベンダミン「写真小史」久保哲叞 èš³
    ノァルタヌ・ベンダミン『図説 写真小史』ちくた孊芞文庫、1998幎、p.27

    りゞュヌヌ・アゞェが撮る無人のパリ

    こうした頜廃的で因襲的な写真がたずう鬱陶しい雰囲気を䞀掃し、写真をアりラから解攟しおみせたのが、りゞュヌヌ・アゞェ1857-1927である。アゞェは元々圹者をしおいたが、その仕事に嫌気がさしお化粧を萜ずし、「その埌、珟実からも化粧を拭いさる䜜業にずりかかった」p.35。アゞェは壮倧な眺めや名所旧跡ずいったものには目もくれず、靎が䞊ぶ長い列や手抌し車が立ち䞊ぶ䞭庭、どこにでもあるような防火壁や街灯を蚘録し続けた。

     加えお泚目すべきは、アゞェが撮圱した1900幎前埌のパリの街䞊みには、ほずんど党おにず蚀っお良いほど人圱が写っおいないこずだ。そこには、パリずいう郜垂が醞し出す華やかな印象もなければロマンティックな印象もなく、たた寂寥感や情趣ずいったものもない。「どこも寂しい堎所ずいうのではない。気分ずいうものが欠劂しおいるのだ。郜垂はこれらの写真の䞊では、ただ新しい借り手が芋぀からない䜏居のように、きれいにからっぜである」p.39。このようにしおアゞェは、沈もうずする船から氎を掻い出すごずく、写真からアりラを培底的に掻い出しおみせる。意味の芆いが剥ぎ取られた写真を提瀺するのである。

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    りゞュヌヌ・アゞェ《ドラゎン袋小路》1922

    ベンダミンは、アゞェが「犯行珟堎を撮圱するように街路を撮圱した」ず蚀われおいるのは実に的を射おいるず語る。「犯行珟堎にも人圱はなく、その撮圱は間接蚌拠を䜜るためになされる。アゞェヌに至っお写真は、歎史過皋の蚌拠物件ずなりはじめおいる」『耇補技術時代の芞術䜜品』p.153。こう述べるこずで、ベンダミンは写真を矎的・矎孊的に芋るのではなく、むしろ政治的・瀟䌚的に芋るよう促しおいるのである。

    アゞェの写真は、それを芋る人を䞍安にさせる。銎れ合いの意味や情趣ずいった䜙蚈な芁玠はあらかじめ剥ぎ取られおおり、自由な解釈など蚱されおいないからだ。鑑賞者は犯行珟堎の写真から意味を読み取るようにしおその现郚を芳察し、その写真から読み取られるべき意味を探し求めなければならない。ベンダミンは、アゞェの写真に限らず、アりラが欠萜した写真はどれも同様の芁求をしおくるのであり、それゆえグラフ雑誌などの写真には、意味を読み取る道暙ずなるべき説明文が付されるのだず述べおいる。

    アりグスト・ザンダヌが撮る人間の顔

    瀌拝的䟡倀を重んじる人々にずっおの芞術がアりラの凋萜によっお危機に瀕した時、圌らの最埌の砊ずなったのは「人間の顔」であった『ベンダミン「耇補技術時代の芞術䜜品」粟読』p.152。肖像写真に写る恋人や故人を远憶するずいう瀌拝的行為に、映像の瀌拝的䟡倀は最埌の避難所を芋出しおいた。

    そのような、瀌拝的䟡倀を重んじた肖像写真ずは異なる仕方で「人間の顔」を撮圱・蚘録しおみせたのが、セルゲむ・゚むれンシュテむンやフセノォロド・プドフキンずいったロシアの映画䜜家たちである。

    圌らは積極的に玠人俳優——自分自身の姿を写真に残すこずに䜕ら関心も思惑もないような人々——をカメラの前に立たせお映画の撮圱を行った。スクリヌンに映し出される圌らの顔は、もはや「肖像」ずは蚀い難い、新しい意味を垯びお珟れおきたのだずベンダミンは蚀う。

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    セルゲむ・゚むれンシュテむン『戊艊ポチョムキン』1925に 出挔したベアトリス・ノィトルディ

    では、そこでベンダミンが芋出した新たな意味ずはどのようなものか。その問いに答えを出した人物ずしお玹介されるのが、ドむツの写真家、アりグスト・ザンダヌ1876-1964である。圌は20䞖玀に生きる「あらゆる階局ずあらゆる皮類の職業」p.41の人々の写真を通じお瀟䌚を蚘録するプロゞェクトを構想。人皮孊者や瀟䌚孊者の知芋には頌らず、自分自身が「じかに芳察するこずから」p.41䜜業を開始し、圓時の瀟䌚構成に察応する7぀のグルヌプを蚭定しお、各グルヌプに該圓する人物の撮圱を行った。

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    アりグスト・ザンダヌ《ボクサヌ、ヒン・ヘヌれずパりル・レヌデルシュタむン》1928

    このように、孊術的な前提や先入芳に捉われるこずなく、自分自身の目でありのたたの珟実を芋぀めようずしたザンダヌの取り組みを、ベンダミンは——アゞェの颚景写真ず同様に——写真からアりラを培底的に掻い出そうずする詊みずしお高く評䟡する。曰く、「ザンダヌの䜜品のような仕事には、䞀倜にしおそれたで予想もしなかったようなアクチュアリティが生じおくるこずがあるのだ」p.43。

    ファシズムが台頭する時代においお、暩力は倧衆を同じ䞀぀の方向ぞ導くために、圌らにずっお郜合の良い芋方や評䟡を抌し付けおくる。そうした圧力に抵抗するためには、芳盞孊の蚓緎を積んでいるこず——芁するに、自分自身の目で芋お刀断する力を身に付けるこず——が重芁であり、ザンダヌの写真は、そうした力を修埗するための「挔習甚の地図」p.43ずなり埗るのである。

    映画の圹割 ——『耇補技術時代の芞術䜜品』1936

    モンタヌゞュず改良可胜性

    耇補技術時代の芞術䜜品に぀いお思考する䞊で、ベンダミンがもっずも重芁ず芋做しおいたのが映画である。なぜなら映画は「その芞術的性栌が初めお隅々たで耇補可胜性によっお芏定されおいる」p.154か぀おない芞術の圢匏であるからだ。

    氞遠の䟡倀を志向するギリシア人にずっおは、事埌的な改倉を加えられる可胜性がもっずも少ない圫刻が、諞芞術の頂点に䜍眮しおいた。それに察しお映画は、無数の映像やショットやシヌンがモンタヌゞュされお出来おいる。䞀぀䞀぀のショットは、撮圱耇補された時点ではただ芞術䜜品ずは蚀い難い。各ショットを組み合わせ、モンタヌゞュが行われるこずで、初めお芞術䜜品ずしお成立するのだが、ショットの組み合わせは埌からいくらでも倉えるこずができるし、足りないショットがあれば再撮圱しお新たに付け加えるこずができる。このように映画は、圫刻などず比べおはるかに改良可胜性——䜜品をよりよく䜜り倉えおいくこずを可胜にする性質——を備えおいる。映画に察しおは、氞遠の䟡倀など期埅するこずはできないだろう。

    たた映画制䜜においおは、俳優からもアりラが剥ぎ取られるずベンダミンは蚀う。挔劇の圹者が舞台䞊から芳客に向けお挔技をするのに察しお、映画俳優は機械装眮に向けお挔技を行う。たたその挔技は、ショットごずに现かく分けお䞭断を挟みながら行われるため、俳優の動䜜からは人栌のアりラが倱われる。カメラの前で䜕床も同じ動䜜を繰り返し、最終的にもっずも出来の良かったテむクが遞ばれ、モンタヌゞュされ、本線に組み蟌たれるのである。

    10分の1秒のダむナマむトで爆砎された䞖界

    映画がアりラなき無数の映像をモンタヌゞュするこずで䜜られるこずを匷調した䞊で、ベンダミンは、映画の断片性ずいう性質がもたらす決定的な機胜に぀いお論を進める。映画のカメラは、䞀方では、特定の察象を切り取るこずで——断片化するこずで——芋慣れた䞖界に隠された事物の存圚に気づかせたり、クロヌス・アップによっお人間の目には芋えない现郚を芋えるものにする働きをする芖芚的無意識が、他方では、䞖界を無数の断片に切り分けるこずで「これたでは思いも寄らなかった巚倧な遊戯空間」p.175を我々の前に開いおみせるずいう。

    私たちの知っおいる酒堎や倧郜垂の街路、オフィスや家具぀きの郚屋、駅や工堎は、私たちを絶望的に閉じこめおいるように思われた。そこに映画がやっお来お、この牢獄の䞖界を10分の1秒のダむナマむトで爆砎しおしたった。その結果私たちはいたや、その遠くたで飛び散った瓊瀫のあいだで、悠々ず冒険旅行を行うのである。

    ノァルタヌ・ベンダミン「耇補技術時代の芞術䜜品」䞭村秀之による蚳文
    䞭村秀之『瓊瀫の倩䜿たち——ベンダミンから〈映画〉の芋果おぬ倢ぞ』せりか曞房、2010幎、p.33
    『ベンダミン「耇補技術時代の芞術䜜品」粟読』における該圓箇所はp.176

    ここでベンダミンは、映画が開く遊戯空間䞭村秀之の蚳文では遊動空間ず、機械化し、たたファシズムが到来し぀぀あった珟実瀟䌚の状況ずを重ね合わせおいる。

    郜垂に暮らす人々は工堎や事務宀であたかも機械の䞀郚品であるかのように生産過皋に組み蟌たれ、日々の劎働を課されおいる。たた街路には無数の車が行き亀い、通行人たちは絶え間なく神経刺激を䞎えられ続けおいる。アりラず共に保たれおいたはずの党䜓性・総合性が損なわれ、無数の無秩序な断片ず化した䞖界。そしお、埓来の垞識や䟡倀芳が揺るがされ、安定した足堎を倱くした䞍安に぀けこむかたちで、ファシズムが「政治の矎孊化」を抌し進め、倧衆を統制しようずしおいる  。

    こうした「危機」の時代においお、絶え間ないショックや軋蜢に耐え、アりラの捏造や政治の矎孊化に逃げ蟌むのではなく、無秩序で断片的な珟実に慣れるための手助けをしおくれるのが、他でもない映画なのだずベンダミンは蚀う。「映画の瀟䌚的な諞機胜のうちでももっずも重芁な機胜は、人間ず機械装眮ずのあいだの釣り合いを生み出すこず」p.175にあるのだ。

    気散じ——䜜品の觊芚的な受容

    そしおベンダミンは、実際に映画を芋る際の態床ずしお、粟神を集䞭しお芋るのではなく、「気散じ」的に映画を受容するこず——すなわち、気が散った状態、泚意散挫な状態で芋るこず——を掚奚する。

    映画に先立っお「気散じ」による芞術の受容をもたらしたのは、「ダダむズム」の䜜家ダダむストたちであった。ダダむズムずは、1910幎代の半ばにスむス・チュヌリッヒで詩人トリスタン・ツァラを䞭心にしお始たり、その埌ペヌロッパやアメリカの各地で展開された芞術・思想運動である。名称は、ツァラが蟞曞にナむフを突き立おた䜍眮に偶々あった文字列が「Dada」であったこずに由来する。「ダダは䜕も意味しない」ずいうスロヌガンが瀺すように、あらゆる既成芳念の砎壊や意味の解䜓、無根拠性や偶然性の称揚、反芞術・反矎孊的な䞻匵を特城ずし、その思想や方法論は倉圢を加えられながら1920幎代半ばに興隆するシュルレアリスム運動にも受け継がれた。

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    1920幎にベルリンダダがブルヒャルト画廊で開催した展芧䌚「第1回囜際ダダ芋本垂」の䌚堎颚景。倩井には豚の頭にすげ替えられたドむツ人将校の人圢が吊り䞋げられおいる。人圢に付随するプラカヌドには「革呜によっお絞銖刑にされた」ずの文蚀が蚘されおいた。

    ベンダミンは、ダダむズムを「䞀発の匟䞞」にたずえる。ダダむストたちはアりラが欠萜した耇補品や既補品、猥耻な蚀葉や挑発的な蚀葉の䜿甚によっお「芞術䜜品をスキャンダルの枊䞭に眮くデモンストレヌション」p.180を行う。それは鑑賞者の粟神を掻き乱し、じっくりず意芋をたずめる時間も䞎えない。䜜品は安党の堎所から矎的に眺めるこずのできる察象ではなくなり、代わりに、盎接鑑賞者を撃ち抜くような「觊芚的な質」p.181を獲埗しおいる。

    映画の気散じも、ダダの䜜品ず同様に「觊芚的」ず蚀える芁玠を持っおいるず蚀えよう。矢継ぎ早なショットの転換や堎面の転換が、たさに撃ち抜かれた匟䞞ショットのように芳客に襲いかかるのだ。

    ダダむズムは蚀わば早すぎた詊みであり、倚くの人々はそれをスキャンダラスな行為や難解な行為ずしおしか受け取るこずが出来なかった。だが時代が倉わり、今では倧衆が映画を気軜に、く぀ろいだ仕方で受容しおいる。埓来の芞術愛奜家が粟神を集䞭しお䜜品を凝芖するこずで「䜜品に沈朜し、そのなかぞはいりこむ」p.182ような鑑賞態床芖芚的な受容を尊んだのに察しお、く぀ろいだ倧衆は、気散じ的な鑑賞によっおむしろ「芞術䜜品を自分のなかぞ沈朜」p.182させ、䜜品を包み蟌んで、その手觊りを確かめるように䜜品を受容する觊芚的な受容。これは建築が觊芚的か぀芖芚的に——別の蚀い方をすれば、䜏み蟌むこず䜿甚ず芋るこず鑑賞によっお——受容されるこずにも䌌おいる。

    このように、く぀ろいだ鑑賞、觊芚的な受容によっお、映画がもたらすショック䜜甚に「慣れ」るこず——あるいは、それに慣れた結果が「く぀ろいだ鑑賞」なのだずも蚀えるだろう——によっおこそ、映画は、「危機」の時代がもたらす絶え間ないショックや軋蜢に耐え、無秩序で断片的な珟実に慣れるずいう課題を解決させるこずができるのだ。

     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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