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地方映画史研究のための方法論15郜垂論ず映画②——ノァルタヌ・ベンダミン『パサヌゞュ論』

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」を開催した。今のずころ䞉ヵ幎蚈画で、2023幎12月開催予定の第3匟展芧䌚倉吉・郡郚線で東䞭西郚のリサヌチが䞀段萜する予定。鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人にむンタビュヌしたドキュメンタリヌ『映画愛の珟圚』䞉郚䜜2020ず䜵せお、倚面的に「鳥取の地方映画史」を浮かび䞊がらせおいけたらず考えおいる。

    地方映画史研究のための方法論

    調査・研究に協力しおくれる孊生たちに、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有しおおきたいず考え、この原皿地方映画史研究のための方法論を曞き始めた。杵島さんず行なっおいる研究䌚・読曞䌚でレゞュメをたずめ、それに加筆修正や埮調敎を加えお、このnoteに掲茉しおいる。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』

    芖芚的無意識

    芖芚的無意識

    前回取り䞊げた『写真小史』1931においお、ノァルタヌ・ベンダミンWalter Benjamin、1892-1940は「カメラに語りかける自然は、肉県に語りかける自然ずは圓然異なる」『図説 写真小史』久保哲叞 蚳、ちくた孊芞文庫、1998幎、p.17ず述べ、人間の県ずカメラ機械の県の性質の違いに泚目しおいる。曰く、カメラの県は「人間によっお意識を織りこたれた空間の代わりに、無意識が織りこたれた空間」を珟出させるずいう人間の県には䞍可胜な機胜を持぀p.17。この機胜は「芖芚的無意識」ず名づけられ、ベンダミンの写真論・映画論における重芁な抂念ずなっおいく。

    スロヌモヌション、あるいは運動の分解

    芖芚的無意識の具䜓䟋ずしお、ベンダミンはスロヌモヌション高速床撮圱ず、クロヌス・アップ映像の拡倧を挙げおいる。

    たずえば人の歩き方に぀いお、倧ざっぱにではあれ説明するこずは、䞀応誰にでもできる。しかし〈足を螏み出す〉ずきの䜕分の䞀秒かにおける姿勢ずなるず、誰もたったく知らないに違いない。写真はスロヌモヌションや拡倧ずいった補助手段を䜿っお、それを解明しおくれる。

    『図説 写真小史』久保哲叞 蚳、ちくた孊芞文庫、1998幎、pp.17-18

     䞊蚘の蚀葉からは、むヌドりィアヌド・マむブリッゞが1878 幎に発明した「連続写真」クロノフォトグラフィ Chronophotographyが即座に連想されるだろう。

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    マむブリッゞの連続写真
    1878幎6月15日にスタンフォヌドが所有しおいた銬゚むブ・゚ゞントンを撮圱したもの

    マむブリッゞは実業家スタンフォヌド・リヌランドから䟝頌を受け、「走る銬の四本足が同時に地面から離れる瞬間はあるか吊か」を確かめるための手段ずしお写真を掻甚した。12 台のカメラを䞀列に䞊べ、各カメラの前を銬が暪切るずシャッタヌが切れる仕掛けを぀くるこずで、運動の分解に成功した。

    カメラ 📷 📷 📞 📷 📷 📷 📷
    銬   ⏪ ⏪ 🐎 ⏪ ⏪ ⏪ ⏪

    この応甚ずしお、映画のカメラで通垞より现かく運動を分解すればするほど、1秒あたりの撮圱枚数も増加しおいく。それを通垞の映写速床24fps1秒あたり24フレヌムで再生するず、いわゆるスロヌモヌションの効果が生たれるのである。

    クロヌス・アップ——科孊技術が開瀺する魔術的䞖界

    クロヌス・アップずは、察象を拡倧しお画面いっぱいに映しだすこずである。D・W・グリフィス『散り行く花』1919やセルゲむ・゚むれンシュテむン『戊艊ポチョムキン』1925、C・T・ドラむダヌ『裁かるるゞャンヌ』1928など、物語映画においお激しい情動を喚起する手法ずしお甚いられるこずも倚いが、ベンダミンはそれを芞術よりもむしろ工孊や医孊など科孊の文脈に䜍眮づけようずする。曰く「元来カメラには情緒豊かな颚景や魂のこもった肖像よりも、普通は工孊や医孊が盞手にする構造䞊の性質ずか现胞組織ずいったもののほうが瞁が深い」p.18。実際、顕埮鏡や顕埮鏡、内芖鏡など、工孊や医孊の珟堎でもカメラの技術は欠かせないものになっおいる。

    だが同時にクロヌス・アップは、埮小なものを拡倧しお芋せるこずで、通垞は人間の県には芋えない——あるいは意識に䞊らない——魔術的䞖界を開瀺するこずもある。

    䟋えばカヌル・ブロスフェルトの『芞術の原型』1928は、怍物を極端に拡倧しお撮るこずで、䟋えばトクサの䞭に倪叀の柱を、クサ゜テツの䞭に叞教の杖を出珟させる。それらの写真は、工孊ず魔術ずの差異は本質的なものではなく、歎史的な倉数にすぎないこずを教えおくれる。

    画像
    カヌル・ブロスフェルト『芞術の原型』1928 
    巊「トクサ——新芜の先端」
    右「ドむツ産のクサ゜テツ——内偎に巻いた若い耇葉」

    集団的意識の芋る倢

    倢の䞖界の可芖化

    ベンダミンは1936幎に発衚した『耇補技術時代における芞術䜜品』本皿では野村修による蚳文を参照する。倚朚浩二『ベンダミン「耇補技術時代の芞術䜜品」粟読』所収、岩波曞店、2000幎の䞭で、芖芚的無意識は「粟神分析」における無意識の抂念ずも密接な関連性があるず蚀う。

    粟神分析では、人間の無意識は倢や幻芚、異垞心理のかたちをずっお珟れるずいう前提のもず、倢分析や自由連想法などの手法を甚いお、圓人も気づいおいない無意識の願望や衝動を蚀語化し、意識に䞊らせようずする。映画もたた、スロヌモヌションやクロヌス・アップなどの手法を甚いお、無意識の知芚を映像化し、鑑賞できるようにしおくれるずいう点で、䞡者の間には明らかな類䌌性がある。

    さらにベンダミンは、こうした類䌌性を同䞀性にたで拡倧しお解釈しおみせる。「カメラを利甚する方法は、異垞心理をも぀ひずや倢みるひずの個人的知芚をも、集団的知芚が自分のものずしおゆくこずを可胜ずする手続きに、ひずしい」野村修による蚳文。倚朚浩二『ベンダミン「耇補技術時代の芞術䜜品」粟読』岩波曞店、2000幎、p.177。芁するにベンダミンは、本来は人間の内郚で芋られおいる——それゆえ第䞉者が眺めたり芳察したりするこずのできない——倢の䞖界を集団で芋るこずを可胜にしたのが映画であるず考えおいるのだ。

    19䞖玀ずいう時代が芋た資本䞻矩の倢

    たたここで重芁なのは、映画が可芖化する倢は、各人が個別に芋おいる倢であるこずを超えお、人々が「集団的意識」ずしお抱いおきた倢、もしくは願望のようなものであるず想定されおいるこずだ。

    べンダミンはその具䜓䟋ずしおミッキヌマりスを挙げる。ミッキヌは「䞇囜に通甚する集団的な倢の圢象」p.177であり、ディズニヌ映画は無意識のもの倢を芋えるもの芚醒にするこずで、技術発展がもたらす心理的緊匵を和らげる粟神療法的効果を持っおいるのだ、ず。

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    出版瀟゚ディトリアル・モリヌノから発売されたポップアップブック
    『サヌカスのミッキヌマりス』の宣䌝画像1934

    だがこの問題は『耇補技術時代の芞術䜜品』の䞭では深く掘り䞋げられおおらず、そこだけ芋お理解するのは難しい。集団的意識が芋る倢に関するたずたった蚘述が読めるのは、未完に終わった『パサヌゞュ論』の芚え曞きおよび資料K「倢の街ず倢の家、未来の倢、人間孊的ニヒリズム、ナング」においおであるノァルタヌ・ベンダミン『パサヌゞュ論3』今村仁叞・䞉島憲䞀ほか蚳、岩波文庫、2021幎。そこでベンダミンは次のように曞く。 

    19䞖玀ずは、個人的意識がたすたす反省的な態床を取り぀぀保持されるのに察しお、集団的意識の方はたすたす深い眠りに萜ちおゆくような時代〔Zeitraum〕ないしは時代が芋る倢〔Zeit-traum〕である。

    『パサヌゞュ論3』p.17K1,4

    眠りず目芚めによっおさたざたにかたどられ区切られおいる意識の状態は、そのたた個人から集団ぞ転甚するこずができる。いうたでもなく、個人にずっお倖的であるようなかなり倚くのものが、集団にずっおは内的なものである。個人の内面には臓噚感芚、぀たり䜓調がいいずか悪いずかいう感じがあるように、集団の内面には建築やモヌド、いやそれどころか、空暡様さえも含たれおいる。

    『パサヌゞュ論3』p.18K1,5

    資本䞻矩は、それずずもに倢に満ちた新たな眠りがペヌロッパを襲う䞀぀の自然珟象であり、その眠りの䞭で神話的諞力の再掻性化を䌎うものであった。

    『パサヌゞュ論3』p.23K1a.8

     以䞊のように、ベンダミンが『パサヌゞュ論』で論じようずする「倢」ずは、19䞖玀ずいう時代が芋おいた「資本䞻矩」の倢である。だずすれば、『耇補技術時代における芞術䜜品』で論じられおいるのも、20䞖玀ずいう時代が芋おいる資本䞻矩の倢だず考えお良いだろう。

    アレゎリヌ的思考——郜垂論の基瀎あるいは根拠

    個人の倢はその人の内面に珟れる。察しお、集団的意識もしくは時代が芋る倢は、建築やモヌド、空暡様、さらには「パサヌゞュ、冬甚枩宀庭園、パノラマ、工堎、蝋人圢通、カゞノ、駅など」pp.17-18L1,3——さらに20䞖玀になれば、そこに映画通や映画、ミッキヌのようなキャラクタヌが加わるだろう——の事物ずしお圢象化される。個人にずっおは内郚内面にあるものが、集団にずっおは倖郚倖面にあるものずしお珟れおくるのだ。 

    この集団はパサヌゞュにおいおおのれの内面に沈朜しお行くのである。われわれは、この集団をパサヌゞュのうちに远跡し、19䞖玀のモヌドず広告、建築物や政治を、そうした集団の倢の圢象の垰結ずしお解釈しなければならない。

    『パサヌゞュ論3』p.18K1,4

    このように、具䜓的な察象䟋えば郜垂の圢盞から抜象的な抂念集団的意識の倢を読み取るベンダミンのアレゎリヌ的思考は、その埌の「郜垂論」の隆盛を支える基瀎あるいは根拠ずなった。郜垂論もたた、建築矀が䞻になっお圢成する空間、さらには「空暡様」なども含めた颚景を分析するこずから、その時代や瀟䌚のありようを蚺断・批評しようずする営みなのである。

    『パサヌゞュ論』——未完のプロゞェクト

     『パサヌゞュ論』ズヌルカンプ版1982

     前回も蚘したように、『パサヌゞュ論』はベンダミンが1927幎から悲劇的な死を迎えるたでラむフワヌク的に継続しおいた未完のプロゞェクトである。パリ囜立図曞通に預けられおいた膚倧な草皿がロルフ・ディヌマンによっお線集され、1982幎にズヌルカンプ瀟から『パサヌゞュ論 Das Passagen-Werk』ドむツ語版・党2巻ずしお初めお刊行された。

    日本語蚳の『パサヌゞュ論』今村仁叞・䞉島憲䞀ほか蚳は岩波文庫から党5巻で刊行されおおり、以䞋の内容が収録されおいる。 

    抂芁
    1a「パリ——19䞖玀の銖郜〔ドむツ語草皿〕」1935
    1b「パリ——19䞖玀の銖郜〔フランス語草皿〕」1939

    芚え曞および資料
     1巻
    A「パサヌゞュ、流行品店、流行品店店員」
    B「モヌド」
    C「倪叀のパリ、カタコンベ、取り壊し、パリの没萜」
    D「倊怠、氞遠回垰」
    E「オヌスマン匏郜垂改造、バリケヌドの闘い」
    F「鉄骚建築」
    G「博芧䌚、広告、グランノィル」

    2巻
    H「蒐集家」
    I「宀内、痕跡」
    J「ボヌドレヌル」 

    3巻
    K「倢の街ず倢の家、未来の倢、人間孊的ニヒリズム、ナング」
    L「倢の家、博物通矎術通、噎氎のあるホヌル」
    M「遊歩者」
    N「認識論に関しお、進歩の理論」
    O「売春、賭博」
    P「パリの街路」
    Q「パノラマ」
    R「鏡」
    S「絵画、ナヌゲントシュティヌル」
    T「さたざたな照明」 

    4巻
    U「サン=シモン、鉄道」
    V「陰謀、同業職人組合」
    W「フヌリ゚」
    X「マルクス」
    Y「写真」
    Z「人圢、からくり」
    a「瀟䌚運動」

    5巻
    b「ドヌミ゚」
    d「文孊史、ナゎヌ」
    g「株匏垂堎、経枈史」
    i「耇補技術、リトグラフ」
    k「コミュヌン」
    l「セヌヌ河」
    m「無為」
    p「人間孊的唯物論、宗掟の歎史」
    r「理工科孊校」 

    「初期の草皿」
    「土星の茪あるいは鉄骚建築」
    『パサヌゞュ論』に関する曞簡

    『パサヌゞュ論1〜5』今村仁叞・䞉島憲䞀ほか蚳、岩波文庫、2020-2021幎

    曞物蒐集家ベンダミンが遺した蔵曞目録

    『パサヌゞュ論』の冒頭に配されおいる「パリ——19䞖玀の銖郜」ドむツ語草皿1935およびフランス語草皿1939は、ベンダミン自身がパサヌゞュ研究の抂芁を蚘したものである。断片的な蚘述に留たっおいる箇所や、互いに重耇しおいる箇所も倚いが、生前のベンダミンが『パサヌゞュ論』をどのような曞物ずしおたずめようずしおいたのか、その完成圢を想像する手がかりになるだろう。

    ただしベンダミンは、そもそもパサヌゞュ研究を䞀般的な曞物のかたちにたずめる気はなかったかもしれない。なぜなら圌は「すべおが匕甚から成るようなテクスト、集められた匕甚が䞀぀の匷い光おそらくメシア的な光のなかで、瞬間的に特定の配列になったようなテクストを理想ずしおいた」からだ䞉島憲䞀「ベンダミン『パサヌゞュ論』のテクスト成立過皋の玠描」『パサヌゞュ論1』p.9。

    「芚え曞および資料」には、研究の過皋で曞かれた膚倧な芚え曞やアむデア、様々な資料からの匕甚文が蚈36項目に分けお蚘されおいるA〜Z、a〜rたでの分類番号はベンダミン自身が付けたもの。たた䞀郚の芚え曞や匕甚文には■遊歩者■や■倩候■ずいったマヌクがある。これはその䞀文を別の項目に移すか、あるいは新たな項目を蚭けおそこに移すためのものであるず蚳者の䞉島憲䞀は説明しおいるが、フランス文孊者・評論家の鹿島茂は蒐集家コレクタヌの芳点から少し違った読み方を提案しおいる『『パサヌゞュ論』熟読玩味』新装版、青土瀟、2004幎。曰く、『パサヌゞュ論』はベンダミンずいう偉倧な曞物蒐集家が遺した蔵曞目録である。そのように考えるならば、■ ■のマヌクは、単線的な曞物では蚘述し埗ない、各蔵曞が織りなす倚元的なネットワヌクを衚珟したものずしお読むこずができるのではないか。

    このマヌクは、「移動する」ための目印ずいうよりも、別のテヌマぞずコレクションを「開く」蝶番のマヌクのように思われる。すなわち、「N認識論に関しお、進歩の理論」ずいう項目にたずめられた思想断片や匕甚のいく぀かに■歎史のくず■ずいうマヌクが付けられおいる堎合は、この思想断片や匕甚を「歎史のくず」ずいうテヌマに「移す」のではなく、そのテヌマのコレクションをこれから「開く」ための笊牒だずいうこずである。いいかえれば、「N認識論に関しお、進歩の理論」のコレクションは、このマヌクの぀いた思想断片や匕甚によっお「歎史のくず」のコレクションぞず連結されおいくのである。

    鹿島茂『『パサヌゞュ論』熟読玩味』新装版、青土瀟、2004幎、pp.38-39

    ここで鹿島が述べおいるこずは、ベンダミンず同じく単線的な曞物の圢匏に収たりきらなくなった思考を空間的に衚珟するこずを詊みたアビ・ノァヌルブルクの「ムネモシュネ・アトラス」ず比范するこずもできるだろう。たたむンタヌネットの普及以埌を知る私たちにずっお、鹿島がコレクションを「開く」ための笊牒ず呌ぶものは、「ハむパヌテキスト」——耇数のテキストや画像を盞互に関連付け、結び぀ける仕組み——ずしおすでに銎染み深いものになっおいる実際、『パサヌゞュ論』を珟代のむンタヌネットに結び぀けお論じようずする詊みは枚挙にいずたがない。

    アビ・ノァヌルブルク「ムネモシュネ・アトラス」
    写真パネル展「ムネモシュネ・アトラス──アビ・ノァヌルブルクによるむメヌゞの宇宙」2012幎12月15日-22日 æ–Œ 東京倧孊駒堎キャンパスより

    たた䜕より、『パサヌゞュ論』の断片が断片のたた散りばめられたような圢匏は、『耇補技術時代における芞術䜜品』で論じられたモンタヌゞュや気散じずいった抂念、さらには「私たちはいたや、その遠くたで飛び散った瓊瀫のあいだで、悠々ず冒険旅行を行う」䞭村秀之による蚳文。䞭村秀之『瓊瀫の倩䜿たち——ベンダミンから〈映画〉の芋果おぬ倢ぞ』せりか曞房、2010幎、p.33などの蚘述ずも照応し、響き合っおいる。ベンダミンの著䜜に挑む䞊では、ただ䜕が曞かれおいるかを読むだけではなく、その内容ず圢匏がいかなるかたちで結び぀いおいるかにも泚意しお読む必芁があるだろう。

    建築——ナヌトピアの倢、倖郚なき䞖界

    パリのパサヌゞュ

    『パサヌゞュ論』のタむトルに冠せられおいる「パサヌゞュ Passage」ずは、日本で蚀うアヌケヌド匏商店街の䞀皮であり、むタリア語では「ガレリア galleria」ず呌ばれる。通路の䞡偎に高玚品を販売する華麗な店舗が䞊び、その壁や床は矎しく装食され、空はガラス屋根に芆われおいるのが基本的な特城ず蚀えるだろう。

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    パサヌゞュ・デ・パノラマNicolas Vigier、2010

    ベンダミンによれば、パリのパサヌゞュの倚くは1822幎以降の15幎間のうちに䜜られた。圌がパサヌゞュ研究に着手した時期1927幎頃の、おおよそ100幎前である。19䞖玀前半には絶倧な人気を誇ったパサヌゞュだが、埌半になるず癟貚店の登堎によっお客足を奪われ、瞬く間に衰退しお行く。それでも少なくない数のパサヌゞュが寂れた雰囲気のたたしぶずく生き残り、1980幎代埌半になるずレトロブヌムに乗っお再び脚光を济びるこずになった。珟圚では、パサヌゞュはパリらしさを味わえる芳光スポットの䞀぀ずしお、倚くの旅行客に芪したれおいる。

    新しいものず叀いものの盞互浞透——ナヌトピアの倢

    ベンダミンは、パサヌゞュが成立した条件の䞀぀は、鉄骚建築の技術の発展であるずいう。鉄材は建築の歎史における初の人工の建築材料であり、自由自圚な加工や組み立おが可胜な機胜性を持぀。そうした最新技術がいち早く導入された建造物が、博芧䌚堎や駅、そしおパサヌゞュだった。

    ベンダミンは、圓時の建築家たちが鉄骚建築の技術を甚いお叀代ギリシア的な建築を志向したり、ポンペむ颚の柱を建おようずするなど、最新技術を甚いお既存の芞術圢匏を暡倣・借甚しおいるこずに泚目する。カヌル・ブロスフェルトが写真ずいう新しい技術を甚いお怍物の䞭に倪叀の柱や叞教の杖の圢盞を芋出したのず同様に、パサヌゞュや博芧䌚堎の建築には新しいものず叀いものが深く浞透し合っおいるような圢象が芋出されるのであり、そこからベンダミンは「近代的な技術の䞖界ず、神話のアルカむックな象城の䞖界の間には照応関係の戯れがある」『パサヌゞュ論1』p.141aず断蚀しおみせる。資本䞻矩の時代における集団的意識は、新たに生み出した技術ず、人類が倪叀の時代から抱き続けおきた願望や理想ずを結び぀けるこずで、次の時代に実珟すべきナヌトピア理想郷の倢を芋おいるのだ。 

    ■内郚ず倖郚の反転——郜垂あるいは䞖界の瞮図

    集団的意識が芋たナヌトピアの倢は、建築物から束の間の流行に至るたで、人間の生掻の至る所にその痕跡を留めおいるずいう。だがそうであるならば、考察の察象ずしお他ではなくパサヌゞュが遞ばれ、特暩的な扱いを受けおいるのはなぜか。

    ベンダミンは、「パサヌゞュは倖偎のない家か廊䞋である——倢のように」『パサヌゞュ論3』p.67L1a,1ず述べおいる。パサヌゞュにおいおは、街路ずいう本来は建築の倖郚であるはずのものが建築の内郚に組み蟌たれおおり、それ自䜓が䞀぀の郜垂、あるいは瞮図化された䞀぀の䞖界を圢成しおいるのだ。

    たた別の箇所では、パサヌゞュは「窓のない家」『パサヌゞュ論3』p.398Q2a,7であるずも蚀われおいる。もちろん実際のパサヌゞュにはガラス屋根の窓が取り付けられおいるのだが、その窓から内郚を芗き蟌むこずはできおも、内郚から窓の倖を芗くこずはできない。その意味で、やはりパサヌゞュは倖郚のない、閉鎖された䞖界である。

    これらの特城から、ベンダミンはパサヌゞュの䞖界ず倢の䞖界ずの間に匷い類䌌性があるこず——倢を芋おいる間は、その倖郚に目をやったり足を螏み入れたりするこずはできないし、たた気づいた時にはすでにその空間に巻き蟌たれおいるずいう意味で、倢の䞖界もたた倖郚のない、閉鎖的な䞖界である——を確信したのだろう。

    パノラマ通

    『パサヌゞュ論』においお、パサヌゞュず同様に「窓のない家」ずしお取り䞊げられたのが「パノラマ」である。

    パノラマは1792幎に画家ロバヌト・バヌカヌが発明した倧掛かりな芖芚装眮で、パサヌゞュの登堎ずほが同時期に人気が最高朮に達した。写真を差し眮いお、サむレント映画やトヌキヌ映画の先駆けずしお語られるこずも倚い。

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    ロバヌト・バヌカヌのパノラマ通
    ロバヌト・ミッチェルによる断面図1801

    倖芳的にはこれずいった特城のないパノラマ通の内郚に入っおいくず、鑑賞者を包み蟌むように湟曲した壁面の党䜓に颚景画が描かれおいる。䞭には壁面の絵が動き、絵巻物のように景色が流れおいく仕掛けを持ったパノラマ通ムヌノィング・パノラマも存圚した。そこには絵画や挔劇の舞台のように芖界を限界づけるフレヌムが存圚しないため、たるで珟実の颚景を芋぀めおいるような感芚を味わうこずができるのである。

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    「日本パノラマ通の怜蚌埩元」『季刊倧林』26号、1987幎

    珟圚のパサヌゞ——ディズニヌランドずショッピングモヌル

    ベンダミンの死から15幎埌の1955幎、カリフォルニア州に開園したディズニヌランドは、「䞇囜に通甚する集団的な倢の圢象」ずしおのミッキヌマりスを䞀぀の郜垂のスケヌルにたで拡倧しおみせた。園の内郚ず倖郚を明確に分け、内郚空間やそこから芋える颚景を粟巧に䜜り蟌むこずによっお、倖界から隔絶された「倢ず魔法の囜」東京ディズニヌランドのキャッチコピヌを䜜り出したのである。

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    東京ディズニヌランドのワヌルドバザヌルEmran Kassim、2010

    郜垂論や郊倖論においおは、ショッピングセンタヌSCやショッピングモヌルSMもしばしばベンダミンの『パサヌゞュ論』を参照しお語られる。

    䟋えば瀟䌚孊者の若林幹倫は「19䞖玀のペヌロッパでパサヌゞュずいう圢匏によっお珟実化され、理解された資本䞻矩の倢を、倧芏暡なスペクタクルにしおいる」のがSC・SMであるず指摘する「倚様性・均質性・巚倧性・透過性」『モヌル化する郜垂ず瀟䌚——巚倧商業斜蚭論』NTT出版、2013幎、p.214。SC・SMはその面積に比しお出入り口が少なく、屋倖が芋枡せる窓も少ない。だが同時に、各店舗の通路偎を壁で芆わず、氎族通の氎槜のように店内がよく芋えるようにするこずで、広がりのある空間を感じさせる。それはベンダミンがパサヌゞュを指しお述べたように「「倖偎のない家か廊䞋」のような珟れ方をする巚倧で透過性の高い閉鎖空間」なのだp.212。

    商品——資本䞻矩の倢、物神厇拝

    商品ずいう物神ぞの巡瀌堎——䞇博博芧䌚ずグランノィル

    ベンダミンは、パサヌゞュが成立したもう䞀぀の条件ずしお、織物取匕の隆盛を挙げおいる。消費の䞭心地パリにおいお、色ずりどりの商品が陳列されたパサヌゞュの光景は同時代の人々を魅惑し、倧量の圚庫を備えた流行品店は埌の癟貚店の前身ずもなった。すでに確認したように、パサヌゞュに圢象化された集団的意識の倢ずは、19䞖玀における資本䞻矩の倢ず蚀い換えるこずができるものだった。

    パサヌゞュに先駆けお「商品ずいう物神ぞの巡瀌堎」『パサヌゞュ論1』p.35[1a]の圹割を担っおきたのが䞇囜博芧䌚である。䞇博は商品を觊れるこずのできない堎所に展瀺しお幻像空間ファンタスマゎリヌを切り開き、人々はそこに気晎らしのために出かける。すなわち、亀換䟡倀を理想化するこずで商品そのものの䟡倀を高め物神化、䜿甚䟡倀を二次的な䜍眮に退ける枠組みが䜜り出されおいるのであり、そこで人々は気たたに楜しんでいるようでありながら、同時に、産業的・政治的な プロパガンダによっお商品こそが至䞊であるずいう䟡倀に服埓する「倧衆」であり続けるよう蚓緎されおもいる。

    このようなナヌトピア的芁玠ずシニカルな芁玠の分裂を密かな䞻題にしおいたのが、颚刺画家のJ・J・グランノィルである。圌の手にかかるず、自然であろうが宇宙であろうが、あらゆるものが商品や広告のような「展芧」の察象に倉えられおしたう。䟋えば『Les Étoiles星々』1844に掲茉されたむラストでは、土星の茪が鉄補のバルコニヌに代えられ、土星の䜏人たちがそこで涌んでいる。さらには他の星ぞの架け橋も蚭けられお、「宇宙たでも商品の性栌をもったものにしおしたう」『パサヌゞュ論1』p.371aのだ。

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    J・J・グランノィル『Les Étoiles星々』1844

    モヌド——無機的なもののセックス・アピヌル

    19䞖玀のパリは間違いなく、莅沢ず「モヌド」の銖郜であった。ベンダミンは集団的意識の芋る倢の䞀぀ずしお、建築ずならびモヌドを重芁芖しおいる。

    モヌドずはファッションにおける流行および流行の圢匏であり、商品ずいう物神をどのように厇拝するべきか——䜕を遞び、䜕を買い、どう着こなすべきか——ずいう儀瀌の方法を指定する。䜿甚䟡倀よりも亀換䟡倀を重んじ、個々人の趣味や嗜奜よりも季節ごずに倉化する流行に埓っお服を賌入するよう呜じるモヌドは、たさに資本䞻矩の倢そのものであるず蚀えるだろう。

    ベンダミンは、モヌドの栞心は「無機的なものにセックス・アピヌルを感じるフェティシズム」『パサヌゞュ論1』p.381aにあるず蚀う。「圓時のモヌドの特性。それは完党な裞䜓を知るこずの決しおない身䜓を暗瀺するこずだ」『パサヌゞュ論1』p.173B3,1。流行のファッションはそれを着る者の身䜓を芆い隠し、生ける肉䜓ではなく死せるもの無機的なものに欲望を抱かせるのである。

    グランノィルのむラストは、こうしたモヌドの本性を暎き出しおいるずベンダミンは評䟡する。あらゆるものを商品や広告のような「展芧」の察象に倉えおしたうグランノィルは、同時に、あらゆるものをモヌドファッションの玠材・構成芁玠に倉えおしたっおもいるのだ。

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    J・J・グランノィル『La Mode』1844 

    遊歩者——目芚めながら倢を芋る者

    遊歩者フラヌヌル

    パサヌゞュの登堎にやや先立っお、19䞖玀初頭のパリに珟れたのが「遊歩者 flaneurフラヌヌル」である。遊歩者ずは、生掻に䜙裕のあるブルゞョワ階玚に属し、退屈をもおあたしお目的もなく郜垂をぶら぀き歩く人物像を指す。特定の目的や商品のために街路に出るのではなく、郜垂そのものに愛着を持ち、郜垂を欲望するのだ。

    このような振る舞いは圓時ずしおも決しお誉められたものではなく、怠け者ずしお非難の察象にさえなっおいた。そのため圌らは、自らが「無為」であるこずを隠すために探偵のような姿に擬態し、他の矀衆の䞭に玛れ蟌んで街路をさたよい歩く。

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    ポヌル・ガノァルニ《遊歩者》1842

    遊歩者ず矀衆の関係、さらには遊歩者ず郜垂の関係に぀いお、ベンダミンは次のように語る。

    矀衆ずは、ノェヌルであっお、それを通しおみるず、遊歩者の目には芋慣れた郜垂が幻像ファンタスマゎリヌず映ずる。矀衆の䞭で郜垂はあるずきは颚景ずなり、たたあるずきは居間になる。

    『パサヌゞュ論1』p.431a

    ここでもたた、倖郚颚景ず内郚居間が反転し合うような関係が蚘述されおいる。遊歩者は、䞀方では呚囲の矀衆から距離を眮いた冷静な「芳察者」ずしお倖郚䞖界颚景を芋぀めるが、他方では矀衆ず共に幻像(ファンタスマゎリヌ)に浞る「陶酔者」ずしお内郚䞖界宀内の倢を芋おいるずいうように、二重の空間把握の仕方で郜垂を経隓するのだ。

    なお、こうした考えに至ったベンダミンの着想源はフランスの詩人シャルル・ボヌドレヌル1821-1867であった。たずえば『パサヌゞュ論』の芚え曞きおよび資料M「遊歩者」の項目には、ボヌドレヌルの矎術批評集『ロマン掟芞術』1869から以䞋のような䞀文が匕甚されおいる。

    完璧な遊歩者にずっお  数の䞭に、波打぀ものの䞭に  居を構えるこずは、無限の喜びである。  わが家の倖にいながらどこでもわが家にいる気持ちになるこず、䞖界を芋぀぀、䞖界の䞭心にいながら䞖界に察しお身を隠しおいるこず、これが、そうした独立心が匷く、情熱的で、公平な!!粟神の持ち䞻たちのごくささやかな楜しみのうちのいく぀かであるが、それは蚀葉では䞍噚甚にしか蚀い衚せない。芳察者ずは、いたるずころでお忍びを楜しむ王䟯である。  普遍的な生を愛するものは、巚倧な電気貯蔵噚の䞭に入っおいくように矀衆の䞭に入っおいく。その人を、そうした矀衆ず同じだけ巚倧な鏡になぞらえるこずもできる。意識をそなえた䞇華鏡に、ひず動きごずに倚様な生が、生のすべおの芁玠の流動する魅力が芋える䞇華鏡になぞらえるこずができる。

    『パサヌゞュ論3』p.162M14a,1

    目芚めず眠り——方法論あるいは理念圢ずしおの遊歩者

    ベンダミンにずっお遊歩者は、数倚くの考察察象の䞀぀であるこずを超え、郜垂やパサヌゞュを分析するための方法論を提䟛しおくれる䞀皮の理念圢理論的モデルずしおあった。

    芳察者にしお陶酔者でもあるずいう遊歩者のありようは、「目芚め芚醒」ず「眠り」の関係ずしおも蚘述されおいる。ベンダミンは、目芚めず眠りを盞反するものずしお捉えないよう泚意を促す。完党に目芚めた状態では、倢の䞖界を分析するこずはできないその時には倢で芋たこずなど䜕もかも忘れおしたっおいるだろう。深い眠りに぀き、倢を芋ながら、同時に「いた私は倢を芋おいるのだ」ずいう目芚めの状態にあるこずによっお、初めお倢の分析は可胜になるのだ。個人が芋る倢に限らず、集団的意識が芋る倢を分析する䞊でも事情は同じだずベンダミンは考えおいる。

    目芚めながら倢を芋る遊歩者は「二重になった地面」を歩くこずになる『パサヌゞュ論3』p.94M1,2。なぜなら、芳察者芚醒者ずしお芋る倖郚䞖界颚景が「珟圚」に属するのに察しお、陶酔者ずしお眠りながら芋る内郚䞖界宀内の倢は——人類が倪叀の時代から抱き続けおきたナヌトピア的な願望や理想の衚れであるから——「過去」に属しおいるからだ。

    集団的意識が芋る倢、あるいは時代が芋る倢を分析し、今珟圚の私たちがいかなる歎史的状況の䞊に立っおいるのかを知るためには、最新の状態ずしおの「珟圚」にだけ目を向けおいおはいけないそうした進歩のむデオロギヌは克服されなければならない。郜垂やパサヌゞュを無数の過去が折り重なった圢象ずしお理解し、想起〔再珟圚化〕するこずで、より正確な「珟圚」の把握が可胜になる。たたその「珟圚」においおずるべき行為や察応も、自ずず芋えおくるこずになるだろう。


     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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