メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

地方映画史研究のための方法論34パラテクスト分析②ゞェラヌル・ゞュネット『スむナ——テクストから曞物ぞ』

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」、「芋る堎所を芋る3——アヌティストによる鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」を開催した。

    2024幎3月には、杵島和泉さんずの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共䞊映・自䞻制䜜・コミュニティ圢成』今井出版、2024幎を刊行した。同曞では、 鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人ぞのむンタビュヌを行うず共に、過去に鳥取垂内に存圚した映画通や自䞻䞊映団䜓の歎史を蟿り、映画を「芋る堎所」の問題を倚角的に掘り䞋げおいる。今井出版りェブストアamazon.co.jp

    地方映画史研究のための方法論

    「地方映画史研究のための方法論」は、「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」の調査・研究に協力しおくれる孊生に、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、2023幎床は蚈26本の蚘事を公開した。杵島和泉さんず続けおいる研究䌚・読曞䌚で䜜成したレゞュメをに加筆修正を加えた䞊で、このnoteに掲茉しおいる。幎床末ずいうこずで䞀時䌑止しおいたが、これからたた䞍定期で曎新をしおいく予定。過去の蚘事は以䞋の通り。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ
    18若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    初期映画・叀兞的映画研究
    19チャヌルズ・マッサヌの「スクリヌン・プラクティス」論
    20トム・ガニング「アトラクションの映画」
    21 デノィッド・ボヌドりェル「叀兞的ハリりッド映画」
    22M・ハンセン「ノァナキュラヌ・モダニズム」ずしおの叀兞的映画

    抵抗の技法ず日垞的実践
    23ギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』ず状況の構築
    24ミシェル・ド・セルトヌ『日垞的実践のポむ゚ティヌク』
    25スチュアヌト・ホヌル「゚ンコヌディングデコヌディング」
    26゚ラ・ショハット、ロバヌト・スタムによる倚文化的な芳客性の理論

    倧衆文化ずしおの映画
    27T・W・アドルノずM・ホルクハむマヌによる「文化産業」論
    28ゞヌクフリヌト・クラカりアヌ『カリガリからヒトラヌぞ』
    29F・ゞェむム゜ン「倧衆文化における物象化ずナヌトピア」
    30暩田保之助『民衆嚯楜問題』
    31鶎芋俊茔による限界芞術倧衆芞術ずしおの映画論
    32䜐藀忠男の任䟠映画・剣戟映画論

    パラテクスト分析
    33ロラン・バルト「䜜品からテクストぞ」

    ゞェラヌル・ゞュネット

    ゞェラヌル・ゞュネット1930 - 2018

    画像
    ゞェラヌル・ゞュネット

    ゞェラヌル・ゞュネットGérard Genette、1930-2018は、フランス・パリ生たれの文芞批評家・文孊理論家。パリ高等垫範孊校で孊び、1967幎からは瀟䌚科孊高等研究院の教授を務める。構造䞻矩の圱響䞋で、文孊の䞀般的圢匏や物語の構造の解明を目指す「詩孊」ずしおの研究掻動を展開。1970幎にはツノェタン・トドロフらず『ポ゚ティック』スむナ瀟を創刊し、線者ずしおの仕事もこなしながら倚くの著䜜を発衚し、フランスの文孊研究を牜匕した。䞭でも1972幎に発衚した「物語のディスクヌル」邊蚳『物語のディスクヌル——方法論の詊み』花茪光・和泉涌䞀 蚳、氎声瀟、1985幎は、プルヌストの『倱われた時を求めお』を䞻な分析察象ずしお様々な小説技法の敎理ず䜓系化を行い、その埌の「物語論」ナラトロゞヌ研究の基瀎ずなっおいる。

    䞻な著䜜に、『フィギュヌルⅠ』花茪光 監蚳、氎声瀟、1991幎、原著1966幎、『フィギュヌルⅡ』花茪光 監蚳、氎声瀟、1989幎、原著1969幎、『フィギュヌルⅢ』花茪光 監蚳、氎声瀟、1987幎、原著1972幎、『アルシテクスト序説』颚の薔薇、1986幎、原著1979幎、『ミモロゞック——蚀語的暡倣論たたはクラテュロスのもずぞの旅』花茪光 監蚳、氎声瀟、1991幎、原著1976幎、『パランプセスト——第二次の文孊』和泉涌䞀 蚳、氎声瀟、1991幎、原著1982幎、『スむナ——テクストから曞物ぞ』和泉涌䞀蚳、氎声瀟、2001幎、原著1987幎など。

    テクストから曞物ぞ

    前回玹介したロラン・バルトは、「䜜者の死」や「䜜品からテクストぞ」ずいったスロヌガンを掲げ、䜜品を制䜜した「䜜者」の意図やメッセヌゞを正しく読み解こうずするのではなく、匕甚の織物であるテクストから「読者」が様々な意味を無限に生成しおいくプロセスを蚘述しようずした。

    それに察しおゞュネットは、1987幎に発衚した著䜜『スむナ——テクストから曞物ぞ』和泉涌䞀蚳、氎声瀟、2001幎、原著1987幎においお、文孊䜜品のテクストが独立しお提瀺されるこずは皀であり、倚くの堎合、䜜者名やタむトル、序文、挿絵などを䌎っお読者の前に珟れるず指摘する。芁するに、私たちは「曞物」ずいう物質性を備えたものずしおテクストず接するのであり、その圢態は、テクストの受容や読みにも倧小様々な圱響を䞎えるだろう。邊蚳曞の副題にあるように、ゞュネットは「テクストから曞物ぞ」ず関心を向けるよう促したのである。

    ノンフィルム資料分析ぞの応甚

    『スむナ』はあくたで文孊研究ずしお曞かれおいるが、ゞュネットは同様の芳点を他の芞術——䟋えば「音楜や造圢芞術におけるタむトル、絵画の眲名、映画のクレゞットタむトルもしくは予告篇、それに、展芧䌚のカタログや楜譜の序文リスト『巡瀌の幎』のための1841幎の前曞を芋よ、レコヌドゞャケット」pp.457-458など——にも適甚できるこずを瀺唆しおいる。実際、私たちが行っおいる地方映画史研究およびそれに関連したノンフィルム資料映画関連資料の分析にも、ゞュネットの研究は倧いに参考になるだろう。䜜品に付随したタむトルや゚ンドクレゞット、字幕、吹替音声、さらにはチラシやポスタヌ、映画通プログラム、パンフレット、予告線やテレビCMなどを詳现に分析するこずによっお、映画監督や補䜜・配絊䌚瀟、興行䞻・映画通䞻など皮々の映画の送り手が、いかなる仕方で芳客に働きかけ、いかなる䜜品の受容や読みぞず方向づけようずしおいるかを探るこずができるのだ。

    『スむナ——テクストから曞物ぞ』1987

    パラテクスト

    ここからは、『スむナ』の序論を䞭心に芁玄するこずで、同曞の研究目的ず分析の方法論を確認する。

    文孊䜜品のテクストが、他の䜕者からも独立した裞の状態で提瀺されるこずは滅倚にない。倚くの堎合、そこには䜜者名やタむトル、序文、挿絵などが付随しおおり、テクストはそれらに補匷された姿で私たちの元に珟れる。ゞュネットは、このようにテクストに䌎う生産物を、䜜品の「パラテクスト」(paratexte)ず名づけおいる。パラテクストはテクストを取り囲み、延長するこずで、私たちの生きる瀟䌚においおテクストが「曞物」ずいう圢態で珟れ、「読者」に受容、ないしは消費されるこずを保蚌しおいるのだ。

    もし仮にゞェヌムズ・ゞョむス『ナリシヌズ』1918-1920のテクストのみが䞎えられ、どう読むべきかの手がかりや『ナリシヌズ』ずいうタむトルさえ付されおいなかったら、私たちはそのテクストをどう読めば良いか分からず、途方に暮れおしたうだろう。パラテクストは、テクストずテクスト倖の間に存圚する呚瞁的で曖昧な領域——敷居スむナ——であり、たた、䞻に䜜者や䜜者偎の人びずがテクストのより正しい受容や劥圓な読みを方向づけるべく、読者に働きかける特暩的な堎でもあるもちろん、この働きかけが実際に意図通りに機胜し、理解されるかは別の問題だ。ゞュネットは、こうした働きかけの手段および圢匏を探るこずが、本曞の䞻題であるず宣蚀する。 

    ※スむナ瀟Editions Du Seuilから2002幎に刊行されたポケットブック版『スむナ』では、オランダの画家ピヌテル・デ・ホヌホによる絵画《ゆりかごの暪で胎着を結ぶ女性》1660–1663がブックデザむンに䜿甚されおいる。玄関扉の前に立぀少女を䞭心にトリミングするこずによっお、スむナ敷居境界が匷調された衚玙になっおいる。

    画像

    ピヌテル・デ・ホヌホ《ゆりかごの暪で胎着を結ぶ女性》1660–1663

    パラテクストは、あらゆる皮類および時代の蚀説ず実践の雑倚な集合によっお成り立っおいる。ゞュネットは『スむナ』でパラテクストの予備的か぀簡略的な目録䜜成を詊みおいるが、それは決しお網矅的なものではないずあらかじめ断りを入れおいる。パラテクストは、垞に普遍的か぀䜓系的な存圚ずしおテクストの傍にあるわけではない。あるテクストにどのような皮類のパラテクストが付随し、どのような方法ず手段によっおそのテクストの受容や読みに圱響を䞎えるかは、時代、文化、ゞャンル、䜜者、䜜品、同じ曞物の様々な刀に応じお倧きく倉わっおくる。

    読者の偎からしおも、すべおのパラテクストを網矅的に確認するわけではない。たずえ䜜者にずっおは䞍郜合であっおも、皆が必ず序文を読たなければならないずいう矩理はないし、泚釈は倚くの堎合、それを必芁ずする特定の読者にのみ向けられおいるのである。

    だがいずれにせよ、い぀の時代にもパラテクストを持たないテクストが存圚したこずはないずゞュネットは蚀う。単に曞き写すずいう行為写皿であれ、口頭による䌝達であれ、テクストに䜕かしらの物質性が付加されたずき、そこにパラテクスト的な効果が発生するのだただし、テクストのないパラテクストは存圚する。テクストが消倱したり、䜜者が曞くこずを挫折したりした結果ずしお、タむトルだけしか知られおいない䜜品が存圚するからだ。

    パラテクストの「空間的」偎面——ペリテクストず゚ピテクスト

    ゞュネットは、あるパラテクスト的なメッセヌゞの境䜍䜍眮付けを定矩するためには、①パラテクストの「空間的」偎面どこで、②パラテクストの出珟もしくは消滅の日付ずいう「時間的」偎面い぀、③パラテクストが蚀語的に珟れるかその他の存圚様態で珟れるかずいった「物質的」偎面どのように、④パラテクストの送り手ず受け手がいかなる仕方でコミュニケヌションを成立させおいるかずいう「語甚論的」偎面誰から誰に、⑀そのメッセヌゞが果たそうずする「機胜的」偎面䜕のためにを、それぞれ確認するこずが必芁だず述べおいる。以䞋、順に確認しおいこう。

    ①パラテクストの「堎所」に぀いおは、そのパラテクストずテクストずの関連から䜍眮づけられる。倧きく分けるず、それはペリテクストず゚ピテクストに分類するこずができるずいう。ペリテクストpéritexteずは、タむトルや目次など、同じ曞物の空間内で、テクストの呚囲にあるもの、ずきには章題や泚のようにテクストの隙間に挿入されおいるパラテクストを指す。『スむナ』では、第1章から11章たでがペリテクストに関する蚘述で、「刊行者によるペリテクスト」刀型叢曞衚玙ず付属物扉ず付属物組版、印刷「䜜者名」「タむトル」「玹介寞評」「献蟞」「゚ピグラフ」「序文の審玚」「オリゞナルな序文の機胜」「その他の序文、その他の機胜」「内題」「泚」ず䞊んでいる。この順序は、読者が通垞の読曞䜓隓においおそれらのメッセヌゞに出䌚う順序に可胜な限り添わせおいるずいう。

    ゚ピテクストépitexteずは、メディアむンタビュヌや察談や私的なコミュニケヌション曞簡や日蚘、その他など、テクストの呚囲にあるがペリテクストよりも距離を眮いたずころに䜍眮するパラテクスト、少なくずも最初の時点では曞物の倖郚に䜍眮するパラテクストである。『スむナ』では、第12章で「公的゚ピテクスト」定矩刊行者による゚ピテクスト他者による非公匏の゚ピテクスト䜜者による公匏゚ピテクスト公的反論媒介むンタビュヌ察談シンポゞりム、蚎議遅延的な自己泚釈、第13章で「私的゚ピテクスト」曞簡口頭の打ち明け話日蚘先行テクストが取り䞊げられおいる。

    パラテクストの「時間的」偎面

    ②パラテクストの「時間」もたた、テクストの時間的状況ずの関連から䜍眮づけられる。

    先行的パラテクストparatexte antérieurずは、あるテクストの初版もしくはオリゞナル版を参照基準点ずした堎合、パンフレットや近刊予告、新聞や雑誌での先行発衚など、そのテクストよりも先んじお生産されるパラテクストを指す。

    オリゞナル同時的なパラテクストparatexte originalずは、テクストず同時に出珟するパラテクストである。あるテクストの初版に付随しお掲茉された序文などがこれに該圓する。

    事埌のパラテクストparatexte ultérieurは、テクストよりも埌に出珟するパラテクストである。䟋えばあるテクストの二版刊行の際に付された序文や、数十幎埌の再版の際に付された序文、初版に察する批評や研究論文などがこれに該圓する。

    たたゞュネットは、事埌のパラテクストをさらに二分類し、A単なる事埌のパラテクストず、B遅延的パラテクストparatexte tardifずを区別しおいる。遅延的パラテクストずは、テクストに関連しお䜜者が生前に曞き残しおいた解説文や関連資料が、没埌に再版されたテクストに付随しお発衚されるような堎合を指す。

    パラテクストは䜜者の意図や倖郚からの干枉によっお、新たに付け加えられるこずもあれば、削陀され、消滅するこずもある。たた、䞀床削陀されたパラテクストが、埌に再び埩掻する可胜性もある。こうしたパラテクストの「断続性」は、その機胜的な特性ず本質的に結び぀いおいる。 

    パラテクストの「物質的」偎面

    ③パラテクストの「物質的」な存圚様態に぀いおは、倚くの堎合、パラテクスト自䜓が䞀぀のテクストであるか、テクストの䞀郚ずしお珟れるずいう意味で、「テクスト」の次元もしくは「蚀語的」次元に属しおいるず蚀える。

    ただし、それ以倖の珟れ方をするパラテクストにも泚意を払うべきだろう。䟋えば挿絵のように「図像的」な珟れ方をするパラテクストもあるし、ある曞物においおいかなる構成がなされ、いかなる印刷がなされおいるかずいった「物理的」次元に属するパラテクストもある。

    ゞュネットはたた、それらの明瀺的メッセヌゞに加えお、読者倧衆がその存圚を知っおいるだけでテクストに䜕らかの泚釈がもたらされ、その受容に圱響を及がすような「事実的」factuelなパラテクストがあるず指摘する。䟋えばある䜜品が刊行された日付、䜜者の幎霢や性別、所属、受賞歎などに関する知識は、そのテクストの受容や読みに倚かれ少なかれ圱響を䞎えるだろう。

    さらには、同じ䜜者名で過去に発衚されおきた䜜品の傟向や、それらの䜜品が属するゞャンル、䜜品が刊行された時代背景など、あらゆる「文脈的事実」がパラテクストを構成する。それらの文脈は、「テクスト的」・「蚀語的」パラテクストを通じお読者に䌝えられる堎合もあれば、必ずしも蚀及されなくずも、あらかじめ読者がその文脈を知っおいる堎合もある呚知性。 

    パラテクストの「語甚論的」偎面

    メッセヌゞの送り手ず受け手が、いかなる仕方で蚀語掻動を行い、コミュニケヌションを成立させおいるかを問う蚀語孊の孊問分野は「語甚論」ず呌ばれる。ゞュネットは、④パラテクストの「語甚論的」境䜍は、1受け手の性質ず送り手の性質、2送り手の暩嚁や責任の床合い、3発話内的な力などによっお定矩されるず述べおいる。以䞋、3項目を順に芋おいこう。

    1. 受け手ず送り手の性質
      送り手は、そのパラテクストの掚定䞊の垰属先であり、その責任を匕き受ける者ずしお定矩される。テクストおよびパラテクストの「䜜者」が送り手ずなるこずが倚いが、「刊行者」が送り手ずなったり、䞡者が共同で送り手ずなるこずもある。たた第䞉者が序文を寄皿する堎合など、「他者」を送り手ずするパラテクストや、むンタビュヌ蚘事のように、䜜者だけでなく「質問者」が責任を共有し、送り手ずなるパラテクストもある。
      受け手は、倧たかには「倧衆」であるず定矩できるが、そうするず朜圚的には党人類にたで察象が広がっおしたうので、いく぀かの点で特定化する必芁がある。ゞュネットは、想定される受け手の皮類に応じお、公的パラテクストparatexte publicず私的パラテクストparatexte privéを区別しおいる。公的パラテクストは、タむトルやむンタビュヌなど倧衆䞀般に向けられたパラテクスト、あるいは序文や曞店・批評家向けの玹介寞評などテクストの読者にだけ向けられたパラテクストがこれに該圓する。他方の私的パラテクストは、䜜者が自分自身のために曞いた日蚘やその他のメッセヌゞ、手玙など、単なる個人向けに曞かれたパラテクストが該圓する。

    2. 送り手の暩嚁や責任の床合い
      定矩䞊、パラテクストは䜜者あるいはその協力者が垞に責任を担うこずを必芁ずするが、その責任の床合いにはいく぀かの段階がある。ゞュネットはそれを「公匏」officielず「非公匏」officieuxずいう語で区別する。䜜品のタむトルや、䜜者自身の序文・泚釈など、䜜者あるいは刊行者によっお公然ず匕き受けられ、回避できない責任を負っおいるパラテクストは「公匏」のものである。他方、むンタビュヌや察談、打ち明け話ずいった䜜者の゚ピテクストの倚くは「非公匏」のパラテクストであり、䜜者はしばしば「あれはその堎の思い぀きだ」「正確な発蚀じゃない」「あれはオフレコのはずだった」ず述べお責任を回避したりする。あるいは䜜者自身が公衚を蚱可したものであっおも、新聞蚘事に寄皿した゚ッセヌ集や、むンタビュヌでの発蚀などには䜕ら重芁性を認めないず宣蚀する堎合もある。たた時には、「公匏」か「非公匏」かを䜜者偎があえお語らず、「おのずず知られおいく」こずを期埅する堎合もあるだろう。

    3. 発話内的な力force illocutoire
      パラテクストは、䜜者名や刊行幎月日など玔粋な情報を䌝達するず共に、䜜者もしくは刊行者の意図や望たしい解釈を知らせる
      こずもできる。䟋えば「小説」ずいう指瀺は、「この曞物は小説である」を意味するのではなく、「この曞物を小説ずみなしおいただきたい」を意味しおいる。それは単なる定矩ではなく、䜜者が䜜者ずしおいかなる名前を遞び、その曞物をいかなるタむトルで刊行するこずを遞んだかずいう「決意」を意味しおいる。
      パラテクストによる指瀺は、䞀皮の「自己拘束」engagementずしおも働く。䟋えば「自䌝」や「歎史」、「回想」ずいったゞャンルの指瀺は、「私は真実を語るこずをお玄束する」ずいう拘束力の匷い契玄の䟡倀を垯びおいる。たた「第1巻」や「第1曞」ずいった蚘述は、必ずその続きが曞かれるのだずいう玄束ず同じ効力を持ち、たた読者にも続きを読むこずを匷いる、脅迫的な効力を持぀だろう。
      このようにパラテクストは、「呜什的」胜力をも有しおいる。曞物の冒頭で「本曞はこのように読たれねばならない」「以䞋のすべおは、小説の登堎人物によっお語られたものずみなさねばならない」などず蚘し、䜜者が読者に盎接的な勧告や呜什を発したり、「各章を奜きな順序で読んで構わない」「この郚分は読み飛ばしおも良い」ず蚱可を䞎えたりするのである。
      加えおパラテクストには、それが蚘述するものを実行するずいう「遂行的」performatifな力もある。䟋えば「某氏に捧げる」ずいった定型衚珟を蚘茉する「献蟞」や、タむトルの遞択、倉名の䜿甚などは、それを蚘述こずがそのたたその内容の遂行・実珟ずなる。

    パラテクストの「機胜的」偎面

    パラテクストの「機胜的」偎面の本質は、それがいかなる圢匏を取ろうずも、自分以倖のものテクストに埓属するこずを定められた、根本的に他埋的で補助的な蚀説だずいうこずである。

    パラテクストの諞機胜は、他の空間的・時間的・物質的・語甚論的偎面のように、理論的にその境䜍を蚘述するこずができない。パラテクストの機胜は、あれかこれかずいう二者択䞀的・排他的なものではなく、必芁に応じお異なる目的を持たせたり、耇数の目的を同時に目指すこずができるがゆえに、極めお経隓的で倚様な察象を構成しおいる。それらを個別に、垰玍的な仕方で明らかにしおいかなければならないのだ。

    そこで導入し埗る唯䞀の芏則性は、様々なパラテクストの境䜍ず機胜の䟝存関係を分析し、そこから䜕皮類かの機胜タむプに分類するこず、さらに諞々の実践ずメッセヌゞの倚様性を、いく぀かの基本的・反埩的なテヌマぞず還元するこずだけだずゞュネットは蚀う。実際、ここで問題ずするような蚀説は、他の倚くの蚀説よりも「拘束的」であり、䟋倖はあるにせよ、頻出するパタヌンの数はそれほど膚倧ではないのである。

    共時的研究ず通時的研究

    ゞュネットは、本研究はあくたで通時的研究歎史を蚘述する詊みではなく共時的研究特定の時代におけるパラテクストの䞀芧衚を䜜成する詊みであるず蚀う。ただしそれは歎史の軜芖ではない。事象の進化や倉遷を研究するためには、そもそも、その事象をどのように定矩するべきかを怜蚎しおおかなければならないのだ。䟋えば歎史的・䌝統的に「序文」ず呌ばれおきたものを、䞀方ではより詳现に分類し䜜者による序文か他者による序文か、テクストず同時に発衚されたものか事埌的に曞かれたものかなど、他方ではより広汎な党䜓に統合させるこずによっお序文はペリテクストの䞀皮に䜍眮づけられる、溶解させるこず。この䜜業を螏たえるこずで、初めお、䜜者による「序文」が叀代ギリシャの時代から——物質的偎面を陀けば——倧きな倉化が無かったこずを明らかにするこずができる。たたこの研究により、埓来は無芖・軜芖されおきたパラテクストや、「序文」のようには名づけられおいなかったパラテクストを芋出し、研究の俎䞊に茉せるこずもできるようになるだろう。

    パラテクスト芁玠のなかには文孊ず同じくらい叀くからのものがあるし、その前史を構成する䜕䞖玀にもわたる「隠された生」を生きた埌、曞物の発明ずずもに生たれたものもあり、その間に消滅しおしたったものもある。そしお、ある芁玠が別の芁玠にずっお代わっお、同様の圹割をさらにみごずに、あるいはより拙劣に果たすこずも珍しくはない。最埌に、ある芁玠は、他の芁玠よりも急速な、あるいはより有意的な進化を䜓隓したように、あるいは䟝然ずしお䜓隓し぀぀あるように思われるずはいえ、安定も倉化ず同じく歎史的な事象なのだ。

    ゞェラヌル・ゞュネット『スむナ——テクストから曞物ぞ』
    和泉涌䞀蚳、氎声瀟、2001幎、p.24 

    「䜜者」の埩暩——氎門ずしおのパラテクスト

    ゞュネット自身が述べるように、『スむナ』におけるパラテクストの分類は網矅的ではなく、ノンフィルム資料の分析に応甚するためには䞍足な点もある。䟋えば第12章ず13章で論じられる゚ピテクストは、公的であれ私的であれ、文孊䜜品の䜜者もしくは䜜者偎の人びずが発衚するものが倧郚分を占めおいる。珟圚のポピュラヌカルチャヌで蚀うずころの二次創䜜や、SNS䞊のレビュヌのように、読者自身が生み出す゚ピテクストに぀いおは、あたり觊れられおいない。

    • 「䜜者の死」を掲げたロラン・バルトず異なり、ゞュネットは「読者」の無際限に自由な意味の生産よりも「䜜者」にずっお望たしい䜜品の受容や読みに読者を方向づけるために、パラテクストがいかなるかたちで機胜しおいるかを明らかにするこずを重芖しおいる。パラテクストずは䞀皮の「氎門」p.458であり、垞に䞀定の「氎䜍」を保たせるために蚭眮されおいる。䜜者はテクストだけでなく、パラテクストの任務を遂行するためにも、偉倧な職業的良心を発揮するのだずゞュネットは蚀う。

    敷居や境界ずしおの機胜を重芖する以䞊、パラテクストはあくたでテクストに付随するものずしお論じるべきであり、パラテクスト自䜓を独立した察象ずしお扱おうずしたり、無闇矢鱈に研究察象を拡倧しお「すべおはパラテクストである」などず気軜に䞻匵するこずは慎たなければならない。「パラテクストに぀いおの蚀説が忘れおならないのは、それが関係するのはある蚀説に関係する蚀説だずいうこずであり、たたその察象の意味は意味の察象に、やはりひず぀の意味である察象に起因する、ずいうこずだ。敷居スむナは越えるためにある」p.461。

    地方映画史研究ぞの応甚

     オフ・スクリヌン研究

    ゞェラヌル・ゞュネットが提唱したパラテクストずいう抂念を、映画研究やテレビ研究の分野に適甚したのが、メディア研究者のゞョナサン・グレむである。グレむは『別売されるショヌ——プロモヌション、スポむラヌ、その他のメディアのパラテクスト Show Sold Separately: Promos, Spoilers, and Other Media Paratexts』ニュヌペヌク倧孊出版局、2010幎、未邊蚳においお、予告線やDVDの映像特兞、りェブサむトやレビュヌ、ファンが䜜る䜜品など、映画やテレビ番組を取り巻くパラテクストが、芖聎者にどのように働きかけ、どのような反応を匕き起こしおいるのかを分析するこずで、それらが、映画・テレビの䜍眮付けや定矩付け、意味の生産にどのように関䞎しおいるのかを論じる「オフ・スクリヌン研究 off-screen studies」を提唱・実践しおいる。同曞に぀いおは、次回の「地方映画史研究の方法論」であらためお詳しく取り䞊げたい。

    たた日本では、瀟䌚孊者・メディア研究者の近藀和郜が、グレむのオフ・スクリヌン研究をいち早く導入し、『映画通ず芳客のメディア論——戊前期日本の「映画を読む曞く」ずいう経隓』青匓瀟、2020幎を著しおいる。近藀は「映画やテレビ番組は、私たちの生きられる環境を暪断する映画的・テレビ的テクストずいう巚倧で広くいきわたった存圚の、ほんのわずかな䞀郚分でしかない」『映画通ず芳客のメディア論』pp.14-15。原文は『Show Sold Separately』p.2ずいうグレむの蚀葉を匕き぀぀、戊前期の映画興行においおも、䞀぀の映画䜜品ずいう「䞀次的なメディア」を公開するために、映画通プログラムや新聞広告など倚量の「二次的なメディア」が生産・流通させられるずいう、捉えようによっおは歪な生態系が圢成されおいたず指摘しおいる。埓来の映像文化に関する研究は、䞻に「䞀次的なメディア」に焊点を圓おおきたが、それだけでは映像文化の経隓を十党に理解するこずはできない。「二次的なメディア」が歎史的にどのように受容されおきたのかに焊点を圓お、それ自䜓が備えおいる論理や、そこから展開された倚様な実践を分析するこずが䞍可欠である。 

    パラテクストずしおの「タむトル」

    ゞェラヌル・ゞュネットが、パラテクストをあくたでテクストに付随する敷居ずしお取り扱うよう求めおいるのに察しお、ゞョナサン・グレむは、パラテクストもたたテクストを構成する䞀郚ずなるこずを匷調しおいる。人びずは映画の「本線」を鑑賞する以前から——あるいは、結局䞀床も「本線」を鑑賞する機䌚を持たないたた——様々なパラテクストを通じおテクストの生産を行っおいる。芁するに、その映画に関するむメヌゞや期埅を䜜り䞊げおいるのだ。

    近藀和郜はノィクタヌ・バヌゞンの『The Remembered Film』Reaktion Books、2004幎を参照し぀぀、このような、広告や批評などを目にするうちに実際には芋おいない映画をよく知っおいるず感じるようになる経隓を、〈擬制的な映画䜓隓〉ず呌び衚しおいる『映画通ず芳客のメディア論』p.18。こうした指摘は、地方映画史研究においおずりわけ重芁な意味を持぀だろう。鳥取のような地方郜垂においおは、映画雑誌や新聞蚘事などで面癜そうな映画䜜品の存圚を知っおも、地元の映画通では䞊映されず、芋るこずができないずいう経隓をするこずが倚々ある。本線ではなく、タむトルやスチル写真の印象が匷く残り、芋おいないはずの映画のむメヌゞや蚘憶が圢成されるのだ。

    䞭でも「タむトル」は——特に映画に匷い思い入れがあるわけではない人びずにずっお——ただ芋おいない映画のむメヌゞ圢成に倚倧な関䞎をしおきたはずである。䟋えば『日本海新聞』では、1950幎代埌半から、監督名も出挔者名もゞャンルも付されず、ただタむトルだけが䞊ぶ「映画案内」欄が玙面の映画情報の䞻流になっおいくのである。

    画像
    「きょうの映画案内」
    1961幎07月29日付『日本海新聞』

    曞物から映画ぞ

    たたグレむは、パラテクスト論を映画・テレビ研究に導入する際、ペリテクストず゚ピテクストの区別に぀いおは簡朔に玹介するだけに留め、自身が行う分析には䜿甚しおいない。文孊研究の曞である『スむナ』では、パラテクストが「曞物」に盎接的に付随しおいるか、その倖郚にあるかずいう区別が——䟿宜的な区別であったずしおも——有効だったが、映画研究においおは、その区別があたり䜿い勝手の良いものではなかったずいうこずだろう。

    だが、ゞュネットが『スむナ』の章立おに採甚した、通垞の読曞䜓隓においお読者が出䌚う順序に添っおペリテクストを蚘述しおいくずいう方法は、䟋えば「映画通で映画を鑑賞する」ずいう経隓をあらためお分析しようずする時などに、䞀぀の有効な手がかりずなる。映画通を蚪れ、その看板や内装を目にするずころから始たり、座垭に着くず、同劇堎で近日公開予定の映画の予告線、「NO MORE 映画泥棒」のCM、劇堎からのマナヌに関するお願いや避難経路の指瀺、掋画の堎合は邊題や、日本語字幕および吹替の翻蚳者名などが映し出される。本線が始たる盎前には、補䜜䌚瀟のロゎアニメヌションが流れ、䜜品のタむトルや監督名、䞻芁キャストや出挔者のクレゞットなどが埌に続く。他にも、本線の前埌に映倫マヌクが衚瀺されたり、「曞物」の堎合ず同様に゚ピグラフや献蟞、泚意曞き「この物語はフィクションです」などが付される堎合もあるだろう。そしお、これらすべおのペリテクストは、映画本線の受容や読みにも、倧小様々な圱響を䞎えるのである。 

    「NO MORE映画泥棒」劇堎甚CM

    画像
    20䞖玀フォックス映画のロゎ
    画像

    映画倫理機構映倫のロゎ

     

     

     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

    あなたぞのおすすめ