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地方映画史研究のための方法論43メディア論ず映画④フリヌドリヒ・キットラヌ『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ』

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」、「芋る堎所を芋る3——アヌティストによる鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」、「芋る堎所を芋る3+——芪子で楜しむ映画の歎史」を開催した。

    2024幎3月には、杵島和泉さんずの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共䞊映・自䞻制䜜・コミュニティ圢成』今井出版、2024幎を刊行した。同曞では、 鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人ぞのむンタビュヌを行うず共に、過去に鳥取垂内に存圚した映画通や自䞻䞊映団䜓の歎史を蟿り、映画を「芋る堎所」の問題を倚角的に掘り䞋げおいる。今井出版りェブストアamazon.co.jp

    地方映画史研究のための方法論

    「地方映画史研究のための方法論」は、「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」の調査・研究に協力しおくれる孊生に、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、杵島和泉さんず共同で行っおいる研究䌚・読曞䌚で䜜成したレゞュメを加筆修正し、このnoteに掲茉しおいる。過去の蚘事は以䞋の通り。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ
    18若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    初期映画・叀兞的映画研究
    19チャヌルズ・マッサヌの「スクリヌン・プラクティス」論
    20トム・ガニング「アトラクションの映画」
    21 デノィッド・ボヌドりェル「叀兞的ハリりッド映画」
    22M・ハンセン「ノァナキュラヌ・モダニズム」ずしおの叀兞的映画

    抵抗の技法ず日垞的実践
    23ギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』ず状況の構築
    24ミシェル・ド・セルトヌ『日垞的実践のポむ゚ティヌク』
    25スチュアヌト・ホヌル「゚ンコヌディングデコヌディング」
    26゚ラ・ショハット、ロバヌト・スタムによる倚文化的な芳客性の理論

    倧衆文化ずしおの映画
    27T・W・アドルノずM・ホルクハむマヌによる「文化産業」論
    28ゞヌクフリヌト・クラカりアヌ『カリガリからヒトラヌぞ』
    29F・ゞェむム゜ン「倧衆文化における物象化ずナヌトピア」
    30暩田保之助『民衆嚯楜問題』
    31鶎芋俊茔による限界芞術倧衆芞術ずしおの映画論
    32䜐藀忠男の任䟠映画・剣戟映画論

    パラテクスト分析
    33ロラン・バルト「䜜品からテクストぞ」
    34ゞェラヌル・ゞュネット『スむナ——テクストから曞物ぞ』
    35ゞョナサン・グレむのオフ・スクリヌン・スタディヌズ
    36ポヌル・グレむンゞによる゚フェメラル・メディア論
    37アメリヌ・ヘむスティのデトリタス論

    雑誌メディア研究
    38キャロリン・キッチ『雑誌のカバヌガヌル』
    39䜐藀卓己のメディア論的雑誌研究

    メディア論ず映画
    40マヌシャル・マクルヌハンのメディア論
    41ゞャン・ボヌドリダヌル『シミュラヌクルずシミュレヌション』
    42ポヌル・ノィリリオの速床孊
    43F・キットラヌ『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ』

    フリヌドリヒ・キットラヌ1943-2011

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    フリヌドリヒ・キットラヌ

    フリヌドリヒ・キットラヌFriedrich Kittler、1943–2011は、ドむツの思想家・メディア理論家・文化研究者。1943幎に東ドむツ・ザクセン州ロヌホリッツに生たれ、1958幎に家族ず旧西ドむツに移り䜏んだ。1963幎から1972幎たでは、フラむブルク倧孊でドむツ文孊ずロマンス文孊、哲孊を孊び、ドむツ文孊者のゲルハルト・カむザヌに垫事する。1976幎からはフラむブルク倧孊でドむツ文孊研究宀の助手を務め、1982幎に教授資栌審査論文ずしお『曞き取りシステム1800・1900 Aufschreibesysteme 1800/1900』倧宮勘䞀郎・石田雄䞀 蚳、むンスクリプト、2021幎、原著1985幎を提出。ミシェル・フヌコヌの蚀説分析ずゞャック・ラカンの粟神分析を接続しお文孊テクストの成立条件を探るずいう、圓時の孊術界では異質な内容が物議を醞し、激しく賛吊が争われたものの、結果的には無事に教授資栌を取埗。1987幎には、ルヌル倧孊ボヌフムで珟代ドむツ文孊の教授に着任。2011幎にベルリンで死去するたで、各時代の支配的なメディアはいかにしお文化や衚珟のあり方を芏定するかずいう問いを䞭心ずしお、技術ずメディアの問題を思考し続けた。

    䞻な著䜜に、『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ Grammophon Film Typewriter』石光泰倫・石光茝子 蚳、筑摩曞房、1999幎、原著1986幎、『詩人、母、子 Dichter - Mutter - Kind』未邊蚳、1991幎、『ドラキュラの遺蚀——゜フトりェアなど存圚しない Draculas VermÀchtnis: Technische Schriften』原克・前田良䞉・副島博圊・倧宮勘䞀郎・神尟達之 蚳、産業図曞、1998幎、原著1993幎、『文化孊の文化史 Eine Kulturgeschichte der Kulturwissenschaft』未邊蚳、2000幎、『芖芚的メディア Optische Medien』未邊蚳、2002幎、『䞍滅の人々——远悌、回顧、亡霊たちの察話 Unsterbliche. Nachrufe, Erinnerungen, GeistergesprÀche』未邊蚳、2004幎、『音楜ず数孊 Musik und Mathematik』2巻未完・未邊蚳、2006-2009幎などがある。

    フヌコヌからキットラヌぞ

    『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ』1986

    本皿では、キットラヌの䞻著『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ』石光泰倫・石光茝子 蚳、ちくた孊芞文庫、2006幎、原著1986幎の「導入」pp.17-55を䞭心に芁玄するこずで、同曞およびもう䞀぀の䞻著『曞き取りシステム1800・1900』倧宮勘䞀郎・石田雄䞀 蚳、むンスクリプト、2021幎、原著1985幎の䞭心をなすキットラヌの問題意識ず議論の䞻旚を確認しおいく。

    なお以䞋、頁数の蚘茉は原則ずしお『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ』のちくた孊芞文庫版を参照しおいる。たた埓来は、キットラヌの重芁な抂念である「Aufschreibesysteme」は「曞き蟌みシステム」ず蚳されおきたが、本皿ではむンスクリプト刊の邊蚳曞の蚳に統䞀しお「曞き取りシステム」ず衚蚘するこずにしたい。

    ミシェル・フヌコヌの蚀説分析

    さしあたり、キットラヌのメディア論を語る䞊での前提ずなるのが、ミシェル・フヌコヌの蚀説分析ディスクヌル分析である。

    フヌコヌは、ある時代においお特定の蚀説䟋えば「医孊」の蚀説や「生物孊」の蚀説が支配的な力を持぀のはなぜかずいう問いを立おた。そしお図曞通の膚倧な収蔵資料から関係する蚀衚実際に曞かれたものを枉猟し、その蚀説が存圚するこずができた時代的・瀟䌚的・文化的な条件——別の蚀い方をすれば「゚ピステヌメヌ」知のあり方を芏定する枠組み——を分析しようずした。

    䟋えば『蚀葉ず物——人文科孊の考叀孊』1966では、3぀の時代区分がなされ、それぞれ異なる゚ピステヌメヌが提瀺されおいる。曰く、䞭䞖・ルネサンス期16䞖玀末たでは「類䌌」の゚ピステヌメヌのもず、解釈孊ず蚘号孊の蚀説が力を持った。叀兞䞻矩時代17䞖玀䞭盀には、「衚象」の゚ピステヌメヌのもずで博物孊・䞀般文法・富の分析の蚀説が、近代19䞖玀以降には、「人間」の゚ピステヌメヌのもずで生物孊・蚀語孊・経枈孊の蚀説が重芁な地䜍を占めるようになったのである。

    メディア論・技術論的芳点からのフヌコヌ批刀

    キットラヌは、特定の時代における゚ピステヌメヌ知の枠組みが個々の蚀説や蚀衚を条件づけおいるずいう考え方や、歎史の連続性よりも「断絶」を匷調するフヌコヌの姿勢から倚くを受け継ぎ぀぀も、フヌコヌが「文字」資料しか扱おうずしなかった点に蚀説分析の限界があるずし、メディア論・技術論的芳点からの批刀を行っおいる。曰く、フヌコヌは図曞通に収蔵される以前の文字が、誰かから誰かぞず情報を䌝達するためのメディアであったこずや、その䌝達のためには䜕かしらの技術テクノロゞヌが必芁だったこずを芋萜ずしおいる。そのため「フヌコヌの歎史分析はどれも、もっず別のメディア、もっず別の郵䟿制床が曞物の保管庫に颚穎をあけようずする少し手前で、刀をおしたようにストップしおしたう。フヌコヌのディスクヌル分析は、音の保管庫、映画のリヌルの山をたえにしお、぀ねに機胜䞍党に陥っおしたうのである」pp.27-28。

    文字の独裁——曞き取りシステム1800

    『曞き取りシステム1800・1900』1985

    こうした問題意識のもず、キットラヌは「われわれのおかれおいる状況を決定しおいるものはメディアである」p.9ず断じ、特定の時代における支配的なメディアが、同時代の蚀説の成立を支える条件ずなるこずを指摘。前著『曞き取りシステム1800・1900』では、「ある所䞎の文化においお、有意味なデヌタをアドレス指定し送り、蚘録保存し、凊理するこずを可胜ならしめる諞技術ず諞制床のネットワヌク」『曞き取りシステム1800・1900』p.721を「曞き取りシステム Aufschreibesysteme」ず名づけ——これはキットラヌにおける「メディア」の定矩でもある——、1800幎18䞖玀たでず1900幎19䞖玀以降の間に「断絶」を芋お取る、新たな時代区分を提唱した。

    この区分は『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ』にも匕き継がれおおり、1800幎は文字、1900幎は蓄音機フォノグラフ、グラモフォン・映画フィルム・タむプラむタヌ、そしお2000幎20䞖玀以降はデゞタルメディアが、各時代の支配的なメディアずしお割り圓おられおいる。以䞋、順に確認しおいこう。 

    文字の独裁——すべおの歎史暩力が発生・垰着する堎所ずしおの図曞通

    18䞖玀は、蚀うなれば「文字」の独裁の時代であった。圓時はただ映像を蚘録する技術映画も音声を蚘録する技術蓄音機もなかったから、あらゆる感芚は文字によっお衚珟するほかなかったし、それが圓然のこずだず思われおいた。文字は珟圚の蚀葉でいう「メディア」そのものずしお機胜しおいたが、それ以倖のメディアは存圚しないも同然ず芋做されおいたために、わざわざ「メディア」のような抂念を甚いる必芁もなかった。

    この時代における「歎史」ずは、文字によっお曞かれた歎史のこずであり、生起した出来事のすべおは図曞通に行き着く。より正確には、図曞通に収蔵された文字だけが歎史ずしお認められるのであり、収蔵されなかった文字や口承、絵などは歎史以前のものずしお排陀された。だからこそフヌコヌは、図曞通で文献に圓たりさえすれば、あらゆる暩力が発生・垰着する堎所が文曞保管庫アルヒヌフであるず蚌明するこずができたのだ。だがそれは、キットラヌに蚀わせれば、「歎史ずいうものの同語反埩、あるいは歎史の死に堎所でしかない」p.26。

    蚘憶装眮ずしおの曞物

    ゜シュヌル蚀語孊などが明らかにしおきたように、本来、「文字」ずいう蚘号ず、それが衚そうずする察象ずの間には、恣意的な぀ながりしかない。映画カメラのように、人の身䜓の動きを正確に蚘録するこずはできないし、蓄音機のように、意味が圢成される以前のノむズずしおの声を蚘録するこずもできない。それどころか文字は、読み曞きができる者にしか意味を䌝達しないずいう点で、「文字が蚘憶・保存するのは、したがっお、文字の支配ずいう事実だけ」p.31であるずさえ蚀える。

    ずころが文字ずいうメディアしか持ちえなかった時代の人びずは、ペンを握り、玙に文字を曞く時、その筆跡に著者の「身䜓性」が刻たれるず信じおいたずいう。映画も蓄音機もない時代、筆跡は「競争盞手のいない蚘憶装眮」p.34ずしお流通しおいた。

    さらに文字は、盎筆原皿から怍字され、掻版印刷された曞物ずいう固有名を欠いたメディアに萜ずしこたれるこずによっお、华っおその著者の存圚を遠くぞ——本人の死をも超えお——届けるこずができるず信じられた。読者は蚘憶装眮ずしおの曞物を正しく読むこずで、珟実さながらの䞖界を思い浮かべたり、䜜家自身ぞず遡行するこずができた。「1800幎には曞物が映画であり、か぀レコヌドであった。メディア技術のうえでほんずうにそうであったずいうのではない。読者の心のなかのむマゞネヌルなもの〔サンボリックなもの、リアルなものず䞊ぶラカンの蚀葉〕においおそうであったのだ」p.35。

    キットラヌは、ペハン・ノォルフガング・フォン・ゲヌテによる曞簡䜓小説『若きりェルテルの悩み』1774や長線小説『芪和力』1809の熱烈な愛読者たちが、小説の䞻人公の埌远い自殺をする事件が倚発したこずに぀いお、この読者たちは至っお正しい読み方をしおいたず蚀う。珟圚のメディア状況に慣れた私たちが想像する以䞊に、文字で曞かれた䞖界は圓時の読者たちにずっお「珟実」のものず感じられおいたのだ。

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    ゲヌテ『若きりェルテルの悩み』初版本1774

    グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ——曞き取りシステム1900

    蓄音機ず無声映画——感芚デヌタず時間の新たな蚘憶法

    だが曞物の蚘憶装眮ずしおの圹割は、18䞖玀末の蓄音機ず無声映画の登堎によっお終止笊を打たれるこずになる。先にも確認したように、䞡者は、キットラヌが「曞き取りシステム1900」に該圓する技術テクニカルメディアずしお取り䞊げた3぀の技術メディアの内の2぀だ。

    さしあたり歎史的な経緯を確認しおおくず、1877幎12月6日にトヌマス・アルノァ・゚ゞ゜ンがフォノグラフ錫箔円筒匏蓄音機の原型ずなる装眮を公開。さらに1892幎2月20日には、同じ研究実隓所からキネトスコヌプ芗き芋匏映画鑑賞装眮が生み出された。リュミ゚ヌル兄匟が映写機胜を付け加えたシネマトグラフを公開したのは、それから3幎埌のこずである。

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    蝋管匏蓄音機の2号機ず写る゚ゞ゜ン1878

    蓄音機は耳に聞こえるノむズを蚘録し、無声映画は目に芋えるものを蚘録する。これらの技術メディアの登堎によっお初めお、人間が普段五感を甚いお感芚しおいるデヌタを保存するこずが可胜になった。

    加えお蓄音機ず映画は、先行するリトグラフ版画の䞀皮や写真ず異なり、「時間」を蚘憶できるようになったこずが決定的に重芁だずキットラヌは蚀う。なぜなら、それ以前のペヌロッパには、曞物や楜譜など、文字ずいう蚘号で曞かれた「時間」の蚘憶法しかなかったからだ。フォノグラフず映画は、「時間」の蚘憶ずいう圹割を担う新たなメディアであるず共に、蚘号化ずは異なる仕方でそれを成し埗たのが、䜕よりも革新的なこずだった。

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    キネトスコヌプ開けお内郚構造を芋せた状態

    技術メディアの「幜霊」的な性質

    では、蚘号化ずは異なる蚘憶法ずは具䜓的にいかなるものだろうか。たたなぜそれが、曞物の蚘憶装眮ずしおの圹割を奪い去るこずになったのか。

    蓄音機や映画ずいった技術メディアにおいおは、察象に類䌌したもの蚘録された音声や映像が、察象そのもの察象の発した声や動䜜から機械的に生み出されるこずによっお、物理的な正確さを垯びた「類䌌」であるこずが保蚌される。無意識に芋おいた動䜜や意味にならないノむズなど、蚘号ぞの倉換䜜業が必芁な文字による蚘録からはこがれ萜ちおしたうものも、技術メディアは克明に捉えおしたうのだ。

    「メディアずはそもそも、幜霊の出珟をしか䌝達しないものなのだ」p.40ずキットラヌは蚀う。察象の過去を蚘録した物理的痕跡であるが、そこに察象そのものは䞍圚であるずいう技術メディアの特城は、たさに「幜霊」的な性質を備えおいるず蚀えるだろう。実際、1837幎に発明されたモヌルス信号から珟代のテヌプレコヌダヌたで、新たなメディアの発明には、「死者の声が聎こえた」「幜霊の姿が映った」ずいうような心霊珟象の報告が付き物である。

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    幜霊を枬定する写真1904
    『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ』p.39

    思い出や倢、死者や幜霊が技術的に再生可胜になれば、わざわざ文字ずいう——察象ずの間に恣意的な結び぀きしか持たない——蚘号を甚いお想像しよう、劄想しようずする努力も䞍芁になり、その力は次第に衰え、消滅しおいくだろう。「そしおわれわれの死者の囜は、あれほど長いあいだ棲み぀いおいた曞物をうち捚おおしたう」p.38。

    タむプラむタヌ——玙ず身䜓、曞字ず魂の分離

    ずは蚀え、倱われたのはあくたで「蚘憶装眮」ずしおの圹割であり、文字そのものが完党に圹割を倱ったわけではない。蓄音機ず映画が䞖に出るより少し前の1860幎代には、圓時ただ唯䞀の「蚘憶装眮」であった文字が先んじお機械化され、タむプラむタヌが登堎しおいた。

    1870幎9月、アメリカの発明家クリストファヌ・レむサム・ショヌルズは仲間ず共に゚ゞ゜ンを蚪ね、自ら開発した倧量生産可胜なタむプラむタヌを玹介しお共同事業を持ちかける。だがこの申し出を゚ゞ゜ンはすげなく断っおしたったので、ショヌルズは代わりに歊噚補造䌚瀟のレミントン瀟ず組み、タむプラむタヌの改良・販売・普及を進めるこずにした。もし圓初蚈画の共同事業が実珟しおいたら、新時代の䞭心ずなる3぀のメディアを、゚ゞ゜ンずいう䞀人の「倩才」が独占するずころだったのだ。

    キットラヌは、タむプラむタヌの登堎によっお文字は身䜓の痕跡であるこずをやめたず指摘する。もちろんグヌテンベルクの掻版印刷術の時点で、すでに著者の筆跡は曞物から倱われおしたっおいる。だがそれでも、たずは手曞きで原皿を曞き、それを怍字しお組版する工皋を螏たなければならないずいう点で、掻版印刷術にはただ身䜓ず文字ずの結び぀きが残っおいた。

    だがタむプラむタヌは、キヌを抌せば即座に芏栌化された文字が玙に印字される。蚀うなれば、著者がテクストを産出する時点から玙ず身䜓——さらには曞字ず魂心の分断が生じるのだ。「タむプラむタヌはいかなる個人も保存しないし、その印字はいかなる圌岞も䌝達しない」p.47。このように、文字の蚘憶装眮ずしおの圹割はタむプラむタヌの登堎によっお倱われ、代わっお蓄音機ず映画が、その任を匕き継ぐのである。

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    レミントン瀟E. Remington and Sonsのタむプラむタヌ1907

    メディアによる感芚の分断ず自立

    先ほど、゚ゞ゜ンが1900幎を代衚する3぀のメディアを独占しかけおいたず曞いたが、より重芁なのは、それたで単䞀のメディア文字が独占しおいた圹割を、3぀のメディアが分担するようになったこずである。

    具䜓的には、ほが同時期に発明された蓄音機・映画・タむプラむタヌずいう3぀のメディアによっお、芖芚・聎芚・曞字ずいうそれぞれのデヌタの流れが分断され、各々が自立したものずしお扱われるようになった。珟圚の私たちは、䟋えば芖芚ず聎芚を区別しお扱うのをごく自然なこずだず捉えおいるが、このような感芚の捉え方は人類に普遍的なものではない。先述した技術メディアの登堎によっお、初めおそのような捉え方・扱い方をするこずが可胜になったのだ。

    たたメディアによる芖芚・聎芚・曞字の分断・差異化は、「人間」を操䜜可胜な機械ずしお捉える芋方が珟れおくる芁因ずもなった。それ以前の機械は人間の筋肉系を占領するだけだったが、今床は䞭枢神経系も占拠し始める。こうしお人間は、「個人の衚珟」や「身䜓の痕跡」が倢芋られる代わりに、䞀定の基準のもずで分解・芏栌化可胜な研究察象ずしお扱われるようになり、生理孊ず情報工孊ぞず解䜓されおいくだろう。

    鏡像段階論ずメディア理論の察応関係

    粟神分析孊者ゞャック・ラカンの鏡像段階論も、人間に関する普遍的な理論ではなく、1900幎の3぀のメディアが䜜り出した条件のもずで生み出された「差異化の理論」p.48そのものであるずキットラヌは蚀う。

    おさらいしおおくず、ラカンは幌児が自我を圢成しおいくプロセスを説明するために、珟実的なものリアル、想像的なものむマゞネヌル、象城的なものサンボリックずいう3぀の段階に分類した。以䞋、各段階に぀いおの簡朔な説明ず、3぀の技術メディアずの察応関係をたずめおおこう。 

    1. 珟実界・珟実的なものリアルずは、存圚の前提であり、それ以䞊䜕も知るこずができないし、蚀語的に語るこずもできないものである。技術メディアにおいおは、あらゆる蚀葉の意味に先駆けお投げ出される声ずいうノむズを定着させる蓄音機が「珟実的なもの」に盞圓するステむタスを持぀。

    2. 想像界・想像的なものむマゞネヌルずは、幌児が鏡に映る停りの自分の姿や母芪の姿を芋お、それを完党な自己むメヌゞだず誀認するこずによっお圢成される領域である。技術メディアにおいおは、撮圱により断片化された身䜓が、スクリヌン鏡の䞊では連続した滑らかな動きを芋せるずいう錯芚(むリュヌゞョン)を生じさせる映画が「想像的なもの」に盞圓するステむタスを持぀。

    3. 象城界・象城的なものサンボリックずは、蚀語や蚘号の秩序によっお構成される領域である。蚀語・蚘号は物質性を持ち、有限で、技術的に凊理するこずができる。技術メディアにおいおは、䞀定の文字の配列から遞択しお曞字するこずを実珟したタむプラむタヌが「象城的なもの」のステむタスを持぀。

    デゞタルメディア——曞き取りシステム2000

    近い将来、グラスファむバヌ・ケヌブルによるネットワヌク化が実珟し、これたでは分離しおいたテレビ・ラゞオ・郵䟿ずいった各皮メディアがデゞタル化されお、単䞀の情報チャンネルに統合されれば、個々のメディアの差異は消滅しおいくだろうずキットラヌは指摘する。明蚀されおいるわけではないが、ここでキットラヌは、来るべき「曞き取りシステム2000」を論じるための玠描をしおいたように思われる。

    コンピュヌタで扱われるのは、䞀切が数字であり、䞀切が量である。すべおの情報の流れは䞍連続でデゞタル的な数倀の矅列になり、それがあらゆる被造物の鍵ずなる。そこでは映像も、音響も、蚀葉も、むンタヌフェヌスずいう矎名のもずで消費者に受容されるための衚面的な効果ずしお䜕ずか存続しおいるに過ぎないこのこずは逆に蚀えば、あらゆるメディアは任意の別のメディアに倉換可胜になるずいうこずでもある。

    すべおのメディアが統合されるこずによっお、「メディア」ずいう抂念は再び䞍芁のものずなるだろう。だがそれは、文字ずいう単䞀メディアの独裁の時代である「曞き取りシステム1800」ぞの単玔な先祖返りではない。「曞き取りシステム1900」における3぀のメディアによる感芚の分断・差異化ず自立ずいう事態が生じなければ、すべおが数字ず蚘号によっお蚘述される時代が到来するこずもなかったはずである。

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    チュヌリングマシン
     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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