メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

地方映画史研究のための方法論37パラテクスト分析⑀アメリヌ・ヘむスティのデトリタス論

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    講座「映画を芋た蚘憶、芋逃した蚘憶──鳥取垂民のメディア䜓隓」

    2024幎9月22日日14:00-15:00、鳥取垂歎史博物通やたびこ通が䌁画する「おうちだにアカデミヌ」の䞀環ずしお、講座「映画を芋た蚘憶、芋逃した蚘憶──鳥取垂民のメディア䜓隓」を実斜する。1980幎代から1990幎代にかけお、映画通からレンタルビデオ店ぞず「芋る堎所」が倉容し぀぀あった時代に泚目し、その時期の鳥取垂民のメディア䜓隓がいかなるものであったのかを怜蚌したい。

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」、「芋る堎所を芋る3——アヌティストによる鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」、「芋る堎所を芋る3+——芪子で楜しむ映画の歎史」を開催した。

    2024幎3月には、杵島和泉さんずの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共䞊映・自䞻制䜜・コミュニティ圢成』今井出版、2024幎を刊行した。同曞では、 鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人ぞのむンタビュヌを行うず共に、過去に鳥取垂内に存圚した映画通や自䞻䞊映団䜓の歎史を蟿り、映画を「芋る堎所」の問題を倚角的に掘り䞋げおいる。今井出版りェブストアamazon.co.jp

    地方映画史研究のための方法論

    「地方映画史研究のための方法論」は、「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」の調査・研究に協力しおくれる孊生に、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、杵島和泉さんず共同で行っおいる研究䌚・読曞䌚で䜜成したレゞュメを加筆修正し、このnoteに掲茉しおいる。過去の蚘事は以䞋の通り。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ
    18若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    初期映画・叀兞的映画研究
    19チャヌルズ・マッサヌの「スクリヌン・プラクティス」論
    20トム・ガニング「アトラクションの映画」
    21 デノィッド・ボヌドりェル「叀兞的ハリりッド映画」
    22M・ハンセン「ノァナキュラヌ・モダニズム」ずしおの叀兞的映画

    抵抗の技法ず日垞的実践
    23ギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』ず状況の構築
    24ミシェル・ド・セルトヌ『日垞的実践のポむ゚ティヌク』
    25スチュアヌト・ホヌル「゚ンコヌディングデコヌディング」
    26゚ラ・ショハット、ロバヌト・スタムによる倚文化的な芳客性の理論

    倧衆文化ずしおの映画
    27T・W・アドルノずM・ホルクハむマヌによる「文化産業」論
    28ゞヌクフリヌト・クラカりアヌ『カリガリからヒトラヌぞ』
    29F・ゞェむム゜ン「倧衆文化における物象化ずナヌトピア」
    30暩田保之助『民衆嚯楜問題』
    31鶎芋俊茔による限界芞術倧衆芞術ずしおの映画論
    32䜐藀忠男の任䟠映画・剣戟映画論

    パラテクスト分析
    33ロラン・バルト「䜜品からテクストぞ」
    34ゞェラヌル・ゞュネット『スむナ——テクストから曞物ぞ』
    35ゞョナサン・グレむのオフ・スクリヌン・スタディヌズ
    36ポヌル・グレむンゞによる゚フェメラル・メディア論
    37アメリヌ・ヘむスティのデトリタス論

    動画メディア研究におけるデトリタス

    アメリヌ・ヘむスティAmelie Hastie

    アメリヌ・ヘむスティAmelie Hastieは、1666幎生たれの映画・メディア研究者。映画ずテレビの理論、歎史孊、フェミニズム、物質文化を䞻な研究領域ずする。りィスコンシン倧孊ミルりォヌキヌ校で博士号を取埗し、カリフォルニア倧孊サンタクルヌズ校の准教授映画デゞタルメディアを経お、2010幎からはアマヌスト倧孊の教授に着任し、映画メディア研究プログラム創蚭に携わった。デュヌク倧孊出版局が発行する『カメラ・オブスクラ Camera Obscura』を初めずしお、映画・メディア研究に関する耇数の孊術雑誌の線集委員を務めるほか、2013幎から2019幎たでは『フィルム・クォヌタリヌ Film Quarterly』誌で「ノァルネラブルな芳客 The Vulnerable Spectator」ず題したコラムの連茉を行っおいた。

    䞻な著䜜に『奜奇心の戞棚——女性・回想・映画史 Cupboards of Curiosity: Women, Recollection, and Film History』(デュヌク倧孊出版局、2007幎、未邊蚳) 、『二重結婚者 The Bigamist』BFIクラシックス、2009幎、未邊蚳、『刑事コロンボ——秒読みの殺人 Columbo: Make Me a Perfect Murder』デュヌク倧孊出版局、2024幎、未邊蚳など。

    デトリタスDetritus

    ヘむスティは、『芖芚文化ゞャヌナル Journal of Visual Culture』6å·»2号に掲茉した「むントロダクション映像ずデトリタス——゚フェメラ、物質性、歎史 Introduction Detritus and the Moving Image: Ephemera, Materiality, History」2007幎、未邊蚳においお、埓来のメディア研究では芋萜ずされおきたり軜芖されおきたりした様々な゚フェメラ儚いものに目を向けるこずの重芁性を蚎えるために、新たに「デトリタス Detritus」ずいう抂念を導入しおいる。

    デトリタスは、䞻に生態孊や生物孊で甚いられる孊術語で、動怍物や埮生物の遺骞、排泄物、その他の有機物が分解されるこずでできる粒状の物質を意味する。より手短な衚珟にするなら、「残骞」や「有機堆積物」ず蚳すこずができるだろう。デトリタスの具䜓䟋ずしおは、森林の地衚に堆積した腐葉土が挙げられる。呚蟺の朚々が萜ずした果実や萜ち葉、枯れ朚などが埮生物によっお時間をかけお分解され、豊かな土壌を圢成するのである。

    画像
    ペセミテ囜立公園のマリポサグロヌブゞャむアント・セコむアの自然林
    地衚を芆う束がっくりや萜ち葉の局

    棄おられるべきではない廃棄物——デトリタスの物質性ず゚フェメラリティ

    動画メディア研究におけるデトリタスは、私たちが䜕らかの動画を芖聎した埌に残る蚘念品や土産物のようなものSouvenirずしお、芋たり、觊れたり、匂いを嗅いだりできる察象ずしお珟れる。

    具䜓的には、映画チケットの半刞や時代遅れのテレビ、コンピュヌタなど、コレクタヌの収集物になるか、さもなければ廃棄物になるようなものが挙げられる。あるいは、スクリヌンテストやアりトテむク、テレビ広告、珟代矎術のむンスタレヌション空間など、䞀時的な圢態や䞀時的な堎所ずしお具珟化するこずもある。たた、映画通やテレビの芖聎環境、動画アヌカむノなどに関連しお排出される「廃棄物 trash」ずしお認識されるものも、デトリタスに加えるこずができる。䟋えば劇堎で賌入したポップコヌンやキャンディヌの容噚、過去のテレビ番組衚、腐食したビデオやフィルムなどである。

    ヘむスティがこれらを「廃棄物 trash」ず呌ぶ代わりにデトリタスの語を甚いるのは、前者はすでに、メディア研究においお「䜎俗」なポップカルチャヌを指す蚀葉ずしお甚いられおきた経緯があるからだ他方のデトリタスは、もう少し䞭立的な意味で䜿甚され、「䜎俗」や「高玚」ずいった含みは特にない。

    加えおヘむスティは、デトリタスが「砎片」や「残骞」、「廃棄物」ずいった意味を内包する語であるこず、すなわち、物質的なものず゚フェメラルなものの䞡方に結び぀いた抂念であるこずを匷調する。メディア孊者のメアリヌ・デゞャヌディンMary Desjardinsが゚フェメラルなものに぀いお論じおいるように、デトリタスもたた「棄おられるべきではない廃棄物 throw-away which is not thrown away」なのである「゚フェメラル・カルチャヌeBayカルチャヌ——映画コレクションずファンの投資」『日々のeBay——文化コレクション欲望 Everyday eBay: Culture, Collecting, and Desire』所収、ニュヌペヌク・ラりトレッゞ、2006幎。

    以䞊のようにヘむスティは、前回玹介したポヌル・グレむンゞの゚フェメラル・メディア論ず研究察象や問題意識を共有し぀぀も、その察象が持぀物質性にさらに重点を眮いお論じるこずに倧きな特城がある。デトリタスはいかに収集されるのか、いかに流通するのかを詳しく芋るこずで、芖芚メディアの゚フェメラルな性質や䜓隓に觊れられるばかりでなく、それに䌎う物質性の感芚を維持・回埩するこずもできるず䞻匵するのだ。

    デトリタスの発芋法的䟡倀

    ヘむスティは、メディア研究者のアンナ・マッカヌシヌAnna McCarthyが䜕かしらの講挔か、あるいはもう少し私的な堎で述べたずいう「゚フェメラリティの象城ずしおのポストむット」ずいう発蚀を玹介する。確かにポストむットは、ちょっずしたメモを曞き留めおおき、甚が枈めば気楜に捚おお構わないずいう゚フェメラルな特性を持぀が、ヘむスティはそれに加え、マッカヌシヌの蚀葉をノヌトに曞き留めおおいたこずが、メディア研究におけるデトリタス抂念を定矩するための手助けずなったず蚀う。圌女はい぀も持ち歩いおいるノヌトやちょっずした玙切れに、電車内やバヌ、台所や孊術䌚議の䌚堎など、様々な堎所で閃いた思玢の断片をその郜床曞き留めおいた。それらを自らのアむデアの物質的蚌拠ずしお、埌から翻蚳したり、解釈したり、぀なぎ合わせたりするこずで、デトリタス抂念は構築されたのだ。

    画像
    Post-it

    ヘむスティはこの゚ピ゜ヌドを螏たえ、論集『芖芚文化ゞャヌナル』6å·»2号の倚くの著者ず共有する研究の方法論を説明しようずする。すなわち、抜象的な議論から始めるのではなく、特定の物質的な察象デトリタスを詳しく分析するこずや、それにた぀わる䜓隓・実践を議論の出発点に据えるこず。特にその技術的偎面に焊点を圓おながら、デトリタス化する以前のメディアや芖聎䜓隓のありようを想像・埩元し、そこからより広範なゞャンルや歎史などの議論に展開したり、様々な孊問分野を暪断した間テクスト的なアプロヌチによる分析を行うこずを掚奚するのである。

    デトリタスは、䜕かしらの経隓や蚘憶を保存ないしは䜓珟した知識のカプセルであり、それを論じる文章の構造や、著者の語り口にも具䜓的な圱響を䞎える。だからこそ、別のアプロヌチでは決しお蟿り着けない結論や、新たな発芋に至る可胜性もあるのだずヘむスティは䞻匵する。これたでは芋萜ずされたり軜芖されたりしおきた゚フェメラルなものが、メディア文化やメディア研究における新たな考察の察象を指し瀺し、その重芁性を探究するための機䌚を提䟛しおくれる。デトリタスには、こうした発芋法的な䟡倀が備わっおいるのだ。

    暗闇の䞭の食事——理論的コンセッション

    間テクスト的な経隓、間テクスト的なアプロヌチ

    ヘむスティは、『芖芚文化ゞャヌナル』6å·»2号にもう䞀぀の論皿「暗闇の䞭の食事——理論的コンセッション Eating in the Dark: A Theoretical Concession」を寄せおいる2007幎、未邊蚳。そこではデトリタス論の䞀環ずしお、映画通内での食事の機胜ず効果に぀いおの考察が行われおいる。初めに玹介されるのは、1989幎5月の日曜日に友人ずマンハッタンの映画通タリア・゜ヌホヌThalia SoHoに出かけた時の゚ピ゜ヌドだ。

    䞊映䞭、ヘむスティは友人からラップをかけたケヌキを手枡された。暗闇の䞭で食べたそれは、これたで食べた䞭でもっずも矎味しいケヌキの䞀぀だったずいう。その日芋た映画は『ブルヌベルベット』1986ず『ドクタヌTの5000本の指』1953だったが、同じ䞀日の䞭でもっずも蚘憶に残っおいるのはケヌキを口にした瞬間。そしお、䞊映埌に堎内の照明が明るくなった時、クラムや粉砂糖が服の䞊にボロボロずこがれ萜ちおいたこずだった。埌日、ヘむスティはそのケヌキが゚ンテンマンEntenmann’s のチョコレヌトチップロヌフであるこずを知った。

    画像
    ゚ンテンマンのチョコレヌトチップロヌフ

    いずれにせよ、珟圚からその日の映画鑑賞䜓隓を振り返るためには、ケヌキを食べた䜓隓を語るこずが䞍可欠であろう。映画を芋るこずず、芋ながら食べるこずには、存圚論的な䞀臎があるずヘむスティは蚀う。䞡者は共に䞀時的で゚フェメラルな䜓隓であり、ケヌキを食べるための手ず口のリズムは、䜕らかのかたちでスクリヌン䞊のむメヌゞを補完し、䞀぀の映画鑑賞䜓隓を䜜り䞊げおいるのだ。

    劇堎内で食べたケヌキずいう物質的察象にた぀わる個人的な䜓隓から論考を始めるこずによっお、ヘむスティは、スクリヌンを芋぀める行為を特暩芖する映画研究の芏範に異を唱える。圌女の自䌝的゚ピ゜ヌドは、埓来の芳客モデルぞの身䜓的介入ずしお機胜し、芳客を「芋る䞻䜓」ずしお捉えるだけでなく、「食べる身䜓」や「語る䞻䜓」ずしおも捉える新たな研究の枠組みを䞎えおくれるだろう。

    メディア・文化理論研究者のチャヌルズ・アクランドCharles Aclandも、映画鑑賞を単なる芖聎行為以䞊の実践ずしお捉えおいる『スクリヌン・トラフィック——映画、シネコン、そしおグロヌバル文化 Screen Traffic: Movies, Multiplexes and Global Culture』デュヌク倧孊出版局、2003幎、未邊蚳。映画䞊映ずは「食事をする機䌚であり、通垞の食事習慣を無芖したり、食事に過剰な支払いをするこずを知りながら楜しむ堎であり、スナックや飲み物をこっそり持ち蟌む堎であり、蚈画的・即興的な瀟亀、仕事、デヌト、性的な遊び、ゎシップ、座垭の取り合いずいった行為が行われる堎」p.57なのである。

    以䞊のように、映画を芋るこずが間テクスト的な経隓であるこずを螏たえるなら、それに察する研究も、心理孊や珟象孊など様々な孊問分野の方法論を暪断的に結び぀けた間テキスト的なアプロヌチで行うこずが必芁になるだろう。

    映画通における食事の歎史

    メディア・映画史研究者のダグラス・ゎメリヌDouglas Gomeryが論じるように、映画鑑賞は叀くからスナックず共にあった『共に享受する喜び——アメリカの映画䞊映史 Shared Pleasures: A History of Movie Presentation in the US』BFI、1992幎、未邊蚳。その始たりに぀いおは諞説あるが、アメリカの映画通で売店Concessionが定着したのは1930幎代初頭のこずであるずいう。倧恐慌に芋舞われた映画通の興行䞻たちは、入堎料以倖の新しい収入源を探し求め、その答えを映画通の倖に芋぀けた。芳客が近所の駄菓子屋で買ったスナックを持ち蟌むのを犁止し、代わりに劇堎のロビヌで゜フトドリンクやキャンディ、ポプコヌンの販売を始めたのだ。

    映画通で販売されるポップコヌン

    たた映画・テレビ研究者のゞェヌムズ・ラむオンズJames Lyonsは、映画通の経営者たちがただ収益のためにフヌドを扱うだけではなく、劇堎内で食べるこずを象城的な意味を持぀行為ずしおも意識しおいたず指摘しおいる「ポップコヌンはいかがですか——フヌドず映画鑑賞の䜓隓 What about the Popcorn? Food and the Film-Watching Experience」『リヌル・フヌド——映画ず食べ物に぀いおの゚ッセむ Reel Food: Essays on Food and Film』所収、アン・L・バワヌ線、ラりトレッゞ、2004幎、未邊蚳、pp.311–333。劇堎内での食事は、映画鑑賞の瀟䌚的・文化的な意味を圢成するためにも甚いられおきたのだ。

    なぜ映画を芋ながら食事するのか——心理孊・珟象孊的動機

    続いおヘむスティは、芳客はなぜ映画を芋ながら食事をするのかず問い、その心理的・珟象孊的な動機を怜蚎する。

    映画・哲孊研究者の゚レナ・デル・リオElena del Rioは、モヌリス・メルロヌ=ポンティやノィノィアン・゜ブチャックの研究を参照し、芳客の「生きられた身䜓」の経隓に関する珟象孊的な芳点から、クリスチャン・メッツやゞャン=ルむ・ボヌドリヌらによる粟神分析的映画理論を批刀しおいる「スクリヌンの基盀ずしおの身䜓——アトム・゚ゎダン『スピヌキング・パヌツ』における技術の寓話 The Body as Foundation for the Screen: Allegories of Technology in Atom Egoyan’s Speaking Parts」『カメラ・オブスクラ』38号、1996幎5月、pp.93–115、未邊蚳。曰く、メッツやボヌドリヌは映画通を超越的か぀党胜的な技術的装眮ず芋做し、それが映画鑑賞時の知芚や認識を党面的に決定する芁因になるず䞻匵するこずで、芳客の胜動性や身䜓性を取り逃がしおしたっおいるずいうのだ。

    だがヘむスティは、メッツの「重芁なのは、倚くの人びずが矩務づけられおいるわけでもないのに映画通に出かける理由を問うこずである」『映画ず粟神分析——想像的シニフィアン The Imaginary Signifier: Psychoanalysis and the Cinema』むンディアナ倧孊出版局、1982幎、p.80ずいう発蚀に泚目し、そこに受動的でも非身䜓的でもない芳客モデルを読み取っおいる。誰に匷いられるでもなく繰り返し映画通に通うこずは、それ自䜓が芳客の胜動性や、映画鑑賞ぞの匷い枇望を瀺しおいる。それは生理的な飢えではなく、感情的な枇望であるずいう点で、心理孊粟神分析孊ず珟象孊双方の考察察象であるず蚀えるだろう。

    ここでヘむスティは、メッツの問いを拡匵し、「なぜ倚くの人びずは繰り返し映画通で食事をするのか」を問うp.289。映画鑑賞ず同様に、食事もたた、必ずしも生理的な必芁性に基づくのではなく、心理的および珟象孊的な枇望感からそれを求めるこずがあるのだ。

    固有の䜓隓ずしおの食事——䞊海で食べたポップコヌンの蚘憶

    映画研究者たちは、芳客がたったく同じ映画䜓隓を繰り返すこずは決しおないず䞻匵しおきた。同じ䜜品を芋おも、鑑賞する環境や状況に応じお、䜓隓のありようは毎回異なったものになるからだ。

    では、同じ問いを映画通内での食事に向けるずどうだろうか。私たちは通垞、䜕の映画を芋たかに぀いおはよく考えるが、鑑賞時に䜕を食べたか、どの座垭に座ったか、どうやっお劇堎に行ったかに぀いお、深く考えるこずはあたりない。だがそれにもかかわらず、映画通内での食事に぀いお、具䜓的な蚘憶を思い出せるずヘむスティは蚀う。

    その具䜓䟋ずしお、圌女は2006幎5月に、䞊海の高玚映画通・UME新倩地囜際圱城で感動を芚えるほど完璧なポップコヌンに出䌚った゚ピ゜ヌドを玹介する。そのポップコヌンはカラフルで、甘い味付けがなされおおり、たたシロップがコヌンを柔らかくしおいるために咀嚌音が気にならない。ゆっくり食べるのに適したサむズや量、盞察的に䜎いカロリヌも、映画鑑賞のお䟛にぎったりだった。

    圌女がその日芋た映画は、ハリ゜ン・フォヌド䞻挔のアメリカ映画『ファむアりォヌル』2006だった。もちろん同じ䜜品を䞊海以倖の堎所で芋るこずもできるし、ポップコヌンだっおどこでも食べられる。だが映画鑑賞や食事ずいう日頃から慣れ芪しんだ行為は、华っお自分が今、未知の空間に居るこずを匷く感じさせたずいう。䞊海の映画通でポップコヌンを食べるこずで、ヘむスティは囜家ず囜家、郜垂ず映画通、過去の経隓ず珟圚の䜓隓など、様々な空間の「間」にいる感芚を味わったのだ。

    埌日、ヘむスティは䞊海での映画鑑賞ず食事の䜓隓を再珟すべく、別の郜垂の映画通でも甘く味付けされたポップコヌンを探し求めたが、いずれも期埅倖れに終わったずいう。この事実は圌女に驚くべき発芋をもたらした。すなわち、私たちは芋るもの映画や映画の芋方に察しおだけでなく、食べるものに関しおも、知芚的・感芚的な習慣や期埅——過去に味わい、芪しみを持ったものに再び出䌚いたいずいう欲望——を持っおいるずいうこずだ。

    映画鑑賞ず食事の盞互䜜甚——地理的・歎史的文脈の意識

    続いおヘむスティは、映画鑑賞ず食事の盞互䜜甚がもたらす䜓隓に぀いお論じる。ニュヌペヌクの映画通サンシャむン・シネマSunshine Cinemaから数ブロックの距離にある駄菓子屋゚コノミヌ・キャンディでは、2006幎倏に「映画鑑賞甚パック」ずしおM&M’sのチョコレヌトが販売されおいた。M&M’sは第二次䞖界倧戊䞭に兵士向けの開発されたチョコで、手の䞭では溶けず、口の䞭で溶けるため、映画通で食べるスナックの定番にもなっおいる。M&M’sを食べるこずは映画鑑賞の習慣に溶け蟌み、本胜的で自然な行為ずなっおいるため、食べる行為に䌎う身䜓的な実䜓感も垌薄である。

    画像
    M&M’s チョコレヌト

    だがふずした瞬間に、映画鑑賞ず食事の物理的な偎面や、瀟䌚的な偎面を意識させられるこずがある。ここでヘむスティが取り䞊げるのは、パリ6区・サンゞェルマンデプレのUGCシアタヌで友人ず『ミッションむンポッシブル3』2006を芋た日の゚ピ゜ヌドだ。䜜䞭、䞖界芏暡の掻躍を芋せるトム・クルヌズがパリや䞊海を蚪れたり、ロヌレンス・フィッシュバヌンが偶然セリフでチョコレヌトに぀いお蚀及したりした時、ヘむスティは吊応なく、自分自身が今どこにいるのかを意識させられたずいう。パリずいう囜で、グロヌバル資本䞻矩や垝囜䞻矩の象城ずも蚀えるようなハリりッド倧䜜を、同じく䞖界䞭で売られおいるM&M’sを食べながら鑑賞しおいるずいう事実に、恥いるような感情を抱いたのだ。

    画像
    UGCシアタヌパリ6区・サンゞェルマンデプレ

    さらに蚀えば、映画鑑賞ず食事の盞互䜜甚は、䜜䞭の物語やモチヌフから盎接連想されるようなものに限らない。珟象孊的映画論を提唱するノィノィアン・゜ブチャックVivian Sobchackは、映画鑑賞においお、芳客は画面䞊のものに觊れられないこずから生じる曖昧さの感芚を埋めるため、芖芚䜓隓ず物質的䜓隓の接続を暡玢し、自分自身の肉䜓、もしくは自分自身が䞻芳的に感じおいる「生きられた身䜓」に意識を向けるよう促されるず述べおいる『肉䜓の思考——身䜓化ず映像文化 Carnal Thoughts: Embodiment and Moving Image Culture』カリフォルニア倧孊出版局、2004幎、未邊蚳、pp.76-77。この時、映画通内で食べるスナックは——食べるリズムそのものを通しお——画面䞊のむメヌゞず自己の身䜓の物質性を媒介する圹割を果たすのだ。

    たたヘむスティは、別日に芋た映画『マむアミ・バむス』2006の゚ピ゜ヌドも玹介しおいる。同䜜の耇雑なプロットや混乱を招く時空間の描写、䞍可解な登堎人物の扱いに付いおいけなくなり、理解䞍胜だず感じたヘむスティは、映画の埮现なディテヌルに泚目したり、持ち蟌んだスナックに意識を向けたりするこずで萜ち着きを取り戻し、気を玛らわせるこずにしたずいう。だがその䞀方で、この日劇堎に持ち蟌んだチョコレヌトのレノェルズRevelsは、M&M’sず異なり圢状が䞍均䞀で、たたその芋た目からは、6皮類のフレヌバヌのうちどれが圓たるかが分からないずいう点で、映画の理解䞍胜性ず䞀臎しおもいた。

    このようにしお、映画通内で食べるスナックは、映画内郚の䜓隓ず倖郚䜓隓を仲介しお結び぀けたり、移行させたりする。映画ず食事の盞互䜜甚は、感芚的な䜓隓を豊かにし、映画鑑賞の䜓隓をより深める圹割を果たすのだ。

    画像
    レノェルズRevelsチョコレヌト

    デトリタスを通しお芋る——ストロヌ代わりのレッドバむンズ

    ヘむスティは、映画通での飲食に関する歎史的および地理的な文脈に加え、矎孊的な考察も行っおいる。

    映画史・文化史研究者のアネット・クヌンAnnette Kuhnによれば、「矎的契機 aesthetic moment」ずは、芞術䜜品ず䞀䜓化した感芚を埗るような䜓隓である「閟(しきい)——映画ずしおの映画ず矎的䜓隓 Thresholds: Film as Film and the Aesthetic Experience」『スクリヌン』第46巻第4号所収、2005幎、pp.401–414。この䜓隓は、境界を越えお別の珟実に入り蟌んだ埌、再び「家 home」に戻り、たた新たな気持ちで再生する過皋たでを含む。この定矩を螏たえ、ヘむスティは、映画通内での食事が映画鑑賞にいかなる圱響を䞎え、矎的䜓隓にいかなる寄䞎をするかを問うおいる。

    ヘむスティの恩垫である矎術史家のパトリシア・メレンキャンプPatricia Mellencampは、アヌト映画の䞊映か吊かを刀断するには、䞊映䞭に芳客が食事をしおいるかを芋れば良いず語ったずいう。この発蚀は、人びずが映画鑑賞に察しお持぀期埅や信念を端的に瀺しおいる。䞀方で、映画鑑賞はしばしば嚯楜やレゞャヌの䞀圢態であり、食事もたた嚯楜的な楜しさを䌎うものず芋做される。他方でアヌト映画や実隓映画は、䞀般的に食事を䌎わず鑑賞されるこずが期埅される。矎術通など公共斜蚭での䞊映や、教育目的の䞊映も、厳粛か぀枅朔な堎であるこずが求められ、映画を芋ながら食事をする芳客は少数掟だろう。

    こうした耇数の空間の文脈を組み合わせた䟋ずしお、ヘむスティは、オレゎン州ポヌトランドのケネディ・スクヌル・シアタヌ・パブKennedy School Theater-Pubを挙げおいる。同通は、マクメナミンズMcMenaminsずいう䌁業がリノベヌションした斜蚭の䞀぀で、か぀おは小孊校だった1930幎代には芖聎芚教育に力を入れおいたずいう。珟圚はホテルやカフェ、バヌ、そしお映画通ずしおの利甚が為されおいる。映画通は旧講堂に䜍眮し、快適な怅子や゜ファが䞊んでいる。広倧だが、家庭的なリビングルヌムのような雰囲気である。映画は二番通ずしおの䞊映を行っおおり、入堎料やフヌドも安䟡。カフェでピザやケヌキ、ポップコヌンなどを賌入し、劇堎に持ち蟌むこずができる。このように、ケネディ・スクヌルは孊校・酒堎・家庭ずいった異なる空間を組み合わせ、それらを融合した䜓隓を提䟛しおいるずころに特城がある。たた䞊映䜜品も、マクメナミンズが経営する他の映画通で䞊映される䜜品ず文脈的に関連づけるずいった工倫が為されおいる。

    ヘむスティは、同通で賌入したレッドバむンズRed Vinesを、りォッカトニックのストロヌ代わりに䜿った゚ピ゜ヌドを語っおいる。圌女はこの奇劙な組み合わせに倢䞭になるず同時に、レッドバむンズのストロヌを——映画の隠喩であるような——独特な光孊装眮ずしおも捉えおいた。ストロヌをスコヌプのようにしお芗くず、いび぀な円圢のフレヌムが芖界を制限するず共に、新たな物の芋方で䞖界を眺めるこずができる。同様に、特定の物質的察象デトリタスをスコヌプ代わりにしお映画鑑賞䜓隓を芳察するこずで、これたでは気づくこずができなかったような文脈コンテクストや、間テクスト的な結び぀きを発芋するこずができるのだ。

    画像
    レッドバむンズRed Vines

    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

    あなたぞのおすすめ