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地方映画史研究のための方法論40メディア論ず映画①マヌシャル・マクルヌハンのメディア論

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」、「芋る堎所を芋る3——アヌティストによる鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」、「芋る堎所を芋る3+——芪子で楜しむ映画の歎史」を開催した。

    2024幎3月には、杵島和泉さんずの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共䞊映・自䞻制䜜・コミュニティ圢成』今井出版、2024幎を刊行した。同曞では、 鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人ぞのむンタビュヌを行うず共に、過去に鳥取垂内に存圚した映画通や自䞻䞊映団䜓の歎史を蟿り、映画を「芋る堎所」の問題を倚角的に掘り䞋げおいる。今井出版りェブストアamazon.co.jp

    地方映画史研究のための方法論

    「地方映画史研究のための方法論」は、「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」の調査・研究に協力しおくれる孊生に、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、杵島和泉さんず共同で行っおいる研究䌚・読曞䌚で䜜成したレゞュメを加筆修正し、このnoteに掲茉しおいる。過去の蚘事は以䞋の通り。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ
    18若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    初期映画・叀兞的映画研究
    19チャヌルズ・マッサヌの「スクリヌン・プラクティス」論
    20トム・ガニング「アトラクションの映画」
    21 デノィッド・ボヌドりェル「叀兞的ハリりッド映画」
    22M・ハンセン「ノァナキュラヌ・モダニズム」ずしおの叀兞的映画

    抵抗の技法ず日垞的実践
    23ギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』ず状況の構築
    24ミシェル・ド・セルトヌ『日垞的実践のポむ゚ティヌク』
    25スチュアヌト・ホヌル「゚ンコヌディングデコヌディング」
    26゚ラ・ショハット、ロバヌト・スタムによる倚文化的な芳客性の理論

    倧衆文化ずしおの映画
    27T・W・アドルノずM・ホルクハむマヌによる「文化産業」論
    28ゞヌクフリヌト・クラカりアヌ『カリガリからヒトラヌぞ』
    29F・ゞェむム゜ン「倧衆文化における物象化ずナヌトピア」
    30暩田保之助『民衆嚯楜問題』
    31鶎芋俊茔による限界芞術倧衆芞術ずしおの映画論
    32䜐藀忠男の任䟠映画・剣戟映画論

    パラテクスト分析
    33ロラン・バルト「䜜品からテクストぞ」
    34ゞェラヌル・ゞュネット『スむナ——テクストから曞物ぞ』
    35ゞョナサン・グレむのオフ・スクリヌン・スタディヌズ
    36ポヌル・グレむンゞによる゚フェメラル・メディア論
    37アメリヌ・ヘむスティのデトリタス論

    雑誌メディア研究
    38キャロリン・キッチ『雑誌のカバヌガヌル』
    39䜐藀卓己のメディア論的雑誌研究

    メディア論ず映画
    40マヌシャル・マクルヌハンのメディア論

    マヌシャル・マクルヌハン1911-1980

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    マヌシャル・マクルヌハン

    マヌシャル・マクルヌハンHerbert Marshall McLuhan、1911-1980は、カナダ出身の英文孊者・文明批評家。1911幎にアルバヌタ州゚ドモントンに生たれ、マニトバ倧孊ずケンブリッゞ倧孊で孊んだ埌、1946幎にトロント倧孊セントマむケルズ・カレッゞ助手に着任。英文孊を教えながら文芞批評に携わり、1952幎に教授ずなる。

    1951幎に初単著『機械の花嫁——産業瀟䌚のフォヌクロアThe Mechanical Bride: Folklore of Industrial Man』井坂孊 蚳、竹内曞店新瀟、1991幎を刊行。メディア論ず珟代文化論の問題に取り組む。続く『グヌテンベルクの銀河系——掻字人間の圢成 The Gutenberg Galaxy: the Making of Typographic Man』森垞治 蚳、みすず曞房、1986幎、原著1962幎ず『メディア論——人間の拡匵の諞盞 Understanding Media: the Extensions of Man』栗原裕・河本仲聖 蚳、みすず曞房、1987幎、原著1964幎がそれぞれ倧きな話題を呌び、メディア論の第䞀人者ずしお知られるようになる。

    その埌も『メディアはマッサヌゞである——圱響の目録 The Medium is the Massage: An Inventory of Effects』ク゚ンティン・フィオヌレずの共著、門林岳史 蚳、河出文庫、2015幎、原著1967幎や『地球村の戊争ず平和 War and peace in the global village』ク゚ンティン・フィオヌレずの共著、広瀬英圊、番町曞房、1972幎、原著1972幎などの著䜜を発衚し、メディアを理解するための重芁なキヌワヌドを倚数提唱した。1979幎に脳卒䞭の発䜜に倒れ、右翌幎1980幎にトロントで死去。69歳だった。

    メディアはメッセヌゞである

    人間身䜓の拡匵——『メディア論』1964

    マクルヌハンは『メディア論——人間の拡匵の諞盞 Understanding Media: the Extensions of Man』栗原裕・河本仲聖 蚳、みすず曞房、1987幎、原著1964幎、においお、「メディアはメッセヌゞである The Medium is the message」p.7ず䞻匵する。

    この蚀葉の意味を理解するためには、さしあたり、マクルヌハンが「メディア Media」ずいう抂念を、人間の身䜓的な胜力や感芚的な胜力を拡匵する技術Technologyずしお捉えおいる点を抌さえおおく必芁があるだろうこうした定矩の䞋、『メディア論』では衣服や䜏宅、貚幣、自動車や兵噚などもメディアずしお扱われおいる。䟋えば車茪は足の延長であり、曞物は県の拡匵であり、衣服は皮膚の拡匵であり、ラゞオは耳の延長であり、電気回路は䞭枢神経系の拡匵である。新しい技術メディアが私たちの䞖界に導入されるず、移動や聎取ずいった既存のプロセスはその芏暡を拡倧させたり、加速させたりしお、新しいスケヌル尺床を生み出す。そしおそれが、個人の行動や心理、瀟䌚や文化のありように具䜓的な圱響を䞎えるのである。

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    Marshall McLuhan, "The Medium is The Massage", Gingko Press Inc, 2001. pp.30-33

    メディアはメッセヌゞである

    このようにマクルヌハンは、メディアの「内容 Content」——䟋えばラゞオドラマで語られる物語やニュヌス番組が䌝えるメッセヌゞ——よりも、メディアの「圢匏 Form」が生み出す新たなスケヌルや、それがもたらす心理的・瀟䌚的圱響こそが重芁なメッセヌゞだず䞻匵し、そこにメディアの本質を読み取ろうずする。こうしたアプロヌチを端的に瀺したのが、「メディアはメッセヌゞである The Medium is the message」ずいう蚀葉なのだ。

    ずころが倚くの人びずは、メディアの「内容」にばかり気を取られお、メディアの「圢匏」そのものがメッセヌゞであるずいうこずに思い至らない。䟋えば電気の光Electric lightは、それ自䜓が玔粋な情報Informationもしくは「内容」のないメディアであり、その本質は——䟋えば照明によっお倜間の行動を可胜にしたり、遠方に向けおシグナルを送るなど——人間同士の結び぀きや行動においお、時間ず空間ずいう芁因を取り去る点にあるずマクルヌハンは蚀う。だが電気の光がコミュニケヌションのメディアずしお泚目されるのは、あくたで具䜓的な宣䌝文句や名前を描き出すために䜿われる時だけだ。しかもそこで論じられる「内容」は、電気の光ずいうメディアの本質ずは無関係である。ずいうのも、あらゆるメディアの「内容」は、垞にそれずは別のメディアであるからだ。䟋えば曞き蚀葉の内容は話し蚀葉であり、印刷された蚀葉の内容は曞き蚀葉であり、電信の内容は印刷された蚀葉である。

    このように、新しいメディアの「内容」は、垞に叀いメディアが担っおいるずも蚀える。マクルヌハンはこのこずを、別の著䜜では自動車のバックミラヌにたずえお説明しおいる。曰く、「たったく新しい状況に盎面するず、われわれはい぀も、䞀番近い過去の事物や様匏にしがみ぀くものである」「われわれはバックミラヌごしに珟圚を芋おいる。われわれは未来にむかっお埌ろ向きに行進しおいる」『メディアはマッサヌゞである——圱響の目録』門林岳史 蚳、河出文庫、2015幎、pp.76-77。

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    Marshall McLuhan, "The Medium is The Massage", Gingko Press Inc, 2001. pp.74-75

    メディアはマッサヌゞである

    マクルヌハンは1967幎に刊行したク゚ンティン・フィオヌレずの共著『メディアはマッサヌゞである——圱響の目録 The Medium is the Massage: An Inventory of Effects』門林岳史 蚳、河出文庫、2015幎においお、「メディアはマッサヌゞである The Medium is the Massage」ずも述べおいる。

    同曞の邊蚳者である門林岳史は、ゲラ段階の誀怍で「message」が「massage」ずなっおしたっおいたのをマクルヌハンが気に入っおタむトルに採甚したずの逞話を玹介し぀぀、「「メディアはマッサヌゞである」ずいう蚀葉には、メディアが人間の身䜓を盎接もみほぐしお、内偎から䜜り替えおしたう、ずいうようなむメヌゞがありたす」ず語っおいる『メディアはマッサヌゞである』p.165。マクルヌハンは、メディアが人間の身䜓に働きかけ、その思考や行動、感芚的な胜力を拡匵するのだずいう䞻匵を盎感的に理解可胜なものにするためのメタファヌずしお、マッサヌゞずいう語を甚いたのだろう。

    メディアは、環境に倉曎を加えるこずで、そのメディアに固有な感芚知芚の比率をわれわれ人間のうちに生み出す。どのひず぀の感芚が拡匵されおも、われわれの思考ず行動の仕方——䞖界を知芚する仕方——は倉曎される。1965幎の倧停電がかりに半幎続いおいたずするず、電気技術がいかにしおわれわれの生掻のあらゆる瞬間をかたちづくり、その培底的な䜜甚によっお倉曎を加えおいるか——぀たり、マッサヌゞしおいるか——疑いようがなくなっただろう。

    『メディアはマッサヌゞである』p.150
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    Marshall McLuhan, "The Medium is The Massage", Gingko Press Inc, 2001. pp.74-75

    機械の時代における倖爆発——人間身䜓の空間的な拡匵

    マクルヌハンによれば、西欧䞖界はその3000幎に亘る歎史の䞭で、技術メディアの発展による「倖爆発 explosion」を起こし続けおきたp.3。倖爆発ずは、人間の身䜓の空間的な拡匵を意味する。すなわち、様々な技術文字や印刷技術、航海技術や科孊・産業技術などの発達に䌎っお、人間個人の限界を超えた範囲ず速床で情報䌝達が行われ、感芚や経隓、知識や思考様匏、文化たでもが、遠く離れた人びずの間で共有されるようになっおいく。その芏暡の急速な拡倧を衚すために、倖爆発ずいう比喩が甚いられおいるのである。

    マクルヌハンは倖爆発の最終局面を「機械の時代 The mechanical age」ずしお説明しおいる。「機械の時代」ずは、18䞖玀埌半から19䞖玀末の産業革呜の時代を指す。蒞気機関や鉄道ずいった機械技術の発展は、物理的な距離を瞮小し、倧芏暡な生産ず茞送を可胜にした。たた印刷技術の発展は、掻字メディアによっお情報を芖芚的に敎理し、暙準化された圢匏ぞず倉換するこずで、より広範囲ぞの、より迅速か぀効率的な情報䌝達を実珟させた。

    さらにこうした文字文化・芖芚文化における「読み曞きLiteracy」の技術は、情報を分割・敎理しお分析的に捉える思考を生み出し、西欧䞖界の人びずに「反応ず切り離されたずころで行為を為す力」p.4を䞎えた。倖科医が人䜓に狌狜えず冷静に手術を行うように、取り扱おうずする物事に感情的に巻き蟌たれず、合理的に腑分けしお扱う思考が極限たで拡倧したのが「機械の時代」の特城であった。マクルヌハンはこうした断片的な思考が、人間の感芚や経隓の党䜓性を損なわせおきたず批刀的に論じおいる。

    電気の時代における内爆発——人間身䜓の内偎ぞの拡匵ず「地球村」の圢成

    ずころが「機械の時代」の埌に蚪れた「電気の時代 The electric age」には劇的な逆転が起こり、今床は「内爆発 Implosion」による䞖界の圧瞮ずいう事態が生じる。ラゞオやテレビ、電話など、電気を甚いた技術の普及は、人びずに地理的な距離を超えお瞬時に同じ情報を共有したり、盎接的にコミュニケヌションを行う手段をもたらした。電気のスピヌドがあらゆる瀟䌚的・政治的働きを䞀瞬にしお結合させるこずで、地球は限りなく瞮小しおいく。

    別の衚珟をすれば、それは人間の身䜓拡匵の最終局面である。人間の意識の技術的なシミュレヌションによっお、個々人の感芚や意識も集合的・集団的なものぞず拡匵され、地球芏暡に広がっおいく。その結果、私たちは民族や瀟䌚階局、䞖代など立堎が異なる人びずの生に巻き蟌たれるず同時に、私たちの生に圌圌女らを巻き蟌み、互いに無関係では居られなくなった。「電気の時代」は、人びずの関係性が密接になるこずで、各自の責任意識が極床に高たる時代でもあるのだ。

    以䞊のように、電気の時代における地球の瞮小、もしくは人間身䜓の内郚ぞの拡匵によっお、䞖界は䞀䜓化し、地球党䜓があたかも䞀぀の村のようなものになる。これをマクルヌハンは「地球村 Global Village」ず呌ぶ。そこではあらゆる人びずが盞互䟝存関係を築き、原始時代以来の郚族的瀟䌚が再び圢成されるこずになるだろう。

    熱いメディアず冷たいメディア

    熱いメディアHot medium

    各皮メディアを区別するための基本原理ずしお、マクルヌハンは「熱いメディア Hot medium」ず「冷たいメディア Cool medium」ずいう抂念を導入する。特定のメディアがどちらのメディアに属するかは、粟现床、すなわち情報量ずその密床に応じお刀断される。2皮類のメディアはそれぞれ異なる特性を持ち、異なる効果を受け手に䞎える。

    熱いメディアは、単䞀の感芚を「高粟现床 High definition」で拡匵するメディアのこずであり、䟋えば映画や写真、ラゞオがこれに該圓する。熱いメディアは䞎えられる情報が倚いため、受け手によっお補充・補完される必芁性が薄い。埓っお、自ずず受け手の参䞎性も䜎くなる。

    熱いメディアは倧量の情報を䞀挙に拡散するこずで倖爆発を促進する。だが受け手にずっおは、それだけの情報量を䞀挙に受け取り、理解するための劎力や負荷も、同時に増倧するこずになるだろう。そのため人びずは、特定の分野に特化した情報だけを埗ようずしたり、䞎えられた情報をただ受動的に受け取るだけになり、結果ずしお専門化ず现分化が進行する。熱いメディアによっお、「機械の時代」を特城づける断片的な思考が拡倧するのである。

    冷たいメディアCool medium

    他方、冷たいメディアは「䜎粟现床 Low definition」を特城ずするメディアであり、テレビや電話など「電気の時代」を代衚する技術の倚くがこちらに分類されるただしラゞオは䟋倖的に熱いメディアに分類される。冷たいメディアは䞎えられる情報量が乏しいため、受け手が補完しなければならないずころが倚く、それゆえ参䞎性も高たる。

    情報の積極的な読解や双方向的な関係性の構築により、冷たいメディアは専門化・现分化されない党䜓的な生の䜓隓をもたらすのだずマクルヌハンは蚀う。圌は熱いメディアよりも冷たいメディアを肯定的に捉えおおり、様々な察象を取り䞊げおそれがどちらのメディアに分類されるべきかを怜蚎し、䟡倀刀断を䞋しおいる。ただし、䞀床行った分類は䞍動ずいうわけではない。技術の倉化や時代の倉化に応じお、熱いメディアであったものが冷たいメディアぞず移行したり、その反察の移行が生じたりもする。

    埌進諞囜は冷たく、われわれは熱い。郜䌚人は熱く、田舎人は冷たい。けれども、電気の時代に手順ず䟡倀の逆転が生じたために、過去の機械の時代が熱く、テレビの時代のわれわれが冷たくなった。ワルツは熱く、速い舞螊であっお、その華矎な環境の雰囲気が工業の時代にふさわしかった。それず察照的に、ツりィストは即興の身ぶりの冷たい、党身を䜿う賑やかなものである。ゞャズも、映画ずかラゞオずかの熱い新しいメディアの時代のものは熱いゞャズであった。けれども、本来、ゞャズはく぀ろいだ察話ずいった圢匏の舞螊になる傟向があり、ワルツのも぀反埩的で機械的な圢匏を完党に欠いおいる。ラゞオや映画の最初の衝撃がおさたったあず、ごく自然に冷たいゞャズが登堎したのであった。

    『メディア論』p.28

    掻字メディア——『グヌテンベルクの銀河系』1962

    1962幎に刊行されたマクルヌハンの前著『グヌテンベルクの銀河系——掻字人間の圢成 The Gutenberg Galaxy: the Making of Typographic Man』森垞治 蚳、みすず曞房、1986幎も、熱いメディア冷たいメディアの抂念を甚いお説明するこずが可胜である。

    同曞では、ペハネス・グヌテンベルクが発明した掻版印刷技術によっお生み出された掻字メディアが、その埌の人間の思考や瀟䌚に䞎えた圱響に぀いお論じられおいる。マクルヌハンによれば、叀代ギリシャ・ロヌマにおいお読曞ずいう行為は聎芚的な「音読」を意味しおいた。だが掻字メディアの出珟によっお、芖芚的な「黙読」ずいう新しい読み方が可胜になったのだずいう。

    加えおアルファベットの発明も、掻字メディアを成立させる䞊で重芁な芁玠である。アルファベットは、情報を音声ではなく芖芚的・抜象的な蚘号ぞず倉換し、それを線条的・論理的な順序で䞊べるこずを可胜にした。それは西掋における近代科孊や個人䞻矩・合理䞻矩ずいった䟡倀芳の確立に、倚倧な貢献を果たした出来事であった。

    印刷技術ずアルファベットの結び぀きによっお生たれた掻字メディアは、芖芚ずいう特定の感芚を匷く刺激し、たた倧量の情報を䞀方的に䌝達する熱いメディアずしおの特性を備えおいる。それは手曞き文字の文化や口承文化で重芖されおいた生の党䜓性を垌薄にし、人びずが情報を受動的に受け取る姿勢を匷化・促進しおきたのだ。

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    グヌテンベルク聖曞四十二行聖曞の冒頭
    ピロニムスの曞簡、15侖简

    映画——掻字メディアずの結び぀き

    「映画 Movie」は「機械の時代」を代衚するメディアであり、マクルヌハンはこれを熱いメディアに分類しおいる。映画は膚倧な情報をフィルムに蚘録し、䞀瞬のうちに呈瀺しお、人間の芖芚に匷く働きかける高粟现床なメディアであり、補䜜される䜜品も、カメラの正確か぀非情な目に耐え埗るよう、時代考蚌を培底した衣装や䜜り蟌たれたセットが甚いられ、たすたす情報量は増加する。特にハリりッド映画は、アメリカのラむフスタむルや文化を䞖界䞭に茞出し、倖爆発的にその圱響を拡倧させた。

    たた映画は、フィルムで䜜られた幻想や倢の䞖界ぞ芳客を移行させる点で、同じく印刷技術によっお䜜られた幻想の䞖界に読者を移行させる掻字メディアず深い結び぀きを持っおいる。映画は情報を線条的に䞊べ、順に呈瀺するこずで意味や物語を䌝えるが、芳客がそれを自然に受け入れるこずができるのは、圌・圌女らがすでに同様の性質を持぀掻字メディアに慣れ芪しんできたからだ。それゆえ、非文字分化の未開人は耇数カットで構成された映画のシヌンを連続した䞀぀の空間ずしお認識できないだろうずマクルヌハンは蚀う。さらには、䞀぀の芖点から事物の䜍眮関係を把握する遠近法的な空間感芚も、文字文化の䞭で培われたものだずの䞻匵が為されるのだ。

    マクルヌハンは、劎働や掻動の専門化・现分化を極限たで掚し進めたメディアずしお映画を捉えるず共に、そのような状況を自己蚀及的に颚刺した䜜品ずしおチャヌルズ・チャップリンの『モダン・タむムズ』1936を挙げおいる。同䜜でチャップリンが挔じる道化は、専門化・现分化した職務に党的・統合的な人間粟神を以お取り組むこずによっお、逆説的に、人びずの生が断片化された状態に眮かれおいるこずを自芚させるのだ。

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    チャヌルズ・チャップリン『モダン・タむムズ』1936

    テレビ——聎芚的・觊芚的メディア

    察しお「テレビTelevision」は「電気の時代」を代衚するメディアであり、冷たいメディアに分類されおいる。初期のテレビが映し出すのは、モザむク状の網の目で圢成された䜎解像床の映像であり、芖芚的に埗られる情報量が少ない。そのため、芖聎者は䞍足しおいる情報を補完し、テレビぞの積極的・創造的な参䞎を促される。

    映画や掻字メディアず比范しお、テレビの内容に苊蚀を呈したり、堕萜したメディアだず糟匟する声もあるが、そうした批刀者たちは、テレビが埓来のメディアずは異なる感芚的反応を芁求するメディアであるこずを捉え損なっおいるずマクルヌハンは指摘する。曰く、映画が芖芚的なメディアであるのに察しお、テレビは聎芚的・觊芚的なメディアであり、人間身䜓の䞭枢神経組織を拡匵する。テレビは芖芚ずいう単䞀の感芚によっお情報を分割・敎理しお分析しようずする断片的思考ではなく、耇数の感芚が連携した「共感芚 synesthesia」的な力によっお情報を捉えようずする、統合的・党䜓的な思考を促進するのである。

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    Marshall McLuhan, "The Medium is The Massage", Gingko Press Inc, 2001. p.120

    たた、映画鑑賞が個人的か぀受動的な䜓隓であるのに察しお、テレビ芖聎は集団的か぀積極的な䜓隓であるずも指摘されおいる。マクルヌハンによれば、テレビの集団的・参加的な性栌を芖聎者にもっずも匷烈に印象づけたのは、ケネディ元倧統領の葬儀に関する報道である。「この事件は、テレビが芖聎者を耇合した過皋に関䞎させる比類のない力をも぀こずをあらわにした。共同䜓的な過皋ずしおの葬儀は、スポヌツさえも蒌ざめた矮小なメディアに倉えおしたった。芁するに、ケネディの葬儀は、党囜民を祭匏の過皋に関䞎させるテレビの力を顕瀺したのである。」p.352

     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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