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地方映画史研究のための方法論45メディア論ず映画⑥ブリュノ・ラトゥヌルのアクタヌネットワヌク理論

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    芋る堎所を芋る──映画の蚘憶ずメディア考叀孊の旅

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    芋る堎所を芋る──映画の蚘憶ずメディア考叀孊の旅

    2025幎3月14日金から16日日たで、元映画通荒川区東日暮里3-31-18 旭ビル2Fにお展芧䌚䞊映䌚「芋る堎所を芋る──映画の蚘憶ずメディア考叀孊の旅」を行いたす。鳥取を舞台に進めおきたプロゞェクト「芋る堎所を芋る」のこれたでの歩みを振り返る䜜品展瀺「鳥取の映画通の蚘憶──むラストレヌション・ドキュメンタリヌ」に加え、地方郜垂の盛り堎5ヶ所の映画通跡を巡る新䜜映画『ファントムラむダヌズ』の䞊映ずトヌクむベントも実斜予定。この機䌚にぜひご芧ください。

    杵島和泉・䜐々朚友茔『ファントムラむダヌズ』2025

    ある日偶然芋぀けた倧量の映画チラシず䞀冊の本。そこには日本各地の映画通を巡った゚ッセむが綎られおいた。「私」にずっおは、䞀床も蚪れたこずのない堎所で䞊映された、䞀床も芋たこずのない映画のはずなのに、なぜか初めお芋た気がしない。「私はこの映画を知っおいる。私は昔、確かにこの映画を芋た  。」自分のものではない蚘憶の正䜓を探るべく、「私」は本に蚘された劇堎を蚪れる旅に出る。鳥取、神戞、金沢、熊本、盛岡ず、各地の盛り堎の颚景ず興行の痕跡、移動する身䜓から、個人的か぀集合的な日本映画史を蚘述する詊み。

    『ファントムラむダヌズ』60分、2025幎

    共同監督䜐々朚友茔、杵島和泉
    出挔倧久保藍、䞭村友玀、牧小雪
    リサヌチ・脚本杵島和泉、脚本・撮圱・線集䜐々朚友茔
    照明田䞭哲哉、藀森このみ、メむク梶川真奈
    むラストClara、ロゎデザむン蔵倚優矎ノカヌチ
    音楜田䞭文久、チェロ朚䞋通子
    䞻題歌「マむラノセプテンバヌ」
    䜜詞・䜜曲・歌にゃろめけりヌ、線曲田䞭文久
    資料提䟛門村裕明
    協力䜐藀掋䞀、湖海すず
    平岡矎歩、井䞊柊、⿃取⌀孊挔劇サヌクル劇団あしあず
    ロケ協力鳥取県立博物通、岩手県公䌚堂

    「芋る堎所を芋る」ずは

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」、「芋る堎所を芋る3——アヌティストによる鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」、「芋る堎所を芋る3+——芪子で楜しむ映画の歎史」を開催した。

    2024幎3月には、杵島和泉さんずの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共䞊映・自䞻制䜜・コミュニティ圢成』今井出版、2024幎を刊行した。同曞では、 鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人ぞのむンタビュヌを行うず共に、過去に鳥取垂内に存圚した映画通や自䞻䞊映団䜓の歎史を蟿り、映画を「芋る堎所」の問題を倚角的に掘り䞋げおいる。今井出版りェブストアamazon.co.jp

    地方映画史研究のための方法論

    「地方映画史研究のための方法論」は、「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」の調査・研究に協力しおくれる孊生に、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、杵島和泉さんず共同で行っおいる研究䌚・読曞䌚で䜜成したレゞュメを加筆修正し、このnoteに掲茉しおいる。過去の蚘事は以䞋の通り。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ
    18若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    初期映画・叀兞的映画研究
    19チャヌルズ・マッサヌの「スクリヌン・プラクティス」論
    20トム・ガニング「アトラクションの映画」
    21 デノィッド・ボヌドりェル「叀兞的ハリりッド映画」
    22M・ハンセン「ノァナキュラヌ・モダニズム」ずしおの叀兞的映画

    抵抗の技法ず日垞的実践
    23ギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』ず状況の構築
    24ミシェル・ド・セルトヌ『日垞的実践のポむ゚ティヌク』
    25スチュアヌト・ホヌル「゚ンコヌディングデコヌディング」
    26゚ラ・ショハット、ロバヌト・スタムによる倚文化的な芳客性の理論

    倧衆文化ずしおの映画
    27T・W・アドルノずM・ホルクハむマヌによる「文化産業」論
    28ゞヌクフリヌト・クラカりアヌ『カリガリからヒトラヌぞ』
    29F・ゞェむム゜ン「倧衆文化における物象化ずナヌトピア」
    30暩田保之助『民衆嚯楜問題』
    31鶎芋俊茔による限界芞術倧衆芞術ずしおの映画論
    32䜐藀忠男の任䟠映画・剣戟映画論

    パラテクスト分析
    33ロラン・バルト「䜜品からテクストぞ」
    34ゞェラヌル・ゞュネット『スむナ——テクストから曞物ぞ』
    35ゞョナサン・グレむのオフ・スクリヌン・スタディヌズ
    36ポヌル・グレむンゞによる゚フェメラル・メディア論
    37アメリヌ・ヘむスティのデトリタス論

    雑誌メディア研究
    38キャロリン・キッチ『雑誌のカバヌガヌル』
    39䜐藀卓己のメディア論的雑誌研究

    メディア論ず映画
    40マヌシャル・マクルヌハンのメディア論
    41ゞャン・ボヌドリダヌル『シミュラヌクルずシミュレヌション』
    42ポヌル・ノィリリオの速床孊
    43F・キットラヌ『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ』
    44ナッシ・パリッカのメディア地質孊
    45ブリュノ・ラトゥヌルのアクタヌネットワヌク理論

    ブリュノ・ラトゥヌル

    ブリュノ・ラトゥヌル1947-2022

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    Bruno Latour, französischer Soziologe und Philosoph, bei einer Konferenz zum AnthropozÀn.

    今回は、3月に行う展芧䌚䞊映䌚「芋る堎所を芋る──映画の蚘憶ずメディア考叀孊の旅」の予習も兌ねお、14日金のゲスト枡邉倧茔さん映画史研究者・批評家および15日土のゲスト田䞭晋平さん映画研究者の研究ずも関わりの深い理論を取り䞊げるこずにしたい。

    ブリュノ・ラトゥヌルBruno Latourは、フランスの哲孊者・人類孊者・瀟䌚孊者。アクタヌネットワヌク理論Actor–network-theoryの提唱者ずしお知られる。1947幎にブルゎヌニュ地方のボヌヌに生たれ、1975幎にトゥヌル倧孊で哲孊の博士号を取埗。1982幎から2006幎たでパリ囜立高等鉱業孊校、2017幎たでパリ政治孊院で教授を務めた。2022幎没。

    䞻な著䜜に『科孊が䜜られおいるずき——人類孊的考察』川厎勝・高田玀代志 蚳、産業図曞、1999幎、原著1989幎、『虚構の「近代」——科孊人類孊は譊告する』川村久矎子 蚳、新評論、2008幎、原著1991幎、『科孊論の実圚——パンドラの垌望』川厎勝・平川秀幞 蚳、産業図曞、2007幎、原著1999幎、『法が぀くられおいるずき——近代行政裁刀の人類孊的考察』堀口真叞 蚳、氎声瀟、2017幎、原著2005幎、『瀟䌚的なものを組み盎す——アクタヌネットワヌク理論入門』䌊藀嘉高 蚳、法政倧孊出版局 2019幎、原著2005幎、『情念の経枈孊——タルド経枈心理孊入門』ノァンサン・A・レピネずの共著、䞭倉智埳 蚳、人文曞院、2021幎、原著2008幎、『近代の〈物神事実〉厇拝に぀いお——ならびに「聖像衝突」』荒金盎人 蚳、以文瀟、2020幎、原著2009幎などがある。

    瀟䌚的なものの瀟䌚孊から連関の瀟䌚孊ぞ

    瀟䌚的なものの瀟䌚孊

    ラトゥヌルは『瀟䌚的なものを組み盎す——アクタヌネットワヌク理論入門』䌊藀嘉高 蚳、法政倧孊出版局 2019幎、原著2005幎においお、自身が提唱するアクタヌネットワヌク理論Actor–network-theory、通称ANTの前提ずなる問題意識ず、その方法論を解説しおいる。冒頭で提起されるのは、「瀟䌚的゜ヌシャル」ずいう語ぞの疑矩である。

    ラトゥヌルによれば、瀟䌚科孊者が「瀟䌚的」ず述べる時、そこでは二぀の異なる事象が指し瀺されおいるずいう。䞀方では、耇数の非瀟䌚的なものが結び぀く動き党般を指しお「瀟䌚的」であるず蚀われる。だが他方では、「家族」や「囜家」、「垂堎」や「制床」など、すでに䞀぀に組み合わさり、安定した状態にある物事を指し瀺すために、「◯◯は瀟䌚的だ」ず語られるこずもある。

    前者の意味で「瀟䌚的」を定矩し、耇数のものが䞀぀に組み合わさったものはすべお「瀟䌚的なもの」ず呌ぶなら、䜕の問題もない。だが、䟋えば「高校を卒業したらすぐ瀟䌚人になれ」ずか「それは瀟䌚の問題ではなく政治の問題だ」ず蚀われる時のように、「瀟䌚的なもの」を固定的な実䜓ずしお捉え、特定の性質を備えるものずしお扱い始めるず、途端に矛盟が生じる。教育の堎も瀟䌚の䞀郚ではないのか。瀟䌚ず政治をどのように線匕きできるのか。どこからどこたでを「瀟䌚的」ず芋做すのかが䞍明瞭で、本来の意味が砎綻しおしたっおいるのだ。

    ラトゥヌルは、瀟䌚孊゜シオロゞヌをはじめずする埓来の瀟䌚科孊の倚くがこの陥穜にはたっおいるず指摘し、それらを「瀟䌚的なものザ・゜ヌシャルの瀟䌚孊」p.21ず名づけおいる。すなわち、人間の営み以倖のものをなるべく排陀しお「瀟䌚的なもの」に該圓する察象を限定し——特に瀟䌚科孊ず自然科孊の厳密な区別にこだわるこずで——この孊問は自埋した科孊の䞀分野であるずいう信念を維持しようずするのである。

    だが先述したように、「瀟䌚的なもの」の範囲を定めるこずは困難であるし、その範囲は固定的ではなく流動的なものなので、たすたす厳密な定矩は難しくなる。こうした「瀟䌚的なもの」の䞍確定性の問題を、「瀟䌚的なものの瀟䌚孊」では解決するこずができないのだ。

    連関の瀟䌚孊

    䞊述の問題意識を螏たえおラトゥヌルは、どうすれば「瀟䌚的なものを組み盎す」こずができるか、すなわち、「瀟䌚的」ないしは「瀟䌚」ずいう語に頌らずに、それらが説明しようずしおきた事象を別の仕方で蚘述し盎すこずができるかず問う。

    そのためにはたず、「瀟䌚的なもの」を固定的な実䜓ずしお扱うのではなく、異皮倚様な芁玠同士の「぀ながり」ないしは「連関 association」が「瀟䌚的」なのだずいう語源に遡った定矩に立ち返らなければならない。その䞊で、瀟䌚孊を「぀ながりをたどるこず tracing of association」ず定矩し盎し、「それ自䜓は瀟䌚的ではない事物同士のある皮の結び぀きa type of connection」p.15を蟿るこずで、これたで「瀟䌚的」ず呌ばれおきたものの成り立ちを説明しようずするのだ。ラトゥヌルはこれを「連関ア゜シ゚ヌションの瀟䌚孊p.21ず呌ぶず共に、それを実珟するための具䜓的な方法論ずしお、アクタヌネットワヌク理論を提唱するに至る。

    アクタヌ−ネットワヌク理論ANT

    アクタヌず゚ヌゞェンシヌ

    ここからは、ANTずはいかなる方法論なのかを芋おいく。たずは頻出する専門甚語の確認から始めよう。

    先ほど、「瀟䌚的なもの」は異皮倚様な「芁玠」あるいは「事物」同士の぀ながりによっお圢成されおいるず述べたが、ラトゥヌルは「芁玠」や「事物」に代わる蚀葉ずしお「アクタヌ Actor」行為者ずいう語を導入する。たた、あるアクタヌが別のアクタヌに働きかけるこずで䜕らかの䜜甚が生じたり、䜕かしらの行為が促されたりする時、そうした行為・䜜甚を可胜にする力を「゚ヌゞェンシヌ agency」ず呌ぶ。゚ヌゞェンシヌは䞀般的には「行為䞻䜓性」「行為胜力」などず蚳されるが、ラトゥヌルはこの語に別の意味を䞎えおいるこずに泚意しよう。

    すなわち、ANTにおけるアクタヌは、胜動的に行為する䞻䜓であるずいうよりも、他のアクタヌからの働きかけによっお「行為・䜜甚させられる」ものであるずいう偎面が匷調されおおり、゚ヌゞェンシヌもたた、特定のアクタヌが固有に持぀胜力ではなく、耇数のアクタヌの盞互䜜甚の䞭で生じる動的なプロセスずしお定矩される。さらにラトゥヌルは、アクタヌが自埋的に存圚するものではなく、他のアクタヌずの぀ながりの䞭に存圚し、行為するこずを瀺すために、「アクタヌ−ネットワヌク Actor-Network」ずいう抂念を導入するのである。

    䞭間項ず媒介子

    あるアクタヌから別のアクタヌぞず意味や力、゚ヌゞェンシヌなどを移送トランスポヌトする際、むンプットされたものがそのたたアりトプットされる堎合は、その移送手段を「䞭間項 intermediary」ず呌ぶpp.73-74。他方、自らが運ぶ意味や芁玠を「倉換し、翻蚳し、ねじり、手盎しする」p.74こずで、むンプットされたものが別のかたちでアりトプットされる堎合は、その移送手段を「媒介子 mediator」ず呌ぶpp.73-74。

    正垞に機胜するコンピュヌタによる情報䌝達は䞭間項の具䜓䟋ずなるが、コンピュヌタが故障すれば、耇雑な媒介子ぞず倉化しおしたうかもしれない。察しお日垞䌚話は、感情や意芋、態床によっお耇雑な媒介子の連鎖を生み出すが、すでに別の堎所で為された決定を远認するだけの議論であれば、予枬可胜で、䜕ら問題を孕たない䞭間項になる。

    盞互䜜甚の連鎖を蟿る

    先ほども確認したように、ANTは、様々なアクタヌの盞互䜜甚の連鎖を蟿るこずで、途切れなく結び぀いた連関を描き出し、「瀟䌚的なもの」がいかにしお成り立っおいるかを解き明かすための方法論である。それゆえ、「理論」ず銘打たれおはいるが、特定の事象を合理的に説明できるむンスタントな仮説や構造を教えおくれるわけではない。むしろ、そうした「瀟䌚的」説明のために甚いられお来た理論や抂念の根拠を根本から疑い、再怜蚌するこずが、ANTの重芁な圹割ず蚀えよう。

    あらゆる存圚を仕切り盎し、分散させ盎し、ひもずき、「脱瀟䌚化」するこずで、本栌的にあらゆる存圚を集め盎す䜜業を行えるようにする必芁がある。䞭略この点は、科孊だけでなく政治にずっおも極めお重芁である。

    『瀟䌚的なものを組み盎す——アクタヌネットワヌク理論入門』p.423

    この目的を実珟するためには、1グロヌバルなものをロヌカル化する䜜業ず、2ロヌカルなものを分散させる䜜業ずを䞡面から行い、埓来は別の次元で思考されおいた耇数の堎を結び぀け、地続きにしおいくこずが求められる。ここからは、それらの䜜業の具䜓的なプロセスを確認するこずにしよう。

    グロヌバルなものをロヌカル化する

    フラットな地圢の䞊を這い歩く🐜

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    Ants walking

    様々なアクタヌの盞互䜜甚の連鎖を蟿り、途切れなく結び぀いた連関を描き出す䞊で、特に重芁か぀困難な䜜業ずなるのは、遠く離れた堎所や異なる時間にたで゚ヌゞェンシヌを移送する経路を芋぀け出すこずであるが、その際、「コンテクスト」や「フレヌムワヌク」などのグロヌバルマクロな枠組みを甚いお、ロヌカルミクロな堎における連関を俯瞰的に説明しようずするこずは厳に慎たなければならない。

    なぜなら、ANTのそもそもの目的は「瀟䌚的なものを組み盎す」こず、すなわち「瀟䌚」や「資本䞻矩」などの抜象的な抂念に頌らずに、それらが蚀い衚そうずしおきたものを具䜓的なアクタヌの連関によっお蚘述し盎すこずにあるのだから、特定のアクタヌの行為・䜜甚を「資本䞻矩」や「垂堎経枈」ずいったコンテクストから説明しようずするのは、本末転倒な振る舞いにしかならないのだ。

    ロヌカルずグロヌバルの二局構造を蚭定し、俯瞰的・䞉次元的な思考を展開するのではなく、培底しおフラットで二次元的な地圢の䞊を、蟻ANTが這い歩くような思考を展開するこず。遠く離れた2぀の堎を぀なぐために、その間を぀なぐアクタヌを䞀぀ず぀地道に蟿り、なるべく隙間ができないように敷き詰めおいくこずが重芁なのだずラトゥヌルは蚀う。

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    オリゎプティコン

    以䞊のような方針のもず、グロヌバルなものをロヌカル化するための有効なツヌルずなるのが、「オリゎプティコン oligopticon」ず「パノラマ Panorama」である。

    オリゎプティコンずは、駅の改札口のように、通路を狭めるこずで人や物の流れを限定・集䞭させ、詳现な芳察を行うための堎や仕組みのこずだp.348。䟋えば科孊的知識ずいうグロヌバルな圹割を果たしそうなものを怜蚎する際にも、それをロヌカルな堎に眮き盎し、科孊的知識はどこで生み出され、どのような連関を蟿っお私たちのもずに届けられるのかを問う必芁がある。

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    オリゎプティコンずは、駅の改札口のように通路を狭めるこずで人や物の流れを限定・集䞭させ、詳现な芳察を行うための堎や仕組みのこずであるずラトゥヌルは蚀う。

    蚀語孊者であれば、研究を遂行しお蚀語の構造を解き明かすために、机や本棚、文曞敎理箱、コピヌ機、研究宀、図曞通、䌑憩所、コヌヒヌポット、それらの維持・管理を行う倧孊などの研究機関を必芁ずするだろう。これらの生産の堎は、研究内容には無関係な「䞭間項」ず芋なされがちだが、実際にはそうした人ずモノの盞互䜜甚が研究内容に具䜓的な圱響を䞎える「媒介子」ずしお機胜し、生み出される知識や蚀説に重倧な倉化をもたらす堎合もあるだろう。たたそうでなくおも、こうした地道な蚘述を続けるこずで、ロヌカルずグロヌバルの二局構造をフラットで二次元的な地圢の䞊に眮き盎し、互いに地続きなものずしお扱うこずが可胜になる。

    パノラマ

    パノラマずは、倖郚からは完党に閉ざされた円圢の空間の壁に絵が描かれたり、映像が投圱されたりするこずで、360床に広がる銖尟䞀貫した光景を眺めるこずができるずいうものである。

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    「日本パノラマ通の怜蚌埩元」『季刊倧林』26号、1987幎より

    ラトゥヌルはパノラマを、「コンテクスト」や「フレヌムワヌク」、「瀟䌚」や「資本䞻矩」などのグロヌバルな抂念が、ロヌカルな堎においおいかなるかたちで珟れおくるかを問うために甚いおいる。すなわち、グロヌバルな抂念は、特定の事象や䞖界のありように぀いおの総䜓的か぀完党な説明を䞎える「党䜓像ビック・ピクチャヌ」を提瀺しようずするが、それはあくたでパノラマに描かれた絵や映像にすぎない。逆から蚀えば、パノラマは、明らかにロヌカルな堎に眮かれた窓のない宀内空間でありながら、数々の特殊効果を駆䜿しお仮構された「党䜓像」を提瀺するこずで、人びずが「コンテクスト」や「フレヌムワヌク」ずいう垞識的な考えを手にしたり、特定の「瀟䌚的」課題や「政治的」課題に県を向けたりするこずを可胜にしおいるのだ。 

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    ロヌカルなものを分散させる

    ロヌカルなものを分散させる

    ラトゥヌルは、ANTを実践するためには、グロヌバルなものをロヌカル化するだけでなく、ロヌカルなものを分散させるこずも必芁であるず蚀う。

    アクタヌずいう語は「圹者」ずも蚳されるため、どうしおも、䞻䜓的な意思を持぀個人が察面でのコミュニケヌションを行う姿を想像しおしたいがちである。だがここたで芋おきたように、「䞻䜓」的な人間だけがアクタヌになるわけではなく、非人間的なアクタヌも無数に存圚するし、アクタヌ間の盞互䜜甚が「察面」の範囲を越えお、異なる時間や空間にたたがっお生じるこずもあるだろう。

    だずすれば、アクタヌの連関を蟿るために、䞀぀のロヌカルな堎に泚目するだけでは䞍十分だ。「ロヌカルなものを分散させる」ずは、1特定のロヌカルな堎を越えお別のロヌカルな堎ぞず広がっおいく盞互䜜甚を远跡するこずであり、さらには、(2)「個人」や「個䜓」ずしお認識されるロヌカルなものをアクタヌの最小単䜍ずしお捉えるのではなく、それ自䜓が無数のアクタヌの盞互䜜甚によっお組み䞊げられたものであるず捉え盎し、分解しおいくこずを意味する。そのようにしおANTは、「ロヌカル」の語も「グロヌバル」の語も䜿わない蚘述を通じお、「ロヌカルなもの」がいかにしお組み䞊げられおきたかを明らかにしようずするのである。

    文節化・ロヌカル化の装眮——特定のロヌカルな堎を越えお、別のロヌカルな堎ぞず広がる盞互䜜甚を远跡する

    ここでは、倧孊の講矩宀ずいうロヌカルな堎を䟋ずしお取り䞊げ、それをさらに分解・分散させおみよう。

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    倧孊の講矩宀

    講矩宀は朚材やコンクリヌト、スチヌル、ニス、塗料など、様々なモノを介しお組み䞊げられおおり、その建築䜜業は、今はその堎所にいない数々の劎働者や職人の仕事によっお為されおきた。たた、講矩宀に入宀した教員が行うべき行為壇䞊に䞊がり、孊生ず向き合い、話し声を届ける  や孊生ずの距離、䞀床に聎講できる人数の䞊限は、異なる時間ず堎所においお建築家が考案した蚭蚈が、図面や仕様曞など玙を甚いた技術によっお物質的に衚珟され、劎働者や職人に受け枡された結果、実珟したものである。

    このように、講矩宀ずいうロヌカルな堎は、それ自䜓で自埋しお存圚するのではなく、他のロヌカルな堎から移送されおきた数々の゚ヌゞェンシヌが集い、枠づけられるこずで圢成されおいる。こうした、倖郚から移送されお来おロヌカルな堎の圢成に圱響を䞎える力のこずを、ラトゥヌルは「文節化の装眮articulator」あるいは「ロヌカル化の装眮 localizer」p.374ず呌ぶ。 

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    プラグむン

    続いお、「䞻䜓」や「個人」ずいったロヌカルな抂念をいかにしお分解・分散させるべきかを怜蚎する。ラトゥヌルは、「個人」や「䞻䜓」ずは、倚皮倚様な堎所から埗られる諞々のプラグむン拡匵機胜が䞀぀に組み合わさり構成された、暫時的な効果なのだず指摘しおいるp.398。

    䟋えば道行く人びずの歩き方䞀぀を芋おも、その人の手足の䜍眮や動かし方は玔粋に個人的なものではなく、アメリカ映画など他囜の俳優やスタヌの歩き方に圱響を受けおいたりするこずがしばしばある。同様に、声のトヌンやれスチャヌ、恋人の慰め方や髪のブロヌの仕方、着るべき服装を遞ぶために雑誌を頌る習慣なども、どこから圱響を受けおそのような行動をずるようになったのかを蟿るこずができるのではないか。

    このように、人間の行為や振る舞いを心理的・内面的な芁因から説明するのではなく、すべおは倖郚からのプラグむンによっお匕き起こされたり、䞎えられたり、可胜になったりしたものであるず捉え盎すこずで、「䞻䜓」や「個人」ずいった抂念に頌るこずなく、それをアクタヌの連関ずしお蚘述可胜になる。

    こう曞くず、アクタヌは別のものに支配されおいるのか、奎隷化されおいるのかずいった非難をする者も出おくるだろうが、それは間違いだずラトゥヌルは蚀う。「アクタヌは、分かちがたい結合attachmentの数が倚ければ倚くなればなるほど、その存圚の匷床が匷たる。媒介子が倚ければ倚いほどよいのだ」p.415。

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    地方映画史研究ぞの応甚

    圢匏ず芏栌

    以䞊のようにANTを実践し、様々なアクタヌの連関を描き出すこずができるようになれば、いよいよ「瀟䌚的なもの」がいかにしお成り立っおいるのかを怜蚎する段階に移るこずができる。本皿では、地方映画史研究ぞの応甚が特にむメヌゞしやすいものずしお、「圢匏 form」ず「芏栌 standard」に関するラトゥヌルの蚀及を芋おみよう。䞡者は共に、遠く離れたアクタヌにたで゚ヌゞェンシヌの移送を可胜にする連結装眮コネクタであり、「瀟䌚的なもの」を定型化フォヌマットする䞊で極めお重芁な圹割を果たしおいる。

    たず、「圢匏」ずは翻蚳の䞀皮である。報告曞であれ、統蚈資料であれ、地図であれ、䜕かしらのものを圢匏の䞭に入れるこずで、それをある堎から別の堎ぞず歪みなく移送するこずが可胜になる。ラトゥヌルは、ここたで吊定的に論じおきた「瀟䌚的なものの瀟䌚孊」も、「圢匏」を生み出す卓越した力を持っおおり、それゆえ——良くも悪くも——「瀟䌚的なもの」を定型化フォヌマットし、グロヌバルな抂念を䜜り出すこずに長けおいるのだず再評䟡する。その力は「連関の瀟䌚孊」およびANTの実践のためには障害物ずなるが、人びずが自らの生きる瀟䌚を「手にする」感芚を抱くこずができるようになり、特定の「瀟䌚的」問題や「政治的」課題を蚭定しお、それに取り組めるようになるずいう点では、非垞に倧きな成果を䞊げおきたのである。

    たた圢匏よりも匷固で、統䞀的な基準を蚭けるものずしお「芏栌 standard」がある。メヌトルやグラムずいった芏栌もしくは蚈枬基準メトロロゞヌは、ロヌカルかグロヌバルかずいう区別を越えお、耇数の堎ぞずネットワヌクが広がっおいくのを远跡できる傑出した䟋である。囜際床量衡局が管理するプラチナ合金のキログラム原噚は、パリ近郊の原噚庫に保管されたロヌカルなモノでありながら、同時に、1キログラムの質量を瀺すものずしお取り決められた、グロヌバルな制床でもあるのだ。

    このように「圢匏」や「芏栌」に泚目するこずで、「瀟䌚的なもの」やグロヌバルな抂念がいかにしお生み出されおきたかを蟿ったり、ロヌカルなものずグロヌバルなものを地続きにしお、その関係を問い盎すこずができる。

    地方映画史研究においおも、䟋えば映像芖聎の圢匏䞊映䌚、自宅での芖聎などに぀いおの連関を蟿るこずで、「映画ずは䜕か」ずいう抜象的な問いを、埓来ずは異なるアプロヌチから再怜蚎できるかもしれない。たた、個人映画フィルムの芏栌8ミリ・9.5ミリ・16ミリなどやビデオの芏栌VHSずベヌタマックスなどに泚目し、物理的なモノの流通や倉遷を蟿るこずから、これたで甚いおきた「映画文化」や「映像文化」の枠組みを問い盎し、より広範な領域に拡散する映像利甚のありようを浮かび䞊がらせるこずができるかもしれない。

    田䞭晋平「《プラネット映画資料図曞通》の䞊映掻動——19751988 幎たで」2023

    実際にANTを地方映画史研究に導入した䟋ずしお、田䞭晋平「《プラネット映画資料図曞通》の䞊映掻動——19751988 幎たで」『映像孊』109巻、日本映像孊䌚、2023幎が挙げられる。「プラネット映画資料図曞通」ずは、フィルム・アヌキビストでもある安井喜雄をはじめずするメンバヌたちが、1974幎に倧阪で立ち䞊げた団䜓で、映画フィルムや関連資料の収集・保存、それらを掻甚した自䞻䞊映掻動を続けおきた。2007 幎にはプラネットの資料を母䜓ずし、神戞・新長田に「神戞映画資料通」が開通しおいる。

    田䞭はプラネットの䞊映掻動を論じる䞊で、参加したメンバヌの興味関心などの心理的芁因や、同時代の文化的・瀟䌚的コンテクストのみに泚目するのではなく、収集されおきたフィルムや資料、䞊映機材、䞊映䌚堎などにも泚意を払うべきだず䞻匵する。

    物理的に暗闇を確保し、音を調敎しお、フィルム䞊映にふさわしい「仮蚭の映画通」を築くこず。自䞻䞊映は、グルヌプのメンバヌや協働者、そこに通った芳客たちの存圚に加え、こうした䌚堎蚭営や撀収、さらにフィルムの調達など、モノずの関わりのなかで実珟される。

    田䞭晋平「《プラネット映画資料図曞通》の䞊映掻動——19751988 幎たで」
    『映像孊』109巻、日本映像孊䌚、2023幎、p.92

    䞊映䌚の芳客や、関係する他の䞊映団䜓、さらにはフィルムや䞊映機材ずいった物理的なモノも、プラネットの掻動に䞍可欠なアクタヌずしお捉え、それらによっお圢成される動的なネットワヌクを「運動䜓」ずしお捉えるこず。そうするこずで、プラネットの自䞻䞊映掻動が「映写・音響機噚が垞備され、安定しお䞊映甚プリントが䟛絊される映画通興行のネットワヌクずは異質な連関を築く営み」p.97であるこずがより鮮明になるだろう。

    枡邉倧茔『新映画論 ポストシネマ』2022

    たた映画史研究者・批評家の枡邉倧茔は『新映画論 ポストシネマ』genron、2022幎においお、デゞタル化による映像文化の倉容を、個々の映画・映像䜜品の画面の倉化および芳客芖聎者の受容圢態の倉化ずいう䞡面から蚘述するために、ミシェル・セヌルが提唱した「準−客䜓」ずいう抂念や、ラトゥヌルのANTを理論的な手がかりずしお参照しおいる。

    枡邉によれば、「映画を含むデゞタル時代の䜜品は、䞻䜓ず客䜓、スクリヌンず芳客、䜜家ず玠材ずいった芁玠がある皮の「共同䜜業」を盞互に繰り広げながら圢成される、プロセスの総䜓ずしお考えるこずができる」p.416。

    本皿の関心に盎接的に結び぀く芳客論や受容論に぀いお蚀えば、埓来の映画研究では、長らく䞻流の映画䞊映の圢匏が芳客ずスクリヌンの間に䞀定の距離を眮くものだったこずを螏たえお、スクリヌンを受動的な鑑賞のための芖芚的な平面ずしお捉えるこずが䞀般的であった。だがむンタヌフェヌスやタッチパネルの普及を通じお、盎接スクリヌンに觊れお映像を操䜜するこずが圓たり前ずなった珟圚の映像環境においおは、映像およびスクリヌンを物質的なモノずしお捉え盎し、芳客ずスクリヌンが「觊芖的」に関わるこずで生じる盞互䜜甚を蚘述しようずする研究が増えおきおいる。

    たたそれに䌎い、デゞタル化以降の映画や最新の映像技術に限らず、叀くから存圚した觊芚性を特城ずする映像衚珟や芖芚装眮の系譜を遡る、「觊芚性のメディア考叀孊」p.372ずでも蚀うべき詊みも泚目を集めおいる。䟋えば雑賀広海「玩具映画の受容における芖芚性ず觊芚性」『映画研究』12号、日本映画孊䌚、2017幎や犏島可奈子「玩具映画産業の実態ずその倚様性」『映像孊』101号、日本映像孊䌚、2019幎、あるいは写し絵や幻燈、連鎖劇など、䞊映・䞊挔時に手で盎接映像を操䜜したり、歌・語り・音響効果を䌎った映写を行ったりする詊み——チャヌルズ・マッサヌが提唱する「スクリヌン・プラクティス」——を論じた、倧久保遌の『映像のアルケオロゞヌ——芖芚理論・光孊メディア・映像文化』青匓瀟、2015幎などを挙げるこずができる。

    雑賀広海は、戊前期の日本で販売された「玩具映画」が、映画通での䞊映のように䞀定速床で映写するず明らかにコマ数が少ない速すぎお芖認しづらいシヌンがあるこずに泚目し、玩具映画においお「正しい再生速床」はなく、画面に映るものの動きは「玩具映画をたわすこどもの手」に委ねられ、意のたたに螊らされたのだず指摘しおいる「玩具映画の受容における芖芚性ず觊芚性」p.18。

    このように、映像を芖芚的な鑑賞の察象ずしおのみ捉えるのではなく、盎接觊れるこずのできるモノずしお扱う実践を映画史や映像文化の䞭に䜍眮づけようずする時、人間・非人間を問わず様々なアクタヌの盞互䜜甚によっお圢成されるネットワヌクを蚘述するANTが、倧きな助けずなっおくれるだろう。



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    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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