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#6 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空

    #6 第一章 午前九時の空


    「今夜、宇宙人でも攻めてくるのかな?」

     桜木麻衣の引き攣った笑い声が、二十階の隅にある喫煙所に響き渡る。

     幼い頃から桜木は、SF映画を見るのが大好きだった。宇宙を舞台にした壮大な世界観もさることながら、作中の奇抜なコスチュームが大好きで、よく見よう見まねで自作したりもした。細部まで再現しようと、寝食を忘れて没頭したこともある。

     今にして思えば、あのコスチュームへの狂熱こそが、桜木がアパレルデザイナーを志す最初のきっかけだったのだろうと思う。

    「うん、知らんけど。煙草、禁止なんじゃないの?」

     町田くんから、温度の低いツッコミが飛んでくる。

    「就業中だけね。こんな状況で仕事なんて無理無理。インスピレーション狂いまくり。今デザインしたら、真っ赤な鎧しか作れない」
    「なるほど。それは困るね」

     普段の町田くんなら間違いなく嫌みのひとつでも返ってくるところだが、今回ばかりは、彼も大目に見てくれているようだった。

    「論理派の町田くんに、改めて質問。あの空は、一体どうなってるのかしら?」

     聞くと、町田くんは一度だけ小さく息を吸い、ゆっくりと口を開いた。

    「色々無視して考えると、大雪が降ってるだけだよ」

     返ってきた答えに、桜木は拍子抜けしてしまった。いきなり早送りで現れた、あんな異常な景色を見た後だというのに、どうしてこの人は、こうもあっさりと片付けられるのだろうか。

    「その色々のことを聞いてるんだけど……」
    「SF的なことは考えても仕方ないよ。雪が止むのを待とう」

     いつもは愛想がないとしか思えないその淡々とした声音が、今日ばかりは、張り詰めていた桜木の心を少しだけ解きほぐしてくれた気がした。

    「それにしてもさ、さっきの社長、ちょっとうざかったよね」
    「ん? なんかあったっけ」

     桜木が聞くと、町田くんは本当に心当たりがないという風に、目を丸くしている。その曇りのない表情を見て、桜木は呆れ果てたように声を漏らした。

    「もしかして、無意識だったの……? 鈴木さんに突っかかった社長のこと、しれっと論破してたよ、町田くん」
    「マジで? うわー自覚ないな……。後で社長のとこ行って、適当に頭下げとくか……」

     桜木は、信じられないものを見たといった目で、彼の横顔を凝視した。思わず顎が外れそうになったが、自然と呆れ笑いが込み上げてくる。

    「あのさ、町田くん」

     町田くんは、桜木にとって、本当に害のない人だった。職種柄あまり関わらないから気を遣わなくて良い、というのもあるけれど、もっと根っこの部分で、心が綺麗な人だからだと思う。彼の根っこにある無垢な性質を、桜木は知っている。

    「何?」

     人は、簡単に傷つくことができる。悪意のある言葉や、心ない視線。それはときに、形を持たない凶器のように人の心を切り裂いてしまう。華やかさの裏で、嫉妬や打算が渦巻くアパレルの世界に身を置いているからこそ、桜木はその痛みを誰よりも知っていた。

    「ずっと思ってたんだけど」

     高校生の時、奇抜な格好をして街を歩いていたというだけで、心無い噂がたち、桜木は無数の悪意に晒されたことがあった。ナルシストだ、援交だ、不良の誰々と寝ている。そんな根も葉もない噂が、淀んだ空気のように学校中を覆ったのだ。

    「何? もったい振るなよ」

     誰が悪いわけじゃない。ただ、人間という生き物は、他人の些細な逸脱を肴にして笑い転げることに、本能的な悦びを感じてしまうものらしい。その醜さを知ってから、桜木は人との距離を測り直すようになった。誰とも深く関わらず、ただ外側だけを、薄っぺらく取り繕う。それが、自分を守るための唯一の術だった。

    「この会社の人たちのこと、全く眼中にないよね? 他人に興味がない」

     けれど彼は、他の人とは違う。打算がないのだ。それに、彼は人を値踏みしない。相手の肩書きも、外見も、世間の評判も。核心を簡単に言ってしまえば、他人に興味がない。

    「……別に、わざわざ宣言するようなことじゃないでしょ。てか、それを言うなら、桜木も、そうだと思ってたけど」

     町田くんは、相変わらず淡々とした調子で答えた。

     他者に興味のベクトルを向けていない町田くんといる時は、自分が透明な防護服に守られているような、妙な安心感がある。桜木にとって無関心は、どんな温かい言葉よりも優しく、安全なセーフティーゾーンだった。

    「正解。私も同じだよ」

     こんな天候だ。電波も通じない。今日はたぶん、仕事という目的を失った状況で、職場の人たちと同じ空間にいなければならない。

     それは、過剰な関わりを嫌う桜木にとって、苦痛以外の何物でもなかった。


    <次の話>


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    #0 「苦難の会社員」 あらすじ・プロローグ
    #1 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
    #2 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
    #3 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
    #4 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
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    #13 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
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    #25 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
    #26 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
    #27 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
    #28 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
    #29 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
    #30 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
    #31 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
    #32 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
    #33 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
    #34 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
    #35 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
    #36 「苦難の会社員」 エピローグ

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