
#25 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#25 第二章 罪の記憶
町田は、昔から感情で動く人間が苦手だった。
プログラムの世界は、極めて論理的だ。正しいコードを書けば正しく動くし、ミスがあれば明確なエラーを返す。それが好きで、町田はエンジニアを志した。
だからこそ、町田は理不尽に変化する他人の態度に、息苦しさを感じてしまう。絶対的な正解があったとしても、それを正解として扱わない人たちもいるのだと、町田は知っていた。
全ては、その日の機嫌や個人の都合といった、天気予報よりもあやふやなもので決まってしまう。そんな人たちが経営をする会社に、町田は勤めていた。この会社の経営陣たちの前では、正しさを証明しようともがくこと自体が、そもそもバグ扱いされるのだ。
あのオフサイトの日──。
現地に到着してすぐに行われた会議に、町田は出席していなかった。どういうわけか、会社の公式ページの急な情報更新を、社長から直々に命じられたからだ。なぜこのタイミングなのかという疑問は拭えなかったが、リモートで本社の担当者と連携を取りながら、一人でその突発的な作業にあたった。
ようやく作業を終えて部屋を出た時のことだ。ちょうどカンファレンスルームからぞろぞろと出てきたメンバーたちと鉢合わせたのだが、その顔つきを見て、町田は小さく眉をひそめた。お通夜のように沈み込んだ、異様な空気。
(意見の相違でもあって、会議が荒れたのだろうか)
会社にいれば、議論がヒートアップして気まずい空気になることなど、日常茶飯事だ。町田がわざわざ深入りする理由もなかったため、特に気に留めるようなこともしなかった。
その後、少しだけ設けられた自由時間が終わった夕方、町田はバーベキューの仕込みをするため、施設内の通路を一人で歩いていた。部屋の冷蔵庫に預けてあった食材を、外の会場へ持ち出す役目を引き受けていたからだ。
その最中、とある部屋の奥から、説教ともつかない、ただ相手を突き放すためだけの陰湿な声が響いているのを、町田は聞いてしまう。中にいたのが、鈴木副社長と『その人』だということは、すぐに分かった。
トラブルの匂いを感じ取り、町田は関わり合いを避けるように歩調を速める。しかし、閉ざされたドアの隙間から漏れた言葉は、嫌でも町田の耳にこびりついた。
副社長は『その人』に向かって、何度もこう言っていた。
「いっそのこと辞めてしまえばいいのに」
「楽になっちゃえばいいのに」
やはり、関わりたくないな、と思った。町田は、何も聞かなかったことにして、足早にその場を離れた。
その後、しばらく経って食事が始まっても、『その人』がバーベキューの会場に現れることはなかった。
誰一人としてその不在の理由を口にしようとはせず、まるで最初からそんな人間は存在していなかったかのように、宴会が進んでいく。町田もまた、あえてその件に触れるようなことはしなかった。
町田たちがバーベキューをしていた間、『その人』は、どんな気持ちでいたのだろう。何を、考えていたのだろう。
皆が寝静まった夜に、その施設は、炎に包まれた。
夜の闇を切り裂くような不穏な爆音と、鼻を突く焦げ臭さ。目を覚まして異変に気づいた時には、すでに廊下まで真っ赤な炎と猛烈な煙が吹き荒れていた。
そしてその晩、町田の命は、最後の瞬間を迎えた。
目を開けると、町田は会議室ではなく、十九階の階段室にいた。そこにあったはずの黒い壁は、綺麗さっぱり無くなっている。
けれど、そこには炎があった。あの日、死んだ時と同じだ。階下から、燃え盛る炎と大量の煙が吹き上がってくる。パチパチと空気を爆ぜさせ、視界を真っ黒に塗りつぶす。
この先に待っているのは、ただ確定された死という結末だけだった。
体中が焼けるように熱い。全身の感覚がない。けれど、町田は静かに覚悟を決めた。この炎の先へ、進めということなのだろう。渦巻く煙と赤黒い炎の渦の中へと、自らの意志で飛び込んでいく。
その瞬間。
炎の中で、誰かとすれ違ったように感じた。肩が触れるほどの距離。それが『その人』であることは、視界を失っていても分かった。
けれど『その人』は、こちらを向くことはしない。声をかけることもしない。立ち止まることも。
互いに見て見ぬふりをした二人は、激しい痛みの中で、ただ、ゆっくりとすれ違った。
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#0 「苦難の会社員」あらすじ・プロローグ
#1 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#2 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#3 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#4 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#5 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#6 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#7 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#8 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#9 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#10 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#11 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#12 「苦難の会社員」第一章午前九時の空
#13 「苦難の会社員」第二章罪の記憶
#14 「苦難の会社員」第二章罪の記憶
#15 「苦難の会社員」第二章罪の記憶
#16 「苦難の会社員」第二章罪の記憶
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#21 「苦難の会社員」第二章罪の記憶
#22 「苦難の会社員」第二章罪の記憶
#23 「苦難の会社員」第二章罪の記憶
#24 「苦難の会社員」第二章罪の記憶
#25 「苦難の会社員」第二章罪の記憶
#26 「苦難の会社員」第二章罪の記憶
#27 「苦難の会社員」第三章苦難のしもべ
#28 「苦難の会社員」第三章苦難のしもべ
#29 「苦難の会社員」第三章苦難のしもべ
#30 「苦難の会社員」第三章苦難のしもべ
#31 「苦難の会社員」第三章苦難のしもべ
#32 「苦難の会社員」第三章苦難のしもべ
#33 「苦難の会社員」第三章苦難のしもべ
#34 「苦難の会社員」第三章苦難のしもべ
#35 「苦難の会社員」第三章苦難のしもべ
#36 「苦難の会社員」エピローグ