
#14 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#14 第二章 罪の記憶
分からなかった、どうして思い出せたのか。
半ば強引に静香を揺り起こして安堵していた美智は、先ほどまでは靄がかかったように思い出せなかった記憶を、すんなりと思い出していた。ここにいる九人が、一緒に進めていたプロジェクトの記憶。
「ロゴと、キャラクターだ」
美智が急に目を丸くして呟くものだから、目の前にいた静香は、弾かれたように背筋を硬直させたようだった。
「私たち、ブランドのロゴを新しくして、公式キャラクターを作ろうとしてた。社長と副社長の、肝煎りのプロジェクト」
まるで昨日のことのように現実感を帯びた記憶を辿りながら、美智は、息をするように声を出す。
「静香の寝顔……。あの時もよく、残業してた。私と静香、一緒に残ってて、途中で静香が寝ちゃったんだ」
けれど、そこまでだった。霧が晴れたように鮮明に思い出せたのは断片だけで、今、声に出した内容くらいだ。
かつてそのようなプロジェクトが存在していたという事実。それを、ここにいる九人で進めていたこと。そして、あの頃よく残業していた二人の姿が、目の前にある光景と奇妙に重なったのだということ──。
「それ、私も覚えてる……。ていうか今、美智に言われた瞬間に思い出した。でも、全部は思い出せないっていうか、そのプロジェクトで何があったのかとか、細かいことは分からないまま」
静香が、美智の瞳を真っ直ぐに見返して言った。
「静香も……? 私と同じ状態かも」
美智と静香は、このプロジェクトについて思い出せる情報を、なるべく細かく確認しあった。けれど、記憶の境界線はほとんど類似していて、互いにそれ以上思い出すことはできなかった。
「でも多分、このプロジェクトなんだと思う。私たちが思い出さなければならない記憶って。というか、絶対にそう」
静香は、何かを確信しているかのように、そう言った。
「このこと、皆に共有した方が良いよね? 他の人の中に、もっと細かく思い出せる人がいるかもしれないし」
美智が、キョロキョロと辺りを見渡しながら声を落とした。
「そうだね、うん、そうしてみよう」
静香がすぐに同意したことで、美智はほっとして肩を撫で下ろす。
やがて、二人が声をかけて回るとすぐに、先ほどと同じ一番大きな会議室に、九人全員が出揃った。
会議室にあるモニター画面には、これまでに表示された無機質な文字列が、サイズを落として全文映し出されていた。
『九人の中に、存在しないはずの社員が紛れている』
『その人が誰なのかを思い出すこと。その人に対して自分が犯した罪を思い出すこと。それが、この場を出るための唯一の方法である』
『その人もまた、全て、思い出さなければならない』
最後の一文は、初めて目にするものだった。髙野さんと山﨑さん曰く、二人が小会議室にいた時に、突然表示されたものらしい。
「追加された文章で、確定だね。幽霊も、自分が死んだことに気づいていない」
町田さんが、自分の仮説が当たっていたと言わんばかりに、傲然と声を響かせた。
自分は本当に生きているのだろうか。美智は、急に指先が死人のように冷たくなっている気がして、思わず自分の腕をきつく抱きしめた。誰かと視線が合うたびに「お前が幽霊なのか」という無言の糾弾が滲み出ていて、弾かれたように目を逸らし合う。
会議室の酸素が薄くなっていくように感じて、息が詰まった。
隣にいる静香の横顔を見て一呼吸おいてから、美智は何とか冷静さを取り戻し、本題を切り出す。
「私、思い出したことがあるんです」
視線が、一斉に美智の方へと向けられる。喉の奥が震えて言葉が詰まりそうになったけれど、美智は訥々と話を続けた。
途切れそうになる言葉を静香が絶妙なタイミングで補ってくれたおかげで、美智は手元にある記憶の断片を、どうにか絞り出すように語り終えることができた。そこから先は、美智と静香の予想通りだった。
美智たちの言葉が呼び水となったかのように、そこにいた全員の記憶の蓋が、一斉に開いた。そして、その境界線はやはり、美智と静香と同じところにあった。
「思い出した。けど、全部思い出せないっていうのが気持ち悪いな。誰かに操られてるみたいで」
藤牧先輩が、天井を仰ぎ見て、首の後ろを掻きながら言う。
「このプロジェクトって、最終的にどうなったんだっけ? 新しいロゴも、キャラクターも、全く思い出せないんだけど」
視線をあちこちへ彷徨わせながら、桜木さんが、おずおずと問いかけた。
「すぐに完成するものでもないから、今も準備が続いているか、途中でボツになったかだろうね」
町田さんが、平坦な声で答えた。
「いや、あのプロジェクトは私と鈴木の主導だ。頓挫するわけがない。おそらく、記憶を消されているのだろう」
「あれ、絶対やりたかったなー」
松本社長が声を被せる。その声に、鈴木副社長もすぐさま同調した。経営の二人が放った何とも言い難い不思議な圧力に、気まずい沈黙が流れた。その隙間を埋めるようにして、髙野さんが遠慮がちに声を上げる。
「……この件についてまた何か思い出すことがあれば、すぐに皆で共有し合いましょう。オフィスの中にその痕跡、例えば資料とかが残っていれば良いのですが、おそらく隠蔽、改竄されていると考えるのが自然でしょうね」
髙野さんは、そこで少しだけ言葉を区切ってから、そのまま続けた。
「それと、僕からも共有があります。ダメ元でやってみたら、スマホのストップウォッチ機能が使えました」
「え、めっちゃ頭いいじゃん!」
桜木さんが、それまでの微妙な空気感を跳ね除けるように、快活に弾んだ声を上げた。
「開始したのは一回目の会議の後ですが、すでに二時間半が経過してます。開始時間が大体の感覚で十一時頃だったとすると、時計が動いていれば、今は十三時半だということになります」
とっくに昼時を回っているらしいと知った美智は、自分が先ほどから抱いている空腹感を、改めてはっきりと自覚する。
「あ、ちなみにこの方法は僕の案じゃなくて、山﨑が思いつきました」
「そうなんだ! 陽菜ちゃん流石!」
髙野さんが言うと、桜木さんの明るい眼差しは、すぐに隣の山﨑さんに向けられた。山﨑さんは、小さく肩をすぼめて、照れくさそうに俯いている。
「俺は、食料の状況調べといた。まあ、これは髙野の案だけど。非常食と飲み物のストックを計画的に食べれば、一週間は持つと思う」
「それだけあれば、十分だ」
藤牧先輩が報告すると、松本社長は深く頷き、ようやく表情を少しだけ和らげた。
「お腹は普通に空いちゃうみたいですし、ご飯にしましょうか」
町田さんの提案を合図に、張り詰めていた会議室の空気がふっと緩み、全員が安堵したように息を漏らしたのが分かった。
現実離れした出来事の連続に気を張っていた九人にとって、食事というあまりに日常的な響きは、かなり有り難かったということだろう。
美智も、ほっとして隣の静香と目を合わせる。ずっと強張っていた心の結び目が、あたたかいお湯に浸したように、ふっと緩んでいくのを感じた。
その日、夜になるまで、何か事態が進展することはなかった。
<次の話>
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#0 「苦難の会社員」 あらすじ・プロローグ
#1 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#2 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#3 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#4 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#5 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#6 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#7 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#8 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#9 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#10 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#11 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#12 「苦難の会社員」 第一章 午前九時の空
#13 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#14 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#15 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#16 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#17 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#18 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#19 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#20 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#21 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#22 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#23 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#24 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#25 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#26 「苦難の会社員」 第二章 罪の記憶
#27 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
#28 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
#29 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
#30 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
#31 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
#32 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
#33 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
#34 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
#35 「苦難の会社員」 第三章 苦難のしもべ
#36 「苦難の会社員」 エピローグ