
『音の檻』第13話「第二の犠牲者」
#創作大賞2026 #ミステリー小説部門 #ドラマ脚本原案 #少年マンガ原案 #アニメ原案
【目次】
第1話「密室のラスト・コード」
第2話「刑事と記者」
第3話「バンドの亀裂」
第4話「5年前の影」
第5話「音源という名の鍵」
第6話「容疑者たちの夜」
第7話「聴こえない演奏者」
第8話「証言の穴」
第9話「兄の記憶」
第10話「音楽という凶器」
第11話「桐嶋薫の仮面」
第12話「密室の再現」
第13話「第二の犠牲者」
第14話「音の記憶」
第15話「組織の壁」
第16話「五年前の真実」
第17話「崩れるアリバイ」
第18話「二人の選択」
第19話「聴覚という武器」
第20話「黒幕の正体」
第21話「どんでん返し」
第22話「対決」
第23話「真実の音」
第24話「再びステージへ」
午前二時。ライブハウス「B-7」の駐車場。
サイレンが夜の闇を切り裂いた。赤い灯りが建物の壁を回転しながら照らしている。パトカー二台。救急車一台。鑑識の車が一台。
音川明人は黄色いテープをくぐって現場に入った。
血の匂いがした。九月の終わりの冷たい空気の中、それは異質な生々しさを帯びていた。
「音川さん」
若い警官が駆け寄ってきた。顔色が青い。慣れていないのか、それとも――
「状況は」
「被害者は小森優斗。二十四歳。腹部を刺されています。意識はありますが、出血が多い。今、救急隊が処置中です」
「発見者は」
「高梨康平。バンドのドラマーです。自分は通りかかっただけと証言していますが――」
「何かあるのか」
「衣服に血痕がついていました。本人は『小森を助けようとしてついた』と言っています」
音川はうなずいた。その説明は一応、筋は通る。でも――何かが引っかかる。
救急車の横で、高梨康平が座り込んでいた。タバコを吸っている。手が震えている。
音川は近づいた。
「高梨さん」
「……刑事さん」
「小森さんを発見したのは、あなたですか」
「そうです。通りかかったら、倒れてた。それだけです」
「こんな夜中に、なぜここに」
「……眠れなくて。散歩してました」
散歩。深夜二時に。ライブハウスの駐車場で。
音川はその言葉を心の中で繰り返した。疑っている。でも証拠はない。
「小森さんの状態はご存知ですか」
「……重傷だと聞きました。でも、死にはしないって」
高梨はタバコの吸い殻を地面に押し付けた。火が消える。小さな煙が立ち上った。
「あなたは小森さんを『殺人犯』だと確信していた。その彼が襲われた。あなたが最初に発見した」
「だからって、私がやったと?」
高梨の声が鋭くなった。
「俺はやってない。これは警告だ。小森も、桐嶋も――誰かに狙われている。俺たち、バンドのメンバー全員が」
「警告だと?」
「あの桐嶋の襲撃、石でしたよね。今回は刃物。エスカレーションしてる。次は――」
高梨は言いかけてやめた。
「次は?」
「……わかりません」
彼は立ち上がった。よろけた。自分でも気づかないうちに、足が震えていた。
「刑事さん。俺はただのドラマーです。人を刺すようなことはしない」
音川は何も言わなかった。
ただ、高梨の靴を見た。血がついている。小森の血か。それとも――
救急車の中を覗くと、小森優斗が担架に乗せられていた。酸素マスクを付けられている。目は閉じている。でも、胸は動いている。生きている。
「小森さん」
音川が声をかけると、彼はかすかに目を開けた。
「……刑事さん」
「誰にやられたのか、心当たりは」
「……わからない。うしろから……突然」
「何か見えませんでしたか」
「……メモが……俺の手に……」
音川は小森の手を見た。握りしめられた紙切れがあった。ゆっくりと開く。
そこにはこう書かれていた。
『真琴を守れ。次はお前の番だ』
音川は息を飲んだ。
「このメモは、襲った相手が残したものですか」
「……わからない。でも……真琴を……守って……」
小森はまた意識を失った。
救急隊員が「退いてください」と言う。音川は担架から離れた。
真琴を守れ。次はお前の番。
標的は小森ではなく、真琴だったのか?
音川はスマホを取り出した。真琴に電話する。
コール音が鳴る。一回、二回、三回――
出ない。
留守番電話に切り替わった。
音川はもう一度かけた。同じだ。
彼は走り出した。
真琴のアパートは、駅から歩いて十分の場所にある。
音川は階段を三段飛ばしで駆け上がった。ドアをノックする。返事はない。
「神崎さん! 神崎真琴さん!」
ドアを蹴破ろうか迷った。その時、隣の部屋から中年女性が出てきた。
「うるさいんですけど、何なんですか」
「警察です。この部屋の住人に何かありましたか」
「さあ……今朝、出かけていくのは見ましたけど。まだ帰ってきてないんじゃないですか」
音川はスマホをもう一度見た。着信履歴。不在着信はまだ一件もない。
彼女はどこにいるのか。
その時、スマホが震えた。真琴からだった。
「神崎さん! 今、どこに――」
「音川さん。聞いてください。私は今、駅前のファミリーレストランにいます。大丈夫です。何もありませんでした。でも――」
「何があったんですか」
「レイのファイルを解析しているうちに、気づいたことがあるんです。『残響の彼方』の――」
「今はそれどころじゃない。あなたの兄が襲われました」
真琴の声が止んだ。
「……お兄ちゃんは、生きてるんですか」
「生きています。重傷ですが、命に別条はない」
電話の向こうで、何かが落ちる音がした。コーヒーカップか、それとも――
「神崎さん」
「……わかりました。今、そちらに向かいます」
「待ってください。一人で動かないで。どこにいますか。迎えに行きます」
「駅前のファミリーレストランです。でも――」
「待っていてください。必ず迎えに行きます」
音川は電話を切った。
彼はアパートの階段を駆け下りた。冷たい風が顔を打つ。
真琴は大丈夫だ。でも、小森は襲われた。次は誰か。桐嶋は既に襲われている。高梨は? それとも――
音川は車のエンジンをかけた。
今夜は、長くなりそうだった。
病院の待合室は、白い蛍光灯の光で満たされていた。
真琴はソファに座っていた。両手を膝の上に置いて。音川がコーヒーを買ってきて、隣に座る。
「飲めますか」
「……ありがとうございます」
真琴はコーヒーカップを両手で包んだ。でも、飲まない。
「お兄ちゃんは、意識が戻ったら話ができるそうですか」
「医師によれば、早くて明日の朝。それまでは無理でしょう」
「そうですか」
真琴はカップを見つめたまま、動かなかった。
「メモの件です」
音川が切り出した。
「『真琴を守れ。次はお前の番だ』――これは、襲った相手が小森さんの手に握らせたものと見ていいでしょう」
「つまり、標的は最初からお兄ちゃんじゃなかった。私だった」
「可能性は高い。あなたは何か心当たりはありませんか」
真琴は少し間を置いた。
「……桐嶋さんとの会話で、私は『真壁警部』の名前を出しました。その直後に、桐嶋さんは襲われた。そして今度は、お兄ちゃんが」
「あなたは真壁警部が黒幕だと疑っている」
「疑っているだけです。確証はない。でも、もし彼が――」
真琴は言いかけてやめた。
「もし彼が、五年前の事件の真実を隠しているのなら。レイが何かを知っていたのなら。彼はレイを殺し、桐嶋を襲い、そして――」
「あなたを黙らせようとしている」
音川はその言葉を引き継いだ。
真琴はうなずいた。
「音川さん。あなたは刑事です。真壁警部はあなたの上司です。もし彼が黒幕なら――あなたはどうしますか」
音川は答えなかった。答えられなかった。
代わりに、彼は言った。
「とにかく、今夜はもう休んでください。明日、小森さんが意識を取り戻したら、何か新しい情報が出るかもしれません」
「……はい」
真琴は立ち上がった。コーヒーカップはほとんど飲まれないまま、机の上に置かれた。
「音川さん」
「何です」
「あなたは、本当に兄を信じていますか」
「信じています」
「なぜ」
音川は少し間を置いた。そして、言った。
「あなたが信じているからです」
真琴はその答えに、何も言えなかった。
ただ、小さくうなずいた。
そして、病院の出口へと歩いていった。
その背中は、少しだけ震えていた。
音川は病院のロビーで一人、夜明けを待った。
窓の外が白み始めている。九月の終わりは、朝が遅い。
彼はスマホを手に取った。真壁警部の連絡先を表示する。
電話をかけようか迷った。でも、やめた。
まだ確証がない。ただの疑いだけだ。
音川はスマホを机の上に置いた。
今夜は、もう動かない。
明日、小森が話す。その言葉を聞いてから――
彼は目を閉じた。
眠れなかった。
今夜も、眠れない。
第13話 了