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『音の檻』第14話「音の記憶」


    #創作大賞2026 #ミステリー小説部門 #ドラマ脚本原案 #少年マンガ原案 #アニメ原案


    【目次】
    第1話「密室のラスト・コード」
    第2話「刑事と記者」
    第3話「バンドの亀裂」
    第4話「5年前の影」
    第5話「音源という名の鍵」
    第6話「容疑者たちの夜」
    第7話「聴こえない演奏者」
    第8話「証言の穴」
    第9話「兄の記憶」
    第10話「音楽という凶器」
    第11話「桐嶋薫の仮面」
    第12話「密室の再現」
    第13話「第二の犠牲者」
    第14話「音の記憶」
    第15話「組織の壁」
     第16話「五年前の真実」
    第17話「崩れるアリバイ」
    第18話「二人の選択」
    第19話「聴覚という武器」
    第20話「黒幕の正体」
    第21話「どんでん返し」
    第22話「対決」
    第23話「真実の音」
    第24話「再びステージへ」


     真琴は自宅のパソコンの前に座っていた。

     画面には『残響の彼方』の波形が表示されている。もう何度聴いたかわからない。耳が痛い。でも、止められなかった。

     病院で小森の容態を確認した後、彼女は一旦帰宅した。兄はまだ意識が戻らない。医師は「明日の朝には」と言っていた。それまで、何もできない。何もしないで待つだけだ。

     でも、待つだけではいられなかった。

     真琴はイヤホンを装着し、もう一度再生ボタンを押す。

     曲が始まる。ギターのアルペジオ。雅也の声。柔らかく、優しい声。

    『聴こえないなら 伝えればいい
    聴こえないふりをするなら それでもいい
    でも 私の音は いつかあなたに届く』

     この歌詞は、兄が自分に向けて書いたものだと真琴は信じていた。でも、それだけじゃない。何かが隠されている。雅也はこの曲に——『残響の彼方』に——自分の無実を証明するための「鍵」を残した。

     音川から聞いた情報が頭の中を回る。

    「イヤーワーム効果を誘発する特定周波数が仕込まれている」

     誰かの記憶を書き換えるための仕掛け。でも、それだけではないはずだ。誰かの記憶を書き換えるということは——逆に言えば、「誰かにだけ気づかせる仕掛け」を埋め込むことも可能なのではないか。

     真琴は波形を拡大した。

     周波数分析。音圧の変化。声の立ち上がり。何か——何かが——ある。

     サビの直前。ギターが一瞬止まる箇所。そこだけ、雅也の声が他の部分と違う。

     違和感を感じる。編集された不自然さではない。むしろ逆。他の部分が「均一すぎる」のに、そこだけ「生々しい」。

     息遣い。喉の震え。マイクに声が当たる角度。すべてが——あまりにリアル。

     真琴はその部分をループ再生した。

    「お前の音は……」

    『お前の音は』——それだけのフレーズ。たった五秒。

     でも、その五秒の中に、雅也の「生の声」が凝縮されていた。

     真琴は別のソフトを立ち上げた。五年前の「自白音声ファイル」を開く。雅也の声で「俺が殺した」と録音されたもの。音川からもらったデータだ。

     二つの波形を並べて表示する。

     自白音声の声。編集痕がある。滑らかすぎる。不自然な切り貼りの跡。

    『残響の彼方』の声。「お前の音は」というたった五秒。でも、そこには編集の跡がない。一発録りの生の声。

     同じ人間の声とは思えなかった。

     いや、正確には——「同じ声を切り貼りして作った人形」と「生身の人間」ほどの差があった。

     真琴はその差を、自分の耳で確かめた。

     自白音声を聴く。機械的だ。感情がない。言葉の一つ一つが独立している。

    『残響の彼方』の五秒を聴く。雅也がそこにいる。息をしている。マイクの向こうで、生きた人間が歌っている。

    「兄さんは……」

     真琴は呟いた。

    「自分が無実だって証明するための『鍵』を、この曲に残していたんだ」

     スマホが震えた。音川からだ。

    「神崎さん。何か見つかりましたか」

    「はい」

     真琴は画面を見つめたまま言った。

    「『残響の彼方』の中に、兄の『生の声』が隠されています。偽造音声と比べれば——誰でもわかります。どっちが本物で、どっちが偽物か」

    「……五年前の自白音声との比較ですか」

    「ええ。音川さん、あなたも聴いてみますか」

    「お願いします」

     真琴はファイルを音川に送信した。数秒後、彼の声が小さくなる。彼も聴いているのだ。二つの声を比べている。

    「……確かに」

     音川の声は少し掠れていた。

    「違いますね。同じ人間の声とは思えない」

    「兄は、無実だったんです。あの自白音声は偽物。誰かが兄の声を切り貼りして作った。でも、それを証明する方法がなかった。だから——この曲に証拠を隠した」

    「なぜ、すぐに証拠を提出しなかったのか」

    「それができなかったからでしょう。警察の中に——敵がいる」

     真琴はその言葉を口にしたとき、自分の中で何かが確定した。

    「真壁警部」

     音川は何も言わなかった。沈黙が答えだった。

    「音川さん。あなたは刑事です。真壁警部はあなたの上司です。もし彼が黒幕なら——あなたはどうしますか」

    「……あなたは、どうしたいんですか」

     真琴は少し間を置いた。

    「私は、真実を知りたい。それだけです。たとえ——」

    「たとえ?」

    「たとえ、その真実が誰かを傷つけても」

     音川は長い沈黙の後、言った。

    「わかりました。私も——真実を知りたい。あなたと一緒に」

    「ありがとうございます」

     真琴は電話を切った。

     パソコンの画面には、まだ『残響の彼方』の波形が表示されている。兄の声が、そこに刻まれている。

    「兄さん」

     真琴は呟いた。

    「あなたの声は——ちゃんと聴こえているよ」

     誰もいない部屋で、その声は誰にも届かなかった。

     でも、真琴はそれでよかったと思った。

     いつか、必ず届ける。あなたの無実を。そして——あなたの「音」を。

     真琴はキーボードを叩き始めた。

     記事を書いている。『残響の彼方』に隠された「真実」について。五年前の事件の真犯人について。そして——警察の内部にいる黒幕について。

     公開するかどうかはまだ決めていない。でも、書かないと頭の中が整理できなかった。

     窓の外が白み始めている。もう朝だ。

     真琴は立ち上がって、カーテンを開けた。

     九月の終わり。冷たい風が部屋に流れ込む。

     今日は、小森が目を覚ますかもしれない。桐嶋はまだ入院中。高梨は——どこにいるのか。

     音川は真壁を調べているはずだ。

     すべてが動き始めている。

     真琴は深呼吸を一つして、パソコンの前に戻った。

     書く。聴く。そして——届ける。

     それが、自分にできることだった。

    第14話 了



     
     
    日本映画学校出身。劇場映画・テレビアニメの編集を経て、映像・Web・音楽をワンストップで手がけて25年。SF/ミステリー小説・脚本原案を執筆中。noteでは映像編集ノウハウと創作の記録を発信。

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