
『音の檻』第6話「容疑者たちの夜」
#創作大賞2026 #ミステリー小説部門 #ドラマ脚本原案 #少年マンガ原案 #アニメ原案
【目次】
第1話「密室のラスト・コード」 第13話「第二の犠牲者」
第2話「刑事と記者」 第14話「音の記憶」
第3話「バンドの亀裂」 第15話「組織の壁」
第4話「5年前の影」 第16話「五年前の真実」
第5話「音源という名の鍵」 第17話「崩れるアリバイ」
第6話「容疑者たちの夜」 第18話「二人の選択」
第7話「聴こえない演奏者」 第19話「聴覚という武器」
第8話「証言の穴」
第9話「兄の記憶」
第10話「音楽という凶器」
第11話「桐嶋薫の仮面」
第12話「密室の再現」
【小森優斗】
午前一時。
小森優斗は自宅のソファに沈んでいた。テーブルの上には、空のウィスキーボトルが二本。三本目が半分ほど残っている。グラスは一つ。彼は直接ボトルから飲んでいた。
壁の時計がチクタクと音を立てている。その音がやけにうるさい。
彼はレイとの最後の会話を思い出していた。
事件の前日。楽屋での練習後、レイが突然言った。
「小森、お前の妹を守れ」
「はあ?」
「あの音声ファイルが公開されたら、真琴が狙われる」
「何の話だ。何のファイルだ」
「今は言えない。でも、絶対に守れ。約束してくれ」
レイの目は真剣だった。冗談を言うような男ではなかった。
小森は約束した。よくわからないままに。
でも、約束は守れなかった。レイは死んだ。そして――真琴は今、一人で何かを調べている。あの日の目をしていた。五年前と同じ、兄を信じ続ける目。
「クソッ」
小森はボトルをテーブルに叩きつけた。ウィスキーが少しこぼれる。
警察にはこのことを話していない。話せば、真琴がなぜ「狙われる」のか、その理由を説明しなければならない。でも、自分は何も知らない。レイが何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
ただ一つだけわかるのは――
レイは自分の命より真琴を心配していた。そしてその心配は、現実のものになった。
小森はスマホを手に取った。真琴に電話をかけようか迷った。でも、やめた。今の自分に何ができるというのか。
彼はウィスキーを煽った。喉が焼ける。
「ごめん、レイ」
呟いても、返事はなかった。
【高梨康平】
午前二時。
高梨康平はアパートの壁に貼られた写真を見つめていた。
小森優斗の写真だ。ライブの時のもの、楽屋でのもの、街で撮ったもの。彼は何枚もの写真を集めていた。
「お前がやったんだ」
高梨は呟いた。声は低く、掠れていた。
確信があった。小森がレイを殺した。なぜなら、小森には「動機」があるから。レイは最近、小森の妹に近づいていた。真琴だ。小森はそれを快く思っていなかった。
それだけじゃない。小森はレイの才能を妬んでいた。ベーシストでありながら、レイはギターもヴォーカルもできた。小森の立場を脅かす存在だった。
「お前以外にいない」
高梨は壁から写真を一枚剥がした。小森の顔がアップで写っている。酔った勢いで撮ったものだ。その目はどこか虚ろだった。
彼は「証拠」を集めていた。小森が事件当時、楽屋の前にいたという自分の証言。小森がレイと喧嘩していたという話。小森が持っていたハーモニカの情報。
でも、それらの証拠はあまりに出来すぎていた。誰かが教えてくれた。小森のことを調べろと。小森の写真を集めろと。
「便利な情報だ」
高梨は呟いた。
誰が自分にこれらの情報を流しているのか。それはわからなかった。でも、どうでもよかった。小森を罰せられるなら、どんな手を使ってもいい。
彼はスマホを手に取った。
「次の手は?」
メッセージを送った。相手は非通知。返事はすぐに来た。
『ライブハウスに来い。午前三時。』
高梨はコートを手に取った。
【桐嶋薫】
午前二時半。
桐嶋薫は自室の椅子に座っていた。電気は消している。窓の外の街灯の光が、部屋の中をぼんやりと照らしている。
彼は補聴器を外した。
静寂が広がる。
でも、本当の静寂ではない。彼の耳には、ある音がいつも聞こえている。補聴器を外しても、それは消えない。頭の中に直接響いてくる。
『これでお前も俺の仲間だ』
あの声だ。あのファイルの声。
桐嶋は机の引き出しを開けた。中からUSBメモリを取り出す。彼はそれを何度も再生した。何度も何度も。まるで罰のように。
あの日、あの時、自分はあの声を聴いた。そして――何もできなかった。
ごめん、レイ。
桐嶋は心の中で呟いた。
お前は言った。自分を責めるなと。お前の選択だったと。
でも、それでも。
桐嶋は補聴器を再び装着した。耳にカチッと音がする。そして、またあの声が聞こえてくる。『これでお前も――』
彼は立ち上がった。行かなければならない場所がある。
コートを手に取る。ポケットの中に、ハーモニカが入っているのを確認した。
もう戻れない。最初から、戻れる場所なんてなかったのだ。
【神崎真琴】
午前二時四十五分。
真琴はパソコンの前に座っていた。画面には、バンドメンバーのインタビュー録音の波形が表示されている。
彼女は笑い声の主を探していた。
ファイルの中の笑い声。あの低く、含み笑いのような声。
真琴はバンドメンバーの声を一つ一つ比較していた。小森の声はもっと高い。高梨の声はもっと荒い。桐嶋の声は――
近い。
でも、違う。
何かが違う。加工されているのか。それとも、誰かが声を変えているのか。
真琴はもう一度、ファイルを再生した。
兄の悲鳴。笑い声。
「これでお前も俺の仲間だ」
その時、電話が鳴った。
固定電話の方だ。もう誰もかけてこないはずの、ほとんど使っていない電話。
真琴は受話器を取った。
「もしもし」
「神崎真琴さん」
機械で変えられた声だった。男か女かもわからない。
「これ以上探すな」
「誰ですか」
「これ以上深くなる前に、やめろ。お前のためだ」
「あなたは――」
「警告だ。次はない」
ガチャッ。
電話は切れた。
真琴は受話器を置いた。手が少し震えている。
相手は誰か。バンドの誰か。その口調は――桐嶋?高梨?それとも――
彼女はスマホを取り出した。電話の音声を録音しようとしたが、間に合わなかった。次の警告があれば、その時は必ず。
真琴は通話履歴を見た。非通知だった。
彼女はパソコンの前に戻った。笑い声の分析を続ける。
すぐに何かが見つかるはずだ。
その時、スマホが震えた。メッセージ。
『ライブハウスB-7に来い。真実を知りたいなら』
送信者は非通知。
真琴は鍵を握りしめた。レイの鍵。まだ使っていない。
彼女はコートを手に取った。
【午前三時・ライブハウスB-7裏口】
細い路地の先に、ライブハウスの裏口があった。
真琴はそこに立っていた。息が白い。九月の終わりにしては、冷え込みが厳しい。
先客がいた。小森だった。彼は壁にもたれて、タバコを吸っている。
「真琴」
「お兄ちゃん」
「来ると思った」
小森はタバコを消した。その足元には既にいくつもの吸い殻が落ちている。ずっとここにいたのだ。
足音がする。高梨が現れた。
「二人とも来たのか」
彼の声は少し興奮気味だった。
「お前、呼んだのか?」小森が聞く。
「違う。お前が呼んだんだろ」
「俺じゃない」
二人の間に緊張が走る。
そこに、もう一人。
桐嶋薫が路地の奥から現れた。彼は無言で、他の三人を見渡した。補聴器が赤く光っている。
「桐嶋、お前が呼んだのか」
小森が問う。桐嶋は首を振った。
「いいえ。あなたたちではないのですか」
誰も答えない。
四人が呼ばれた。それぞれが、別々の方法で。メールで。電話で。直接の口頭で。
しかし、誰が呼んだのかはわからない。
真琴は寒さで震えた。風が路地を抜ける。
その時――
裏口のドアが、内側から開いた。
きしむ音がして、鈍い光が外に漏れる。
そこに立っていたのは――
その人物の手には、銀色のハーモニカが握られていた。
四人は息を呑んだ。
誰も動けなかった。
風だけが、路地を吹き抜けた。
第6話 了