
『音の檻』第19話「聴覚という武器」
#創作大賞2026 #ミステリー小説部門 #ドラマ脚本原案 #少年マンガ原案 #アニメ原案
【目次】
第1話「密室のラスト・コード」
第2話「刑事と記者」
第3話「バンドの亀裂」
第4話「5年前の影」
第5話「音源という名の鍵」
第6話「容疑者たちの夜」
第7話「聴こえない演奏者」
第8話「証言の穴」
第9話「兄の記憶」
第10話「音楽という凶器」
第11話「桐嶋薫の仮面」
第12話「密室の再現」
第13話「第二の犠牲者」
第14話「音の記憶」
第15話「組織の壁」
第16話「五年前の真実」
第17話「崩れるアリバイ」
第18話「二人の選択」
第19話「聴覚という武器」
第20話「黒幕の正体」
第21話「どんでん返し」
第22話「対決」
第23話「真実の音」
第24話「再びステージへ」
ファミリーレストランの窓際の席。
午後十一時を回っている。店内には客がまばらで、遠くの席で学生が一人、スマホをいじっている。アルバイトの店員がカウンターで欠伸をしている。
真琴は机の上に、これまでに集めたすべての証拠を広げていた。榎本由香の証言録音。『残響の彼方』の音声ファイル。五年前の偽造音声。そして——第1話の楽屋の写真。密室の写真。
「もう一度、密室を考えましょう」
真琴が切り出した。
「チェーンロックはゴムで固定されていた。ゴムが切れるまでの時間差で密室が完成した——では、そのゴムは何で切れたんですか」
音川はコーヒーカップを手に取った。一口飲んで、置く。
「音です」
「音?」
「特定の周波数の音を照射すると、ゴムは共振して発熱する。その熱で分子構造が崩れ、時間差で切断される」
「つまり——音がゴムを切った」
「ええ。直接触れずに、遠隔で」
真琴はその言葉を繰り返した。音がゴムを切った。音が密室を作った。音が——人を殺した。
「それを実現するには、音響工学の専門知識が必要だ」
「ええ。かなり高度な」
音川は無表情で言った。しかし、その目の奥で何かが動いている。
「五年前の偽造音声も、同じだ。雅也の声を切り貼りして、新しい言葉を作った。それには、声の波形を自在に操れる技術が必要だ」
「『残響の彼方』に仕込まれた特定周波数も」
真琴が続ける。
「誰かの記憶を書き換えるための仕掛け。これも——音響工学の知識がなければできない」
「すべては『音』で繋がっている」
音川が言った。
「そして、その『音』を操れる人物は——」
真琴はその名前を口にしようとした。真壁。真壁警部。
でも——言葉にならなかった。
まだ確証がない。まだ証拠が足りない。もし間違っていたら——すべてが終わる。
音川も同じだった。彼は口を開きかけて、閉じた。その唇は震えていた。
「言えませんか」
真琴が訊いた。
「……まだ、言えない。確信が持てないから」
「私もです」
二人の間に沈黙が落ちた。コーヒーカップの湯気が、天井に向かって消えていく。
「音川さん」
「何です」
「あなたは——五年前、兄の声を聴かなかった。でも、今は聴こうとしている。それで十分です」
「……ありがとう」
音川はコーヒーカップを手に取った。もう冷めている。苦いだけだ。
「では、どうやって真壁を追い詰めるか」
真琴の問いは、夜の闇に溶けていった。
答えは、まだ出ていない。
でも——必ず、見つけなければならない。
真琴は窓の外を見た。駐車場の街灯が、ぼんやりと光っている。その光の先に、何があるのか。まだ見えない。
「もう一つ、確認したいことがあります」
音川が言った。
「桐嶋さんの証言です。彼は『レイの代わりにステージに立っていた』と言った。では——レイはどこにいたのか」
「楽屋にいた。小森さんが見た」
「その間、ずっと?」
真琴は考えた。
「……わかりません。でも、もしレイが楽屋にいなかったら」
「アリバイが崩れる」
音川が言った。
「彼がステージにいなかったなら、犯行時間に楽屋にいなくてもおかしくない。むしろ——」
「むしろ?」
「殺されるために、そこにいた」
真琴はその言葉の意味を考えた。殺されるために——そこにいた。
「レイは——自分が殺されることを知っていた」
「ええ。だから真琴さんにファイルを残した。『聴く覚悟があるなら』と」
「では、レイは——」
「被害者であると同時に、計画の一部だった」
音川はそこで言葉を止めた。
「まだ、仮説の段階です」
「でも、真実に近づいている」
「ええ。少しずつ——」
二人はまた沈黙した。それが、今は一番心地よかった。
店を出ると、外の空気が冷たかった。
九月の終わり、もうすぐ十月になる。
「音川さん」
「何です」
「明日、真壁警部に会いに行きませんか」
「会って、どうするんですか」
「話を聞く。それだけです。彼が何を隠しているのか——直接」
音川は少し考えた。
「……わかりました。ただし、一人で行かないでください。私も一緒に」
「ええ。約束します」
二人は駅に向かって歩き出した。
背中合わせの街灯が、二つの影を伸ばす。その影はやがて一つになり、また離れた。
——まるで、これからの二人のように。
第19話 了