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『音の檻』第10話「音楽という凶器」


    #創作大賞2026 #ミステリー小説部門 #ドラマ脚本原案 #少年マンガ原案 #アニメ原案


    【目次】
    第1話「密室のラスト・コード」
    第2話「刑事と記者」
    第3話「バンドの亀裂」
    第4話「5年前の影」
    第5話「音源という名の鍵」
    第6話「容疑者たちの夜」
    第7話「聴こえない演奏者」
    第8話「証言の穴」
    第9話「兄の記憶」
    第10話「音楽という凶器」
    第11話「桐嶋薫の仮面」
    第12話「密室の再現」
    第13話「第二の犠牲者」
    第14話「音の記憶」
    第15話「組織の壁」
     第16話「五年前の真実」
    第17話「崩れるアリバイ」
    第18話「二人の選択」
    第19話「聴覚という武器」
    第20話「黒幕の正体」
    第21話「どんでん返し」
    第22話「対決」
    第23話「真実の音」
    第24話「再びステージへ」


     科学捜査研究所の廊下は、いつも無機質な匂いがする。

     消毒薬か、あるいは別の何か。音川明人はその匂いを嫌っていた。いつもここに来るたびに、自分の無力さを思い知らされるからだ。

     目的の部屋の前で立ち止まる。ノックをする。

    「どうぞ」

     中から女性の声がした。

     音川がドアを開けると、三枝理香がパソコンの前に座っていた。彼女は三十代半ば。ショートヘアに鋭い目。口元はいつも少し歪んでいる。嫌味ではなく、集中の癖だ。

    「音川さん。またあなたですか」

    「よろしくお願いします」

    「五年前の事件に続いて、今度は新しい殺人事件。あなた、疫病神ですか」

     三枝は嫌味を言いながらも、机の上の書類を片付けた。彼女は口が悪いが、仕事は正確だ。音川はそれをよく知っていた。

    「で、何を解析してほしいんですか」

    「音です。この事件に隠された、すべての音を」

     音川はUSBメモリを机の上に置いた。四つ。

     三枝は一つをパソコンに挿入した。五年前の音声ファイル。雅也の声で「俺が殺した」と録音されたもの。

    「これ、前に一度解析してますよね」

    「当時は『本人の声と一致』という結果だった」

    「当時はね」

     三枝は波形を表示した。古いデータだが、音声そのものは鮮明に残っている。

    「音川さん、これを見てください」

     彼女が指し示したのは、声の波形の一部だった。一瞬、途切れている。いや、途切れているのではなく――

    「編集されてます。この部分、切り貼りしてますね」

    「本当か」

    「ええ。当時の鑑定士は何をやってたんだか。目が節穴ですかね」

     三枝の声は辛辣だった。彼女の兄は五年前の事件の第二の被害者だ。そのことを音川は知っている。だから彼女の辛辣さは、単なる口の悪さではない。

    「つまり、これは偽造された音声ファイルだと」

    「可能性が極めて高い。この編集痕は意図的なものです。誰かがあなたの兄の声を――いや、これは本人の声を切り貼りして、新しいセリフを作ってる」

    「本人の声?」

    「ええ。音声そのものは雅也さんのものです。でも、その並び順が不自然。まるで『殺した』という言葉を作るために、別の言葉から切り出して並べたみたい」

     音川は息を飲んだ。雅也の声は本物だった。でも、その言葉は偽物だった。誰かが雅也の声を盗んで、勝手に「自白」を作り出したのだ。

    「この技術、五年前に可能だったんですか」

    「不可能じゃない。ただし、かなりの専門知識が必要です。音響工学の。それと――」

    「それと?」

    「本人の声を大量に収録する必要があります。この編集は、素材となる声が豊富にないとできない」

     音川は真壁警部の顔を思い浮かべた。彼は雅也の取り調べを担当していた。何度も録音を取っていた。声の素材は――警察の中にあったのだ。

    「次に行きましょう」

     三枝が次のUSBを挿入した。『残響の彼方』。レイのスマホでリピート再生されていた曲。

    「これは……面白い」

     彼女は波形を拡大した。ある周波数帯が、不自然に強調されている。

    「イヤーワーム効果を誘発する仕掛けです。特定の周波数を強調することで、この曲を聴いた人の脳に『記憶のリピート』を起こさせる」

    「どういう意味ですか」

    「この曲を聴き続けると、特定の記憶が何度も何度も蘇る。普通のリフレイン効果じゃない。意図的に『ある記憶』を刷り込むために作られてる」

    「ある記憶、とは」

    「それを知るには、この曲を誰が作ったのかを調べる必要があります。作曲者、編曲者、録音エンジニア――音響に詳しい誰かが関わっています」

     音川はメモを取った。作曲者は神崎雅也。編曲者はバンドメンバー。録音エンジニアは――

    「調べます」

     三枝は三つ目のUSBを挿入した。レイから真琴へのファイル。「聴く覚悟があるなら」。

    「このファイル、どこで録音されたんですか」

    「レイの自宅だと思う。本人の声だし」

    「そうじゃなくて」

     三枝は別のデータを表示した。周波数分析の結果。部屋の残響特性を示すグラフ。

    「この録音には、特殊な残響が含まれてます。壁や天井の材質による反響。これ、警察の面会室の特徴と一致します」

     音川は息を止めた。

    「つまり、この声は警察の面会室で録音された?」

    「ええ。あなたたちの管理下の施設で」

     レイは警察の面会室に盗聴器を仕掛けていた。あるいは――警察内部に協力者がいた。

    「音川さん。あなたの周りに、レイと繋がりがある人物はいますか」

    「……わからない」

    「わからない、ね」

     三枝はそれ以上追及しなかった。でも、その目は何かを言っていた。「あなたも疑われている」と。

    「最後です」

     四つ目のUSB。ハーモニカの血痕の付着音。顕微鏡レベルで録音された「擦れる音」。

    「これは布と金属の摩擦音です。犯人はハーモニカを布で包んでいた。指紋を残さないため。あるいは――音を消すため」

    「音を消す?」

    「ハーモニカの音が鳴ると、犯人の存在がバレる。だから布で包んで音を殺していたんでしょう」

     音川はここで、一つの仮説を立てた。ハーモニカは「犯人のトレードマーク」ではない。犯人はハーモニカを「使いたくなかった」。でも、現場に置かなければならなかった。何かの理由で。

    「三枝さん、もう一つお願いがあります」

    「何です」

    「ライブ音源です。事件当日のレイの演奏。解析してください」

     三枝は少し間を置いた。そして、うなずいた。

    「十五分ください」

     音川は窓際に立った。外は曇っている。九月の終わりにしては、冷たい風が吹いていた。

    「音川さん」

     三枝の声に振り返る。

     彼女が指し示したのは、二つの波形だった。上がステージマイク。下が客席マイク。

    「同じ演奏なのに、0.3秒のズレがあります」

    「0.3秒」

    「音速340メートル毎秒で計算すると、約100メートルの距離差が必要です。しかしステージと客席の距離は20メートルもありません。デジタル処理によるレイテンシは通常0.01秒以下。0.3秒は説明がつかない」

    「つまり?」

    「この二つは『同じ音』じゃない可能性があります。ステージで出ていた音と、客席に届いていた音は——別のものかもしれない」

     音川は背筋が凍る思いだった。

     もしそうなら、レイはステージで「演奏しているふり」をしていたことになる。ギターは鳴っていた。でもそれを弾いていたのは、レイではなかったのかもしれない。

    「この音源、誰が録音したんですか」

    「ライブハウスのスタッフです。複数のマイクを設置していて、それがたまたま録音されていた」

    「偶然?」

    「いいえ。誰かがこのマイクを『残すように』指示した可能性があります。レイが自分で?」

     音川は考えた。レイは自分の「アリバイ」を作っていた。ステージに自分がいたという証明。でも、その証明は「偽装」されていた。誰かがレイに成り代わって、ステージに立っていた。

    「三枝さん、もう一つ聞いてもいいですか」

    「何です」

    「五年前の事件のライブ音源は残っていますか」

    「あるにはあります。でも、解析には時間がかかります」

    「お願いできますか」

     三枝は一つため息をついた。そして、小さくうなずいた。

    「あなたのためじゃありません。兄のためにやります」

     音川は頭を下げた。それしかできなかった。

     研究所を出ると、外はもう暗くなっていた。

     音川はスマホを手に取った。真琴に電話をかけようか迷った。でも、やめた。

     まだ伝える時ではない。

     0.3秒のズレ。偽造された音声ファイル。警察内部の盗聴。そして――ハーモニカ。

     すべては繋がっている。五年前から、今この瞬間まで。

     音川はコートの襟を立てた。風が強くなってきた。

     九月の終わりに、これから何が始まるのか。

     それを知るのは、まだ少し先のことだった。

    第10話 了



     
     
    日本映画学校出身。劇場映画・テレビアニメの編集を経て、映像・Web・音楽をワンストップで手がけて25年。SF/ミステリー小説・脚本原案を執筆中。noteでは映像編集ノウハウと創作の記録を発信。

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