
『音の檻』第17話「崩れるアリバイ」
#創作大賞2026 #ミステリー小説部門 #ドラマ脚本原案 #少年マンガ原案 #アニメ原案
【目次】
第1話「密室のラスト・コード」
第2話「刑事と記者」
第3話「バンドの亀裂」
第4話「5年前の影」
第5話「音源という名の鍵」
第6話「容疑者たちの夜」
第7話「聴こえない演奏者」
第8話「証言の穴」
第9話「兄の記憶」
第10話「音楽という凶器」
第11話「桐嶋薫の仮面」
第12話「密室の再現」
第13話「第二の犠牲者」
第14話「音の記憶」
第15話「組織の壁」
第16話「五年前の真実」
第17話「崩れるアリバイ」
第18話「二人の選択」
第19話「聴覚という武器」
第20話「黒幕の正体」
第21話「どんでん返し」
第22話「対決」
第23話「真実の音」
第24話「再びステージへ」
病院の廊下は、消毒液の匂いで満たされていた。
音川明人は小森優斗の病室の前で立ち止まった。ドアには「面会謝絶」の札がかかっている。しかし、中から話し声が聞こえる。看護師か。それとも――
ノックをする。
「小森さん。音川です」
返事はない。もう一度ノックする。
「……入れ」
声は弱々しいが、確かに小森のものだった。
音川がドアを開けると、小森はベッドに起き上がっていた。顔色はまだ青白い。でも、目はしっかり開いている。
「よく……来たな」
「話せますか」
「ああ。どうせ、何もすることがないからな」
小森は少し笑った。それは自嘲に近かった。
「あなたは、レイに呼び出されたと証言しました。あの日の夜、何があったんですか」
小森は少し間を置いた。
「……レイが言った。『真琴を守れ』って。『もうすぐ俺は死ぬ。そしたらお前が狙われる』って」
「なぜ、あなたが狙われるんですか」
「わからん。でも、レイは真剣だった。冗談を言うような男じゃない」
小森はそこで言葉を詰まらせた。
「だから行った。レイに会いに。何が起きているのか、確かめたくて。でも――」
「間に合わなかった」
「……ああ。楽屋に着いた時には、もうレイは死んでいた。ドアにはチェーンがかかっていた。中から声はしない。だから――」
「だから、あなたは楽屋の前をうろついていた。何かできることがないかと」
小森はうなずいた。
「その時、何か見ましたか」
「……誰かが楽屋から出ていくのを見た。補聴器の――光るやつ」
補聴器。
音川は桐嶋の顔を思い浮かべた。
「その人物の顔は見えましたか」
「いいえ。暗かったし、帽子をかぶっていた。でも――補聴器は間違いない。銀色の、小さな光」
小森はそこで深く息を吐いた。
「刑事さん。俺は妹を守れなかった。五年前も。今回も。何も――変わってない」
「変わっています」
音川は静かに言った。
「あなたは、守ろうとした。それだけでも、五年前とは違う」
小森は何も言わなかった。ただ、天井を見つめていた。
病室を出ると、真琴が廊下のベンチに座っていた。
彼女は顔を上げた。目の下に隈ができている。眠れていないのだ。
「お兄ちゃんは……」
「話しました。レイに呼び出されたこと。あなたを守ろうとしたこと。そして――間に合わなかったこと」
真琴はうなずいた。
「私は……お兄ちゃんに『守ってほしい』なんて、一度も言ったことがない。でも、お兄ちゃんはいつも――」
「あなたを守ろうとしていた」
「……はい。五年前も。雅也兄ちゃんが逮捕された時、お兄ちゃんは言った。『俺が何とかする』って。でも、何もできなかった。自分を責めていた」
真琴は立ち上がった。
「もう、誰も責めたくない。これ以上――誰も傷つけたくない」
彼女はスマホを取り出した。画面には下書きの記事。タイトルは『五年前の真実――神崎雅也は無実だった』。
「もう待てない」
「公開しますか」
「ええ。証拠は揃っている。榎本さんの証言。『残響の彼方』の音声。五年前の偽造ファイル。これで――」
真琴はそこで言葉を止めた。
「どうしました」
「……いや、何でもない。決心しただけです」
彼女はスマホをポケットにしまった。
「桐嶋さんに会いに行きましょう」
「今からですか」
「はい。彼も何かを知っている。話すべき時が来た」
桐嶋薫の病室は、個室だった。
カーテンが閉め切られている。ベッドの上で、桐嶋は起きていた。頭には包帯が巻かれている。顔色は悪いが、目はしっかりしている。
「来ると思っていました」
桐嶋は小さな声で言った。
「神崎さん。音川さん。座ってください」
真琴と音川は、ベッドの横の椅子に座った。
「まず、謝らせてください」
桐嶋は頭を下げた。
「非通知のメッセージを送ったのは私です。あなたを守りたかった。でも、逆に危険に巻き込んでしまった」
「もういいです。その話は、終わりにしましょう」
真琴は静かに言った。
「今日は別の話を聞きたい。レイのことです。あなたは彼の代わりにステージに立っていた。それで合っていますか」
桐嶋はうなずいた。
「レイの耳は、もうほとんど聴こえていなかった。進行性難聴。彼はそれを隠していた。でも、ライブは続けなければならない。だから――」
「あなたが代わりに」
「はい。ギターはレイが事前に録音した音源を流していた。私はそれに合わせて、演奏しているふりをしていた。観客は気づかなかった。音が――『レイの音』だったから」
「0.3秒のズレは、そのせいですか」
音川が訊いた。
「録音された音源と、生の演奏が完全に同期しない。わずかなズレが生じる。あなたたちはそれを見つけた」
「ええ。優秀な分析官がいてくれた」
桐嶋は苦笑した。
「すべては、レイのためだった。彼は音楽を続けたかった。自分の足で立ちたかった。でも――」
「でも?」
「真実を知ってしまった。五年前の事件の――真犯人を」
真琴は息を飲んだ。
「誰です」
「……言えない。言ったら、あなたも殺される」
「桐嶋さん――」
「もう、やめてください」
桐嶋は首を振った。
「私はあなたを守りたい。それが、レイとの約束なんです」
真琴はそれ以上、追及しなかった。
病室を出ると、真琴は音川を見た。
「音川さん。私は記事を公開します。今日中に」
「覚悟はいいですか」
「ええ。五年前、私は兄を守れなかった。でも、今度は違う。今度こそ――守り抜く」
音川はうなずいた。
「私も協力します。あなたの味方です。いつでも」
「ありがとうございます」
その夜、真琴は自宅のパソコンの前に座っていた。
下書きの記事。タイトルは『五年前の真実――神崎雅也は無実だった』。証拠は全て揃っている。榎本の証言。『残響の彼方』の音声ファイル。五年前の偽造音声との比較。桐嶋の告白。小森の証言。
すべてを書いた。誰が何と言おうと、これが真実だ。
彼女は公開ボタンの上に指を置いた。
「これで終わりにしよう。兄さんのため。レイさんのため。そして――私のため」
クリックした。
記事が公開される。誰かが読む。誰かが気づく。誰かが動く。
それが、何を引き起こすのか。真琴にはわからなかった。
でも――もう、戻れない。
彼女はキーボードから手を離した。
窓の外は、もうすぐ朝だった。
第17話 了