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烙印  第10話 「虫の視界」

    関口直子

    「This story belongs to the world where wounds become stars.」

     「エイジ。あっちまで、歩けるか。」ルイの手が俺の肩にかかり、俺を支える。しかし、その手は俺を逃がそうとしていない強さだ。

     「ああ。」頷き、そう答えるしかなかった。戦慄が走る。ルイ。お前の話とは、何だ。

     俺とルイは、最上段を再び超えて行こうとする。タイムテーブルは次のアーティストに移ったせいか、スタンド席の人出はがくんと減り、代わりに場外のざわめきが大きく聞こえる。

     マサ。俺は、どんな顔をしていた。ルイの瞳を再び見たあの瞬間、俺はもう、俺ではなかったんだ。お前に、見せられるような感情は何も残さず、誰にも、俺自身にさえも許されない本当の俺だけがいた。

     ああ。そうだ。ルイに見つめられて心を暴かれる時だけ、俺は本当の自分自身でいられる。誰もがあざ笑う、軽蔑すべき、汚らしい、人間の皮をかぶった虫けらに戻れるんだ。もう、人間のふりをしなくてもかまわない。そう、思えたら、いっそのこと、俺は。

     マサ。怖い。助けてくれ。お前、見てしまったよな。許さねえよな。なのに俺はまだ、未練がましくお前と紡いだ世界の全てと、この人間社会に求愛し続けているんだぜ。まるで下水のどん底で目覚めたような気分だ。ここが俺にふさわしいと気が付いてしまった虫の視界が開けたようだ。

     引き戻してくれ。俺は、誰も好きになりたくなんかなかった。

     そうだ。マサ。俺はお前にさえ、怯えていた。嫌われないようにしていたんだ。取引だったんだ、俺は取引しかしたことがないんだ。こうしたら他人が喜ぶと予測するパターンが全て俺にとっては通貨だった。見透かされて搾取されることも何度もあった。けど止められなかったのは、人のために役立つことが嬉しかったからじゃない。腹の底に、デカい穴が開いていてよ、それを埋めなかったら寒くて、どうしようもなかったからなんだ。

     淋しかったからなんだ。愛していたわけじゃない。

     なのにマサ。お前は、あんな、太陽みてえな無邪気な笑顔を、俺を信じて向けて来るんだ。
    痛いんだよ。俺は、そんな人間じゃないのに。
    痛くてたまらねえよ。なのにまだ淋しいんだ。埋まらねえんだ。
    胸の穴を轟々と風が吹き抜けていきやがる。

     ああ。助けてくれなんて。言う資格がない。俺は、お前とはもう人間が違っているんだ。 

     誰も人がいなくなった廊下に、賑やかな音楽と人々の喧騒だけが響いてくる。そして、ルイは手すりに手をかけてそのコンサートの様子を眺めながらエイジに語りかける。

     「あの時、お前が俺の傷を背負うと言ってくれた時の事、覚えているか。大して礼も言わなかったが、初めて救われたよ。だが、お前も、抱えてきていたんだな。」 

     心臓が跳ねる。
     
    「俺は、何も…。」言葉が詰まる。そしてたじろぐ。逃げたい。しかしルイは逃がさなかった。

     「なぜだ。あの時も言っていたな。自分を汚物のように感じると。なぜ、そうなる。俺は、お前を一度もそんな風に見たことはないんだぜ。お前は、一人で自分を殴り続けてきたんだな。そういう奴のするような目を、しているぜ。話してみろ。」 

     俺は、もう逃げられなかった。そして、切れ切れにルイの前で、自分に突き刺さってきた矢のような言葉を、吐き始めた。 

    「誰も俺の心に、関心など、なかったんだ。 
     
     テストで満点を取るときとか…役に立つ時だけ、父さんは、優しくて、そうだ、初めて憧れる人が、出来た時も、色気づいたサルみたいだと言って、笑うんだ。自分の気持ちを…書いた、日記とかも…稚拙な文だって…読み上げて…こういうものに興味が出たのかって…みんなに見せびらかして…バカにしたり、こきおろしたり、好きな人の写真も…燃やされたし…お、男同士の、そういう人たちの…事も…話題や…ニュースに出たりすると、気持ちの悪い…くずどもだって…お前がそういうのじゃなくて本当に良かったって… 

     いつも…いつも…言っていて…ああ、そうだ。俺自身の内面がどうだろうと関係なかったんだ。学校だろうと社会に出ても、みんな、好奇の対象か、嫌悪の対象でしか…なくて。気持ち悪いって…笑いものにして、女の話題で、連帯感を持ち合っていて…溶け込むためには、汚ねえこともしたよ。
     
     好きでもない女と付き合ったりもした。でもそれも結局社会との…取引で…しかなくて…笑いあいながら人を傷つける事しか、出来なくて…群れの一員になるために俺は、最低な男に成り下がってよ、それでも愛されたいなんて浅ましすぎて反吐が出るぜ! 
     
     そうだよ。あいつらの言葉は、俺自身の言葉じゃあないんだ。だけど、いつの間にかその言葉はどうしようもなく俺自身になっていて…俺自身から逃げるようにした結婚も、うまくいかなくて…息子もいるのに…俺はどの面下げて会えるんだ?離婚したって、親子の縁は切れないんだ。それなのに、こんな…。俺は…、人を愛したりする資格もない、くずの癖によ! 
     
     俺が触れたものなんかみんな汚くなるんだ!

    …俺が…汚ねえから…。 

     …絶対、お前の事を、巻き添えなんかにしたくねえ!誰も、誰も巻き添えなんかに出来ねえ。降りてくんな。俺のところまで降りようとするんじゃねえ。行っちまえ。…もう話したぜ。これ以上踏み込んでみろ、絶対、絶対許さねえ…許さねえからな!」

     叫ぶ喉が焼けるように痛んだ。感情がぐちゃぐちゃにつまった肉塊が喉を塞いでいるような気がしていた。

     ルイは黙って立ち尽くしていた。 

     重苦しい沈黙が流れた。そしてルイは思う。エイジの修復不能なほどの傷口を、癒すすべがない事を。抱きしめることは出来たかもしれない。しかしそれは、内面を食い荒らされて外殻だけで立っているエイジを崩壊させることそのものだった。

     ルイは震える息を、静かに、しかし深く吸い込んだ。そして静かに呼びかける。

    「エイジ…。」

     呼びかけに肩を震わせるエイジは、怒りと、慚愧の念で震えながら、ルイの言葉を恐れた。

    しかし、静かだが強い声でルイは告げた。

     「それでも、俺はお前を人間だと思っている。」

     そしてこの言葉は、エイジの胸に抜けない棘となって刺さった。

     「は…?何言って…。ふざけんなよ…。やめろ…!こんな人間が普通なわけがあるかよ…!救おうとでもいうのかよ。俺なんか、救いようがねえだろうがよ…!」

     ルイは言葉を紡がない。
    しかし、その目が全てを語っていた。

     そして、ルイの背後の柱の陰で、ドシャリと重い荷物が床に落ちる音がする。

     マサが二人を追って来ていた。

     そして恐らくはこのやり取りを聴いた。

     それだけのこと、それだけのことだ。
    しかし、マサの気配を察したエイジは、取り返しのつかない事態に自分が陥ったことに、気付いた。

     聴かれた。

    次回、三人の間に緊張が走る!!この展開の行方やいかに⁉次回、決定的な関係の歪みとねじれが起きる回なれば、刮目必定の流れなり!!いざ、まとめ読みは上記リンクにても可能っ!!

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n101d092de82e 第1話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nffe878333923 第2話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n70230ea1ca35 第3話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n8673917ba9cf 第4話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n20c6e4724ed6 第5話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n60fd4e2ba418 第6話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/na9525663d4d5 第7話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nb430df89623b 第8話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nc3f782ad1e33 第9話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nb6db7055e9b6 第10話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nc29e78a3f484 第11話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nf682707fe11d 第12話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/ncefa75cbe910 第13話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n2c42d27c8d20 第14話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nb3035166132a 第15話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nf9b14b543f14 第16話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n3e7f02c6c809 第17話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n7d297e091bcb 第18話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n8ddbe81c4b03 第19話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/ne039696f85e4 第20話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n156481928991 第21話

    ルイの神話的起源譚《満点の呪いのそれから》そして、時は流れた。|関口直子

    ⇧これを読むと、話がつながります!!!

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