
烙印 第16話 「コンビニ」
県道沿いのコンビニエンスストアは、この夜において,そこだけがまるで青白い誘蛾灯のように光って見えた。
商業ビルの地帯を少し外れると、灯りの密度がやや下がる。
月も見えない夜だった。広めの道幅、
そこを行き過ぎる車のヘッドライトの光が、
眼球を直に突き刺してくるかのようだ。
漆黒の闇夜に流れる金色の光の川を
遡上する魚さながらに歩く男が一人。
その男は思う。
白く光る
コンビニエンスストアの窓の光が
反射した屋根のひさしに
据え付けられた青く明滅する誘蛾灯。
そこで爆ぜたように
死んでいった黒い羽虫一匹の事を。
何故か自分に似ていた、そう思う。
自分は、果たして
誘蛾灯から逃れて来られたのだろうか。
男は思う。
輝いているものに、
引き寄せられて焼けただれても、
青い高圧電流で焦がれて、
堕ちていったとしても、
虫たちが光に突進するのは
きっと淋しいからなんだろう。
俺も、淋しくて、
苦しくて、
輝くものに触れて、
何もかも焦がれるような
思いで、堕ちてみたかったのかもしれない。
そして
全てに焦がされて
許されたかったのに、
結局拒まれた。
近づく事すら許されなかった。
やはり、近づけない光だった。
酒の抜けきらない体で、
逃れるように駅に走ったのは、
終電を逃すわけにいかなかったからというか
あのままでは、どうにかなりそうだった。
自分が惨めで。惨めで。
俺が言ってほしいような嘘の光で
おびき寄せてくれたならよかった。
あんたが悪意の塊であっても構わない。
喜んで騙されたふりをする。
そういう取引なら、何でも差し出して見せる。
嘘の中で暮らすことには慣れているから。
俺は自分が爆ぜてしまっても
あんたの体温、吐息、
熱を帯びた抱擁の名残りの中で、
何処までも
何処までも
青白い光を仰ぎながら堕ちて行きたかった。
だけど、結局、
俺のためにあんたは真実であり続け
あんたは自ら、輝きを、
光を握りつぶす。
決して、どんな虫も
焦がしたりしないように。
あの時、乱暴に置かれたグラスの
衝撃音は、あんたが
自分の光を殺した音だ。
悪いけど、聞こえていた。
わかっていた。
俺を守るためだったこと、
本当は柔らかいあんたの
壊れやすい心に
あんな無理をさせたんだって。
俺はいつでも人の顔色を窺っているから
あんたが隠しておきたかったことも
もう、感じてしまっていたんだよ。
俺の背中を押すとき
あんたの呼吸が一瞬、
浅く震えた。
あんたが本当は
酷く孤独に耐えてきた人だって
知っているから、あんな
広すぎる部屋に、
残されたら、
あんたがどう感じるか
知っていたのに。
誰もいない夜に
抱きしめてもらえなかった記憶を
俺も持っているんだ、ルイ。
きっと俺らは誰より解り合えた。
一人にしてごめん。でも、
どうしても、自分の欲を
握り潰してくれた、あんたの元へ
戻るようなことは出来なかった。
それがあんたの
顔を立てる事なんだろう。
もう、うんざりされたくない、
あんたにだけは。
だから、行く。
外は闇に満ち
あんたのくれた
服が真っ黒で
それだけが
救いだった。
溶け入りたいと思った。
暗闇の中へ。
何もかも、光を無くした世界に行けたなら、
もう、醜くて無様な俺の虫のような
心から逃げられるんだとしたら
光など、何もいらない。
なのに
あんたが
握りつぶしたはずの
欲情の残り香は
砕けた星の最後の
悲鳴のように
光を放っていた。
それが、
どうしても
どうしても
消えてくれない。
どうか夜よ。
もっと深く
もっと暗く
俺を包んでくれ。
これはほんの十分前にまでさかのぼる。
あくびをかみ殺す、女性店員。
深夜帯の勤務は、時給はいいが
慣れるまで眠い。
しかしレジの少女は
眠さよりも退屈さの方が
辛いようだった。
彼女は、友人の事を気にしていた。
「小峰さん、聞いて。昨日
浦和でフェスあったんだぁ!
いいよねぇ。頑張ってチケット取ったって、
ミサちゃんのインスタに載ってて。
昨日だったらしいの、ねぇ昨日よ。
あたしも行きたかったなあ。
ゴールデンウィークなんて、
うちらコンビニバイトには関係ないもんな。
あーあ。あ、いらっしゃいませぇ。」
まだ日付が変わって数時間の、
暗い夜のコンビニで、
水を買っている客が、一人。
バイト店員の少女の話す、
そのフェスという単語に、身を震わせた。
黒い服の男だった。窓ガラスに映る
黒い服を見て、目を背ける。そして、
無言で、レジ会計を済ませ、出ていく。
ドアが開き、夜風が店内にそよぐ。
暗闇に溶けていく男の背中。
ふと、少女の鼻腔に、ダウニーと煙草の残り香がした。
普段使わない柔軟剤の強く感じる芳香。
吸ったことのない煙草の、苦々しい香り。
そのすべてが男に恥の念を巻き起こさせた。
夢ではない。出来る事なら脱ぎ捨てたい。
しかし、出来なかった。
果たして、
この香りに包まれて歩き続ける事、
何時間であったろうか。
県道沿いの車の往来は、彼を闇に
留めてはくれない。
勢い良く伸びる足元の陰に
彼の顔が歪む。
まだ、生きているのか。
光に本体の姿を暴かれて。
虫のくせに。
影が躍る、光の数だけ。
暴くのは、やめろ。
止めてくれ…。
影が躍る、
反射でよける、
影が躍る。
目をつぶる。
影が躍る、
避けようとしてよろめく。
彼は思う。
…なぜ、自分の影にこんなに怯えているのだ。
彼は思う。いつから自分は歩いたか。
彼はビジネスホテルを出たものの、
浦和美園駅の終電を逃し、
延々と自宅まで、歩き続けていたのである。
ホテルに置き去りにした、
モバイルバッテリー。
スマホの電池はとうに切れており、
土地勘のない場所で、男は
ぐるぐると彷徨った。
いや、彷徨いたかったのかも
しれない。
自宅に帰って、
答え合わせをしたくなかった。
全てが上手くいかなかった
人生の答案用紙。
その赤点の
ペナルティが、今の
この自分の有様なのだ。
まるで、俺は、
汚物だ。
繰り返し痛めつける。
自分自身を。
涙すら流れなかった。
そしてそんな自分を見たくなかった。
綺麗な人間、
満点の取れる人生を歩む
胸を張って、生きていいんだと
信じさせてもらえるような
そんな人間のようになりたかった。
だから、そうあれない
自分が、直視できなかった。
途中ヒッチハイクで
車に乗った区間もある。
およそ10キロ程度だが、それでも
十分男には救いだった。
気のいいトラックの運転手が、
たまたま途中まで方向が同じだったので
この先見知った、ホームセンターから
6キロまで近づいた県道沿いのコンビニに
降ろしてくれたのだった。
ここまで来たら、帰れる。
「何があったか知らねえが、
兄ちゃん。死ぬなよ。」
そう言って彼はうなだれる黒い服の
男に手を振り、別れ、県道を走り去った。
(なんか。幽霊みたいなやつだったな。)
運転手は一人思った。
窓を開ける。
五月の、夜風がまだ冷たい。
運転手はラジオをかける。
「お聞きください、今期発売、桜子ニューシングル…瑠璃の夜空に!」
(やったぜ…!俺は桜子さん大好きなんだよ。癒されるよな。)
麗しいピアノ曲の前奏が、車内の空気を変えて行く。
運転手は、たちまち笑顔になり、一緒に歌い始めた。
桜子の歌声は、この男を癒した。
しかし、先ほどの男が
まさか同じ桜子という歌手の歌声に
打ちのめされていようとは、
この男には到底
想像もつかなかったのである。
そして、歌は流れて行く。
運命という大河に、合流して。
そして昨日、桜子の歌に
打ちのめされた二人の男が
刻まれゆく時計の秒針のように
巡り会う時に向かい、
動き続けていた。
そして、夜明けはやってくる。次回17話、「インスタ」!
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