
烙印 第20話 「プロメテウスの火」
https://note.com/prime_lemur1632/n/n8ddbe81c4b03 第19話
記憶を巻き戻そうか。
太陽がまだ、輝いていた時まで。
マサはエイジと同じ川口市の
総合病院で生まれ
エイジと同じ川口市の、公団住宅の
12号棟で幼少期を過ごした。
幼いころから彼は
両親に溺愛されて育った。
そのため、のびのびと
明るい太陽のような
笑顔の良く似合う
子供だった。
マサの両親は不妊治療の末に、
遅く授かった
たった一人の息子を、
目の中に入れても痛くない程に
可愛がり、甘やかした。
マサが駄々をこねれば
欲しいおもちゃはなんだって、買い与える。
マサがすねれば、大抵おやつが出た。
マサが間違ったことをしても
二人は責める事すらなかった。
そのくせ、マサが理由もわからず
しゃくりあげていてもその感情を
どう扱ったらいいのか、その感情を
どうコントロールすべきなのか
教えることは決してなかった。
そして、幼稚園でマサが友達に
おやつを分けてやらずに喧嘩になった
その時、呼び出された両親は言った。
「そんなことしなくていいんですよ。
譲り合いなんて大人になれば学ぶんですよ。
かわいい子供のすることじゃないですか。」
そして父親はマサの頭を撫でた。
「いやな思いしたねぇ。大丈夫だよ。
マサはなぁんにも悪くないからねぇ。」
そしてマサは学んだ。譲る必要はない。
欲しいものは意地でも手に入れる。
欲しいものが奪われたら怒ることは正当だ。
マサの両親は、
マサに嫌われたくないあまり
ご機嫌取りに徹しているくせに、
マサ自身の将来や感情には
何も興味がなかったのである。
明るくふるまっている時だけが、
マサの両親が喜ぶ時で、
マサが泣いたり怒ったりすると
途端に家庭内の空気は重くなって、
父は言った。
「ねえ、マサ。何だか
いつものマサらしくないなぁ。
お父さんは、そういうマサは、嫌だなぁ。
おもちゃかい?ケーキがいいかな?
いつものように
笑ってほしいなぁ。」
母も、可愛そうな動物を
見るような目でマサを見て
「困った子ね、
お父さんが嫌な思いをしているわよ?
マサはいい子だから、
どうすればいいか、わかるわね?」
そう言うのだった。
この時マサは、
自分の感情が自分自身のものであると、
そのせいで家庭が
壊れるんじゃないのかと思う様になった。
マサは途端に泣き止んで、
太陽のように笑っては、両親に
ちやほやとほめそやされた。
そして平和が戻る。
これでいいんだとマサは思っていた。
そして、マサは、
園内では謝れない子供として
問題児扱いを受けていた。
そして適正な距離感もわからず
他の子供のおもちゃを欲しいからと言って
奪い取っては、そのために争い、しかも
自分は悪くないと本気で考えているため
周りの子供達には嫌われて、
何故だかわからないが
距離を置かれる。俺は何も悪くないのに。
嫌われる理由なんか
誰にも教えてもらえなかった。
仮にほかの保護者や先生が介入して
マサを叱ったとしても。マサの
心の中には、その教えが染み渡ることは
全くなかったのだった。
彼は子供のころから地頭が悪く、
その上自分なりの正義感が大変強かった。
自分は悪くないと言い続けることで
あの子とは遊ばないと、マサの周りだけ
人がいなくなる。淋しい。だが、謝れない。
悪くないからだ。少なくとも自分の中では。
だが、限界もある。その状況で、
辛くてたまらず、周りから逃れて一人
木の下で、すすり泣いていたマサに、
「きみ。大丈夫?カブトムシ、
探しに行こうよ。
僕、知ってるんだ。カブトムシね、
この木に来るんだよ。」
そう話しかけたのは
同じ公団住宅の12号棟の住人、
野崎家の二人兄弟の次男坊、エイジだった。
初めてだった。自分が泣いていても、
否定しなかった人間は。泣くだけじゃない。
怒っても、悲しんでも、喜んでも。
エイジはマサの感情を受け止めてくれた。
言葉にしてくれた。言葉にならなかった
全ての感情をエイジが翻訳してくれた。
マサは、エイジによって世界とつながり
エイジだけが世界そのものになっていた。
そのつながりは小学校時代から、
中学校と進学しても
変わることはなかった。
聴けばエイジも
自分の家庭にとてつもない冷えを
抱えていたし、そんなエイジを温めるのは、
太陽である自分の役目だった。使命だった。
エイジの笑顔があれば、
マサは何も怖くなかった。
しかし、成績の良いエイジは
進学校に進むため、
マサの住む町から離れることになるのだが、
それでも、音楽を通じて二人は、
つながり続けた。
住む場所が変わっても絆は残り続け、
そしてマサはひそかにエイジにも言えない、
特別な感情を抱いた。
それだけは、エイジに名前を
付けてもらいたくなかった。
どう扱ったらいいかわからないその思いが、
自分だけの宝物だった。
そんなマサが、
エイジに怒ったのは、エイジが、
父親に痛めつけられて泣いていた日の事だ。
「俺なんか、仕方ないんだよ。
生きてても、虫みたいなものだし。」
この時初めてマサは大好きな
エイジを殴った。
目に涙をためて何度も殴った。
「ばかやろう!ばかやろう!うわあああ!」
マサの胸の中には、一杯言葉があった。
エイジに対する、万感の思いがあった。
仕方ないわけがどこにあるんだ!
お前は価値のある人間なんだ!
そんなことをお前に信じさせたやつなど、
ゴミ収集車に全員入れてやりたい!
だって、だってお前は
俺の世界なんだぞ。俺の世界を汚されたら、
俺は絶対に、絶対に、許せねえんだよ!
しかし、その言葉が、出てこないのだ。
それは暴力と単純な
叫びにしかならなかった。
泣きじゃくるマサにエイジは寄り添った。
「嫌な思いしたね、ごめんね。
…悲しかったね。マサ。」
マサは、しゃくりあげながら、
両手で涙をぬぐって、
こくんこくんとうなずいた。
「俺のために、
そんなに怒ってくれるなんて、
俺のために泣いてくれるなんて、マサ。
おまえは、いいやつなんだよ。
みんな、誤解してるだけなんだよ。」
そしてその涙と怒り、
未消化の感情ゆえの
暴力を、否定されず、
また、理解されて、愛され、
許された記憶が、
マサの魂を打ち抜く雷の
働きをしたのだった。
マサは思った。
俺にはエイジがいればいい。
エイジしかいらない…!
それも、言葉にはならなかった。
形を与えてはならなかった。
しかしその感情は
存在し続けたのである。
そして、エイジが、そんな自分を
拒絶したのは、本当にあの野外フェスの
直後の空白の時間帯でしかなかった。
そんなことは起こるはずがなかったし
起こるべきでもなかった。
そしてマサの胸には、自分の世界が
砂煙を上げながら崩れる、
轟音だけが響いていたのだった。
そして、その感情の処理の仕方も、
当然知らないマサは、本能と、情動だけで
全ての行動を決めてしまっていた。
それはまるで狂気にしか
見えない姿だったが、
母を求めて泣く赤子よりも
深刻に彼の精神は崖っぷちに
追い詰められてしまったのである。
彼はただ、
世界を求めて泣いていただけなのだ。
エイジという、世界を。
エイジという、言葉を。
エイジという、大地を。
エイジという、空気を。
エイジは言った。
このエピソード当時の話だが、
「マサは、俺がいないとダメなんだ。」と。
マサという存在は空気なしでは崩壊する、
きわめて不安定な核を持つ
美しい天体だった。
そして空気そのものの
マサの生存圏を生んでいる
エイジという男は
そのことを誰よりも誰よりも
必要とするほど壊れていたのである。
それはまるで欠陥品の
原子炉の様で、マサはその中で
臨界を迎えたプルトニウムのようであった。
そしてその原子炉はメルトダウンの時まで
稼働していたのである。
プロメテウスの火が、燃えている。
決して、人間には容易く扱えない天の火が。
そして、この二人はあまりにも
あまりにも、人間すぎたのである。
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