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烙印 第12話 「なぜ、今なんだっ!」

    関口直子

     冷ややかな影を纏った廊下に、去り行くマサの足音は、外界のざわめきに、かき消されていく。

     後には、崩れ落ちそうなエイジがいた。彼の視界の端に映っているもの。

     それは、マサの背負うはずだった、エイジ自身の荷物だった。

     そして今、マサは雑踏の人垣を切り裂くように駆け抜けて行く。置き去りになったそれを担いでエイジと共に見るはずだった、桜子のステージが今。マサの背後で終わってゆく。憧れていた、輝いていた、未来のなりたい自分たちの姿を、体現しているかのような桜子が、ラストに歌うのは、地獄花。

     叶わない恋をする女が、それでも恋しい男を求めて歌うラブソングだ。
    自身を、花は咲いても、実る果実をつけることもない、そんな恋心を、徒花に例えた、桜子の歌う楽曲は、浦和の空にまだ響き続けている。


     赤き徒花 何処に咲く 実らぬ恋を かき抱き… 

     その曲から逃れるように走るマサの、手当てを終えたばかりだった白い包帯が、サンダルに残った血で汚されていく。
     
     足はずきずきと痛んだ。しかしそれ以上に痛かったのは、崩壊した現実に押しつぶされそうなこの心だった。

     息を切らして走る。逃げるように走る。実際、マサは逃げていた。

     今まで生きてきて、大抵のことは立ち向かえたはずのマサだったが、
    壊れる寸前のエイジの追い詰められた表情を前に、自分がそうさせたのだという、おぞましいまでの罪の意識に追い立てられていたのである。

    ( 俺の思い描いていた未来は、こんなはずじゃなかった。)
     
     エイジ。お前と。一緒に、フェス飯食って…、一緒に、桜子さんを応援して…これからの事を話し合ったり。居酒屋に連れて行って、今日のステージの事を語り明かしたり。

     エイジ。俺の未来にお前は必ず、いるはずだったんだ。

     こんな事になるだなんて!


     マサの心臓は今にも爆ぜそうに激しく脈打っていた。息が切れる。足の痛みなのか、心の痛みなのかが判然としない程全てが、痛みに満ちていた。

     浦和美園駅前の、コンサート帰りの観客の作り出す雑踏は、マサの異変に気付くこともなく帰りの客でごった返していて、未だに熱気を纏ったそれは、熱い興奮に満ちてそれぞれの命を輝かせていた。

    涙が勝手に頬を伝う。 

     なぜ自分が泣いているのか、ここまで来てもわからない。
    いや、認めたら、全てが崩れる予感しかない。

     ただ、激しく、罪の意識だけが津波の様に押し寄せて来る。
    マサは震える手で
    エイジに電話をかける。

    10回コールしても出ない。バッグの奥にしまい込んでいるのだろうか。

    何してるんだよ、出てくれよ!

     焦るマサは何度も電話をかける。
    しかし、エイジの応答はない。

     ダメだ。電話も出てくれねえ。やっぱり怒ってる。
    多分あの時に、俺は、エイジを怒らせたよな。

     でもどうしようもなかったんだ。タチの悪そうな連中に囲まれてて、
    エアギターやれなんて言われてて…あんなに馬鹿にされててよ…なんで言い返さねえのか、俺はよくわかっていたし、助けなきゃいけなかったんだ。

     エイジは優しいから、だけで言い返さないんじゃない。
    自己肯定感が死ぬほど低いんだ。あんなに優しいのに、いいやつなのに。
    賢いのに。いいところがいっぱいあるのに。
    俺みたいな人間にはわからねえほど自信ってもんがないんだ。

     奴の父親だ。あの親父が全てを壊しやがったんだ。
    満点の時しか子どもを大事に扱わねえ。

     95点取った時も、俺はあいつを天才じゃねえかとほめたんだ。
    なのにあいつは泣いていた。お父さんに、叱られる。苛められるんだ。もう俺は、あの家にいられない、お前は出来が悪いダメな息子なんだってなじられるんだ。帰りたくない、家が怖くてたまらないって。

     そんなことあるわけねえだろって、俺はびっくりした。
    だって俺は、赤点だろうと何点だろうと親は世界一子供がかわいいもんだと信じていたし、そんなこと言われたことがなかったからだ。

     だからあいつは、完璧じゃない自分を許したことがないんだ。

     だからこそ、だからこそ。
    傷付けちまったかもしれねえ。

     第一、てめえの喧嘩は、てめえで決着つけねえと、
    男ってもんは、いつまでも舐められるし、
    なにより自分自身が、ダメになる。

     きっと悔しかったよな。助けたら、対等じゃなくなるもんな。
    ごめんよ。ごめんよ。俺は馬鹿だから、どうしても、どうしても、
    お前を助けたかったんだ。

     俺、お前の前では、本当はかっこいい男でいてえ。
    なのにいつもだらしなくなっちまって。呆れてるお前に、
    あの後、ちょっとは褒めてもらいたかった。

    お前の歌はすげえなって、いつもみてぇに、認めてもらいたかった。

     そんで、ルイのやつにも武勇伝をぶちかまして、どうだ、すげえだろ、
    歌の力で、俺はエイジを助けたんだって言ってやりたかった。

     お前なんかよりよっぽど、俺の方がエイジの事わかってんだぞって、
    匂わせてやりたかった。

     負けたくなかったんだ。
    あいつにだけは。

    ああ。くそ。電話でねえ。何してんだ。

     スマホが、やべえ。電池ねえ、くそ。
    ああ、エイジが、モバイルバッテリー、持ってたよな。

     そうだ…いないんだった。わかってたはずなのに。
    いつもいつも頼りきりだった。なんでだよ。出てくれよ!

     帰ってるかな。そうだ、今からエイジの家行こう。
    足は痛ぇけど、疲れちゃいるけど、そんなことどうでもいい。

     会って話したい。
    そして誤解を解きたい。そうすればきっと、解ってくれるんだ。
    俺の家からはちょっと遠いけど、30分もあれば行けるし、きっと、何とかなる。

     俺を許してくれるんだ。
    また、元のように戻れるんだ。

     それに、ルイをみて、あんな顔したのだって、
    単なる気の迷いだったって言ってくれるはずだろう?

     だって、だって、あり得ねえ。
    男が、男を、欲しがるなんてことは、
    世の中には少しはあっても、俺ら関係ねえだろ。

     そんな、そんなんじゃねえし。
    そうだ。そんな気持ち悪い事、起きるはずがねえし。

     少なくとも俺はそうじゃねえ。
    あいつに対して、そんなこと、考えたことはねえ。

     出てくれ。頼む!
    ああ、電池が切れた。

     痛えよ…。足が、痛え。

     エイジ。いてくれ。
    頼むよ。

     お願いだよ。
    ああ、やっと見えてきた。
    あいつのアパート。

     マサはエイジのいるはずのアパートの一室、
    二〇二号室のベルを鳴らした。

    カーテンが引かれた窓は暗く、その他の部屋にも灯りは灯っていない。

    人の気配はない。全くの無人。

    そしてそれは三時間経過しても、変わらなかった。

     なぜ、戻ってこないんだ。
    どこにいるんだ。何をしているんだ。
    俺がこんなに、心配していても、駆け付けてくれないのか。

    慰めてくれないのか。

     マサの痛みは深刻になってきていた。
    そしていつもなら、30分あれば帰れる道を、
    足を引きずりながら数時間かけて自宅まで帰った。

    タクシーを呼ぶ金も無かったので怪我をした足で歩くしかなかった。

     自宅の灯りが見えてくる。
    朝、どたばたと家を出て、つけっぱなしにしたままだったテレビが、
    普段早寝するため見る事のない深夜放送を報じている。

    エイジ…。

    エイジ…。

     痛みでぼうっとしているマサの頭に、
    繰り返されるエイジを呼ぶ自分の声と
    鳴り響く音楽は、桜子の歌う地獄花だった。

    赤き徒花 何処に咲く 実らぬ 恋を かき抱き。

    実らぬ恋を かき抱き。

    実らぬ 恋 を 。

    (やっぱり、俺はいらなかった。どうしてだ、今何してんだ。エイジ。
    お前は、今、まさか。ルイといるのか。そうなのか。そうだとしたら……。ああ。俺が、あいつらの間に入る隙間は微塵もなかった。
    なんでだよ。…俺だって積み上げてきたんじゃないのか!)

     俺を励ます笑顔。徹夜して作った衣装の丁寧な仕上がり。塩飴と水に添えられた、小さな付箋には、負けるなよと書いてあった。

     それがどんなに、嬉しくて、心を温めてくれたことだろう。
    どこにいても心がつながっているから、路上でもまっすぐ前を向いて
    ライブが出来たんだ。

     録音した、お前のギターの音が、あの時、緊張して変な汗をかいていた、俺を、俺の心を支えてくれたんだ。

     お前がいたから、俺は。

     疲れと痛みでマサの視界が涙でかすんでゆく。

     …奪われたくない。誰にも渡したくない。俺の前でだけ泣いてほしかった。頼って、感情をぶちまけて、取り乱してほしかった。ああ。ダメだ。

     俺のこの感情は…。

     「なぜ、今なんだっ…!
    …今更…今更…何が…俺に出来たっていうんだ!」

     宵闇の中、自宅前の街灯に照らされながら立ち止まるマサは、
    足元に落ちる自分の涙が地面に小さな黒いシミを作るのを
    ただ黙って見ている事しか出来ないでいた。

    次回、ついに地獄の門が静かに開く。取り残されたエイジ、そして、ルイはどう出る?!しばし待たれよ!この小説の新作は上記マガジンのリンクにて更新され候!!この小説の続きを読んでみたいと思われましたらフォローよろしくお願いいたし候!スキもコメントも大歓迎であり候へば、応援よろしくお願いいたし候!

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n101d092de82e 第1話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nffe878333923 第2話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n70230ea1ca35 第3話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n8673917ba9cf 第4話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n20c6e4724ed6 第5話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n60fd4e2ba418 第6話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/na9525663d4d5 第7話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nb430df89623b 第8話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nc3f782ad1e33 第9話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nb6db7055e9b6 第10話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nc29e78a3f484 第11話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nf682707fe11d 第12話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/ncefa75cbe910 第13話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n2c42d27c8d20 第14話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nb3035166132a 第15話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/nf9b14b543f14 第16話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n3e7f02c6c809 第17話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n7d297e091bcb 第18話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n8ddbe81c4b03 第19話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/ne039696f85e4 第20話

    https://note.com/prime_lemur1632/n/n156481928991 第21話

     
     
     
    静けさの中に沈む物語と、心の奥で揺れる小さな灯火を描いています。 闇に触れ、魂の輪郭を確かめながら、人が再び歩き出す瞬間を記録しています。 あなたの内にある光を、そっと思い出せる場所でありたい。

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