
烙印 第9話 「灯る」
触れられた。心の、奥の奥まで。誰にも、見せたことがない俺の、どす黒く荒んだ、醜い心を、ルイがその手でかき乱してしまった。
「う、うう。」さっきの連中におっさん呼ばわりされて、無理やり歌わされるより、エアギター弾かされるより、よっぽど恥ずかしい。見られて、許された。こんな、俺を。
頭の中が、ぐちゃぐちゃになる。許してくれなくていいんだ、ウザいとか、気持ち悪いとか、裁いてくれればよかった。そうしてくれれば良かったのに。心音が高鳴る。フェスの喧騒が、俺の鼓動でかき消える。
こんなに、世界は鮮やかな色をしていたか?
俺の体温が燃え始める。まるで、ライターであぶられた本が捲れていくように、何かが俺の中で、灯ってしまった。
気付くな。俺を、見るな。なんて、青い目をしているんだ。
ルイの薄い色のサングラス越しの青い瞳を見ていると、勝手に唇が震えてきた。
うつむき、その震えごと俺は、唇をかみしめる。
「行こう。マサが待ってる。」
ルイが踵を返す。助かった。あの目に、見つめ続けられたら、俺はどうなる。
そして視線を上げる。離れて行くルイの背中は広かった。そして、その手を見つめる。
ごつごつとした武骨な手をしていた。
あの手だ。
あの手が。普段、4弦のベース、天鈿女命を激しく弾きこなしているがための、節くれだった指が、俺の額を弾き、髪の毛をかき乱した。大したことは何もされていない筈だ。
それなのに、胸が苦しくてたまらない。頭の中がどくどくと脈打っているのがわかる。
その手に触れたいと願ってしまう。触れられたいと願ってしまう。そのことが耐えがたい程、気持ちが悪く、自分自身が最低の存在になったような気がしている。
スタンド席の客席に戻ると、マサがぎこちない手つきで自分の足の手当ての仕上げをしていた。
「あっ、悪いな!勝手にカバン開けちまって!」
その手には包帯と消毒薬があった。
「悪いけど絆創膏じゃはがれてきてよぉ、ちゃんと傷に固定できなかったんだよな。助かるぜ!エイジ。お前マジで気が利くやつだよ。おかげさまで、見ろよ、完璧に手当てできたぜ!」
振り返るマサは誰よりも明るい笑顔を俺に向けた。
やめろ。俺は、そんな人間じゃない。
「優しいし、思いやりあるし、マジでお前がいてくれてよかったよな。感謝するぜ。あとなぁ、試しにさっきお前の荷物担いでみたけどずいぶん重くてびびったぜ。ごめんな、いつも甘えてばかりで。お前、優しいからつい甘えすぎちまうんだよな。なあ、この荷物あとは俺全部背負ってやるからよ、今度は桜子さん見に行こうぜ!」
マサは、俺じゃない俺が、いてくれてよかったというのか。
あんな、嘘嘘とした、作り物の俺が、必死にお前らと世の中に媚びて、殴らないで下さいと願っている俺が、そのままの卑屈な姿でいてほしいと思っているのか。そして、いつまでそれを望むつもりなんだ。暗い心の中が、煮えたぎるように、心に鈍く波を立てている。そしてはっと気付く。
なんてことを考えているんだ、俺は。
俺を信じて、俺を頼りにしてくれているマサが、そんなことを願うわけがないのに、このねじ曲がった根性が、現実の受け止め方を歪ませているのだ。
浅ましい。情けない。マサは何も悪くないだろうが。
再び涙が溢れそうになった俺は、マサから顔をそむけた。
「ん?ルイ。お前まさか、エイジに追い打ちかけたりしてねえだろうな。なんか、泣きそうな顔されたぜ!それに、顔もなんか赤いし…。」
「おい。誤解だぜ。俺はただ話を聞いてやっただけだぜ?なあ、エイジ。」
俺はうかつにも、再びルイの目を見てしまった。そして、固まるマサの姿も。
(変だ。今、ルイに送った、あいつの潤んだ視線は、まるで、恋する女の、それだ。)
(いや、まさかな。あいつは確かに前からルイの事は好きではあったろうが、なんか、今、完全にいかれちまったような顔をしていたぜ。取り返しがつかねえほど、惚れて、狂ってるような、そういう目だ。…勘違いか?俺の気のせいか?問いただすのも変だし、でも、今までのエイジじゃないような気がする。)
(なんだよ。エイジ。今、お前がとんでもなく遠くにいるような気がするぜ。)
マサの脳裡に、過去のエイジの姿が蘇る。幼なじみとしてのエイジ。一緒に遊んだ子供時代。成長しても、違う進路に進んでしまっても応援してくれた。
例えば初めて街角で歌う俺のために、ギターを必死でかき鳴らしてくれた事。エイジの夜の居酒屋のバイトが始まる前の、午後3時半、まだまだ暑い夏の日に、塩飴と水を手渡してくれた事。大手の芸能プロダクションに、懸命に掛け合って、マサのデモテープを片手に、売り込んでくれた事。
重い機材も、エイジの借りたライトバンに満載して、あちこちに遠征に出かけた事。衣装にインパクトが無い時には、エイジは、自前のミシンで、マサの服を装飾したり修繕したりしていた。
ああ。俺は、コイツがいることを当たり前と思いすぎたんだ。気がつけば、ここに、手を伸ばせば届く距離なのに、エイジ。お前はもうどこにもいない。
俺の知らない顔の、こいつは、誰なんだ。
いつから歯車が狂ってしまったのだろう。始まりは小さな事だった。二人で完璧だったはずなのに、街で聴いた、ルイのベースラインに、俺らは釘付けになってしまった。
あの時のお前は、単純に、求めていた音を弾く演奏者に出会ったと言うだけの顔しかしていなかった、はずだ。
それが、なぜ、今こうなっている?
見てはいけなかった。
火のような、渇望。情欲。恋情。罪悪感。絶望。
一瞬で、俺に伝わってしまった全ての事が、お前の抱いている地獄なんだと、知ってしまった。
口が渇く。喉が嗄れている。声を、出さないと。
でも、何を言えば良い?
「なんだ、よ。…やっぱり、追い打ちしてんじゃねえかよ。」ぎこちなく笑顔を作り、明るい声を出そうとする。しかし、一度壊れた現実は元には戻らなかった。
ルイがエイジに話しかける。
「エイジ。」
エイジの肩が震える。
「…何だ?」
「後でお前に話がある。」
ルイの声には微塵も陽気さは無かった。
エイジが壊れていく気配がする。
もう、逃げ場はどこにも無い。
逃げられない。
次回、逃げ道を塞がれたエイジ、ルイに詰められ候えば、訪れるは、危機これ極まれり!!逃走不能の展開、そして、回り続けるアルコール分が、下戸の上酒癖の悪いエイジの理性を奪い続ける!!起爆する感情が今、燻り、発火を待っていたのであり候…。不穏なる兆しあり…!!まとめ読みは上記リンクより!!
https://note.com/prime_lemur1632/n/n101d092de82e 第1話
https://note.com/prime_lemur1632/n/nffe878333923 第2話
https://note.com/prime_lemur1632/n/n70230ea1ca35 第3話
https://note.com/prime_lemur1632/n/n8673917ba9cf 第4話
https://note.com/prime_lemur1632/n/n20c6e4724ed6 第5話
https://note.com/prime_lemur1632/n/n60fd4e2ba418 第6話
https://note.com/prime_lemur1632/n/na9525663d4d5 第7話
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