
見えない場所でわたしが輝くということ⑨
第9話 名前を、呼ばれた
改修計画の最終プランを決める会議が、月末に設定された。
霧島さんは完璧に練り上げた資料を持ってきた。コスト削減の数字、工期のスケジュール、改修後の管理体制。どこを見ても穴はなかった。長年この仕事をしてきた人の、積み上げた仕事だった。
一条さんは別の資料を用意していた。テナントや現場スタッフから集めた声をまとめたもので、数字よりも言葉が多かった。改修後にどんなビルにしたいか、長く使われる場所にするために何が必要か。霧島さんの資料とは、向いている方向が違った。
私は端の席に座って、二つの資料を交互に見ていた。
どちらも正しい、と思った。霧島さんの言う効率と数字がなければ、会社は動かない。一条さんの言う現場の声がなければ、場所は死んでいく。どちらかが間違っているわけじゃない。ただ、並べると、平行線になる。
霧島さんが口を開いた。
「これまでの実績と信頼関係をもとに、今回の管理は弊社に一任していただきたい」
いつもの淀みない口調だった。でも、どこかいつもと違う重みがあった。言葉が、いくらか前のめりだった。
一条さんは黙って聞いていた。
霧島さんが続けた。
「現場の声を計画に入れることで、責任の所在が曖昧になる。感情論では進められない」
その言葉が終わった瞬間、霧島さん自身の表情が、かすかに変わった。気づいているのかもしれない。自分の言葉が、仕事の件ではなく、別のどこから来ているのかに。
私がなにか言う立場にないのはわかっていた。でも、このまま黙っているのも違う気がした。
「あの」
声が出た。霧島さんと一条さんが私を見た。
「霧島さんのプランの、清掃動線の部分ですが」
私は手元の紙を取り出した。
「ここを少し変えると、コストを抑えたまま、夜間テナントの清掃頻度を維持できるかもしれません。私の意見はあくまで現場からの一つの視点ですが、霧島さんのプランと組み合わせられないか、と思って」
しばらく、誰も何も言わなかった。
霧島さんが資料を手に取った。しばらく見ていた。
「……検討します」
短い言葉だった。認めたのか、保留にしたのか、わからなかった。でも、突き返されなかった。
最終的に一条さんが選んだのは、効率と現場の声を両立させたプランだった。霧島さんの資料を軸に、現場ヒアリングで出た声を反映させた修正版。完全にどちらかが勝ったわけではなかった。
霧島さんには、改修後の現場管理に直接関わる新しい役割が提示された。数字だけでなく、現場を自分の足で見る仕事だった。
会議が終わって、皆が立ち上がり始めた頃、霧島さんが私の横を通り過ぎた。
「相澤さん」
名前を呼ばれた。霧島さんが私を名前で呼んだのは、初めてだった。
「あなたの見ているものを、教えてほしい」
それだけ言って、霧島さんは先に歩いていった。
私はしばらく、その場に立ち止まったままだった。
教えてほしい、という言葉が、思ったより柔らかかった。あの整然とした人が、そう言った。それがどういう意味なのか、まだうまく受け取れていなかった。でも、悪い気はしなかった。
窓から、夕焼けの光が差し込んでいた。今日も、このビルの一日が暮れようとしていた。
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