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見えない場所でわたしが輝くということ⑰

    第17話 初めまして、のように

     一条ビルのリノベーション完成に伴う清掃業者選定のコンペがあると知ったのは、知人からの情報だった。

     案内を見たとき、少し手が止まった。一条ビル。あの早朝の廊下、トイレの隅、非常階段の手すり。場所の記憶が、一気に戻ってきた。

     応募するかどうか、三日迷った。規模が違う。実績が違う。相手は大手の清掃会社も参加するはずだ。勝ち目があるとは思えなかった。
     それでも、応募した。
     理由はうまく言えなかった。ただ、あのビルのコンペに、なんらかの形で関わりたかった。それだけの思いからだった。


     プレゼン会場に入ると、見知った顔があった。

     川村さんだった。別の清掃会社のスタッフとして来ていた。隣に田中さんもいた。目が合った。川村さんは一瞬だけ表情を変えて、それから前を向いた。私も前を向いた。
     かつての空気が一瞬よみがえって、でもすぐに消えた。今日は別の場所に立っている。そのことだけを考えた。

     会場の前方に、霧島さんがいた。洗練されたスーツで、資料を確認していた。こちらには気づいていなかった。

     そして、一条さんがいた。
     壇上ではなく、会場の端に立って、参加者の資料に目を通していた。顔を上げた瞬間、目が合った。

     一条さんは、少し止まった。私も止まった。
     それから、お互いに軽く会釈した。初めて会う人に挨拶するような、礼儀正しい所作だった。それ以外に、何もなかった。でも、その一瞬に、いろんなものが詰まっていた気がした。


     プレゼンの順番は、後半だった。
     先に登壇した大手の清掃会社は、実績と数字が揃っていた。管理体制、品質保証、緊急時の対応。どれも申し分なかった。霧島さんが熱心にメモを取っていた。

     川村さんたちの会社も、長年の経験を前面に出した発表だった。このビルへの理解を強調していた。

     私の番が来た。
     演台に立って、会場を見渡した。川村さんがいて、霧島さんがいて、一条さんがいた。緊張していた。でも、不思議と足は震えなかった。

     「てのひら清掃、相澤沙希です」

     資料は薄かった。数字も少なかった。でも、一枚だけ、利用者からの声を集めたページがあった。定期で入っている高齢者宅の依頼人、アパートの大家、オフィスの担当者。
    名前は伏せて、言葉だけを並べた。

     「私が大切にしてきたのは、見えてない場所こそ、をきれいにすることです」
     声が、思ったより落ち着いていた。

     「トイレの奥、階段の裏、窓枠の桟。誰も見てない場所ほど、汚れは残ります。そういう場所を、使う人が気持ちよく過ごせるように整えることが、この仕事の要だと思っています」

     霧島さんが、資料から顔を上げた。

     「実績は大手には及びません。でも、ここで私が申し上げたことは、全部私と依頼者様の体験を通して得た真実です。弊社の仕事を必要としてくれた人たちの声です」

     会場が静かだった。

     「以上です」

     頭を下げて、演台を降りた。うまかったとは思わなかった。でも、伝えたいことは言えた。


     プレゼンが終わって、休憩に入った。
     廊下に出ると、非常階段の入口が見えた。ここを何度掃除しただろう。手すりを拭いて、踊り場の隅をブラシでかき出して。体が覚えている場所だった。

     「相澤さん」

     振り返ると、一条さんが立っていた。

     「少しいいですか」
     二人で、非常階段に入った。扉が閉まると、会場の音が遠くなった。

     「久しぶりに、ここに来たんですね」

     一条さんが言った。
    私は「はい」と答えた。

     「変わりましたね」

     「そうですか」

     「プレゼン、良かったです」

     「ありがとうございます」
     敬語が続いた。それが今の二人の距離だった。でも、悪くなかった。

     一条さんがしばらく黙った。階段の窓から、陽の光が差し込んでいた。

     「あのときは、思うようにできなかった。家族のことで、君に迷惑をかけた」

     「迷惑じゃなかったです」

     「そう言ってくれると、助かります。でも、逃げたのは本当のことだから」

     私は何も言えなかった。

     「もう大丈夫です」と言おうとした。でも、完全にそうかと言われると、まだわからなかった。だから、「今はこの仕事が好きなので」とだけ言った。

     一条さんは「そうですか」と言って、また黙った。

     扉の向こうで、誰かの声がした。休憩が終わりそうだった。

     「結果、楽しみにしています」と一条さんが言った。

     私は「はい」と言って、扉を開けた。

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    言葉や物語を考えながら、日々の中の小さな揺れや、答えの出ない問いをすくい上げています。静かな思考のかけらを置いていく場所です。ゆっくり更新しています。

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