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本能寺の変1582 【重要史料11】 201~220 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重要史料11】 201~220 

    はじめに ←目次 【記事一覧】 
    ←【五大要因】
     
    1時代の風潮 2光秀の実像 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
    ←【重要コメント】  
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     【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
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     【さらなる夢】 【重史140】 【重史141】 【重史142】
     【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
     【信長という男】 目次
     1/5 目 2/5 目 3/5 目 4/5 目 5/5 目 結論 目  【重史146】
     【光秀という男】 目次
     1/7 目 2/7 目 3/7 目 4/7 目 5/7 目 6/7 目 7/7 目
     結論 目 1/8 目 2/8 目 3/8 目 4/8 目 5/x 目 6/x 目 7/x 目 8/x 目 9/x 目
     10/x 目 11/x 目 12/x 目 13/x 目 14/x 目 15/x 目 16/x 目 17/x 目 18/x 目
     【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】
     【時は今・・・】 目次
     0521 目 0526 目  0527 目  0528 目 0529 目
    →重要 ◎目次 
    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】
     【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正

    【重要史料11】 201~220

    【重史201】                公 天正09 158100228
      ①一番に、惟住五郎左衛門尉(丹羽)長秀、
      ②二番、蜂屋兵庫頭、
      ③三番、惟任日向守、
      ④四番、村井作右衛門、
      ⑤御連枝の御衆。
      ⑥公家衆。
      ⑦御馬廻、御小姓衆。
      ⑧越前衆。
                              『信長公記』2/6

    【重史202】                ✓ 天正09 158100305
      ①今度、御馬揃の儀、夥敷(おびただしく)、相聞え申し候事、
      ②参上せしめず候段、無念に存ずる計(ばか)りに候、
      ③爰元、(姫路城の)普請等、漸(ようや)く出来候、
                               「富田文書」

    【重史203】                ✓ 天正09 158100504
      五月四日朝、 羽柴藤吉郎殿・宮内卿法印御坊、
                            「天王寺屋会記」自

    【重史204】                ✓ 天正09 158100612
      ①六月十二日朝、 羽柴藤吉郎殿御会、
      ②播州ヒメジにて、 宗及 備中屋一噌
                            「天王寺屋会記」他

    【重史205】                公 天正09 158100625
      ①六月廿五日、羽柴筑前守秀吉、中国へ出勢。
      ②打ち立つ人数、二万余騎。
      ③即時に、とつとり(鳥取)を取りまかせ、
      ④海上には、警固舟をおき、浦々、焼き払ひ、
      ⑤数千挺の弓・鉄炮勝り出し、
                               『信長公記』

    【重史206】                ✓ 天正09 158100908
      ①長宗我部方よりも申し分候へ共、返事に能わず候、
      ②勝瑞、いよいよ、堅固の由、尤もに候、
      ③阿州表の儀、重ねて、申し越され候、
      ④淡路衆、毎日、追々、渡海の旨、然るべく候、
                            「阿波国徴古雑抄」

    【重史207】                ✓ 天正09 158100912
      ①権兵衛に、阿(淡)州衆召し連れ、入城せしむべきの由、
      ②生甚・明与四は、自遁の城まで渡海せしむべく候、
      ③その方、早々、相越され、
      ④野孫五の城に在城候て、
                             「黒田家文書」50

    【重史208】                ✓ 天正09 158100916
      ①淡路へ渡海の儀、油断無き由、尤もに候、
      ②生甚、阿州へ相越すの旨に候条、
      ③其の方は、しちの城に在城候て、
      ④先々の儀、示し合わされ、行等の事、調儀専一に候、
                             「黒田家文書」51

    【重史209】                ✓ 天正09 158100924
      ①阿州、相残る人質ども、志智に至り、相越さるるの由、
      ②行の様子、委細、小西弥九郎に、書付を以って申し渡し候、
      ③讃州安富、人質召し連れ、親父相越され候、
                             「黒田家文書」52

    【重史210】                ✓ 天正09 158101010
      ①来島一書口上の趣聞き届け、委細申し遣わし候、
      ②木津・土佐泊兵粮の事、申し付け相渡し候、
      ③右両城玉薬の事、先度書き付け候分、これ又申し付け候、
      ④讃州表の事、敵引き退き候由、其分たるべく候、
                             「黒田家文書」53

    【重史211】                公 天正09 158101025
      ①因幡国とつ鳥一郡の男女、悉く、城中へ逃げ入り、楯籠り候。
      ②下々、百姓以下、長陣の覚悟なく候の間、即時に餓死に及ぶ。
      ③吉川式部少輔・森下・日本、三大将の頸を取り進らすべく候間
      ④残党、扶け出だされ候様にと、詫言、申し候、
      ⑤十月廿五日、取鳥籠城の者、扶(たす)け出ださる。
                               『信長公記』

    【重史212】                公 天正09 158101028
      
    ①伯耆国に、吉川、罷り出で、南条表取り巻くの由、注進候。
      ②羽柴筑前守、後巻に罷り立ち、
      ③因幡・伯耆の境目に、山中鹿之介弟 亀井新十郎(茲矩)、
      ④羽衣石・岩倉両城へ、兵粮・玉薬丈夫に入れおき、
      ⑤十一月八日、播州姫路に至りて帰陣。
      ⑥吉川元春も、曲なく、人数引き取り候ひキ。
                               『信長公記』

    【重史213】                ✓ 天正09 158101123
      ①今度、淡州の儀、皆相済ませ申し候、
      ②阿・讃の儀、三好山城守、弥、仰せつけられ候、
      ③即時に、両国残さず一着候ように仰せ付けられるべく候、
      ④慥(たし)かに、申し届くべきの通り、 上意候間、
                               「志岐文書」

    【重史214】                公 天正09 158100813
      ①因幡国とつとり表に至りて、
      ②毛利・吉川・小早川、罷り出づべきの風説これあり。
      ③一左右次第、参陣いたすべき用意、
      ④永岡兵部大輔父子三人、惟任日向守、
      ⑤信長公、御馬を出だされ、悉く、討ち果たし、
      ⑥永岡・惟任両人は、大船に兵粮つませ、
                               『信長公記』

    【重史215】                ✓ 天正09 158100820
      ①鳥取面の事、
      ②彼の城中の下々、日々餓死に及び候旨、実儀なるべく候、
      ③惟任・長岡以下申し付け候、
      ④その方、一左右(いっそう)次第、出張すべく候、
      ⑤信長も、出馬すべく候条、
                               「沢田文書」

    【重史216】                公 天正09 1581012**
      ①歳暮の御祝儀として、羽柴筑前守秀吉、播州より罷り上り、
      ②御小袖、数弐百、進上。
      ③其の外、女房衆かた、それぞれへ参らせられ、
      ④か様の結構、生便敷(おびただしき)様躰、古今承り及ばず、
      ⑤今度、因幡国取鳥、一国平均に申しつけらるゝ事、
      ⑥武勇の名誉、前代未聞の旨、御感状をなされ、
      ⑦信長公、御褒美として、御茶の湯道具、十二種御名物、
                               『信長公記』

    【重史217】                ✓ 天正09 158101106
      ①敵の警固船二百艘計り、罷り上るの処、
      ②室より小西、安宅(船)乗り出し、
      ③宇喜多、煩(わずらい)、再発の由に候、
      ④藤吉郎、永々、在陣仕り候間、
                              「蜂須賀文書」

    【重史218】                ✓ 天正09 158101126
      ①弟鷹一居到来候、遠路懇情喜び入り候、
      ②十一月廿六日 信長(朱印) 村上掃部頭とのへ
                               「村上文書」

    【重史219】                公 天正08 158010307
      ①さる程に、大坂(石山本願寺)退城仕るべきの旨、
      ②忝くも、禁中より御勅使なされ、
      ③御勅使、近衛殿・勧修寺殿・庭田殿、
      ④幷びに、宮内卿法印・佐久間右衛門等へ御請けを申し、
      ⑤来たる七月廿日以前に、大坂退散に相定め、
      ⑥閏三月七日、誓紙の筆本見申され候なり。
                                『信長公記』

    【重史220】                公 天正08 158010409
      ①四月九日、大坂退出の次第、
      ②門跡より新門跡かたへ相渡さるべきの旨、
      ③雑賀・淡路島の者ども、爰を取り離れ候ては、迷惑と存知、
      ④新門跡を取り立て候はんの間、
      ⑤若門跡、此の儀に同事、
      ⑥本門跡、雑賀より迎へ舟を乞ひ、四月九日、大坂を退出。
                               『信長公記』


         現在進行中!!



     ⇒ 次へつづく


     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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