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本能寺の変1582 【重史200】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史200】 『信長公記』

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    1時代の風潮 2二人の個性 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断  
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     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
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    →【人物】
     【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 260129 

    【重史200】

    ①二月廿八日、

    ②五畿内隣国の大名・小名・御家人を召し寄せられ、

    ③天下に於て、御馬揃へをなされ、

    ④聖王へ、御叡覧に備へられ訖んぬ。

    ⑤儀式の御結構、美々しき有様、筆にも、詞にも、述べがたく、

    ⑥下京本能寺を、信長、辰の刻(8時頃)に出でさせられ、

                         『信長公記』1/6


     天正九年1581、二月二十八日。           158100228

     「御馬揃への事」
     当日の様子である (1~6) 。

      御馬揃へ、
      二月廿八日、
      五畿内隣国の大名・小名・御家人を召し寄せられ、
      駿馬を集め、
      天下に於て、御馬揃へをなされ、

     正親町天皇が、御覧になられた。
     
      聖王へ、御叡覧に備へられ訖んぬ。
     
      上京、内裏の東に、北より南へ八町に馬場をやり、
      馬場中に、竪(たて)に、高さ八尺に柱を毛氈(もうせん)を以てつゝませ、
      埒(らち==柵)をゆ(結)はせらる。

     正に、「晴れの舞台」。

      抑(そもそ)も、
      禁中東門御築地(ついじ)の外に、行宮(あんぐう)を立てさせられ候事、
      借染(かりそめ)とは申しながら、

      金銀を鏤(ちりば)め、
      清涼殿より、帝・雲客・卿相・殿上人、
      衣香、当りを撥(はら)ひ、四方に薫じ、
      其の数(おお)さも花やかなる御粧(よそおい)にて、御出であり。
     
      摂家・清花の御衆、歴々、甍(いらか)を並べ、
      皇居の四面を守護し申され、
      左右に、御桟敷(さじき)を打たせられ、

      扨(さて)も、儀式の御結構(=内裏)、美々しき有様、
      筆にも、詞(ことば)にも、述べがたく、

      何れも々々々(=観衆)、晴(はれ)ならずと云ふ事なし。

     信長が、本能寺を出発した。
     
      下京本能寺を、信長、辰の刻(8時頃)に出でさせられ、
      室町通りに御上(のぼ)りなされ、一条を東へ。
                              『信長公記』1/6


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    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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