メインコンテンツへスキップ
見出し画像

本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 3/8 №6-030 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【光秀という男】 結論 3/8     №6-030

    はじめに ←目次 【記事一覧】 
    ←【五大要因】
     
    1時代の風潮 2二人の個性 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断  
    ←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
     【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
     【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
     【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
     【信長という男】 目次
     1/5 目  2/5 目  3/5 目  4/5 目  5/5 目  結論 目  【重史146】
     【光秀という男】 目次
     1/7 目  2/7 目  3/7 目  4/7 目  5/7 目  6/7 目  7/7 目  
     結論 目  1/8 目  2/8 目  3/8 目  4/8 目  5/8 目  6/8 目  7/8 目  8/8 目  
     【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】
     【時は今・・・】 目次
     0521 目 0526 目  0527 目  0528 目 0529 目
    →重要 ◎目次 
    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】
     【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正

    【光秀という男】 結論 3/8             №6-030

    光秀は、典型的な戦国武将。          →【光秀という男】 5/7 
    目的のためには、手段を選ばぬ男。

    大量殺戮を厭わない。

    光秀は、兵法に通じていた。          →【光秀という男】 7/7
    七十二の方法。

    光秀は、信長の懐中深くに入り込んでいた。  →【光秀という男】 3/7 6/7

    光秀は、信長を瞞着した。
               →【光秀という男】 7/7

    斯くして、明智の再興は成った。        →【光秀という男】 7/7
    「大願成就」
    元亀二年1571、比叡山の大学(延暦寺)の全収入。
    天正八年1580、丹波、丹後二ヵ国の国主。

    なるほど、国持大名には成った。
    「持たざる者」→「持てる者」
    「攻め」→「守り」

    なれど・・・・・。


    やがて、二人の志向に微妙なズレ(相違)が生じて来る。

    そして、それが次第に成長して、
    ついには、「本能寺の変」の一因となる。



     ⇒ 次へつづく




     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

    あなたへのおすすめ