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本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 17/x №6-065 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【光秀という男】 結論 17/x    №6-065

    はじめに ←目次 【記事一覧】 
    ←【五大要因】
     
    1時代の風潮 2光秀の実像 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
    ←【重要コメント】 
    ←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
     【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
     【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
     【さらなる夢】
     
    関連史料 1京都馬揃え 2ヴァリニャーノ 3安土の夜祭り
          4スペインの野望 5信長の「さらなる夢」 6光秀の思い
     
    【重史140】 【重史141】 【重史142】
     【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
     【信長という男】 目次
     1/5 目  2/5 目  3/5 目  4/5 目  5/5 目  結論 目  【重史146】
     【光秀という男】 目次
     1/7 目  2/7 目  3/7 目  4/7 目  5/7 目  6/7 目  7/7 目  
     結論 目  1/8 目  2/8 目  3/8 目  4/8 目  5/x 目  6/x 目  7/x 目  8/x 目  9/x 目
     10/x 目  11/x 目  12/x 目  13/x 目  14/x 目  15/x 目  16/x 目  17/x 目  18/x 目
     【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】
     【時は今・・・】 目次
     0521 目 0526 目  0527 目  0528 目 0529 目
    →重要 ◎目次 
    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】
     【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正

    【光秀という男】 結論 17/x             №6-065

    三、信長は、ヴァリニャーノのために「夜祭り」を執り行った。
    「第三の好意は我等に夜の祭を観せたこと」       →【重史254】
    「パードレのために行ったもの」

    ヴァリニャーノ、別れの挨拶。
    「パードレが暇乞のために行った際」

    信長、ヴァリニャーノを「夜祭り」に招待。
    「望みがあればこれを観せよう」

    ヴァリニャーノ、十日延期。
    「十日間滞在の余儀なきに至った」

    惜別の夜。
    これが、安土の「夜祭り」である。

    「武士はその家で恒例の火を焚き提灯を吊すことを止め」
    「城の塔に各種の色の提灯を飾らせ」
    「街路の両側に、手に松明(たいまつ)を持った多数の人を整列させ」
    「昼の如く大いに明るく」

    信長は、ヴァリニャーノから多大な影響を受けた。
    二月~七月=ヴァリニャーノの上洛~安土の夜祭り。
    信長は、濃密な時を過ごした。

    「信長はわがカザの門を通過した」
    「ビジタドール(ヴァリニャーノ)は他のパードレ達と共に門に出で」
    「信長は暫く留って彼等と話し」
    「祝祭を見て楽しんだか、何と思ったかと尋ね」

    信長は、ヴァリニャーノに大きな親愛の情を示した。
    「大なる親愛と歓喜を示して」

    信長は、ヴァリニャーノに出発の許可を与えた。
    「パードレに出発の許可を与へた」

                     【重史254】(「イエズス会日本年報」)

    信長は、ヴァリニャーノに強烈な印象を残した。
    これより帰路へ。

    なお、
    信長の「夜祭り」については、『信長公記』にも同様の記述がある。
    信長は、安土城を挑灯(ちょうちん)で飾り立てた。

    「七月十五日」
    「安土御殿主(天主)、 幷(ならび)に惣見寺に」
    「挑灯、余多(あまた)つらせられ」
    「御馬廻の人々、新道、江の中に舟をうかべ」、
    「手々(てんで)に、続松(たいまつ)とぼ(灯)し申され」
    「山下かゞやき、水に移(映)りて」
    「言語同断、面白き有様、見物群集に候なり」
                          【重史255】(『信長公記』)




     ⇒ 次へつづく




     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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