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人生について本気で考えられた年【2025年振り返り】

    ケント

    ゼロを見てしまった。
    でも、ゼロから見える世界は決して恐ろしいものではなかった。



    Bonne année!
    あけましておめでとうございます。

    ITエンジニアやWebデザイナーとしてフリーランスで活動しているケントです。
    フランスでのワーキングホリデー、ゲストハウスでのフリアコ生活を経て、現在は大阪でのんびりと暮らしています。

    今年の年越しは大阪で過ごしました。
    日本で年を越すのは、かなり久しぶりだった気がします。

    去年はフランス、一昨年は上海、その前はジョージア。
    ここ数年は、年末年始を海外で迎えるのが当たり前になっていました。

    ずっとお世話になっているゲストハウスで、みんなと一緒にご飯を食べ、カウントダウンをして、年が明けたら近くの神社へ初詣。
    年越しという特別な時間を、のんびりと過ごせました。

    年越しそばも、おせちも、お雑煮も、すべて久しぶり。
    日本の静かで温かいお正月も、やっぱりいいものだなと、しみじみ感じた年明けでした。


    2025年を振り返って

    2025年は、感情の起伏がとても大きい一年でした。

    フランス生活を終え、日本に帰国。
    東京から大阪へ移動し、ゲストハウスで暮らしながら就職活動をしたり、と先の見えない時間を過ごしました。

    そんな不安定な時間を過ごしつつも、毎週、その時々の感情をこのnoteに書き続けることができました。

    良いことも、良くないことも、すべて言葉にする。
    そのおかげで自分の立ち位置や気持ちを、少し引いたメタ的な視点で見られるようになりました。

    30代になっても、こうして刺激的な日々を過ごせていること。
    それ自体には、確かな満足感があります。

    改めて、動き続け、書き続けて良かったと思っています。

    ここからは、2025年の出来事を、項目ごとに振り返っていきます。



    パリで生活した

    たぶん、ひとつ夢が叶ったのだと思います。

    昔から漠然と憧れていた、フランス・パリ。
    フランスワーホリも折り返しに差し掛かった頃、拠点を南仏プロヴァンスからパリに移しました。

    凱旋門や日本大使館に近い17区のワグラム地区に6畳ほどの屋根裏部屋で一人暮らしをし、ルーブル美術館に近い1区にある行列のできる日本食レストランでサービススタッフとして働きました。

    あの「パリの街」が、日常の風景に。

    とはいえ、生活の出だしは少し波乱でした。
    毎日どんよりした天気、精神的な不調、いわゆるパリシンドロームのような状態。

    でも、次第にこの生活に慣れてきて、パリを普通の生活の場として感じられるようになると、気分が上がっていきました。

    道路沿いのベンチでクロワッサンを食べる。
    気づけば、そんなパリ市民の生活をしている自分がいました。

    暇さえあれば、街を歩き回りました。
    ルーブル美術館、オルセー美術館、ケ・ブランリー美術館、ピカソ美術館、コンシェルジュリー。
    ピカピカのノートルダム大聖堂も、閉館間際のポンピドゥー・センターも。
    セーヌ川沿いやマレ地区も何度も散歩したし、マルシェも蚤の市も行った。

    パリ・サンジェルマンが優勝した時は、みんなが盛り上がるシャンゼリゼ通りを見に行きました。

    最後まで観光気分は抜けなかったと思います。
    それでも、日々を楽しめたのは良かった。

    そんなパリ生活で、一番印象に残っているのは、街並みや施設以上に「身近な人」です。

    レストランの仲間と夜遅くまで飲み、何回も終電を逃したり、親しかった日本人仲間とコロンビア人のバーベキューに混ざったり。
    ここでしかできないような経験はいくつもありました。

    6か月間のパリ生活は、気分の浮き沈みはありつつも、とにかく駆け抜けた日々でした。
    とにかく毎日が濃かったパリの日々だった。



    訪れた国が50を超えた

    たぶん数字以上の経験値を、確実に手に入れた気がします。

    フランスに来てから、休みのたびに旅をしていました。
    大きな街も小さな町も、行ける限りは行ったと思います。
    そして、南仏プロヴァンスからパリに移ってからは、「海外旅行」も頻繁にしていました。

    スペイン、ポルトガル、イギリス、アイルランド、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、モロッコ。
    数えてみると、これまで訪れた国は51か国になっていました。

    特に何か目標の数があったわけではないものの、少しだけ「旅人」としての自負を感じるようになりました。

    大雨のサン・セバスチャンで誰もいないバル巡り、暴風雨が吹き荒れるロカ岬に到達といった波乱な思い出もあれば、プラハ城から臨む映画の中のような絶景、澄み切ったアルプスの中で見たノイシュヴァンシュタイン城といったこれ以上ない最高の思い出もあります。
    ベルリンで近現代の負の歴史に触れて感じたあの思い、モロッコのシャウエンで夕日の沈む青の街で感じたあの思い。

    世界には、まだまだ想像できない何かがある。
    それを思うだけで、ワクワクします。

    改めて、旅は僕の幸福度を大きく引き上げてくれることを実感しました。

    フランス生活で価値観が大きく変わったように、いろんな国を訪れると物事の見方が大きく変わる。
    ずっと日本にこもっているのは、やっぱりもったいないと強く感じました。

    ちなみに、旅にトラブルはつきもの。
    今回は、夜明け前のバス停でひたすら待ちぼうけになりました。



    憧れのロサンゼルス

    パリから日本へ帰国するにあたり、僕はすぐに帰国せず、大きく寄り道をすることにしました。
    行き先は、ずっと憧れていたロサンゼルスです。
    アメリカ・カリフォルニアで、約1週間半を過ごしました。

    ヨーロッパから渡ってきても、アメリカの物価の高さには正直しびれるものがありました。
    それでも、乾いた空気とどこまでも続く青空、心地よい気候の中で、初めて踏みしめる大地の上を歩きながら、「自由」を全身で味わいました。

    ロサンゼルスでは、飛行機のチケットよりも先に取っていたドジャース戦を観戦!
    今や一流のメジャーリーガーとなった大谷翔平を、肉眼でこの目に焼き付けることができました。

    ドジャー・スタジアムの熱気、観客の歓声、あの空気感。
    その場に身を置けただけで、「夢が一つ叶った」と素直に思えました。

    その後訪れたサンフランシスコでは、また違ったアメリカの姿を目にしました。
    無人運転のタクシーが街中を走り回り、テクノロジーの進化を肌で感じる一方で、路上には多くの貧困層の姿があり、格差社会の現実がはっきりと目に映りました。

    未来と課題が同時に存在する街。
    自分たちの住む社会は、これからどこへ向かうのか。
    最悪の状態から、将来のことを考えるきっかけになりました。

    カリフォルニアは、夢と自由をこれでもかというほど含んだ場所でした。
    同時に、現実の重さも突きつけてくる、決して一面的ではない土地でもあります。
    それでも、この旅を通じて、僕の中の「憧れスイッチ」は確実につきました。

    またいつか、今度は違う立場で、違う視点で、この場所を訪れたい。
    そう思わせてくれる、忘れられないアメリカ旅行でした。



    ゼロになった

    ゆっくりと、その現実を思い知ることになります。

    1年間のワーホリ生活を終えて6月に日本に帰ってきました。
    その時点で、僕には「進路」がありました。

    パリで知り合った日本人経営者と仲良くなり、カフェで少し話したところスカウトをされました
    僕の帰国後に、その人が東京で経営する会社に入社する予定で話を進めていました。

    しかし、実際に話を詰めていく中で、スキルや条件のミスマッチが発覚。
    最終的に、その話はお断りすることにしました。

    ワーホリ終盤は、帰国後のプランを、それ一択にしていたため、白紙になった瞬間、何をすればいいのかわからなくなりました。

    帰国から1週間後、僕は実家でのニート生活をすることになりました。
    親からの呆れた視線。居場所のない実家。
    当然、自分が悪いものの、精神的にかなり堪えました。

    しかし、この経験があったからこそ、大阪に来ることになり、その後の生活に続きます。
    振り返ると、ネガティブな時に見つけた選択肢も、後にポジティブへ転じることもあるのだと感じています。

    ただ、1ヶ月間の修行期間はとても長かった。



    将来のなりたい姿を本気で考えた

    いくつになってもこんなことばかり考えてます。

    ワーホリ生活も終盤に差し掛かった頃、帰国後の進路を本気で悩みました。
    パリの生活は楽しいし、ずっとこのままが良い。
    そんな気持ちもあったけど、ビザの都合でそうもいきません。

    前述の通り、帰国時は会社で働くからとすっかり安心しきっていました。
    しかし、突如その話は白紙となり、再び進路を考え直すことになりますs。

    海外で働きたい。海外と関わり続けたい。
    その思いは強くなり、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、とあらゆる可能性を探しました。
    周囲の人を巻き込み、ネットでたくさん情報を集め、少しのチャンスでも挑戦してみました。

    しかし、現実は厳しく、何も叶いませんでした。
    すでに31歳になったため、ワーホリも使えなくなりました。

    とても悔しかったけど、同時に自分の計画性のなさ、意思の弱さを痛感しました。
    20代の頃は勢いでどうにかなっていましたが、30代はそうはいきません。
    これからはもっと計画的に物事を実行していきたいと感じるようになりました。

    考えた結果、IT業界に戻り日本で働くことにしました。
    新卒から5年近くのキャリアがあったけど、すでに3年近くのブランクがありました。
    それでも、自分がかつて不完全燃焼の状態でこの業界を離れたことや、AI時代も引き続き需要が高く、海外の選択肢を残せることから、今はこの道を正解にするしかない、と思うようになりました。

    フロントエンドを学び、Webデベロッパーを目指す。
    考えた末に見つけたこの目標が、その後の精神安定剤になったのは間違いありません。



    大阪のゲストハウスで住み込み生活をした

    気分転換にはちょうどよかったけど、それ以上のこともありました。

    前述の通り路頭に迷っていた時、救いの手が指し伸びました。
    紹介もあり、大阪のゲストハウス「君彩家」(きみどりや)で、2か月間ヘルパー(住み込みスタッフ)として働くことになりました。

    この宿はすでに2回ほど泊まったことがあり、オーナーも知り合い。
    安心感がある中で、ヘルパーをすることが決まりました。

    進路を決め、安定した仕事を見つける。
    8〜9月の2ヶ月間のヘルパー生活で、自分の地盤をつくることを目標にしました。

    初めて暮らす大阪はとても新鮮でした。
    関西弁の会話は、毎日漫才を聞いている気分でした。

    ちょうど大阪関西万博が開催されており、連日多くのお客さんが泊まりにきました。
    万博を楽しんだ日本人のお客さん、日本旅行を満喫する海外からのお客さん。
    交流も多くあり、とても充実した時間を過ごすことができました。

    1か月ほど経った頃、慣れてきて周りが見えるようになってきたことから、僕ができることをオーナーに提案しました。
    それが、その後のホームページ制作などの仕事につながっていきました。



    フリーランスを継続することになった

    自由の旨みは、やっぱり簡単には捨てられませんでした。

    ゲストハウスでの生活の中で、「IT業界に戻り、Webデベロッパーを目指す」という目標を定めました。
    そして、そこから約1ヶ月間、IT企業を中心に就職活動をしました。
    これまで3回会社を辞めてきたので、今回が3度目の転職活動になります。

    レールを外れたユニークな経歴は、やはり評価が極端でした。
    書類がすんなり通る会社もあれば、まったく相手にされない会社もある。
    その差は、とてもわかりやすく、そして少し傷つく現実でもありました。

    それでも、最大で1日に5本の面接を入れるほど忙しい就職活動となりました。
    結果として、ありがたいことに、3社から内定をいただくことができました。

    ただし、それらの内定は、これまでのITエンジニアとしての経歴に対する評価でしかなく、フランスでのワーキングホリデー生活は「空白期間」として扱われていました。
    正直、少し複雑な気持ちだったものの、結局ワーホリという評価がそんなものでしかないことを悟りました。

    最終的に、僕はそれらの内定をすべて辞退することにしました。
    そして就活最終盤に声をかけてもらっていた、一つのIT企業と業務委託契約を結ぶことを選びました。

    つまり、フリーランスを継続することになりました。

    決め手になったのは、就職活動を終えようかと思っていた、まさにそのタイミングで届いた一通のスカウトでした。
    そこはアフリカをITのソリューションで支援することを主軸に、自社でアプリ開発を行う、社会的意義の高いベンチャー企業。

    海外、しかもアフリカというフィールド。
    開発業務は自社で完結し、腰を据えてプロダクトに向き合える環境。
    それは、これまで自分がやりたかったことと、かなり近いものでした。

    フルリモートのため、東京での仕事も大阪から行える。
    勤務時間の細かい指定もなく、自分で時間を管理しながら働ける点も、自分には合っていました。

    安定を取る選択肢もありましたが、悩んだ末に、不安定でも「自由」かつ「社会的意義のある」働き方を選ぶことにしました。



    大阪のまちづくりイベントにコミットした

    縁もゆかりもなかったこの街が、いつまにかホームになっていました。

    ゲストハウスでのヘルパー生活は、予定通り2ヶ月で終了しましたが、僕はそのまま大阪に残ることにしました。
    そして、ゲストハウスのオーナーが主催する、街を巻き込んだ音楽イベント「がもよんフェス」を手伝うことになります。

    僕が担当したのは、ホームページ制作やInstagramの投稿など、主にデザイン周りの仕事。
    ほんの数ヶ月前まで、仕事がない「ゼロ」だった自分が今、誰かのために、イベントのために手を動かしている。
    その事実が、ただただ嬉しかったです。

    ゼロから這い上がる過程にいると、小さなことでも幸福感を感じやすくなる。
    そんな気づきがありました。

    イベントが近づくにつれ、力仕事も増えていき、主催者のすぐそばで準備の空気を感じるようになりました。

    そして当日。
    イベントの様子をInstagramに投稿するため、僕は街中を駆け回りました。
    回遊型イベントということもあり、あちこちで人の賑わいが生まれていました。

    このイベントの影響力を感じるとともに、その一員にいれたことが誇らしく、「この場に関われてよかった」と心から思えました。



    金欠を極めた

    夢から覚めたくないような、でもそれは確実に目の前の現実でした。

    帰国後、定職につかない生活が続き、貯金はみるみる減っていきました。
    気づいた時にはもう遅く、10月には銀行口座に3万円しか残っていませんでした。

    31年生きてきて、ここまでの極貧生活を送ることになるとは、正直思っていませんでした。
    アルバイトをしようと思えば、いくらでも選択肢はありました。
    それでも結局、仕事を選んでいた自分のエゴが、この状況を招いたのだと思います。

    伸びきった天狗の鼻は、とっととへし折れ!
    重い腰はやっと上がり、まずはタイミーで日雇いバイトを始めてみました。
    実際にやってみると、お金を稼ぐことがどれほど大変か、身に染みてわかります。

    また、その日雇いバイトが生命線になっているような人が世の中にたくさんいることも知りました。

    世の中、簡単には生きられない。
    人のために働き、その対価としてお金をもらうことが、どれだけありがたいか。
    フリーランスとして生きているからこそ、その重みをより強く感じました。

    同じ状況でも、20代前半の頃と今とでは、受け取り方がまったく違います。
    その意味でも、このタイミングで「ありがたみ」を実感できたことは、決して無駄ではなかったと思います。

    それから、日雇いバイトやフリーランスの仕事の報酬が入り、今では国内旅行に行ける程度には、生活を立て直すことができました。
    あの時、話を聞いてくれたり、心配してくれたりした人たちには、改めて強い感謝の気持ちがあります。



    2025年まとめ

    2025年を振り返ると、ポジティブなことと同じくらい、ネガティブなことがありました。
    だからこそ、今こうして安心して新年を迎えられたことに、ホッとしています。

    フランスから日本へ帰ってきて、物事が思い通りに進まないことが多くありました。
    計画を持って、長い目で人生を見ることの大切さを学びました。

    目標に向かって動いている間はモチベーションが高まります。
    けれど、その目標を達成してしまった後のモチベーション管理は、とても難しいものです。

    僕にとって、フランスで1年間生きることは大きな目標でした。
    その目標を達成できたことに大きな喜びがあります。
    しかし、その先の目標を描けていなかったことが、この一年の苦しさにつながったのだと思います。



    仕事がなくなり、お金がなくなり、何もかもが手元から消えた。
    あの時、自分がどれだけ不安定な存在なのかを思い知りました。

    今後の人生、どうなっちゃうんだろう。
    僕はメンタルが強くなく、精神的に揺れ続ける日々がとても苦しいものでした。

    フランスで1年間生き抜いたことは、それだけでは精神安定の材料にはなりませんでした。
    「どう生きていきたいのか」「何の仕事で、どう稼いでいきたいのか」
    真剣に考え、計画を立てることが、どれほど大切かを知りました。

    ただ、ゼロから見える世界は、決して恐ろしいものではありませんでした。
    そこには心配して声をかけてくれる人がいて、本来の自分に気づかせてくれる人がいました。

    これまで自分が他者にどう働きかけてきたかを知り、人の優しさに気づけた。
    それだけでも、この一年は成長できた年だったと言えます。



    2025年の年始に掲げた目標は「幸福を感じること」。
    我慢せず、無理をせず、ハッピーに生きていきたいと考えていました。

    結果としては、半分くらいは達成できたのかな、という感覚です。
    人の優しさに触れ、確かに幸福を感じる瞬間はありました。
    一方で、生活基盤が崩れた状態では、幸せを感じる余裕すら持てないことも痛感しました。

    結局のところ、まずは自分の足場を整えることが何より大切なのだと思います。
    それでも、「幸福を感じる」という目標を意識し続けられたこと自体には、意味があったと感じています。



    この一年間、一度も病気をすることもなく、無事に過ごすことができました。
    最後に風邪をひいたのがいつだったか思い出せないほど。
    インフルやコロナにもかからず、病院にも行きませんでした。

    ここまで健康でいられたのは、間違いなく親のおかげだと思います。
    本当は一番最初に感謝すべき存在だと、改めて感じるようになりました。
    年明けの帰省時には言えなかったけれど。



    2026年目標

    30代になって、若い頃のようなエネルギッシュさは少しずつ失われているのかもしれません。
    それでも、まだ内側には燃えるような野心も熱意も残っています。
    だから、これからの人生でも、まだまだ大きな挑戦をして続けていきたいです。

    肌の張りは失っていくかもしれないけど、好奇心という純粋さだけは、できるだけ若々しく持ち続けていたい。
    そして、そうした価値観を肯定してくれる人たちと、一緒に過ごしていきたいと思っています。

    腰を据えて落ち着くこと自体は、決して悪いことではありません。
    ただ、今の僕はまだそのフェーズではないと感じています。
    しばらくは次に来る飛躍のタイミングに向けた「充電期間」と捉えるつもりです。

    それを踏まえ、2026年はとにかく仕事を頑張る一年にします。
    ITスキルと英語&フランス語、この二つを軸に、地道にレベルアップしていきたいです。

    そして、なりたい姿として「面倒見の良い人になること」を目標にします。
    AI時代がより加速していく中で、仕事の出来だけでなく、人としての関わり方が、より重要になっていくと思います。

    人との関係の中で、自分にしかできないことは何なのか、自分しか出せない価値は何なのか。
    もっと自分を掘り下げ、意識的に発揮していきたいです。
    そして、できることなら誰かの人生に、良い影響を与えられる存在でありたいと思っています。

    自分自身への責任も、他者への責任も引き受けながら、その中で自分なりの心地よさを見つけていく。
    30代になったからこそ求められる「これまでとの違い」に、きちんと応えられる自分になっていきたいと考えています。



    今、信州松本の宿でこのnoteを書いています。

    ふらっと一人旅をすると、自分の欲求に忠実になることができます。
    その気持ちこそが本来の自分であり、その気持ちに従うことが自分にとっての良い人生になると思います。

    先日、僕の彼女がスペインのワーホリに向けて旅立ちました。
    この一年間を自分の成長の期間にしたいという思いが強くあります。

    今というこの時を大事に、2026年も頑張って生きていく。

    みなさんも健康第一な一年にしてください。
    今年もよろしくお願いします。

     
     
     
    やってみて、考えて、言葉にする。日々の暮らしで見つけた小さな気づきを、自分なりの言葉でまとめています。 フリーランスとしてWeb制作・マーケティングに携わる32歳。フィリピン就職、ジョージアノマド生活、フランスワーホリを経て、大阪在住。旅と本と野球とお酒のために生きている。

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