
再出発を誓う3度目の転職活動【31歳ワーホリ後】
いろんな仕事をしてきた、世界を見てきた、悔しい思いをしてきた。
そんな自分の気持ちをひとつにまとめたものだと思っている。
こんにちは!
フランスでの1年間のワーキングホリデーを終えて6月に帰国し、8月からは大阪のゲストハウスでフリアコスタッフをしながら、フリーランスのWebデザイナーとして活動しています。
ゲストハウスで働き始めて、1ヶ月が経ちました。
毎日がとても充実していて、お客さんとの会話はいつも刺激的です。
いろんなバックグラウンドを持つ方と話すことで、新しい視点や考え方に触れることができています。
また、オーナーや他のスタッフとも仲良く過ごせており、日々楽しく働けているのは本当にありがたいことです。
先日、少し遅めのウェルカムパーティを開いてもらいました。
改めて、こうして迎えてくれる場を作っていただけたことに、とても感謝しています。
フランスでのワーホリを終えてから、これからのことをいろいろ考えてきました。
アメリカで働きたい。
ヨーロッパで働きたい。
アフリカで働きたい。
そう思って挑戦を模索してみましたが、現実的にはなかなかうまくいかず、宣言はしたものの、結局は中途半端なまま目標が遠のいています。
自分の意思の弱さにも気づかされました。
これまで、フィリピン就職やフランスでのワーホリなど、海外生活はうまくチャンスを掴んできたように思います。
ですが、振り返るとそれは「運が良かった」だけかもしれません。
フィリピンでの就職は、英語力が十分ではなかったのに、根性でなんとか採用してもらった形でした。
フランスでも、ワーホリビザを持っていれば飲食店で働くこと自体はそこまで難しくありません。
もちろん言語力やスキルがあるに越したことはありませんが、実際には「日本人だから」という理由で採用してもらえる場面もあるのです。
それをあたかも自分の実績のように思い込み、どこかで天狗になっていた部分もありました。
しかし、そんな幸運はいつまでも続くわけではありません。
それに、ただ働けるだけでは満足できないことにも気づきました。
ワーホリやボランティアを通して、立ち仕事や肉体労働よりも、頭を使うデスクワークの方が自分に合っていると感じるようになりました。
だから今では、本業として働くならデスクワークがいいと思っています。
(副業や一時的なお手伝いなら、どんな仕事でもむしろやってみたいと思っていますが。)
しかし、海外でデスクワークの仕事を、ビザのスポンサー付きで得るのはとても難しいものです。
特にヨーロッパやアメリカでは、移民政策からビザの要件が年々厳しくなっているのは事実です。
ワーホリが使えなくなった今、その選択肢は一気に難しいものとなりました。
同時に、フリーランスとしての将来についても考えるようになりました。
これまで、ありがたいことに2年以上Webデザイナーとして仕事を続けられてきましたが、最近はどこか限界を感じるようになっています。
案件をいただけていることには感謝しているし、デザイン制作自体は楽しく取り組めています。
けれども、「ここから突き抜けていける」という気持ちが起きず、この道でのキャリアに違和感を抱えるようになりました。
そのため、次第にスキルアップのための時間も割かなくなっていきました。
結局今では、「Webデザインは本業にできないのだろう」という思いが強まっています。
海外でのデスクワークの難しさ、そしてフリーランスWebデザイナーとしての頭打ち感。
この2つが重なり、キャリアについて大きな行き詰まりを感じているところです。
日本に帰国してから、ずっと今後のキャリアについて考えていました。
大阪に来てからも、「これからどう生きていきたいのか」ということが考えの中心にありました。
そして僕は、このタイミングで一つの目標を決めました。
日本でWebアプリ開発の実績を積み、再び海外に挑戦すること。
まずは日本で就職し、しっかりとした実績をつけることを優先することにしました。
これまで3回会社を辞めているので、今回の転職活動は中途として3回目になります。
履歴書をつくる度に感じてきたのは、自分の「実績の弱さ」でした。
【これまでのキャリアの振り返り】
大学卒業(文系)→大手IT企業でSE(1社目)→フィリピンで語学留学→外資系IT企業のフィリピン支社でSE(2社目)→ジョージアでフリーランス開始→ベンチャー企業でITコンサル(3社目)→フランスワーホリ→帰国して今
大手企業で働いた経験や、海外での就業経験は確かに派手に見える部分があります。
しかし、肝心のスキルや具体的な成果という部分では、どうしても見劣りしてしまう。
これまで僕は、その足りない部分を「他の要素」で補ってきました。
けれども、それはどこか自分の中でジレンマのように残っていました。
また、自分のIT職歴を振り返ると、Webアプリ開発の経験がほとんどないことにも改めて気づきました。
エンジニアとして約5年間働いてきましたが、実際に手を動かしてプログラミングを行い、Webアプリを作り上げるような実務経験はほぼありません。
研修や独学で学んだことはありますが、実務として成果を残せていない。
だから「プログラミングができる」と胸を張って言えないのです。
そこには、ずっと小さな後悔と未練が残っていました。
だからこそ、今回はその思いを取り戻すために、開発業務に携われる職種を最優先にして就職活動を進めていくことにしました。
だから、海外就職は一旦やめます!
(一応、アジア圏など現実的に可能性のある地域は視野には入れている。)
IT業界でキャリアを積んでいくと、地位が上がるにつれてプロジェクト推進などのマネジメント業務が中心になっていきます。
もちろん、そこにもやりがいはあると思います。
しかし、その道ばかりを意識すると、ものづくりの根幹である「開発業務」に関わる機会が減ってしまいます。
日本のIT業界には多重下請けやBPO(国外外注)といった構造があります。
特に、案件を受注する大手のIT企業のエンジニアは、「プログラムを書く」といった実際の開発部分を外注するケースが非常に多くあります。
業界内に「プログラムを書く仕事=比較的安い給料で働く人がやる仕事」という認識があるのは事実です。
そのため、日本にはプログラミングができないITエンジニアがたくさん存在します。
僕自身は、それとは少しだけ事情は異なりますが、それでもプログラムを書く機会はほとんどありませんでした。
ここで「日本の」と強調したのは、「欧米の」IT業界では事情が異なるからです。
アメリカやヨーロッパでは開発業務を外注する文化がそれほどなく、エンジニアはプログラムを書けて当然とされています。
ビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグ、ジェフ・ベゾス…
世界を代表するIT起業家たちの多くは、自ら手を動かし、プログラミングをしてサービスを開発してきました。
これから広い視野で切り開いていくならば、プログラミングができるのは必須。
僕はそう思っています。
実際、フランスで出会った現地のITエンジニアも、例外なく「自分でコードを書ける」と話していました。
もし日本人が欧米諸国で働きたいのであれば、国にとらわれず需要があり、かつビザを取得しやすい職種の実績を積むのが、王道かつ不動のルートとなります。
僕はこれだけキャリアに迷ってはきたものの、今までもこれからもクリエイティブな仕事を続けたい気持ちが強くあります。
そうなると、やはり最低限「ひとりでプログラムを書ける力」を身につけなければならないと感じました。
今からでも遅くはない。
IT業界で開発の実績を積み、それを武器にして海外に挑戦する。
31歳にして、ようやく自分が本気で取り組みたい目標を立てることができました。
これまで何度も宣言しては挫折を繰り返してきましたが、今回は違います。
いろんな仕事を経験し、世界を見て、悔しい思いもたくさんしてきました。
そのすべてが、このひとつの目標に結びついたのだと思います。
年ごとの細かい計画はまだ立てていませんが、これからはこの軸に沿って生きていきたいです。
前職より給料は大きく下がるだろうけど、今はその部分は全く気にしていません。
これだけさまざまな経験をしてきても、僕のこの不安を感じやすい性格は変わりません。
将来への不安、お金に対する不安、キャリアに関する不安。
考え始めると、どうしてもネガティブな気持ちに引きずられてしまいます。
だからこそ、一旦「やりたいこと」という気持ちを少し脇に置いてでも、それらの不安をすべてカバーできるような基盤を築いていきたいと思いました。
社会の中で自分を確立することで、最低限の自分の気持ちに寄り添えるようになるのではないか。
そう考えています。
「お前は何のプロフェッショナルだ?」
パリでかけられたこの一言は、今でも強く心に残っています。
曖昧であることは決して悪いことではありません。
けれど、自分が生きていきたい世界や関わっていたい人たちを思い浮かべると、やはりこの問いにシンプルに、そして前向きに答えられるようにならなければならないと感じます。
それは、覚悟を持って生きてきた人たちだけが得られる特権でもあるのでしょう。
決して、人に自慢するためのスキルではありません。
自分の理想を追いかけ、より良く生きたいと願うからこそ身につけていくものです。
そして、その先に広がる景色を、自分の目で見てみたいと思います。
そうなったとき、初めて自分にしっかりと自信を持てるようになるのかもしれません。
そんな未来を想像してワクワクする。
それ自体が、今の僕にとって大切な希望なのだと思います。