
【実話】祖父は戦後、日本に帰らなかった|第6話「見つけた、その先で」
第6話:見つけた、その先で
釈放されたその夜、祖父は「仕事を探しに行く」と言った。
祖母は信じた。
それが嘘だと気づいたのは、三年後のことだった。
釈放から数日後、祖父は泰州へ向かうと言い出した。
修理工場で働けるかもしれない。 軍にいたころ、機械の扱いを少し覚えた。 もう話はついている——。
祖母は疑わなかった。 大きなお腹を抱えて乳飲み子の世話をしながら、 夫の帰りを待てばいいと思った。 せいぜい数週間の話だと思っていた。
しかし、祖父は帰ってこなかった。
一週間が過ぎた。一ヶ月が過ぎた。 大舅——長男が生まれた。 それでも、祖父は現れなかった。
* * *
祖母は毎日、後ろの道に出た。
姜堰の実家に身を寄せて、子どもをおぶって、 毎日夕暮れになると後ろの道に立った。 夫が帰ってくるとしたら、あの道を通るはずだから。
祖母の母親は、毎晩泣いていた。 日本人の夫が帰ってこない——そのことを、誰にも言えずに。 言えば、娘が危ない目に遭うかもしれない。 ただ黙って、泣いた。 その涙で、目が見えなくなった。
「お母さんの目が悪くなったのは、あの頃のせいよ」
祖母はそう言って、しばらく黙った。
算命師はこう言った。
「あの人は生きている。ただ難に遭い、帰れないでいる。
帰りたくても、帰れないのだ」
それを聞いて、祖母は少し救われた気がした。 根拠などない。でも、信じることにした。 信じなければ、立っていられなかった。
* * *
三年が経ったある日、祖父が突然現れた。
扉が開いて、立っていたのは——白髪のような男だった。 ズボンは引き裂かれ、全身に油が塗りたくられていた。 最初、祖母は誰かわからなかった。
「……あなた?」
祖父だった。
釈放後、祖父は25軍に合流していた。 それが山東まで移動し、祖父は抜け出せなくなっていた。 逃げようにも、川があった。船がなければ渡れない。
ある日、祖父は一計を案じた。 全身に油を塗って、運転手に扮した。 軍の車の助手席に乗り込み、検問では口を閉じて、 誰も彼が日本人だとは気づかなかった。 そうして山東から鎮江まで、逃げ延びた。
しかし川が渡れない。
途方に暮れていたとき、桟橋に一人の老婆がいた。 小さな子どもを抱き、荷物を引きずって、船に乗れずにいた。
祖父は何も言わずに歩み寄った。 子どもを抱いて、荷物を持って、老婆の手を引いた。 そのまま、一緒に船に乗った。
他人の子を抱いた男を、誰も怪しまなかった。
祖父は老婆の家族のふりをして、川を渡った。
それでもまだ、夜は新四軍が動き、昼は国民党が目を光らせていた。 祖母は祖父を部屋に隠して、翌日の夜、また送り出した。
「ここにいたら危ない。泰州に行って」と。
* * *
祖父が去ってから、祖母は決意した。
もう待てない。行く。
祖母の母親に頼み込んだ。泣いて、また頼んだ。 母親はしぶしぶ小さな籠を用意して、食べ物を少し入れてくれた。 祖母は長男を抱いて、泰州へ向かった。
泰州には、かつての修理工場の弟子がいた。 その男が言った。
「張師傅の奥さんですか。ちょうどよかった。 さっきまであの人がここで飯を食ってましたよ。 黄桥にいますから、待っていれば来ます」
祖母は息をのんだ。 同じ日本人で「王建国」と名乗る男が、五元を渡してくれた。 「先に帰っていなさい。私が伝えておく」と。
数日後、祖父が帰ってきた。
大きな軍帽をかぶったまま、玄関に立っていた。 祖母は飛びついて、すぐに帽子を奪った。
「早く脱いで。捕まるよ」
祖父は苦笑いした。
その顔が、やっぱりあの人だった。
* * *
それから二人は、ようやく同じ屋根の下で暮らし始めた。 黄橋で、蕪湖で、南京で、杭州へ向かう道で—— まだまだ試練は続いた。
地雷の埋まった道を、二人で子どもを一人ずつ背負って歩いた。
「どうせ死ぬなら、家族一緒に。」
祖父がそう言ったとき、祖母は泣かなかった。 うん、と頷いた。 それだけだった。
私がその話を聞いたとき、胸の奥が熱くなった。 この二人は、命がけで一緒にいることを選んだのだ。 国籍も、言葉も、時代も—— 何もかもが二人を引き離そうとしていたのに。それでも、一緒にいた。
その「うん」の一言が、私という人間を作った。
【全話目次】
序章 ある夜、私は祖母に聞いた(本記事)
第1話 旗袍の女
第2話 戦争の中で、二人は出会った
第3話 名前を聞かれた日
第4話 あてもなく
第5話 どこにもいなかった
第6話 見つけた、その先で
第7話 最後の一足
第8話 苦い日々にも、火は消えなかった
第9話 死んだ女の部屋で
第10話 張栄才という名前
第11話 娘が、父を牢へ送った
第12話 拾われた命