
【実話】祖父は戦後、日本に帰らなかった|第2話「戦争の中で、二人は出会った」
第2話:戦争の中で、二人は出会った
「あの人はね、笑うと子どもみたいな顔をするの」
祖母はそう言って、少し照れたように目を細めた。
「でも最初は、怖かったわよ。日本の兵隊さんだもの」
工場の茶の時間が、二人を近づけた。
宁波の老人が毎日午後に茶を淹れ、みんなで輪になって座る。幸四郎も、いつのまにかその輪の端に加わるようになっていた。誰かが「あんたも来なさい」と手招きした。幸四郎は少し戸惑った顔で、それでも黙って腰を下ろした。
言葉が、通じない。それが最初の壁だった。
中国語がほとんどわからない幸四郎と、日本語をひとことも知らない秀英。二人の間に会話はなく、ただ時おり視線が合っては、どちらともなく目を逸らした。
ある日、隣に座った同僚が秀英の耳に囁いた。
「あの兵隊さん、さっきからずっとあなたを見てるわよ」
秀英が振り返ると、幸四郎はさっと目を逸らした。まるで子どものような、あからさまな仕草だった。二十二歳の軍人が、と秀英は思った。可笑しかった。
* * *
しばらくして、事務所の誰かが通訳を買って出た。
たどたどしい言葉が、ぽつぽつと二人の間を行き来するようになった。名前は何というか。故郷はどこか。好きな食べ物は——たわいもない話だった。それでも二人は、少しずつ近づいていった。
「あなた、日本人と一緒になるなんて怖くなかったの?」
私が聞くと、祖母はしばらく考えてから、こう言った。
「怖いとか怖くないとか、そういうことを考える余裕もなかったわよ。あの頃はとにかく、毎日生きるのに必死だったんだもの。彼が日本人だとか、戦争がどうとか——そういうこと、考えてる場合じゃなかったの」
それから少し間を置いて、付け加えた。
「今考えると、本当に無鉄砲だったわね。命知らずにもほどがある」
笑いながらそう言ったけれど、目の端に光るものがあった。
* * *
そしてある夏の朝、工場にざわめきが広がった。
日本が、降伏した。
経営者たちは血相を変えて逃げ出した。幸四郎の部隊にも、引き揚げの命令が下るはずだった。工場は混乱し、誰もが自分のことで頭がいっぱいだった。
そのとき秀英は、井戸の前で洗濯をしていた。日本が負けたことも、世界が変わりつつあることも、まだよくわかっていなかった。
突然、誰かが怒鳴った。
「こら、まだそこで洗濯してるのか! 早く逃げろ! 捕まるぞ!」
秀英は洗濯物を抱えたまま、船着き場へ走った。工場の荷物を扬州へ運ぶ船が出るという。考える間もなく、乗り込んだ。
船の甲板に、幸四郎がいた。
二人は並んで、扬州へ向かった。戦争が終わった川を、黙って渡った。どちらも、何も言わなかった。言葉がなくても、幸四郎の肩が、秀英の肩のすぐ隣にあった。
「あの時、彼が隣にいてよかった」と祖母は言う。
「本当に、それだけよ」
* * *
後になって私は思う。
「それだけよ」と言いながら、祖母の声はいつも少しだけ柔らかくなる。七十年分の記憶が、その四文字に詰まっているのだと、今ならわかる。
【全話目次】
序章 ある夜、私は祖母に聞いた(本記事)
第1話 旗袍の女
第2話 戦争の中で、二人は出会った
第3話 名前を聞かれた日
第4話 あてもなく
第5話 どこにもいなかった
第6話 見つけた、その先で
第7話 最後の一足
第8話 苦い日々にも、火は消えなかった
第9話 死んだ女の部屋で
第10話 張栄才という名前
第11話 娘が、父を牢へ送った
第12話 拾われた命