
【実話】祖父は戦後、日本に帰らなかった|第8話「苦い日々にも、火は消えなかった」
第8話:苦い日々にも、火は消えなかった
祖父が高邮へ発った翌朝から、
祖母は城壁のそばへ草を刈りに出かけた。
それしか、燃料がなかった。
祖父が高邮へ発ってから、祖母は揚州で二人の子どもと残された。
米はあった。しかし燃料がなかった。 薪を買う金がない。 祖母は毎日、城壁のそばへ出かけた。 そこには草や蒿子が生えていた。 それを刈って、束ねて、部屋に持ち帰って干した。
だが、刈ったそばから乾くわけがない。 湿った草で米を炊くと、火はつかず、煙ばかりが出た。 その煙が、毎日毎日、目に入り続けた。
「そのころから、目が悪くなったのよ」と祖母は言う。
「涙が止まらなくなる病気がね、あの頃についたの。 一生、ついてまわったわ」
* * *
米はあるが、おかずがない。 一家三人、白いご飯だけを食べる日が続いた。
そんなある日、隣の家の女性が通りかかった。 三和醤品の職人の妻だった。 一瞥して、立ち止まった。 夫に帰宅してから言った。
「ねえ、あの夫婦に醤の絞りかすを持っていってあげてよ。
子ども二人いるのに、おかずが一切ないのよ、あの家」
翌日から、醤の絞りかすが届くようになった。 それをご飯に混ぜて食べた。 おかずと呼べるものではなかったが、 祖母にはそれが、どんなごちそうよりもありがたかった。
* * *
その隣人とは、毎日顔を合わせるようになった。 女性は暇さえあれば祖母の部屋へ遊びに来た。 祖母は断る理由もなく、来るがままにさせていた。 うちには何もない、来たければ来ればいい、と思っていた。
ある日、台所の火が消えた。 祖母が柴を取りに部屋へ戻ると、 その女性と夫が、白い粉を吸っていた。
鴉片だった。
二人は祖母の顔を見て、あわてた。 そして祖母を脅した。
「見たな。あんた、もうすぐ捕まるぞ。
旦那が日本人なんだろ。どうなるかわかってるのか」
祖母は震えた。 その夜から、眠れなくなった。 夜中に物音がするたびに体が硬直した。 何日も、そうして過ごした。
見かねたのは、大家の老婆だった。 事情を話すと、老婆はきっぱりと言った。
「そんな連中の言うことを聞くんじゃないよ。
もし誰かが来たら、すぐ私を呼びなさい」
その一言で、祖母は少し息ができるようになった。
ある日、祖父が突然戻ってきた。 祖母は訳を話す前に、まず言った。
「行きましょう。今すぐ。高邮へ」
「なぜだ」
「行ってから話します。とにかく行って」
祖父は理由を聞かずに、荷物をまとめた。 それが、この男だった。
高邮へ向かう道で、祖母はすべてを話した。祖父は黙って聞いていた。怒りもしなかった。ただ、前を向いて歩き続けた。
そして高邮で、二人は新しい部屋を借りた。その部屋には——誰も教えてくれなかった、ある噂があった。
【全話目次】
序章 ある夜、私は祖母に聞いた(本記事)
第1話 旗袍の女
第2話 戦争の中で、二人は出会った
第3話 名前を聞かれた日
第4話 あてもなく
第5話 どこにもいなかった
第6話 見つけた、その先で
第7話 最後の一足
第8話 苦い日々にも、火は消えなかった
第9話 死んだ女の部屋で
第10話 張栄才という名前
第11話 娘が、父を牢へ送った
第12話 拾われた命