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本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 21/x №6-082 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【光秀という男】 結論 21/x    №6-082

    はじめに ←目次 重要 ◎目次 【記事一覧】 
    ←【五大要因】
     
    1時代の風潮 2光秀の実像 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
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    ←【要注意!!】 01 02 03 04 05 06
     【信長という男】
     
    目次 1/5 目  2/5 目  3/5 目  4/5 目  5/5 目
     結論 目
     【重史052】 【重史146】 【重史169】
     【光秀という男】
     
    目次 1/7 目  2/7 目  3/7 目  4/7 目  5/7 目  6/7 目  7/7 目
     結論 目 1~4/x 目 5~8/x 目 9~14/x 目 15~17/x 目 18~19/x 目
          20~21/x 目 22~25/x 目
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     【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】 【重史006】
     【重史007】 【重史008】 【重史098】 【重史172】 【重史173】
     【重史181】 【重史190】 【重史174】
     【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
     【さらなる夢】
     
    概略 20/x
     関連史料 1京都馬揃え 2ヴァリニャーノ来訪 3安土夜祭り
          4スペインの野望 5信長の「さらなる夢」 6光秀の思い
     
    【重史140】 【重史141】 【重史142】
     【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
     【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
     【時は今・・・】 目次
     0521 目 0526 目  0527 目  0528 目 0529 目
    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】
     【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正

    【光秀という男】 結論 21/x             №6-082

    信長の「さらなる夢」は、次第に、熟成されて行く。       →14/x
    時間の経過・状況の変化とともに、少しづつ、少しづつ・・・・・。

    信長は、きわめて目的意識の強い男。     →【信長という男】 目次
    己の「夢」は、必ず、実現する。
    「天下布武」は、手に届く距離にあった。

    となれば、
    それを成し遂げた後・・・・・。

    信長は、この年、四十八歳。              →【重史052】
    天正九年1581。

    まだ、若い。
    正に、男盛り。
    気力・体力が漲っていた。

    信長は、きわめて健康だった。       →【信長という男】 目次
    「中背・瘦せ型・快調な声」                   2/5①
    「酒を飲まない」                        3/5⑧
    「清潔な人」                          4/5⑬

    「人間五十年」                    →【重史169】
    信長は、幸若舞を好んだ。
    特に、「敦盛」の、この一節。

      敦盛を一番より外は、御舞ひ候はず候。
     
      人間五十年、
      下天の内をくら(比)ぶれば、
      夢幻の如く也、
      一度生を得て、
      滅せぬ者の有るべきか、
                               (『信長公記』)

    信長は、この「五十年」を強く意識していた。
    心の奥底に、深く刻み込まれていた。
              →【四国問題】 十 5月12日 2/7 【重史169】

    「滅せぬ者の有るべきか」
    「死」は、誰にでも、必ず、訪れる。
    信長とて、それは同じ。

    信長は、時間を制約されていた。
    =急がねばならなかった。

    その様な年代だった、ということ。

    「天下布武」に、あと五年・・・・・。
    これまでの進行速度を見れば、その位になるのではないだろうか。
    とすれば、五十三歳。

    そして、
    準備に、二年・・・・・。
    これで、五十五歳。

    「シナ」は、その先にあった。
    「間に合う」
    否、「間に合わす」・・・・・。

    おそらく、この頃は、その位のスパンで考えていたものと思う。

    すなわち、ギリギリのタイミングであった。

    【要注意!!】 02

    光秀は、出来る男。              →【光秀という男】 4/7
    キレ者である。
    洞察力に優れていた。
    信長の心の内を知りつくしていた。

    したがって、
    光秀は、当然、信長の「さらなる夢」を知っていた。       →14/x

    また、
    光秀の妹 妻木氏が、信長のすぐ側に仕えていた。   →【重史006】 14/x
    光秀にとっては、貴重な情報源。

    となれば、尚更である。
    知らぬわけがない。

    信長が、「天下布武」を標榜して、早、十五年。     →【重史098】
    ようやく、ここまで、辿り着いた。
    「なれど、道は、遠い」
    これまでに、要した時間・労力等を考えれば、当然、そうなるであろう。
    「一寸先は、闇」
    何が起きるかわからぬ時代。
    光秀が、そう考えるのも不思議はなかろう。

    それ故、
    この時(天正九年1581)は、
    光秀は、信長の「さらなる夢」について、まだ、それ程、深くは、考えていなかった。                          →14/x

    これすなわち、「油断」。
    結果としては、そういうことになる。

    ここからである。
    光秀に、逆風が吹き始めるのは・・・・・。



     ⇒ 次へつづく




     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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