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本能寺の変1582 【光秀という男】 №6-020 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【光秀という男】 №6-020

    はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】 
    ←【五大要因】  中  小
    ←1 時代の風潮 1 2 3
    ←2 光秀の実像 1 2 3 4 5 6
    ←3 光秀の苦悩 1 2 3 4 5
    ←4 武田の滅亡 1 2 3
    ←5 信長の油断 1 勝利の余韻
             「事態急変」
             2 四国出陣
             3 足蹴事件
             4 中国出陣
             「時は今」
    ←さる程に、不慮の題目出来候て、
    ←【注目ポイント】 目次
    ←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
    ←【人物】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
    *加筆修正 260408

    【光秀という男】 №6-020

    目次

    1/7 目  ①~㉖ 光秀の実像=真の姿。「要因」の一つ。   【注ポ01】
    2/7 目  ①~③ 光秀には、細川藤孝に仕えた時期があった。
    3/7 目  ④~⑥ 光秀は、出来る男。信長の気心をよく知っていた。
    4/7 目  ⑦~⑨ 新参者。出来る男。信長の性格・気性を知悉していた。
            忠義心が希薄。自立心が強かった。     【注ポ02】
    5/7 目  ⑩~⑱ 典型的な戦国武将。手段 殺戮 自立心 猜疑心 執念 兵法。
            光秀の本性。典型的な戦国武将。「変」の根底。
                                 【注ポ03】
    6/7 目  ⑲~㉒ 光秀は、出来る男。信長の性癖をよく知っていた。
            信長は、誇り高い男。逆らってはならぬ。要因。
                                 【注ポ04】
    7/7 目  ㉓~㉖ 典型的な戦国武将。出来る男。明智の再興。なれど・・・
                                 【注ポ05】

    結論 目

    1~4/x 目     変の一因
    5~8/x 目     京都馬揃え
    9~14/x 目   ヴァリニャーノ来訪
    15~17/x 目 安土夜祭り
    18~19/x 目 スペインの野望
    20~21/x 目 信長の「さらなる夢」
    22~25/x 目 逆風     

    1/x 目 【注ポ06】
    2/x 目 3/x 目 4/x 目 5/x 目 6/x 目 7/x 目 8/x 目
    9/x 目 10/x 目 11/x 目 12/x 目 13/x 目 14/x 目 15/x 目
    16/x 目 17/x 目 18/x 目 19/x 目 20/x 目 21/x 目 22/x 目
    23/x 目 24/x 目 25/x 目目 24/x 目 25/x 目

    史料
    【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】 【重史006】
    【重史007】 【重史008】 【重史098】 【重史172】 【重史173】
    【重史181】 【重史190】 【重史174】

    概略 20/x
    関連史料 1京都馬揃え 2ヴァリニャーノ来訪 3安土夜祭り
         4スペインの野望 5信長の「さらなる夢」 6光秀の思い
         
    【重史140】 【重史141】 【重史142】

    1/7 目

    【注ポ01】
    これが、光秀の真の姿=実像である。
         →【重史241】『日本史』
    「本能寺の変」の根本要因の一つとなった。
           →【五大要因】

    フロイスが証人。               →【人物】 【重史014】
    光秀を、よく見ていた(①~㉕) 。

    ①信長の宮廷に
     惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。

    ②彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、

    ③信長の治世の初期には、
     公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた

    ④その才略、深慮、狡猾さにより、

    ⑤信長の寵愛を受けることとなり、

    ⑥主君とその恩恵を利することをわきまえていた。

    ⑦殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、

    ⑧ほとんどすべての者から快く思われていなかった

    ⑨寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。

    ⑩裏切りや密会を好み、

    ⑪刑を科するに残酷で、

    ⑫独裁的でもあったが、

    ⑬己を偽装するのに抜け目がなく、

    ⑭謀略を得意とし、

    ⑮忍耐力に富み、

    ⑯計略と策謀の達人であった。

    ⑰築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、

    ⑱選(え)り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。

    ⑲絶えず信長に贈与することを怠らず、

    ⑳彼(信長)を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、

    ㉑彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、

    ㉒必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった。

    ㉓人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習した

    ㉔信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、

    ㉕信長は彼を丹波、丹後二ヵ国の国主に取り立て、

    ㉖比叡山の大学(延暦寺)の全収入・・・とともに彼に与えるに至った。

                           【重史241】『日本史』

    信長は、イエズス会の庇護者。
    光秀は、その信長を殺害した男。
    彼らは、光秀に対して、悪感情をいだいていた。

    2/7 目 

    ①光秀は、信長の家臣。
     最重臣の一人。
     三本の指に入る。 

      信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。

    ②光秀は、土岐氏の流れを汲む明智の一族。
     庶流筋。
     元土岐氏の家臣。
     主家の没落により、牢人となった。

      彼はもとより高貴の出ではなく、

    ③光秀には、細川藤孝に仕えた時期があった。
     「信長の治世の初期」とあるから、義昭を擁立して上洛した頃。
     すなわち、永禄十一年1568前後のこと。

      信長の治世の初期には、
      公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していたのであるが、
                           【重史241】『日本史』

     光秀と細川藤孝が出会った時期について。
     永禄十年1567、秋。
     信長が美濃を平定した。   →【重史096】 【重史097】 そ第28話
     そして、「天下布武」。                →そ第29話①

     同年、冬。
     足利義昭は、越前一乗谷にいる。     →【重史100】 そ第29話②
     藤孝は、御供衆。                  →【重史051】 
     側近、重役の一人である。

     同じ頃。
     光秀もまた、越前にいた。
     「長崎称念寺門前に、十ヶ年居住故」         →【重史025】
     雌伏時代である。                  →そ第151話①

     信長が、義昭を擁して上洛するのが、翌永禄十一年1568の秋。
     冬は、雪のため、国境が閉ざされる(十~二月頃か)。
     また、準備・摺合せ等の時間も必要だったであろう。
     
     これらを考慮すれば、
     光秀は、遅くとも、永禄十年1567 十一月頃までには、細川藤孝に出会
     っていた、ということになる。

     となれば、冬になる前・・・・・。 
     準備期間等を含めれば、この辺りが、ギリギリのタイミングになるのでは
     ないだろうか。

     おそらく、それより、もう少し、早い時期。
     義昭が、まだ、敦賀にいた時。
     かつ、信長が、稲葉山を攻略した頃。 →そ第28話
     その、直後のあたりか、・・・・・。

     きわめて、流動的な時代だった。
     まだ、「上洛」の前。
     流動的な色合いの濃かった時期である。

     光秀は、元幕府奉公衆明智氏の庶流。
     その縁によるものだろう。
     おそらく、藤孝の推挙があった・・・・・。
     やがて、幕臣(足軽)になる。

     このことを考えれば、藤孝の家臣だったというよりも、義昭に仕官するた
     め藤孝を頼った人物だったのではないだろうか。
     それまでの間、もっと、フリーな立場(食客・協力者など)で、藤孝を補佐
     していたように思う。 

     また、次の史料にも、これに類する記述がある。

      →【重史102】「多聞院日記」天正十年六月十七日条
       「細川ノ兵部太夫が中間にてありしを」

     光秀と細川藤孝は、密接な関係にあった。
     
    「天下布武」
     これすなわち、準備完了の意。
     信長の意思表示である。
     「上洛」
     正に、ベストタイミング。
     ならば、「交渉再開」。 

     ところが、あいにく、季節は、冬。
     となれば、来たる春。 

     おそらく、光秀は、細川藤孝と、表裏一体となって、信長との交渉に当た
     った・・・・・。

     その様な、流れだったのでは、ないだろうか。
     そう、推測するが、如何だろうか。

    3/7 目 

    ④光秀は、出来る男。
     キレ者である。
    →⑨⑲~㉒㉔
     優れた能力の持主だった。
     フロイスは、そのことを次の様に表現している。

      その才略、深慮、狡猾さにより、

    ⑤光秀は、信長の気心をよく知っていた。
     信長は、大いに気に入った。

      信長の寵愛を受けることとなり、

    ⑥光秀は、信長の懐中深くに入り込んでいた。
     信長は、光秀を抜擢した。
     以後、重用され、立身出世の道をひた走る。

      主君とその恩恵を利することをわきまえていた。
                           【重史241】『日本史』

    4/7 目

    以下は、信長の家臣になってからのこと。

    【注ポ02】
    ⑦光秀は、新参者。

     信長とともにあった十五年。

      殿内にあって彼は余所者(よそもの)であり、外来の身であったので、

    ⑧織田家中では、特異な存在だった。
     一線を画す部分があったのだろう。

      ほとんどすべての者から快く思われていなかったが、

    ⑨光秀は、出来る男。
     キレ者である。
    →④⑲~㉒㉔
     洞察力に優れていた。

     信長の心の内を読み取ることが出来た。
     「打てば響く」
     信長の性格・気性を知りつくしていた。

      自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを
      身に備えていた。
                           【重史241】『日本史』

    光秀は、忠義心が希薄な人物だった。
    光秀は、土岐氏の元家臣。
    「美濃国住人、土岐の随分衆なり」
                   →【重史002】「立入左京亮入道隆佐記」
    主家の没落により、牢人となった。
         →そ第30話① 【重史025】「遊行上人三十一祖京畿御修行記」

    その後、長い雌伏の時代を経て、藤孝の家臣となる。
                →そ第151話① 雌伏時代
                →【重史241】『日本史』 2/7③ 藤孝の家臣
                →そ第30話① 【重史102】「多聞院日記」中間

    程なくして、幕府の再興により、幕臣(足軽)に取り立てられる。

    だが、やがて、主君 将軍義昭を見捨て(主替え・裏切り)、信長のもとへ。

      土岐氏→牢人→藤孝→義昭→信長

    以上、度々、主君を替えている。

    そして、最終的には、・・・・・。
    その信長をも、裏切った。
    それが、天正十年1582六月二日、「本能寺の変」。

    光秀は、自立心が強かった。→⑫
    裏を返せば、そういうことになる。

    このこともまた、「本能寺の変」の一因となった。
    すなわち、光秀の人物像(性格)に関わる部分。

    5/7 目  

    光秀は、典型的な戦国武将。→㉓

    信長と「同じ穴の狢」。
    周波数が合った。
    以下、⑩~⑱。

    ⑩光秀は、目的のために、手段を選ばない。
     「裏切り」とある。
     なかなか意味深い言葉である。
     主、「義昭」。
     主、「信長」。
     目的のためには、手段を選ばず。
     躊躇なく、実行する人物だった。

      彼は裏切りや密会を好み、

    ⑪光秀は、大量殺戮を厭わない。
     叡山焼討・越前一揆殲滅戦等での活躍を見れば、そのことがよくわかる。
     「文」茶・連歌のみならず、この様な「武」残虐な一面も併せ持ってい
     た。
     然り、である。

      刑を科するに残酷で、

    ⑫光秀は、自立心が旺盛だった。
     そういうことになる。

      独裁的でもあったが、

    ⑬光秀は、用心深く、疑い深い。
     「油断」せぬ=「隙」を見せぬ男。

     信長の期待を裏切らない。

      己を偽装するのに抜け目がなく、

    ⑭光秀は、兵法に通じていた。→⑯㉓
     信長と話が合った。
     特に、越前金ヶ崎侵攻~朝倉滅亡の間。

      戦争においては謀略を得意とし、

    ⑮光秀は、粘り強く、執念深い。
     これもまた、信長と共通する部分。
     光秀は、決して、諦めない。
     その極めつけが「本能寺の変」である。 

      忍耐力に富み、

    ⑯光秀は、兵法に通じていた。→⑭㉓
     「達人」のレベルにあった。
     信長は、最後まで、気づかなかった。

      計略と策謀の達人であった。

    ⑰光秀は、築城術に精通していた。
     フロイスは、光秀の坂本城を、信長の安土城に次いで、豪壮華麗なもの
     と言っている。

      また、築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、

    ⑱光秀は、用兵に優れていた。
     見事なリーダーシップである。
     信長は、これを高く評価していた。

      選り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。
                           【重史241】『日本史』

    【注ポ03】
    これが、光秀の本性。

    史実である。

    光秀は、典型的な戦国武将。→㉓
    手段を選ばず。→⑩
    大量殺戮を厭わず。→⑪
    忠義心が希薄。→4/7 02
    自立心旺盛。→⑫ 4/7 02
    用心深く、疑い深い。→⑬
    兵法に通じていた。→⑭⑯ ㉓
    粘り強く、執念深い。→⑮
    築城術に精通していた。→⑰
    光秀は、用兵に優れていた。→⑱

    このことが、「本能寺の変」の根底にあった。
    きわめて重要な部分。
    要注意ヶ所!!


    これまでに、小説・映画・ドラマ等により脚色されたイメージ像を払拭すべきである。

    6/7 目  

    光秀は、出来る男。
    キレ者である。
    →④⑨ ㉔
    以下、⑲~㉒。

    ⑲光秀は、努力家である。

     全ては、子らのため、明智のため。。
     「惜しまず」
     なかなかの努力家である。

      彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、

    ⑳光秀は、信長の懐中深くに入り込んでいた。
     行為・行動に「隙」がない。
     信長の心を引きつけた。

      その親愛の情を得るためには、
      彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、

    ㉑光秀は、信長の性癖をよく知っていた。→⑨

      彼の嗜好や希望に関しては、
      いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、

    ㉒光秀は、信長の心を確りと捉えていた。

      彼の働きぶりに同情する信長の前や、
      一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、
      自らはそうではないと装う必要がある場合などは
      涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった。
                           【重史241】『日本史』

    【注ポ04】
    光秀は、出来る男。

    キレ者である。→3/7 6/7
    洞察力に優れていた。

    光秀は、信長の性格・気性を知りつくしていた。

    信長は、絶対専制君主。
                  →【信長という男】
    誇り高い男。

    決して、「逆らってはならぬ」のである。→㉑
    光秀は、このことを肝に銘じていた。

    その筈だった。

    なれど、・・・・・。                 →【足蹴事件】

    このことが、「本能寺の変」の要因の一つになった。
    きわめて重要な部分である!!
    要注意ヶ所!!

    7/7 目  

    ㉓光秀は、典型的な戦国武将。→ ⑩~⑱
     兵法に通じていた。→⑭⑯

      また、友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために七十二の方法を
      深く体得し、かつ学習したと吹聴していたが、

    ㉔光秀は、出来る男。
     キレ者である。
    →④⑨⑲~㉒

     信長を瞞着した。


      ついには、このような術策と表面だけの繕いにより、
      あまり謀略(という手段を弄すること)に精通していない信長を
      完全に瞞着し、惑わしてしまい、

    【注ポ05】
     ㉕㉖

     斯くして、明智の再興は成った。
     「大願成就」

     なれど・・・・・。

      信長は彼を丹波、丹後二ヵ国の国主に取り立て*1、

      信長がすでに破壊した比叡山の大学(延暦寺)の全収入*2
      ━━━それは(別の)国の半ば以上の収入に相当した━━━
      とともに彼に与えるに至った。
                           【重史241】『日本史』

      *1 天正八年1580 丹波・丹後統一後
      *2 元亀二年1571 比叡山焼討後

    【光秀という男】 結論



     【参照】【信長という男】 目次
         1/5 目  2/5 目  3/5 目  4/5 目  5/5 目  結論 目  【重史146】 

     【参照】【光秀という男】 目次
         1/7 目  2/7 目  3/7 目  4/7 目  5/7 目  6/7 目  7/7 目  結論 目 
         【重史241】 1/2 【重史101】 そ第30話① ◎第30話 第30話
         【重史241】 2/2 【重史001】 ◎第52話① ◎第52話②

     【参照】 3光秀と光慶 (1)光秀の素性 5再興
          これが、光秀の悲願。
          立身出世の原動力になった。

      そ第151話① 明智の再興  越前称念寺 雌伏の時代  ◎151 151
      そ第151話② 光秀の実像1 戦国武将1 明智の再興  ◎151 151
      そ第152話① 光秀の実像2 戦国武将2 再興の手段  ◎152 152
      そ第152話② 光秀の実像3 戦国武将3 七十二の方法 ◎152 152
      そ第152話③ 光秀の実像4 戦国武将4 酷評     ◎152 152
      そ第152話④ 光秀の実像5 戦国武将5 主替え    ◎152 152

     【参照】3光秀と光慶 (1)光秀の素性 6転機
         この事件が、転機となった。
         やがて、光秀は、細川藤孝と巡り会う。

      
    そ第19話   永禄八年1 義輝の最期      ◎第19話 第19話
      そ第20話①  永禄八年2 幕府再興へ      ◎第20話 第20話
      そ第20話②  永禄八年3 越後の上杉      ◎第20話 第20話
      そ第21話   永禄八年4 尾張の信長      ◎第21話 第21話
      そ第22話   永禄九年1 二つの流れ           第22話
      そ第23話   永禄九年2 上洛決定       ◎第23話 第23話
      そ第24話   永禄九年3 美濃の斎藤 矢島襲撃 ◎第24話 第24話
      そ第25話①  永禄九年4 織上、違変せしめ   ◎第25話 第25話
      そ第25話②  永禄九年5 織上、天下の嘲弄   ◎第25話 第25話
      そ第26話①  永禄九年6 上洛不発1           第26話
      そ第26話②  永禄九年7 若狭へ             第26話
      そ第27話①  永禄九年8 上洛不発2      ◎第27話 第27話
      そ第27話②  永禄九年9 越前敦賀へ      ◎第27話 第27話
      そ第28話   永禄十年1 天下布武1      ◎第28話 第28話
      そ第29話①  永禄十年2 天下布武2      ◎第29話 第29話
      そ第29話②  永禄十年3 越前一乗谷      ◎第29話 第29話
      そ第30話①  永禄十年4 藤孝の中間      ◎第30話 第30話



     ⇒ 次へつづく




     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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