メインコンテンツへスキップ
見出し画像

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第23話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    その一因 2(1)光秀の素性6 そ第23話 

    はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中
     
    2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ← 
    →重要 ◎目次 
    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】 
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
     そ=その一因 テ=テーマ別
    *加筆修正 

    2(1)光秀の素性 6転機 そ第23話

     【参照】←◎第152話 ←第152話
     【参照】2光秀の年齢と嫡男光慶 ← (1)光秀の素性 ←
       1素性  そ第53話 そ第54話① そ第54話② そ第54話③
       2争乱  そ第155話① そ第155話②
       
    3下剋上 そ第156話① そ第156話② そ第157話① そ第157話②
      
          そ第158話① そ第158話② そ第158話③ そ第158話④
            
    そ第158話⑤ そ第158話⑥ そ第158話⑦ そ第158話⑧
            そ第158話⑨ そ第158話⑩ そ第158話⑪
       4没落  そ第200話① そ第200話② そ第200話③
            そ第201話① そ第201話② そ第201話③ そ第201話④
            そ第201話⑤
       5再興  そ第151話① そ第151話② そ第152話① そ第152話②
            そ第152話③ そ第152話④ そ第152話⑤ そ第152話⑥
            そ第152話⑦ そ第152話⑧ そ第152話⑨ そ第152話⑩
       6転機  そ第19話   そ第20話①  そ第20話②  そ第21話
            そ第22話   そ第23話   そ第24話

    永禄九年2 上洛決定

     細川藤孝は、信長から言質を得た。
     同年、七月。
     急ぎ、義昭へ。                 →◎第23話 第23話

     義昭の家中は、沸き立った。
     上洛の日が決まった。
     「来月二十二日」 
     信長、これに供奉。
     「織田尾張守参陣致し、御動座御供申すべき由に候」

     義昭は、これを各所へ知らせようとしていた。
     「則ち、御内書成さるゝの通り」
     義昭の心は、すでに京へ。
     「幕府再興」
     今、一歩。
     「成る」
     そう、思っただろう。 

     上洛間近、誰もがそう思った。 
     大覚寺義俊から、大和の十市氏へ。

      一、今度、将軍御入洛あるべきの由につき、
        高田為成より、遮りて(=わざわざ)、
        十兵(十市兵部少輔)の儀、大覚寺殿をして申し入られ、
        (和睦が)相調ひ、

     義昭は、御内書を送ろうとしていた。
     義昭の気持ちは、高揚していた、

        則ち、御内書成せらるゝの通り、

     信長は、確かに、約束した。
     
    「一寸先は闇」
     何が起きても、おかしくない時代だった。

     だが、信長は、用心深い。
     
    それ故、ここまで、生きて来た。

        状に、曰く、

          御出張の儀に就きて、御内書成され候、
          来月二十二日、織田尾張守参陣致し、
          御動座、御供申すべき由に候、

     家康も、参陣する。
     「三州(三河)」、とある。

          其れにつき、三州・濃州・勢州四ヶ国出勢必定に候、

          此の砌(みぎり)、忠節抽んでらるべくば、神妙たるべき由
          申し入るべき旨に候、

          猶、(高田)為成演説あるべく候間、再筆能わず候なり、
          穴賢(かしこ)々々、

            七月十七日    御判在之
           十市兵部少輔殿

     多聞院英俊が大覚寺義俊の書状を書き写した。
     英俊は、多方面に、情報網を張り巡らしていた。

            
    以上、大覚寺殿小文にこれあり、
            写すなり、
            別帋(かみ=紙)にも日の下にも御判ばかりこれあり、
            名はこれなし、

     しかし、糠喜びに過ぎなかった。
     そして、次の一文がつづく。

           有る如しと雖(いえど)も、此の御内書は、到来せず、
           大覚寺殿、一圓(円)、虚説なり、
              【重史086】(「多聞院日記」永禄九年八月二十四日条)



     ⇒ 次へつづく
                    

     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

    あなたへのおすすめ