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本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性1 そ第54話② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    その一因 2(1)光秀の素性1 そ第54話② 

    はじめに ←目次 
    ←その一因 目次大 目次中 2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ← 
    →重要 ◎目次 
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    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】 
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
     そ=その一因 テ=テーマ別
    *加筆修正 

    そ第54話②

     【参照】 ←◎第54話 ←第54話
     【参照】 (1)光秀の素性

    美濃3

    「濃州、土岐一家」

    光秀は、美濃の出身、土岐氏の家臣だった。

     光秀と美濃・土岐氏との関係については、「遊行上人三十一祖京畿御修行
     記」にも、同様の記述がある。

      惟任方、もと明智十兵衛尉といひて、
      濃州、土岐一家、牢人たりしか、
      越前朝倉義景を頼み申され、
      長崎称念寺門前に、十ヶ年居住故、
           
    【 重史 025】(「遊行上人三十一祖京畿御修行記」一部抜粋)

     なお、これについては、後述する。→そ第200話 第200話

     【比較参照】
      以下①②、ともに、美濃の出身であり、土岐氏の家臣である、の意。

       ①「美濃国住人、土岐の随分衆なり」
              
    →そ第53話 【重史002】「立入左京亮入道隆佐記」

       ②「濃州、土岐一家」
                      「遊行上人三十一祖京畿御修行記」



     ⇒ 次へつづく


     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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