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本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第28話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    その一因 2(1)光秀の素性6 そ第28話 

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    2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ← 
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     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
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    *加筆修正 

    2(1)光秀の素性 6転機 そ第28話

     【参照】←◎第152話 ←第152話
     【参照】2光秀の年齢と嫡男光慶 ← (1)光秀の素性 ←
       1素性  そ第53話 そ第54話① そ第54話② そ第54話③
       2争乱  そ第155話① そ第155話②
       
    3下剋上 そ第156話① そ第156話② そ第157話① そ第157話②
      
          そ第158話① そ第158話② そ第158話③ そ第158話④
            
    そ第158話⑤ そ第158話⑥ そ第158話⑦ そ第158話⑧
            そ第158話⑨ そ第158話⑩ そ第158話⑪
       4没落  そ第200話① そ第200話② そ第200話③
            そ第201話① そ第201話② そ第201話③ そ第201話④
            そ第201話⑤
       5再興  そ第151話① そ第151話②
            そ第152話① そ第152話② そ第152話③ そ第152話④
            そ第152話⑤ そ第152話⑥ そ第152話⑦ そ第152話⑧ 
            そ第152話⑨ そ第152話⑩
       6転機  そ第19話
            そ第20話①  そ第20話②  そ第21話   そ第22話 
            そ第23話   そ第24話   そ第25話① そ第25話②
            そ第26話①  そ第26話②  そ第27話① そ第27話②
            そ第28話   そ第29話①

    永禄十年1 天下布武1

     永禄十年1567、秋。          →◎第28話 第28話  小

     斎藤氏は、内側から崩れた。

     
    同年、八月。
     美濃三人衆が寝返った。 

      一、八月朔日、美濃三人衆、
        稲葉伊予守(良通)・氏家卜全(直元)・安東伊賀守(安藤守就)、
        申し合せ侯て、
        信長公へ御身方に参ずべく侯間、人質を御請取り侯へと、
        申し越し侯。

     信長は、この時を待っていた。

     「出陣」
     先ずは、瑞龍寺山へ上り様子を窺った。
     稲葉山城は、目と鼻の先。
     山つづきで、北東へ約半里2km。
     そして、城下に放火。
     城を丸裸にした。

      然る間、村井民部丞・島田所之助、人質を請取りに、
      西美濃へさし遣はされ、
      未だ人質も参らず侯に、俄かに御人数出だされ、
      井口山のつゞき瑞龍寺山へ懸け上られ侯。

      是れは如何に、敵か味方かと申すところに、
      早、町に火をかけ、即時に生(はだ)か城になされ侯。
      其の日、以外に風吹き侯。

     信長は、稲葉山を包囲した。

     兵糧攻めの姿勢を見せた。
     龍興は、孤立無援。
     後詰は、ない。

      翌日、御普請くばり(分担)仰せ付けられ、四方鹿垣結ひまはし、
      取り籠(こ)めをかせられ侯。

     美濃三人衆は、信長のやり方に驚いた。

      左侯ところへ、美濃三人衆も参り、肝を消し、御礼申し上げられ侯。
      信長は、何事もケ様に物軽に御沙汰をなされ侯なり。
                          【重史096】(『信長公記』)

     斎藤龍興は、伊勢長島へ逃げた。

     龍興は、城を捨てた。
     長良川を下り、落ちて行く。 

      一、八月十五日、色々降参侯て、
        飛騨川のつゞきにて侯間、舟にて川内長島へ、
        龍興、退散。

     信長は、稲葉山城を無傷で手に入れた。

     攻略、成功。
     兵は、損耗せず。 

     信長は、美濃を平定した。

     亡き父、信秀の悲願。
     「美濃の平定」
     ここに、成る。
     程なくして、小牧山から稲葉山に居城を移した。

      さて、美濃国一篇に仰せ付けられ、
      尾張国小真木山より、濃州稲葉山へ御越しなり。

     信長は、井口の名を岐阜と改めた。

     これは、翌年のこと。

      井口と申すを、今度改めて、岐阜と名付けさせられ、明くる年の事。
                          【重史097】(『信長公記』)

     斯くして、阻害要因は無くなった。

     都への通路を確保。
     いよいよ、である。

     信長は、執念深い。

     天文十八年1549、
     信長の父、信秀、斎藤道三と和睦。
     信長は、道三の娘を妻に迎えた。

     同二十一年1552、信秀、没す。

     その四年後。
     弘治二年1556、舅、道三、死す。
     その跡を継いだのが、斎藤義龍。
     斯くして、信長と義龍の争いが始まった。

     ところが、その最中、
     永禄四年1561、義龍が急死。
     その子、龍興の代となる。

     そして、永禄十年1567の今。
     信長は、ついに、美濃を乗っ取った。
     父、信秀の死から、15年後。
     舅、道三の死から、11年後。
     この執念や、恐るべし。



     ⇒ 次へつづく

     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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