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本能寺の変1582 重要 ◎第19話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    ◎第19話 

    5藤孝との出会い 1将軍殺害 1/3 

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    →テーマ別 通し ◎目次 テーマ別 まとめ ◎目次 
    →その一因 
    →見えてきたもの 目次 
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済 
     19 ◎ 20 ◎ 21 ◎
    *以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。 
    *加筆修正 

    ◎細川藤孝は、信長と同年齢である。

     藤孝は、天文三年1534の生れ。            【 人物 】
     天正十年1582、本能寺の変の時、49歳。
     信長と同年齢である。
     父は三淵晴員、母は船橋宣賢の娘。
     兄に、三淵藤英がいた。
     幼少時、細川刑部少輔晴広の養子になった。
     吉田兼見は、母方の従兄弟に当たる。

    ◎藤孝は、元々、第十三代将軍足利義輝の家臣だった。

     以下は、第十三代将軍足利義輝に仕えた家臣たちのリストである。
     時代は、永禄六年1563。
     「御供衆」の中に、その名がある。
     「御供衆」は、最上位の役職。
     藤孝は、26歳にして、すでに幕府重役の一人であった。

      光源院殿(義輝)御代当参衆並びに足軽以下衆覚
           永禄六年五月 日

       御供衆。    
    (12名)

        
    大館陸奥晴光。
        同十郎輝光。
        細川中務大輔輝経。
        大館伊予守晴忠
        仁木七郎。
        一色式部少輔藤長。
        細川兵部大輔藤孝。
        上野孫三郎。
        一色兵部大輔輝清。
        畠山尉松。
        伊勢因幡入道心栄。
        同七郎左衛門尉貞知。

       御部屋衆。   (9名省略)
       申次。     
    (17名省略)
       外様詰衆以下。 
    (57名省略)
       御小袖御番衆。 
    (10名省略)
       奉行衆。    
    (16名省略)
       同朋衆。    
    (11名省略)
       御末之男。   
    (7名省略)
       足軽衆。    
    (27名省略)
                      (「永禄六年諸役人附」前半部分)

    ◎光秀は、足利義輝に仕えていない。

     「永禄六年諸役人附」前半部分の中に、その名が見えない。
     光秀は、まだ幕臣になっていない。

    ◎永禄八年1565、五月十九日。

     辰の刻(午前七時~九時頃)。
     京の都。
     白日の下。
     大衆の面前である。

    ◎世を震撼させる大事件が勃発した。

     三好氏による下剋上であった。
     「永禄の変」、と云われる。 

      先の公方光源院義照御生害、同御舎弟鹿苑院殿(周嵩)、
      其の外諸侯の衆、歴々討死の事。 

      其の濫觴(らんしょう=始まり)は、

      三好修理大夫(長慶)、天下の執権たるに依つて、
      内々、三好に遺恨おぼしめさるべしと兼ねて存知、
      御謀叛を企てらるゝの由、
      申し掠め(謀叛を企て、すきを窺って)、
      事を左右に寄せ(ああだこうだと理由をつけて) 、

      永禄八年五月十九日に、清水詣と号し、早朝より人数をよせ、
      則ち、諸勢殿中へ乱れ入る。 

    ◎将軍義輝が殺害された。

     十一歳の時に将軍職を引き継いだ。
     以来、十九年。
     激動する時代の波に翻弄された。
     その最期の姿である。
     享年、30。

      御仰天なされ候と雖(いえど)も、是非なき仕合せなり。
      数度切つて出で、伐り崩し、余多(あまた)に手を負はせ、
      公方様御働き候と雖(いえど)も、多勢に叶わず、

      御殿に火を懸け、終(つい)に御自害なされ候ひ訖(おわ)んぬ。

     この時、義輝の三弟鹿苑院周嵩も殺された。

      同じく、三番目の御舎弟鹿苑院殿へも、平田和泉を討手にさし向け、
      同刻に御生害。 

    ◎大衆は、世の乱れを憂えた。

     「世も末」とは、正に、このこと。
     下剋上が罷り通る時代だった。
     
      誠に、御当家破滅、
      天下万民の愁歎、これに過ぐべからずと云々。
                          
    【重史078】(『信長公記』)

    ◎この事件が全ての始まりだった。

    ◎信長に、とっても。

    ◎光秀に、とっても。




      ⇒ 次へつづく

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