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本能寺の変1582 【重史256】 №6-068 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史256】           №6-068

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    1時代の風潮 2光秀の実像 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断  
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     【光秀という男】 目次
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    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】
     【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正

    【重史256】                    №6-068

    ①これら東洋に於ける征服事業により、

    ②主への奉仕及び多数の人々の改宗に役立つところ大である

    ③征服事業は、霊的な面ばかりでなく、

    ④陛下の王国の世俗的な進展にとって益する。

    ⑤征服事業の内、最大のものの一つは・・・シナを征服すること

    ⑥閣下と相談することが出来れば大変嬉しく思う。

    ⑦イエズス会が主や陛下に対して忠誠を尽くすべきところから、

              「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」

    1580年1月。
    スペインがポルトガルを併合した。
    但し、ポルトガルの領土については干渉せず。

     一五八〇年一月、ポルトガル国王ドン・エンリーケの死に伴い、
     スペイン国王フェリペ二世が三万の軍勢を率いてポルトガルの首府リスボ
     ンに入り、他の王位継承の候補者達をしりぞけて、
     一五八一年四月ポルトガル国王に即位し、
     以後一六四〇年のポルトガル独立に至るまで、
     六〇年間ポルトガルはスペインに併合されることになる。

     (中略)

     ポルトガル領インド、即ち東インドに於けるポルトガルの利権に対して
     は、スペイン国王は一切干渉しない旨の約束を最初に行っている。
                   (「キリシタン時代の研究」高瀬弘一郎著) 

    1581年2月~7月。(陰暦)
    ヴァリニャーノ、信長との出会い~「夜祭り」・別れ。
    5/x 6/x 7/x 8/x 9/x 10/x 11/x 12/x 13/x 14/x 15/x 16/x 17/x

    1582年6月。(陰暦) 
    「本能寺の変」

    その半年後。
    1582年12月。
    この時、ヴァリニャーノはマカオにいた。
    天正遣欧少年使節団の一行を伴っていた。       →12/x 【人物】

    ヴァリニャーノは、スペインのフィリピン総督に以下の書簡を送った。
    スペイン国王は、フィリペ2世 (在位1556~98) 。
    フィリピン総督は、ドン・ゴンサロ・ロンキーリ・デ・ペニャロサ。

    スペインは、東アジア各地を征服しようとしていた。
    イエズス会の布教拡大は、これら征服事業と同時並行で行われた。

     これら東洋に於ける征服事業により、現在いろいろな地域に於いて、
     陛下に対し、多くのそして大きな門戸が開かれており、
     主への奉仕及び多数の人々の改宗に役立つところ大である。

     これら征服事業は、霊的な面ばかりでなく、
     それに劣らず陛下(スペイン国王)の王国の世俗的な進展にとって益する。

    スペインの最大の目的は、シナを征服することだった。

     そしてそれらの征服事業の内、最大のものの一つは、閣下のすぐ近くの
     このシナを征服することである。

     尤もそれは着手すべき時宜と条件に適えばのことである。

     というのは、さもないとその企ては非常に危険且つ有害で、
     陛下のこれらの領国にとって大変な損害を招くかも知れないからである。

    ヴァリニャーノは、スペインの征服事業に加担していた。

     それ故、まず必要な準備をするためには、多くの勧告と正確な情報を必要
     とする。

     そしてこれは主や陛下への奉仕にとって非常に重要な事柄であるにも拘ら
     ず、その事業に関して持つべき真の計画なり、情報なりを授けることの出
     来るような者は殆どいないので、

     私がこの地でえた経験を基に、その件のため判るいくつかの重要な事柄に
     ついて、
     閣下(フィリピン総督)と相談することが出来れば大変嬉しく思う。

     (中略)

    イエズス会は、スペインに従属していた。

     私がこのことを閣下に書(き)送るのを望んだのは、
     イエズス会が主や陛下に対して忠誠を尽くすべきところから、
     凡(すべ)てに於いて、
     より大なる主の光栄と陛下への奉仕を願うが故である。
                          1582年12月14日付
                   「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」
                   (「キリシタン時代の研究」高瀬弘一郎著)


     【引用】【京都馬揃え】 【重史256】
         【さらなる夢】
         【光秀という男】 結論 18/x
         【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次

     【参照】
       【重史252】 この屏風は彼(信長)が非常に珍「イエズス会日本年報」
       【重史253】 信長は、援助することを約束「イエズス会日本年報」
       【重史254】 我等に夜の祭を観せたこと 「イエズス会日本年報」



     ⇒ 次へつづく




     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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