
本能寺の変1582 2-5-3 越前 一向一揆殲滅 №6-257 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
2-5-3 越前 一向一揆殲滅 №6-257
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男 【信長という男】 目次
2光秀という男 【光秀という男】 目次
1 光秀の素性 2 光秀の年齢 3 光秀の人物像
3光秀の後継者 1 信長と信忠 2 光秀と光慶 3 明智の将来
4 先祖の教訓
5 光秀と大量殺戮 1 仰木の事 2 比叡山焼討 3 越前 一向一揆殲滅
6 三人の謀叛人 1 丹波 波多野秀治 2 大和 松永久秀
3 摂津 荒木村重 4 光秀の総括
←3 志向の相違
光秀の苦悩
1 粛清の怖れ
2 光秀の老い
3 志向の相違 【光秀という男】 結論 目次
1 京都馬揃え 2 ヴァリニャーノ
3 信長の「さらなる夢」
4 四国問題 躓き
5 事態急変
6 自立への道
←4 武田の滅亡
1 甲斐遠征
2 勝頼の首
3 武田効果
←5 信長の油断 大要 概略
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日
4月24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3
5月11日
3 足蹴事件 大 概略 5月12日 大 概 1/5 概 2/5 概 3/5 概 4/5 概
5/5 概
5月15日 大 概
密室にて 大 概 1/3 概 2/3 概 3/3 概
① 概 ② 概 ③ 概 ④ 概
⑤ 概
4 中国出陣 大 概略 備中高松城 大 概
5月17日
坂本にて 目次 大 概
1 2 3 ① ② ③
4 ① ② 5 6
5月19日 大 概
5月20日 大 概
5月21日 大 概
5 謀叛人の顔 1 謀叛の結末
2 信長の弱点
時は今、・・・・・
5月26日 大 概
5月27日 大 概
5月28日 大 概
5月29日 大 概
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】 【重史一覧全通】
←【抜粋】
←【注目ポイント】 目次
←【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
←「その一因」 目次大 概説大 目次中
←3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
←【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
←【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
2-5-3 越前 一向一揆殲滅 №6-257
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光秀は、典型的な戦国武将。
大量殺戮を厭わぬ男。
目的のためには、手段を選ばない。
3 越前 一向一揆殲滅
【参照】
【重史275】 公 天正03 1575000812
①八月十二日、越州へ御進発。
②十四日、敦賀に御泊り。
③十五日、以ての外の風雨に候と雖も、先兵悉く打ち出だされ、
④羽柴筑前守・惟任日向守
⑤三万余騎、
『信長公記』
【重史276】 公 天正02 1574000119
①越前の前波播磨(吉継)、
②大国守護代として居(す)ゑ置かれ候ところに、
③諸侍謀反を企て、生害させ、
④越前、一揆持ちに罷りなるの由に候。
『信長公記』
①桂田(長俊=前波吉継)、俄(にわ)かに大国守護に成るの間、
②一揆蜂起して騒動する事、斜めならず、
③軍勢攻め寄せて、馬より突き落として、早々、頸を討ち取り、
「朝倉始末記」
①大将七里(頼周=本願寺の坊官)方、国中の一揆等、諜し合ひて、
②後ろより、鉄炮を以って打ちければ、
③富田が、馬より下に百(どう)と落つるところを、
④馬駆け寄せて、頸を取りてけり、
「朝倉始末記」
【重史277】 公 天正03 1575000815
①惟任日向・羽柴筑前両人として、屑ともせず追ひ崩し、
②二、三百討ち捕り、
③羽柴筑前守・惟任日向守両人として、府中の町にて、
④賀州・越州、両国の一揆、二千余騎斬り拾てられ、
⑤手柄の程、是非に及ばず。
『信長公記』
【重史278】 公 天正03 1575000816
①十六日、信長、敦賀を御立ちなされ、
②御馬廻り其の外一万余騎召し列れられ、
③木の目(芽)峠打ち越し、
④府中龍門寺、三宅権之丞構へまで御陣を寄せらる。
『信長公記』
【重史279】 ✓ 天正03 1575000817
①十五日の書状、今日十七朝、到来、披見候、
②昨日十六、我々、木の目口出馬候に付きて、
③維(惟)任日向守は、浜手より、府中の町へ罷り越し、
④羽柴筑前守も、維(惟)任と相談(かた)らひ、府中へ相越し候て、
⑤府中町にて、千五百ほどくひをきり(首を斬り)、
⑥其の外近辺にて、都合二千余きり候、
⑦即ち、両日の間に一国平均に申し付け候、
⑧府中の町は、死かい(骸)計りにて、一円あき所なく候、
⑨今日は、山々谷々を尋ね捜し打ち果すべく候、
「泉文書」
【重史280】 公 天正03 1575000818
①柴田修理・惟住五郎左衛門・津田七兵衛、
②鳥羽の城へ取り懸け、責め破り、五、六百斬り拾てられ候。
③金森五郎八 (長近) ・原彦次郎 (政茂) 、
④濃州口より、大野郡へ打ち入り、数多斬り拾て、放火候。
⑤国中の一揆、撥忘を致し、右往左往に、山々へ逃げ上り候。
⑥ (信長) 男女を隔てず斬り捨つべき旨、仰せ出だされ、
⑦八月十五日より十九日まで、
⑧搦め取り進上候分、一万二千二百五十余と記すの由なり。
⑨御小姓衆へ仰せ付けられ、誅させられ候。
⑩生け捕りと誅させられたる分、
合せて、三、四万にも及ぶべく候ひし歟。
『信長公記』
【重史281】 ✓ 天正03 1575000820
①大滝・白山の嵩(たけ)へ、一揆等、相集うの条、
②今日も逗留候て、谷々相捜し、打ち果たされ候由、簡要に候、
③日数・行(てだて)の事は、苦しからず候、
④いかにも念を入れ、
⑤一人も残さず打ち果たし候よう申し付けらるべく候、
⑥八月廿日 信長(黒印) 茶筅殿
「松井文書」
【重史282】 ✓ 天正03 1575000821
①只今は、豊原に在城候、
②加州の事も、大略、手間入る間敷く候、
③頓(やが)て隙明け、是れより、直に、丹波へ相動くべく候、
④彼の国より、直に、宇津ところへ押し入るべく候、
⑤此の表の儀、符(府)中に於いて、数多(あまた)討ち捕り、
⑥これに依り、一国平均に属し候、
⑦明後日廿三、加州え相働き候、
⑧即時に、平均たるべく候、
「小畠文書」
【重史283】1/2 ✓ 天正03 1575000822
①廿日の書状、今日廿二、府中に至り到来、披見候、
②十七日到来分二千余、
③同十八日、五百・六百つゝ、方々より持ち来り候、
④十九日、茶箋・三七郎・上野介・・・の手より六百余、
⑤廿日・・・千余人切り捨て、生け捕り百余人、首を刎ね候、
⑥廿一日、柴田・惟住方より千余切るの由、注進候、
「高橋源一郎氏持参文書」「織田信長文書の研究」
【重史283】2/2 ✓ 天正03 1575000822
⑦今日廿二、生け捕り少々到来、其の外いまた(未だ)注進なく候、
⑧我々、明日廿三、一乗谷へ陳(陣)替せしめ、
⑨下間筑後の事・・・くひをきり到来候、誠に気をさんし候、
⑩ 加賀の事、口二郡悉く敗北歟、
⑪河北・石川両郡の者ども・・・連署を以って種々懇望せしめ、
⑫能登・越中の事は・・・賀州相済み候間、是れ又、同前に候、
⑬(敵が)ふしおき(伏し起き)のせざる様に申し付けべく候、
⑭番々城を構へ候様子、彼是れ、みせ度く候、
⑮くれ々々、此の国には、敵一人もこれなく候、
⑯東国・西国、何れの口なれども、
⑰少しも敵蜂起の事も候はゞ、出馬すべく分別せしめ候、
「高橋源一郎氏持参文書」「織田信長文書の研究」
【重史284】 公 天正03 1575000823
①八月廿三日、一乗の谷へ、信長御陣を移させられ、
②参陣は、賀州まで。
③稲葉伊予父子・惟任日向守・羽柴筑前守・永岡兵部大輔・別喜右近、
④打ち入るの趣、御注進有り。
『信長公記』
【重史285】 公 天正03 1575000828
①八月廿八日、豊原へ御陣を寄せらる。
②堀江・小黒の西光寺・・・御赦免の御礼申し上げ候。
③賀州能美郡・江沼郡、二郡御手に属すの間、
④別喜右近・佐々権左衛門幷に堀江を相加へ、入れ置かせられ、
⑤十余日の内に賀・越両国仰せ付けらる。
『信長公記』
只今、進行中!!
PS
9月17日より、noteの関連の部分につき、突然、メールの着信が止められてしまいました。
note側・メール会社側、両方とも、原因となり得るヶ所を、幾度も、確認・チェックしておりますが、異常ヶ所が見当たりません。
今までに、経験したことのないトラブルです。
何しろ、キカイオンチのため、大変、困惑しております。
早急に、解決したいのですが・・・・・。
どの様にすれば、復旧するのかなぁ・・・・・?
いろいろと、御迷惑をおかけ致しておりますが、今後とも、よろしくお願い
申し上げます。
⇒ 次へつづく