
本能寺の変1582 【重史282】 №6-259 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史282】 №6-259
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男 1 光秀の素性 2 光秀の年齢 3 光秀の人物像
3光秀の後継者 1 信長と信忠 2 光秀と光慶 3 明智の将来
4 先祖の教訓
5 光秀と大量殺戮 1 仰木の事 2 比叡山焼討 3 越前 一向一揆殲滅
6 三人の謀叛人 1 丹波 波多野秀治 2 大和 松永久秀
3 摂津 荒木村重 4 光秀の総括
←3 志向の相違 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2 光秀の老い
3 四国問題 躓き
4 事態急変
5 志向の相違
6 自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断 大要 概略
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日
4月24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3
5月11日
3 足蹴事件 大 概略 5月12日 大 概 1/5 概 2/5 概 3/5 概 4/5 概
5/5 概
5月15日 大 概
密室にて 大 概 1/3 概 2/3 概 3/3 概
① 概 ② 概 ③ 概 ④ 概
⑤ 概
4 中国出陣 大 概略 備中高松城 大 概
5月17日
坂本にて 目次 大 概
1 2 3 ① ② ③
4 ① ② 5 6
5月19日 大 概
5月20日 大 概
5月21日 大 概
5 謀叛人の顔 1 謀叛の結末
2 信長の弱点
時は今、・・・・・
5月26日 大 概
5月27日 大 概
5月28日 大 概
5月29日 大 概
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】 【重史一覧全通】
←【抜粋】
←【注目ポイント】 目次
←【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
←「その一因」 目次大 概説大 目次中
←3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
←【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
←【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史282】 №6-259
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①只今は、豊原に在城候、
②加州の事も、大略、手間入る間敷く候、
③頓(やが)て隙明け、是れより、直に、丹波へ相動くべく候、
④彼の国より、直に、宇津ところへ押し入るべく候、
⑤此の表の儀、府中に於いて、各御粉骨の故、数多討ち捕り、
⑥これに依り、一国平均に属し候、
⑦明後日廿三、加州え相働き候、
⑧即時に、平均たるべく候、
「小畠文書」
天正三年1575、八月二十一日。 1575000821
光秀は、越前 豊原にいた (福井県坂井市丸岡町豊原) 。
光秀は、丹波のことが気懸かりだった。 →【重史274】
光秀は、丹波攻めを一時中断して、越前の戦いに参陣していた。
以下は、先の、丹波国人 小畠永明に送った書状である。
永明を督励している (①~⑦) 。
①この頃、宇津頼重が攻勢に出ていた。
光秀の留守を狙って、馬路・余部を攻めたらしい (京都府亀岡市馬路町・
同余部町) 。
尚以って、
今度御出張、殊に御働きの恩賞、存じ寄る(思う)ほとは有る間敷く候へ
ども、なにとそ(何卒)、志を露すべく候、
馬路・余部在城の衆へ、其元(そこもと)、油断なく馳走候への由、申し
送り度く候、
②光秀は、加賀入りの準備をしていた。
調略の目途がついたのだろう。
只今は、豊原に在城候、
加州の事も、大略、手間入る間敷く候、
③光秀は、小畠永明ら国人衆の不安を払拭しようとしていた。
越前から、直接、宇津へ攻め込むと言っている。
永禄十三年1570、金ヶ崎撤退の一件もある。
光秀は、周辺の地理に明るい。
頓(やが)て隙明け、是れより、直に、丹波へ相動くべく候、
彼の国より、直に、宇津ところへ押し入るべく候、
上林衆(丹波何鹿郡の土豪)より、道よく候由、申し候、
其の分に候哉、
尚、示し合わされ承るべく候、
已上、
④光秀は、部下の面倒見がいい。
この戦いで、小畠永明が負傷した。
それを労(いた)わっている。
疵、如何に候哉、
御心元なく候、
其れ以後、使者を以ってなりとも申し入るべきところ、
遠路に付き無音(ぶいん)、誠に本意を失ひ候、
能々(よくよく)、養性(生)、御油断有るべからず候、
⑤光秀は、府中での大量殺戮の様子を伝えた。
「各、御粉骨の故」、とある。
この戦いにおけるクライマックス。
光秀、奮闘の場面である。
次、此の表の儀、
符(府)中に於いて、各(おのおの)、御粉骨の故、数多(あまた)討ち捕り、
これに依り、一国平均に属し候、
(訳)
次、越前の事について。
我々は、府中に於いて、皆、それぞれ、懸命に戦って、多くの一揆勢
を討ち取った(=大量殺戮)。
これによって、越前の平定が成った。
光秀は、典型的な戦国武将。
目的のためには、手段を選ばない。
全ては、子らのため、明智のため。
大量殺戮を厭わぬ男だった。
⑥光秀は、明後日 二十三日、加賀へ向かう。
加賀もまた、越前に同じ。
直に、片付く。
否、片付ける。
容易(たやす)いことだ。
そう、言っている。
明後日廿三、加州え相働き候、
是れ又、彼の国の面々、降参せしめ、迎へのため罷り出で候条、
即時に、平均たるべく候、
⑦光秀は、丹波の国人衆と絆を深めようとしていた。
帰陣したら、面談しようと言っている。
旁(かたがた)、帰陣の刻(きざみ)、参駕を企(期)し申し出づべく候、
恐々謹言、
(天正三年) 日向守
八月廿一日 光秀(花押)
小畠左馬進殿
御宿所
(「小畠文書」「亀岡市史」)
光秀には、先が、見えたていた。
丹波入りは、近い・・・・・。
【引用】2-5-3 越前 一向一揆殲滅
PS
9月17日より、noteの関連の部分につき、突然、メールの着信が止められてしまいました。
note側・メール会社側、両方とも、原因となり得るヶ所を、幾度も、確認・チェックしておりますが、異常ヶ所が見当たりません。
今までに、経験したことのないトラブルです。
何しろ、キカイオンチのため、大変、困惑しております。
早急に、解決したいのですが・・・・・。
どの様にすれば、復旧するのかなぁ・・・・・?
いろいろと、御迷惑をおかけ致しておりますが、今後とも、よろしくお願い
申し上げます。
⇒ 次へつづく