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本能寺の変1582 【重史172】 260320 №6-083 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史172】 『信長公記』 260320 №6-083

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     概略
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     【光秀という男】
     
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    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
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    →【人物】
     【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 260320 

    【重史172】 260320                №6-083

    ①抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に、

    ②口答申す輩(ともがら)、前代に始り候条、

    ③遠国へ退出すべき趣、仰せ出ださる。

    ④取る物も取り敢へず、高野山へ上(のぼ)られ候。

    ⑤高野を立ち出で、紀伊州熊野の奥、足に任せて逐電なり。

    ⑥己と草履を取るばかりにて、見る目も哀れなる有様なり。

                           『信長公記』


     天正八年1580、八月**日。             1580008**
     【重史163】 1 ~ 2 /19 【重史164】 3 ~ 4 /19 【重史165】 5 ~ 6 /19
     【重史166】 7 ~10/19 【重史167】 11~12/19 【重史168】 13~15/19
     【重史238】16~17/19 【重史239】 18~19/19 【重史172】 末尾

     折檻状(①~⑲)の末尾部分である 。

     信長は、己が天下の支配者であることを強く意識していた。
     これすなわち、絶対専制君主。
     信長は、天下人。
     誇り高い男。          →信03 【重史146】③/⑲『日本史』

     信長は、己に口答えする家臣を、決して、赦さない。
     忍耐強く、執念深い。      →信10 【重史146】⑩/⑲『日本史』
     根に持つタイプ。
     後で、必ず、蒸し返す。

     光秀は、信長の気性・性格等を知悉していた。
     当然、これらのことも、よく知っていた。

     なれど、・・・・・。

      右、数年の内、一廉(ひとかど)の働きなき者、未練の子細、
      今度、保田において思ひ当り候。

      抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に、
      口答申す輩(ともがら)、前代に始り候条、
      爰(ここ)を以て、当末二ケ条(⑱⑲)を致すべし。
      請けなきにおいては、二度、天下の赦免、これあるまじきものなり。
     
        天正八年八月 日
                               (『信長公記』)

     しかし、・・・・・。
     邪魔に、なったのだろう。

     信長は、とうとう、最後まで、佐久間信盛を赦さなかった。
     哀れな末路であった。
     
      此の如く、御自筆を以て遊ばし、
      佐久間右衛門父子かたへ、
      楠木長安・宮内卿法印・中野又兵衛、三人を以て、
      遠国へ退出すべき趣、仰せ出ださる。
     
      取る物も取り敢へず、高野山へ上(のぼ)られ候。
     
      爰にも、叶ふべからざる旨(むね)、御諚に付いて、
      高野を立ち出で、紀伊州熊野の奥、足に任せて逐電なり。
     
      然る間、譜代の下人に見捨てられ、かちはだし(徒歩裸足)にて、
      己と草履(ぞうり)を取るばかりにて、見る目も哀れなる有様なり。
                              (『信長公記』)

     斯くして、佐久間信盛の粛清は、完了した。
     用が済めば、粛清される。
     役に立たねば、粛清される。
     邪魔になれば、粛清される。 

     このことが、光秀の脳裏から、離れない。


     【引用】



     ⇒ 次へつづく

     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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