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本能寺の変1582 【重史166】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史166】 『信長公記』 

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    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
     4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
     3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】 【信長の人物像】 
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 

    【重史166】 ◎第12話 7~10/19

    ①信長家中にては、進退各別に候か。

    ②三川にも与力、尾張にも与力、近江にも与力、大和にも与力、

    ③少分の者ども候へども、七ケ国の与力。                   

                          『信長公記』


     天正八年1580、八月**日。
                 1580008**
      【重史163】 1~2/19 【重史164】 3~4/19 【重史165】 5~6/19
      【重史166】 7~10/19 【重史167】 11~12/19

     佐久間信盛は、別格の存在だった。     →【人物】 【重史010】
     信長は、信盛に、特別な待遇を与えていた。

     7 一、信長家中にては、進退各別に候か。

     信盛は、七ヶ国の大軍勢を率いていた。
     織田家中、最大の軍団である。
     光秀・秀吉・勝家など、足下にも及ばない規模であった。
     信盛は、その、総指揮官。

        三川にも与力、尾張にも与力、近江にも与力、大和にも与力、
        河内に与力、和泉にも与力、
        根来寺衆申し付け候へば、紀州にも与力。
        少分の者ども候へども、七ケ国の与力。

     
       其の上、自分の人数相加へ、働くにおいては、
        何たる一戦を遂げ候とも、
        さのみ越度(おちど)を取るべからざるの事。

     信長は、絶対専制君主。
     すべては、己一人で決めたこと。      
     →そ第7話⑭『信長公記』
     織田家は、躍進著しい急成長企業。
     信盛は、最古参の一人。
     柴田勝家と双璧をなす筆頭重臣である。

     天正三年1575、勝家は、越前へ 。
     天正四年1576、原田直政、戦死。
     光秀は、丹波・丹後。
     秀吉は、近江長浜に(翌年より播磨へ)。

     何しろ、大役である。
     なれど、織田家は、人材不足。
     他に、眼鏡に適う人物が、いなかった。
     「仕方なく」、「間に合わせ」・・・・・。  →そ第7話⑭『信長公記』
     それ故の人事だった。

     その意味では、信長は、年功序列主義・保守的だった。
     と、言うことになる。
     すべては、信長の決めたこと。
     「臨機応変」
     信長には、このような一面もあった。

     【参照】 そ第7話⑧ 3 3本願寺退城 天正4 原田直政
          そ第7話⑨ 3 4本願寺退城 天正4 信長上洛
          そ第7話⑩ 3 5本願寺退城 天正4 直政の戦死
          そ第7話⑪ 3 6本願寺退城 天正4 絶体絶命
          そ第7話⑫ 3 7本願寺退城 天正4 救援要請
          そ第7話⑬ 3 8本願寺退城 天正4 信長、鉄砲傷
          そ第7話⑭ 3 9本願寺退城 天正4 後任人事
                  
    要するに、困ったときの間に合わせ。

     信長の忍耐は、限界に達していた。
     認識の相違。

     信長は、信盛に水野信元の遺領を与えていた。
     それについて、両人の認識に、大きなズレが生じていた。

     信長は、「武」を期待した。
     だが、信盛は、それに応えず。
     「銭儲け」に走った。

     信長が、何故、そうしたのか。
     信盛は、わかっていない。

     8 一、小河(緒川)・かり屋(刈谷)、跡職(あとしき)申し付け侯ところ、
        先々より人数これあるべしと思ひ候ところ、其の廉(かど)もなく、

        剰(あまつさ)へ、先方の者どもをば、多分に追ひ出だし、
        然りといへども、其の跡目を求め置き候へば、
        各(おのおの)、同前の事候に、
        一人も拘(かか)へず候時は、
        蔵納とりこみ、金銀になし候事、言語道断の題目の事。

     すなわち、周波数が合わないのである。 
     「打てども、響かず」
     山崎の支配を任せた時も、同様だった。

     9 一、山崎申し付け候に、信長、詞(ことば)をもかけ候者ども、
        程なく追ひ失はせ候儀、
        是れも最前の如く、小河かりやの取り扱ひ紛れなき事。

     信盛は、「武」より「財」を優先した。
     ここでは、家臣たちの扱い方について、述べている。
     信盛は、自己の蓄財に走った。  

     10一、先々(先代)より、自分に拘(かか)へ置き候者どもに、
        加増も仕り、似相(にあい=相応しい)に与力をも相付け、
        新季に、侍をも拘ふる(召し抱える)においては、
        是れ程、越度はあるまじく候に、

        しは(吝)きたくはへ(貯え)ばかりを、本(もと)とするによつて、

     信長は、信盛が他の家臣たちへ悪影響を及ぼすと考えた。
     「不幸」としか、言いようがない。
     信盛には、荷が重すぎた。
     主の意を、汲み取れず。
     逆行するのみ。
     結果、そこには、過酷な結末が待ち受けていた。
        
        
    今度、一天下の面目失ひ候儀、
        唐土・高麗・南蛮までも、其の隠れあるまじきの事。
                               (『信長公記』)


     【参照】4 光秀の苦悩 4粛清の怖れ 第10~15話  ◎小   小  
       ◎第10話① ◎小10①  第10話①   小 伽藍炎上
       ✓            第10話②   小 塙直政
       ◎第11話  ◎小11   第11話    小 折檻状 1~6/19
       ◎第12話  ◎小12   第12話    小
       ◎第13話  ◎小13   第13話    小
       ◎第14話  ◎小14   第14話    小
       ◎第15話  ◎小15   第15話    小

     【参照】 (3)光秀の嫡男 2-3-3粛清 の怖れ
       そ第11話⑬ 3 31佐久間信盛1 油断         ◎11 11
       そ第11話⑭ 3 32佐久間信盛2 油断 再編 柴田方式 ◎11 11
       そ第11話⑮ 3 33佐久間信盛3 油断 経歴1     ◎11 11
       そ第11話⑯ 3 34佐久間信盛4 油断 経歴2     ◎11 11
       そ第11話⑰ 3 35佐久間信盛5 油断 経歴3     ◎11 11


     【引用】◎第12話 第12話



     ⇒ 次へつづく

     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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