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本能寺の変1582 【重史190】 260325 №6-088 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史190】 「元親記」 260325      №6-088

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     【信長という男】
     
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    →【ここがポイント!!】
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 260325

    【重史190】 260325                №6-088

    ①四国御儀は、某が手柄を以って、切り取り申す事に候、

    ②一圓、御請け申されず、

    ③明智殿より、石谷兵部少輔(頼辰)を御使者に下されたり、

    ④是れにも、御返事、申し切らるゝなり、

                            「元親記」


    天正九年1581、後半。
                      1581*****

    だが、しかし、・・・・・。              →【重史181】             
    元親は、信長の命を受け付けず。
    これを拒否した。

    以下、元親の言い分である。

      元親、四国御儀は、
      某(それがし)が手柄を以って、切り取り申す事に候、
      更に、信長卿、御恩義たるべきに非ず、
      存の外なる仰せ、驚き入り申すとて、一圓、御請け申されず、

    光秀は、再び、石谷頼辰(使者)を派した。

      又、重ねて、明智殿より、
      齋藤内蔵助(利三)兄 石谷兵部少輔(頼辰)を御使者に下されたり、

    元親は、聞く耳を持たず。
    頼辰の説得は、徒労に終わった。
    この時は、・・・・・。

      是れにも、御返事、申し切らるゝなり、
                                (「元親記」)

    元親は、急激に、支配地を拡大した。
    これすなわち、武力=兵力=兵の数。

    大勢の家臣たちが、見ていた。
    その手前が、あった。
    下手に動けば、家中が動揺する。

    流動的な時代。
    「一寸先は、闇」
    何が起きるかわからぬ時代だった。

    元親は、典型的な戦国武将。
    強かな男だった。

    難しい状況になって来た。


     【引用】

     【参照】【四国問題】 天正八年1580 天正九年1581

     【重史180】                 ✓ 天正06 157801026
      ①御奏者は、明智殿なり、
      ②明智殿御内、齋藤内蔵助は、元親卿には小舅になるなり、
      ③則ち、信と云う御字を給わる、
      ④これに依り、信親と云しなり、
      ⑤此の由緒を以って、
      ⑥四国の儀は、元親、手柄次第に、切り取り候へと、
      ⑦御朱印頂戴したり、
                                 「元親記」

     【重史181】                   天正09 1581*****
      ①元親儀を、信長卿へ、或る人、さゝへ(妨害)申す、
      ②連々、天下のあだにも罷り成るべし、
      ③信長卿、御朱印の面、御違却有りて、
      ④予州・讃州、上表申し、
      ⑤阿波南郡半国、本国に相添え遣はさるべし
                                 「元親記」



     ⇒ 次へつづく

     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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