
菜那花とお兄さんはアタラヤで 1
あらすじ
小さい頃から雑貨屋アタラヤに通っている菜那花。店主の富美夫と話をするのが楽しみだったが、富美夫が入院したためアタラヤには孫が立つことに。初対面でいきなり失礼をかましてしまったが、代理店主を努める孫の様子を見ていてほしい、という富美夫との約束を守るためにアタラヤに通い続ける。そんな中、菜那花は客のひとりに万引きを指摘されてしまう。万引きを否定するが手荷物から商品が出てきてしまい菜那花は困惑。よりアタラヤに通いづらくなってしまったが、代理店主は菜那花を「被害者だ」と言う。代理店主の言葉を元に、菜那花は事件の手がかりを探し出す。
第2話 https://note.com/y_toko_u/n/n38e179859e99
第3話 https://note.com/y_toko_u/n/ncf7293617189
第4話 https://note.com/y_toko_u/n/n3167eed9755a
第5話 https://note.com/y_toko_u/n/n11169ccd19e7
第6話 https://note.com/y_toko_u/n/n84eaae370566
第7話 https://note.com/y_toko_u/n/n9fd79065cdaa
第8話 https://note.com/y_toko_u/n/nce525c60d6db
第9話 https://note.com/y_toko_u/n/n672a91905b61
第10話 https://note.com/y_toko_u/n/n55818ff1eb42
第11話 https://note.com/y_toko_u/n/ne83004245bed
第12話 https://note.com/y_toko_u/n/nd2dc3506e9c3
第13話・終 https://note.com/y_toko_u/n/nbc475870a190
「菜那花ー、また見てんの?」
スマホから顔を上げると、移動教室から戻ってきた佳央ちゃんが私を見下ろしていたから、おかえり、と声をかける。
佳央ちゃんは斜め前の席に教科書とペンケースを置くと、机の左側に掛けていたスクールバッグに手を伸ばした。
「リョーガさんの写真、変えたの?」
「うん、ドラマのやつ」
見て、と画面を向ける。スマホの背景に設定しているリョーガさんは普段の甘いマスクを存分に崩し、子供のように破顔して笑っている。何回見ても胸が締め付けられてしまう。
佳央ちゃんは筆箱だけ入れたスクールバッグを持って、私の前の席に腰掛けた。その席に荷物はなく、前の席のクラスメイトは既に帰宅したようだった。
「いつものリョーガさんって感じだね。この間まではちょっと悪そうな感じじゃなかった?」
「映画でヤンキーの役してたから悪い感じだったんだよね。私はこっちの方が好き。この笑顔さ、可愛くない? いつもはクールなのに好きな子の前ではこんな顔するんだよ。ときめきが止まらん」
リョーガさんのことを話すだけで勝手に口角が上がってしまう。
形の整えられた並行眉、少し垂れ目気味の目元、筋の綺麗な鼻、顔のパーツひとつひとつをとっても良さを語り尽くすことができてしまう。リョーガさんのことになるとついつい早口になってしまうけれど、佳央ちゃんはうんうんと静かに頷きながら聞いてくれる。
しばらくリョーガさんの魅力を語ったところで、佳央ちゃんに電車の時間だと言われてしまい、なくなく帰る準備をする。まだまだ語り足りない。
教室には私と佳央ちゃん以外の生徒はいなかった。荷物が残っている机もあるが、当の生徒は見当たらない。つい先ほどまで賑やかだったのに、グラウンドから運動部の声が響いてきて静けさが際立っている。
ふと隣の席に目を向ける。いつものリュックサックは見当たらず、机は綺麗さっぱり片づけられていた。
「優真くん帰ったのかな。ドラマの話したかったのに」
「さっき廊下ですれ違ったよ」
「そっか、じゃあ明日にしよっかな」
リョーガさんにハマってから佳央ちゃんに話を聞いてもらっているけれど、それだけでは足りず消化不良になってしまうことがある。そういう時は優真くんに話を聞いてもらっていた。ドラマもリョーガさんのことも知らないのに、文句を言わずに聞いてくれる優真くんは聞き上手だと思う。
昇降口に向かう途中、青い空が目に入る。今朝は雨が降っていたけれど、雲ひとつない快晴が広がっている。先週梅雨に入ってじめじめとした空気に嫌気が差していたけれどとても梅雨とは思えないほどの陽気。ここまで日差しが強いと梅雨も夏も超えて、早く秋になってほしいと思ってしまう。結局、ないものねだりの堂々巡りだ。
「ドラマって昨日で終わったんだっけ?」
「そう。毎週リョーガさんの顔を拝めたのに寂しい」
「写真集持ってなかった?」
「持ってるけど、動かないじゃん」
「動画とかたくさん上がってるくない? ドラマの無料配信もあるよ」
「あるんだけどね。聞き馴染んだセリフとか表情じゃなくて、新しいリョーガさんを見るのが楽しみだったんだよね」
割れ物に触れるみたいに優しくヒロインに触れるリョーガさんも、全てを壊してしまいそうな勢いで感情を露にするリョーガさんも、ひとりの人間。たったひとりなのに違和感なく表現してしまう彼の演技力に引き込まれたと同時に、リョーガとしての素の人物の柔らかさにギャップを感じたのだ。惚れるのは一瞬だった。
駅までの道の途中にある商店街に差し掛かったとき、何気なく視線を向けると、警察官らしき人が店に入っていくのが目に入った。
警察だ、と口にすると、隣を歩いていた佳央ちゃんが顔を覗かせる。
「あそこって確か薬局だよね」
「見回りって感じじゃなさそうだし、なんかあったのかな」
「なんかって? 事件?」
「最近万引きが多いって聞いたんだよね。詳しくは知らないんだけど」
唇を尖らせてじっと商店街の先を見つめている佳央ちゃんは、ふーん、とゆっくり頷くと、「物騒なもんだね」とどこか他人事のように言った。
駅につくと電車到着の音楽が聞こえた。流れ込んできた電車に乗り込む。冷房の効いた車内の空気が心地よい。入り口近くの二人席に座った。
先に電車を降りた佳央ちゃんを見送って、ひとつ先の駅で下車する。跨線橋を渡らず裏道へしばらく歩くと、竹林を抜けた先に一軒の建物が現れた。周囲には田んぼが広がっていて、農繁期に活躍する作業小屋と間違われてしまいそうな風貌をしている。広い道に面しているけれど農道だから、勢いよく走り抜ける車ばかりだ。佳央ちゃんに店のことを話したとき、「よく前は通るけど入ったことはないお店」と言っていたから、大半の人はそんな認識なのかもしれない。
表には『アタラヤ』と書かれた古ぼけた看板が掲げられている。
本やお菓子、雑貨などを販売しているこのお店は、私の心の拠り所だ。
小学生の時にこの辺りに引っ越してきたけれど、これまで通っていた学校よりも何倍もの生徒がいる学校に怯えて人見知りを発動させてしまった結果、うまく小学校に馴染めなかった。授業で上手く答えられなかったり、体育で跳び箱が飛べずくすくすと笑われたり、心が折れそうになっていたところ、通学路にあるアタラヤを見つけた。アタラヤの富美夫さんは快く私を迎え入れてくれて、おかげで悲しみも不安もすべて吹き飛んだ。
富美夫さんは定年で仕事を辞めてからアタラヤを継いだらしい。いろいろなものを置いているアタラヤの商品は豊富で、中には初めて見るものもあった。
そんなアタラヤは私にとって宝石箱のような場所で、高校生になってからも通うのが日課になっている。
「こんにちはー」
開け放たれた入口から足を踏み入れる。
棚には商品が雑多に並べられており、眺めて回るだけでも楽しい。小さい頃から何度も来ているからどこにどんなものが置いてあるかぼんやりと把握している。「僕よりもこの店のことを知っているかもね」と富美夫さんに言われたことがあるため、お墨付きだ。
「富美夫さーん、こんにちはー」
もう一度挨拶してみるが、店の奥から返事はなかった。席を外す時は戸を閉めるはずだから、どこかに出かけているわけではなさそうだ。
窓にはカーテンが掛けられており、蛍光灯も半分ほどが切れているため、店内は薄暗い。
いつも富美夫さんが座っているレジは誰もいない。奥の部屋で休んでいるのかと思い、レジ裏の戸を開けて住居の方へもう一度名前を呼んでみるけれど、しんと沈黙が落ちるだけだ。耳を澄ましても物音は聞こえない。
どこにいったんだろうかと首を傾けた時、背後から足音がした。お客さんか、それとも富美夫さんだろうか。
振り返ると、「あー、すんません」と、聞き慣れないイントネーションの声が聞こえた。
「そこ入らんといてもらえます? 一応住居なんですよ」
若い声の持ち主は、目元より少し上で切りそろえられた前髪を煩わしそうに掻き分ける。薄く開かれた瞼から覗く黒い瞳と目が合い、途端、矢が刺さった様に体が固まった。
見上げるほど背の高い男の人の顔には、室内ということもあって影が落ちている。けれどまるでこの人が光源そのものみたいに、不思議とはっきり顔を認識することができた。
──リョーガさんに似てる!
「あの、聞いてました?」
男の人の顔がぐっと寄ってくる。
目を細めたその人の表情は、以前リョーガさんが演じたヤンキーを思わせた。感情を露にしない彼が拳を振るって相手を蹴散らすシーンは何度見ても心が震えた。
しかし、いざそんな彼に似た姿を目の間にすると、体が動かない。このままここにいたら身の安全は保障されないかもしれない──、でもリョーガさんなら別にいいかも──、頭だけはいつもよりもぐるぐると回って、何の役にも立たない思考を繰り返していた。目が回りそうだ。
「とりあえずそこ、のけてもらってもいいですか?」
「──あっ、あの、好きな食べ物はなんですか!」
ぴっと足を伸ばして、お兄さんの顔に近づく。磁石のようにお兄さんの顔が離れていくけれど、黒い瞳を逃さまいと追いかける。背を伸ばしても一定の距離を保ったまま近づけなくて、思ったよりも背が高いことを知る。
「休日はなにしてますか? 疲れの取り方とか、リラックスの仕方とか。あと影響を受けた作品とか知りたいです!」
ライブ配信で何度かコメントを送ったけれど、他の質問に埋もれて答えてもらえなかった。でも直接聞けば答えてもらえるかもしれない。この機会を逃すわけにはいかない──!
「なに? そのラインナップ」
「暮らしの中に惹きつけられる秘密があるのかと思いまして」
「惹きつける? 会うん今日が初めてやんな?」
「初めてですけど、私はずっと知っていたと言いますか──」
「なにそれ、誰かと間違えてへん?」
交わっていた瞳がわずかに開き、確かに私を見ているのだと強く感じられた。目が合っている、視界に入っている、暗いけれどよく見ればお兄さんの瞳に私がうつっているような気がして、少しでも視界に入ることができた喜びで体が震えそうだ。
……間違えてる?
お兄さんの声が遅れて聞こえてきた。耳には入っていたけれど右耳から入って左耳から抜けていって、私が理解したのは脳内に残った反響音をわずかに聞き取ることができたからだと思う。
肩に乗せられた手の重みで、爪先立ちしていた足のかかとが床につく。
切れ長の目に細い並行眉、この距離でも毛穴や髭の剃り残しが無いと分かるほど艶やかな肌。俳優やモデルとして活躍していてもおかしくない顔立ちのお兄さんではあるが、──目の前にいるのは、リョーガさんではない。
「あっ……」
いつの間にかお兄さんの服を掴んでいた。慌てて手を離す。
肩に乗せられたお兄さんの手は大きくて、熱がゆっくりと染み込んでくる。途端に顔が火を吹いたように熱くなった。
なんて粗相を。
「ごっ、ごめんなさ──」
お兄さんから距離を取るために後ずさる。レジ裏に積まれていた段ボールに足がぶつかり、崩れそうになった体勢を立て直そうとカウンターに手を伸ばすが、指先をかすめただけで空を切る。構わずに体の重心は後ろに移動していく。
まずい、倒れる──。
強く目を瞑り、体を強張らせる。
しかし一向に衝撃は現れず、体も倒れるどころか停止しているようだった。
ほんのりと温もりに包まれ、おそるおそる目を開ける。
「……暗いんやから気ぃ付けろって」
耳元で囁くような声だった。声と共に吐き出された息の温かさに耳が包まれ、全身の血液が跳ねたような衝撃が走る。
目と鼻の先にお兄さんの顔がある。お兄さんの腕が私の腰に回され、倒れそうになっていた体を支えてくれていた。
どれだけ背伸びをしても縮められなかった距離を軽々と越えて、いつも画面や写真越しでしか見た事のない顔──リョーガさんによく似たお兄さんの顔で、視界が埋め尽くされている。
眉間にしわを寄せていてもお兄さんの顔は美しい。
細くて長い指が私の左手首に巻き付いている。爪は綺麗に整えられており、指先にはささくれひとつも見当たらない。お兄さんの右手は手首を、お兄さんの左手は私の腰に回され、なんだか今にも踊り出しそう。なにこの状態、もしかして、夢?
ぐいと引っ張られ、体を起こす。反動でお兄さんの体に寄りかかってしまいそうになり、奥歯を噛み締める。お兄さんの体が近い。甘い香りは香水だろうか。
「怪我しとってないですか?」
お兄さんはぱっと柔らかい笑みを浮かべてそう言った。
「あっ、あっ、はい、すみません、ありがとうございます」
「暗いんで気ぃつけてくださいね」
今度はちゃんと足元を見ながら後ずさる。しかし段ボールや椅子が置かれているレジ裏は狭く、さほど距離を取ることはできなかった。追い込まれているような心地で、顔を上げられない。
冷静になってくると、先ほどの自分の行動が鮮明に思い出される。
いくら似ているからってリョーガさんと間違えて質問攻めをしてしまうなんて、というかリョーガさんであってもそんなことをするのは失礼だ。感情に支配されて周りが見えなくなるなんて、まだ知らなかった自分の姿に驚きを受け入れられない。
「誰か探しとったみたいやけど、何の用でした? まあ今店には僕しかおらんけど」
「あの、富美夫さんは?」
顔を上げたものの、お兄さんの顔を見ることはできなかった。こんなご尊顔──しかもリョーガさん似──をじっと見て落ち着いて会話ができる気がしない。
視界の端でお兄さんの表情の動きを確認しながら、言葉の続きを待った。
「じいちゃんやったら、入院してます」
第2話は こちら から